雑感

設計とは別に思ったこと。

体温・触感               20250114

 

 マイルスデイビスのアガルタを思い出して、ユーチューブで何度か聞き直した。そうしたら思い出すことがあって、いろいろなアーティストを検索することになった。

 誰しも懐かしい楽曲があるだろうから、特段お勧めするものではないけれど、自分のために記したい。

「四人囃子」という前衛ロックハンドの「一触即発」というアルバムに収められた、「空と雲」という曲。歌詞は

 

🎵長く細い坂の途中に、お前の黄色い家があったよ

何か食べ物を買ってから・・・

友だちがくれた犬を連れて・・・

そのあたりには古いお寺がたくさんあって、こもどたちが楽しそうに遊んでいた🎵

 

 いつのころからか、励ましや慰めの歌詞が増えていて、これはそうした時代変化の前の曲。

 70年代半ばに人気の出た英国ロックバンド「ジェネシス」の、日本のアルバムタイトル「月影の騎士」

 フィルコリンズがリーダー的になって世界的にヒットを量産したから、ジェネシスと言えば、それらを思い出すひとが多いと思う。

 

 これは、ピーターガブリエルが全ての仕切っていた時のもので、舞台の演劇性などに集中していた。

 曲の構成も、売れるサビなど見当たらなくて、舞台が暗転するような仕掛けに満ちていたから、ヒットを飛ばすには無理があっただろう。でも僕は、絵を見るような視覚性にぞっこんだった。

 

 どちらも中学時代からの友人、多田洋一さんが教えてくれたもので、ずっと感謝している。

江の島新年               20250111

 

 昨日、江の島に出かけてみた。寒波襲来とニュースで聞いていたけれど、風もほとんど感じられずに、快晴だったから楽しい一日になった。

 気温は7~8度だったはずで、思い返してみると一昨年の7月の江の島は37度だったから、酷暑と厳冬、気温差30度を味わったわけで面白いなあと思う。

 食堂に入ると、最近の物価高のせいか観光客増加による強気のせいなのか、「こんなに高かったっけ?」という思いがぬぐえない。それでも、とにかく天気がよかったので大満足だった。

 橋を渡るとき、目前を歩いていた外国人観光客の肩先をトンビがかすめた。食品を持っている様子はなかったからトンビの勘違いか?ケガなどはないようす。

 横須賀秋谷に広い2階分のテラスを作った時、やはり明るいうちは食材をテラスに出せないとうかがうことがあった。

 上の写真は左から「みんなの高校地学」「江の島魚見亭からの富士山」「マイルスディビス:アガルタ」

 

 高校地学は、紹介文がいかにも楽しそうだったので昨年暮れに購入した。内容に不満はないけれど、さすが高校地学というだけあって、ピンポイントの豆知識というよりは、地学を網羅的に扱っているので読んでいて疲れる。睡眠導入剤としてはとても優れているけれど。

 内容に、富士山噴火や原初大陸「パンゲア」の紹介などもあり、パンゲアと対をなすマイルスデイビスの「アガルタ」を思い出した。

 それまで親しんでいた往年のマイルスデイビスから電子音楽に踏み出したころのもので、1980年ころだったはずだ。

 初めて聞く音に驚きながらも、破壊やアンチでない古典的な気配に心酔した記憶がある。ジャケットデザインは横尾忠則氏。 

新年おめでとうございます        20250103

 

 本年もよろしくお願いします。

 昨年暮れは、いやここ数年と思うけれど、おせち料理の材料買い出しに同行できて、支度を見守った。

 

 長女長男の家族と、同居する母を含めて総勢9名。

 地域によっては20人とかそれ以上なのかもしれないけれど、我が家はずっとこうした規模。

 長女がインブルエンザらしき症状を示したので、祖母(僕の母)への感染を気遣って自宅待機。それが残念。まあ、僕よりは妻が残念。

 

 妻は、海老を直前に焼くからゆっくり座っていることも難しいし、殻を剥いた孫たちの手の行方だって気にしないわけにはいかない。

 

 孫たちは喜んで食べて、食後は坊主めくりやババ抜き、UNO、それにブロックスというゲームなどを楽しんだ。

 

 各人の好みを考えながら、正月らしさも踏まえて9人分をそろえるのは神経と体力を総動員するものだろうと実感する。

 僕が唯一作ったのはローストビーフで、これは奮発して良い材料を購入したから、その通りおいしくなった。

 レシピを検索すると、さまざまな意見があったから、最初に作ったときの村田シェフのものに回帰した。

 おおざっぱに言うと、57~60°で1時間ゆせん状態に加熱するとあって、その後中央で切ってみると、僕好みだけれど「もう少し火を通してくれたら」と妻がいう。

 それは、好みもあるとして、孫に食べさせることも気に掛けるから、結果的に30分延長した。

  僕は、少し血がしたたってもと思いながら、ここは譲歩。

 

  2日、今日は、お雑煮のあとは、お煮しめをつまみながらワインと箱根駅伝。楽しい正月を迎えられたことに感謝。

 

 今年一年、楽しく過ごせますように。

1/f のゆらぎ              20241230

 

 最近、夕食を作ることが数度あった。

 左の写真は一昨日のもので、写真的には地味すぎること承知のうえで掲載。

 なにも特別な工夫はない。

 強いて言えにば、僕の場合は遊びだからいろいろな味付けを実験したことだ。

 

 ほうれん草はバター炒め。手羽中はカレー味、なすはみそ味で人参はみりん砂糖の煮込み。

 パスタは先日のアヒージョの残りオイルと材料を加えた即席ペペロンチーノ。笑

 だいぶ前に他界した義父は、定年退職後に低い山の登山を新しい友人たちと楽しんでいたし、義母も舞踊などにいそしんで仲間と楽しい時間を過ごしているようだった。

 後悔などではないけれど、僕には趣味が見当たらない。

 上の写真はここしばらくで簡単に作った夕食。

 二度とない味がいいなあと思う。

 そういえば、孫が僕の作ったチャーハンを食べたいと妻を通じて聞いて、「なぜかなあ」と思っていたら、妻がききだしたところによると、即席で間に合わせたウィンナー入りが好みだったらしい。

 

 僕は、下北沢の眠亭の「真紅のチャーシュー」のチャーハンが無性に恋しい。(絶対カロリー過多だから近づけない)

S&B赤缶               20241222

 

 最近、ネットサイトを見ていて「エスビーカレー粉赤缶」という文字に何度か出くわした。

 きっと、レトルトカレーなどが高度に発達するなかで、原点回帰のような気配が出てきたのだろう。

 それにも少しシンパシーがあるけれど、この赤缶のパッケージデザインは秀逸だと思っていたのでなんとなく良い気分。

 コンビニエンスストアやスーパーマーケットに並べられている商品パッケージは、目立つことが第一義だろうから、それはそのように楽しむ。

 もう少し小さい香辛料などは、欲しい人に訴求するデザインだろうから、けっこう気に入るものが現れる。

 エスビーのパッケージがいつから続いているのかわからないけれど、その代表格だろう。

 反対に嫌いなのはシャンプーとかで、こっちは湯を浴びているのになぜ視認性を一番にしないのだろう。貧し気なカッコ付けに憤ったりして。(特にシティホテルのユニットバス内の小さなやつ)笑

 

 パッケージを眺めて楽しいのはKALDIだ。

 店舗レイアウトや陳列構成も大変な人気ぶりらしいけれど、どんな人や集まりが考案したのだろう。

 あえて言えば、もう少しレジの効率化を進めてくれるともっとファンになると思いながら、まあそれでも楽しかったりして。

 僕は、パクチーラーメンが大好きで、一度見かけたら4個以上は買ってしまう。(左写真の左上のほう)

 この週末は夕食を作ってみた。

 左は今日で、ほうれん草と豆のカレー。(これはカレー粉を使わずに玉ねぎと香辛料で整えた。写真に並べなかったけれど、クローブが最重要で、ターメリックとガラムマサラも欠かせない。)タンドリーチキンは色が薄いけれど、それなりに美味しかった。こちらはエスビー製カレー粉。

 右は昨日で、鶏胸肉とピーマンのマヨネーズ炒めと、レンコンと人参のきんぴら。

 作った本人はどれもおいしい。

岡本太郎美術館             20241215

 

 今日は妻の誕生日。

 昨晩やその前の晩、孫たち家族と一緒に夕食をとってそれなりに大騒ぎだったから、今日はのんびり過ごそうと話していた。

 

 それでも記念日なので、横須賀美術館ドライブや、上野公園、渋谷探検など考えてみたものの、渋滞や混雑を懸念して、小田急線で20分余りの「岡本太郎美術館」を目指すことになった。 以前から関連施設を訪ねてその存在は知っていたけれど、行ったことはなかった。

 しばらく前に岡本太郎の著書「沖縄文化論」を読んで目を見はる思いだったので、がぜん前のめりになった。

 向ヶ丘遊園駅から溝の口駅行きバスで2停留所で降りて、徒歩7~8分。美術館の前に杉の木立があって、どこまでもまっすぐ伸びていることに驚いた。プレートには「メタセコイア」とある。

 常設展の、想像をはるかに超える規模と緻密さに嬉しくなって、さらに今回の企画展の気鋭の作家との対比が面白かった。

 その趣旨をよく理解したかは置いておくとして、2名の作家の力量とエネルギーにこころ揺さぶられた。

 上の左の写真は岡本太郎が上野博物館で縄文土器を見たときに切り取った渾身の写真らしい。

 岡本太郎が沖縄の文化に傾倒し、日本画壇にパンチを見まわせた動機がここにあるのだろうか。

 

 鑑賞後は町田に戻って来て4時ころの夕食にした。おいしくて、空も真っ青でとても充実した一日だった。

村田シェフ              20241211

 

 村田シェフという言い方が正しいかどうか。

 テレビでも何度か見ていた、京都老舗料理店の3代目、村田吉弘氏の「ほんまに『おいしい』ってなんやろ」という本をネットでみつけたので早速購入して読んだ。

 口述筆記なのか、あるいは氏の文章の特徴なのか、そこにいて話しているような気配なので親しみやすく、楽しく読んだ。関西弁なのも影響しているだろう。

 

 氏の半生と料理への取り組み、そしてWASYOKUのユネスコ世界文化遺産への登録などがつづられている。

 

 同じ料理でも、親しい人と食べる時とそうでない場合はおいしさに大きな違いがあるから、調理を過大にとらえるのはどうか・・・

 とか、里芋を料理店では最新の注意をはらって作るけれど、もし、冷めないうちに食べられるのであれば、自宅などでホクホク食べるのが一番うまい・・・などとおっしゃる。

 

 京都の「ぼん」で育つことの実態や、料理修行の苦労などの話も楽しくて、・・次に何を読もうかなー・・・というひとがいたらお勧めしたい。

社会の勢い              20241204

 

 今日はK様邸の進行状況確認に出かけた。通常の設計事務所が学ばなければ、と思うほどにキチンと管理されているので、チェックと言うよりは「ダブルチェック」に近い。

 昼に現場を離れて、行く途中見かけていた「ヒマラヤ」という印度ネパール系のレストランで食事した。

 

 この、三鷹駅北口7分(おおよそ)にある店は、多く見られるインド系、ネパール系が「コク」に物足りない印象があるのに対して、日本人向けなのかおいしかった。

 店内にモニターがあって、それなりの音量で音楽とダンスが店内に溢れる。

 以前何度か訪れた駒沢のインド料理店では、ずーっとインド映画が放映されていて、ほぼ一緒だと思った。15年の違いはあっても。

 

 どちらも音楽はフレーズが4種類ていどのバリエーションで、それを延々と繰り返す。そして、画面で乱舞するのは50人とかそれ以上の群衆だ。みなさん肥満ではないけれど豊満で、汗を飛ばすようなダンスが途切れない。なんというエネルギー。それが見どころなのか。音楽性や舞踏性は僕には感じられずに、それでも圧倒された。

 

 先日読んだネット記事では、インドネシアではじきにスーパーマーケットの支払いが顔認証で済むようになるらしいし、日本に旅行に来た中国人が、デパートなどの衣料品店にレジがあるのを見て、昔の母との買い物を思い出して涙がにじんだそうだ。

 

 翻って日本。僕は昨日歯科医に行って、マイナンバーカード保険証を提出した。カードを置いて、顔認証か暗証番号かを選び、情報の書き込みに同意する・・・という3点。

 これをモーニングショーなどではやり玉にあげている。

 僕は評論家ではないから、これで医療事務が軽減されるなら大いに賛成だと思ったし、処方箋薬局で「薬手帳は」と聞かれることがなくなるかと喜んだけれど、考えてみると、その問いかけに首を振る動作が、先に書いた3点に増えるのかと少し残念だった。

 

 せめて、ファックスは終息してほしい。SNS選挙の台頭が、ファックス政治家を駆逐してくれますように。

へいわとせんそう           20241128

 

 先週、谷川俊太郎さんが亡くなったニュースで、絵本がひとつ紹介された。

 見開き左右のページに「へいわ」と「せんそう」を対比したイラストが並ぶもので、その静かで力強く思われるメッセージに惹かれて注文した。

 通常、翌日配送なのに月末目安と自動メール返信があった。

 注文が集まったのだろうか。

 テレビの報道番組で、イスラエルの30歳くらいの女性の日常を取材したものを見た。

 

 多くの報道では、ガザの凄惨な画像が見られたから、漠然と「イスラエルは限度を知らないのか」などと非難する気分で見ていた。

 しかしイスラエルの日常で語られるのは、「いつ撃たれるかわからない恐怖」、「このバスに乗って死なずに下車できるのだろうか、という不安」が日常だというものだった。そこには、人間同士、宗教観の対立というよりは、もっと生理的な恐怖に翻弄されている様子が感じられた。これを乗り越えられるとすると、どのようなアプローチなのだろう。

 谷川俊太郎氏を知ったのは、チャーリーブラウンやスヌーピーが出てくる「ピーナッツブックス」だった。

 中国人だったピアノの先生のもとへ出かけると、待合室にはこれだけが並べられていたのだ。

 小学校3年生のころだから、その味わいを理解したか疑問もあるけれど、ラグビーのコンバージョンキックでボールを押さえているスヌーピーやライナスが、まるでドリフターズのコントのようにお決まりでチャーリーブラウンを空振りさせる、などのパターンが年齢なりに楽しかった。(それと、お弁当がバターやジャムを塗ったサンドイッチだけなこと)

 そこで、谷川俊太郎という名前を憶えて、その後あちらこちらで向こうから入ってくるのだった。

 

 谷川俊太郎氏、北の富士関、火野正平氏・・・同じ週で逝ってしまうなんて、とても残念だ。

町田市民プール            20241123

 

 今日の午前中に、市民プールに出かけて(車で)泳いで歩いてきた。平泳ぎ数百メートルと水中歩行それなりの距離。

 前回の平泳ぎは20年振りのためか遅さに自分でショックを受けたけれど、今日はちょっとした改善で多少持ち直した。

 水中歩行に比重を移しているのは、水の抵抗を作り出せば平泳ぎより負荷がかけられると思ったからだ。

 地上で運動をすると体重の影響で関節に支障をきたしそうだけれど、水中はそうした心配なく持続的な運動が可能だと思う。

 

 使用料は、通常400円が65歳以上は150円。さすがにその違いは利用動機に直結しないから、そんなに値引かずに・・と思ったり。

 そもそも、400円が適正とも思えないのだし。

 プールは3つのエリアに分けられていて、歩行エリア・フリースぺース・航続レーンがある。

 以前は速く泳ぐ航続レーンを含めて、それぞれのエリアを使ったけれど、前回今回は航続レーンを敬遠した。(平泳ぎとクロールが混在するので、平泳ぎはある程度のスピードがマナーかな、と)

 1時間半くらいたって、もう一本泳ごうかと思ったけれど、次回また来たくなるように腹八分目ということで。笑

 

 政治の話はこの雑感には記したくないけれど、前回引用した三浦瑠麗氏と名誉棄損で争って勝訴したひとの記事を見つけたので、念のため。(僕としてはこちらも全く同感なのだ)

 

 勝手に要約すると、「マスコミは言い訳せずに取材にエネルギーを注げよ」かな。

 

「今の選挙報道はおかしい」斎藤元彦知事の再選巡るTVコメントに元テレ朝法務部長が異論(ENCOUNT) - goo ニュース

 

もし時間があったら。

 

 こうして批判的な意見を記すと、この雑感に反響はないものの、自分の中に残るものがある。それを意識して。

マスタード              20241120

 

 数週間前にスーパーマーケットにひとり寄ったとき、ジャンクな感じのマスタードに目が留まった。ホットドッグをキッチンカーなどで食べたかどうか記憶があいまいだけれど、そういうところに置いてある円筒形のマスタードの味には、食べる前からわかる親しみがある。

 購入してからしばらく忘れていた。

 昨日、冷蔵庫にあらためて見つけると、無性に食べたくなった。

 日課の散歩に出かける前に、妻にキャベツの千切り塩もみを頼んで、散歩途中でウィンナーとパンを買った。

 全粒粉のちょっと気取ったパンとこれとで迷ったけれど、目標はジャンクフード 笑

 子供時代に帰ったのか、味覚が未発達のままなのか・・・とてもおいしかった。

 家のそばに3軒(一軒はすぐそばで、他二軒は車に乗りたい距離)のパン屋があって、それぞれ個性があって楽しいけれど、やはり自分たちで作ると別評価になる。

 ついでに、最近作ったきんぴらごぼうの写真。

 ごぼうと人参をある程度均等に切っていくのに大変な時間を要した。だから、栄養的な視点も加えてこれはジャンクではない。

 僕たちの長男夫婦はおいしいものを食べに出かけることが好きで、気に入った店のレシピ本なども購入しているらしい。

 

 僕は、難しい料理には耐性がないので不向きだけれど、手を加えて口に入れることの楽しさは大きく変わらないだろうと思う。

大江戸温泉物語            20241118

 

 先週、熱海と伊東に行ってきた。

 熱海はしばらく前に出かけたときから、若者が行列を作る食べ歩きスイーツ店がたくさん出ているように見えて、昔日の閑散とした気配から別世界になっていた。

 帰ってきたあくる日、テレビの昼時の番組で熱海の変貌が紹介されていた。

 そこでは、若者でにぎわう様子と一緒に、ホテルもオーナーが変わって革新されているという内容があった。

 

 以前、スイーツ店が繁盛しても多くの客は日帰りでお金が落ちない、という記事を目にしていたから、あの「ホテルニューアカオ」が満室の盛況と聞くのは驚きだった。3年ほど前に、倒産危機に陥ったところを新しい経営会社が買い取って工夫したらしい。

 日本中がイケイケだった時代、おそらく、二度と造れないような内装は、趣味を別としても訪れたいと思った。

 

 大江戸温泉物語・・・

 初めてその系列のホテルに出かけたのは、長女長男と一緒の家族旅行だった。熱海。とても気に入って、その後霧降高原や他などにも妻と出かけた。

 今回は、伊東の大江戸温泉物語の、元「ホテルニューオカベ」。

 写真左は主室の窓際から出入口方向を見返したもので、広々とした部屋が3室ある。

 最上階9階は、バブルの時代に派手に作られたらしくて、勘だけれど70㎡超あるだろう。それが、ごく一般的な宿泊費で・・・驚。食事は夕朝ともバイキング形式だから、好みは分かれるかもしれない。それでも、僕にはとても美味しいので大満足。ロビーには「スーパードライ、サワー、ハイボール」の飲み放題サーバー。。。(^.^)

 

 熱海商店街での昼時、まだそんなに空腹でなかったので「金目鯛の焼きひとつで分けようか」、と妻に言うと怪訝な顔をした。

 てっきり一尾だと思い込んでいて、「なぜ800円なのだろう」と不思議に思っていると、届いたのはパソコンのマウスの半分くらい。

これは自分で笑った。(さっそく他にも注文したけれど、店員さんはどう思っただろう 笑)

 

 他は、MOA美術館で「風神雷神図屏風」を見たり、商店街外れの漁師飯などを堪能した。(風神雷神と紅白梅図を並べた大きなスクリーンの紹介があって感激した。)

兵庫県前知事再選           20241118

 

 9月20日に斉藤前知事の失職関連に触れた。

 昨日出直し選挙があって再選されたので思うところを。

 

 前回記したのは、誰かが作った大きな流れに便乗する人々を批判することであって、その流れの深層を考えない、もしくは敢えて目を逸らす態度だった。

 

 今回の地滑り的前職再選は、氏の好感されそうな姿と、頑ななまでに自説を変えない信念のようなものが支持されたのかと思う。

 

 ただ、伝えられるようにSNSで現実離れした熱狂があったとすれば、そしてそれがトランプ支持者のようであれば、ちょっと恐ろしいとも思う。それは既存マスコミへの不信への対極でしかなく、あるいはそれ以上に不気味でぞっとする。

 

 斉藤氏は認めないけれど、内部告発の処理は僕が聞いても杜撰に思われるので、この総括は求められるだろう。

 

 ネット記事に三浦瑠麗氏の投稿を紹介したものがあって、僕は「全く同感」なので再録する。

 

三浦瑠麗氏、斎藤元彦氏再選に「一番の敗者は当然、マスコミです」と私見

どんでん返し             20241112

 

 トランプ大統領が決まって、モーニングショーなどでも近未来の日本がどうなるか話題になっている。そこで思った。

 

 民主主義のキャプテンであるアメリカが降りたら・・・。群雄割拠のの戦国時代に移行するのだろうか。

 わからないことを考えても仕方が無いので置いておくとして。

 それでも将来を考えれば心配はつきない。

この左写真の本は、藤原新也氏がキャンピングカーで北米を横断したときの記録だ。

 僕としては、そもそも「東京漂流」という、氏の12年間の世界放浪を経てのエッセイに魅了されていた。氏はバブル前の田端駅海岸よりに住まいを借りて、「豚は夜運べ」などという刺激的な文章を放っていたのだ。

 

でもここで記したいのは「東京漂流」ではなくて「アメリカ」の方だ。

 

 藤原新也氏はキャンピングカーの旅で、たまには「ハレ」も欲しいなとめかしこむ。すると、食材を購入しようとしたマーケットでレジ係の黒人女性に無視される。東洋人が良い衣装をまとっていることへの攻撃だ。

 その時氏がなんと受け答えたのかは本を買って。笑

 

 ささやかな伝聞だけれど、傲岸な彼らに対応するとしたら、自分の立っているところへの確信しかない。

五木寛之氏短編            20241112

 

 久しぶりに五木寛之氏の小説を読んだ。とても楽しくて感激した。

 4つの短編が集められたもので、タイトルの「金沢あかり坂」は2010年代、他は1990年ころに書かれたものらしい。

 冒頭の金沢あかり坂は、金沢の町並みや歴史にかなりのページが割かれるのでやや食傷気味だったけれど、読み終わる

とそれが大切だったことに気づかされる。

 

 五木寛之氏は高校時代からのファンで、少し世の中を斜めに見る業界ゴロのストーリーが好きだった。売れっ子作家となった盛りに金沢に移住したのだと思っていたけれど、業界紙などの記者兼ライターとして生き延びた後、小説家として満足のいくものを書き上げたいと金沢に移ったらしい。

 

 そこで直木賞を受けることになる「蒼ざめた馬を見よ」が生まれたらしい。知らなかった。

  数年を過ごして横浜に戻って来て執筆にまい進したらしい。そういえば、遅くに運転免許証を取って、第三京浜を爆走するエッセイを読んだことがある。その後また金沢に戻るのだ。

 

 夢中になっていたころの小説は、イベントなどを仕掛けながら状況が刻々と変化して、最後は失敗することが多いのだけれど、何か「ストン」と胸に落ちるものを与えられた。

 

 そのころとは違って、この新しい短編集は結末がない。それがいいと感じた。

京都ラーメンチェーン         20241108

 

 今日、「魁力屋」というラーメン店に出かけた。

 少し前にネットで「京都発のラーメンチェーン四天王」という記事を見つけて、そこに天下一品と来来亭があるので興味を覚えた。他の2店は、魁力屋、ラーメン横綱。

 少し経って、町田からのいつものバスに乗っていたら、眼鏡チェーンだった場所にラーメン店が新規オープンしたらしく、魁力屋とあった。幟に「京都・・」と書かれていたので、記事を思い出した。

 天下一品と来来亭には好感があったので、この新店舗にも行ってみようと思った。車で5分だし。

 妻が京都醤油ラーメン、僕は黒醤油ラーメンを注文した。おいしい。普通においしかったけれど、僕には塩加減が強く感じられた。

ラーメンが好きな割に知っているお店は少ないので評価はできない前提で。(あ、チャーシューに相当する薄切り肉とメンマは絶品だった)

 

 最初に目に止めた記事は次のもの

京都発祥のラーメンチェーン四天王『天下一品』『来来亭』『魁力屋』『ラーメン横綱』それぞれの魅力(ピンズバNEWS) - Yahoo!ニュース

 今日、この記事を探すために検索すると、京都発祥のラーメンは数限りなくあるようで、ランキングなども入り乱れていた。

 

 この中で僕が最初に食べたのは天下一品で、ネット記事口コミで「カルボナーラのようだ」「二度と行かないし食べない」などと際立った感想があったので興味を持っていた。

 赤坂見附に自分の仕事用椅子を探しに行ったとき、天下一品という看板を見つけたので入店した。液体と呼べないスープに驚いたけれど面白いと思った。その後、水道橋で2回食べて、少し前に町田で食べた。計4回。3~4年に一度。(千キロカロリー超らしい)

 

 来来亭に初めて入ったのは愛媛松山。レンタカーで移動中、幹線に面しているのに車が入りやすそうだったので半ば仕方なく入った。そうしたら、なんだかさっぱりした店の雰囲気で、ラーメンもおいしかったから記憶に残った。黄色い看板とロゴを覚えて・。

 なぜか、自宅には今も来来亭から持ち帰ったらしい宣伝用団扇(マジックで来来亭、とあり)がある。なぜかなあ。

 その後忘れてしまっていたけれど、国道1号線を運転しているとき、黄色い看板が目に入った。上り線側だったから入れずに、少し空腹を我慢して帰りに寄った。松山を思い出した。

 そのころ、鎌倉西、藤沢、辻堂、平塚に間をあけながら現場ができたので、食事のタイミングが合えば何度も立ち寄った。

 

 魁力屋は初めに記した通り。

 4番目のラーメン横綱は、ネーミングもピンとこなかったけれど、検索すると関東では松戸と柏店だけがあるようだ。かすみがうらの現場に通っているうちに知ったら寄ってみたか?ああ、駅から徒歩14分らしいから微妙だ。

高校クラス会             20241105

 

 先月の26日、土曜日に高校2年B組のクラス会があった。

 高校時代から皆に気を配ってくれて、卒業後も何度となくクラス会や拡大クラス会などをまとめてくれていた山本君が、来年1月の誕生日で定年退職する予定となって、そのしばらく後に広島に移るから、その前に一度幹事をしておこうと思ったそうだ。

 彼はゼネコンに就職して、最初の勤務地が広島だった。そこで知り合った女性(実にチャーミング)と結婚して、数年後には東京に移っていたけれど、今からしばらく前に広島に家を建てた。(僕も設計に参加した)

 彼に言わせればそこに「帰る」ということだけれど、こちらとしては行ってしまう・・・感じ。

 

 まあでも、先月、仕事の都合でクラス会になかなか出席できない森本君と前田君に会おうと、山本君と僕の4人で八王子で飲んだとき、「次回のこの会は広島だ」などとみな言っていたから、それもありかな、とも思う。

 上の写真はクラス会の様子。左写真で立っているのが山本君で、同じ写真左下に写っているのが女性幹事の京子さん。

 中央はスナップで、12名のほどよい規模の集まりだった。ほぼみなさんと会話できて、近況報告なども楽しかった。

 当初は立食形式と聞いていて、立ち通しかあーと思ったけれど、椅子があったのでゆったりできた。笑

 

 右端の写真は僕がエールを再現したときのもの。

 今沢君が送ってくれた写真を見て、撮ってくれたことに感謝ばかりだけれど、思っていた姿と違っていることにひとりショックを受けた。

 そんな風に言うとまさに大袈裟で滑稽としても、それでも膝が開いて腰が落ちて上半身が反っていないなんて。・・・悲

 一回くらい鏡の前で予行演習すべきだった。・・・

 

 実は会の一週間前に山本君から「会の終わりごろにエールをしてくれ」、というメールをもらった。

 卒業後にエールをしたのは20代のころの友達の結婚式数度と、40歳ころの同窓会くらいだから、すぐさま断ろうと思った。

 

 でも考え直した。

 山本君は何度も企画立案してまとめてくれたし、遠くない将来東京を離れるのなら、断るのはカッコ悪いのではないかと。

 しかしそう思っても、高校時代ですらどこかの血管に過大な負荷がかかっていると感じていたから、メタボの現在再現することは事故を招きかねない。そこで、長く大きい発声は省略することを思いついて、実際当日もそれを宣言した。

 しかし、それで興ざめだったら元も子もないので、埋め合わせに白手袋を持参することにして、前日ワークマンで購入した。

(ワークマンを思いついたところが自慢・・・笑)

 

 当日、実際に始めるとき、無声でいきなりではあまりに唐突なので、最初の数秒声を出してみることにした。すると、小さな部屋で反響もあるから、広い校庭のようにクラクラするような声量が不要なことに気づいた。だから、地味だったとしても一応発声をして終了できた。岡本君が「良かった」と肩を叩いてくれて嬉しかった。

 

 番外・・・、応援団では整列した後休めの姿勢をとり、団長の「気を付け」、「挙手」の掛け声でエールが始まる。

 今回も同じようにしたら、「気を付け」で出席者の過半数が気を付けをした。心の中でちょっと面白がった。

お遍路さん               20241020

 

 今日、町田市民プールを目指して6㎞歩いた。そしたら休館日だった。事前に調べないことに原因はあるけれど、日曜日に休館?

 帰ってから調べると、熱源の焼却施設が定期点検だったらしく、2週間の休館らしい。ああ、そうですか。

 

 片道でそれなりにへとへとだったものの、町田街道に出ればバスは頻繁に来るのでいつでも避難できると考えて、遠回りし始めた。 

 すると、なんだか意地が出てきて、結局14㎞を歩いた。

 左の写真はまだ前半の半ばで気持ち的に余裕があったとき。アベリアかな。

 休館を知ったあとはうつむき加減に。

 

 20年前を持ち出しても意味は無いかもしれないけれど、以前は15㎞でも30㎞でも、「あと5km」と言われれば、疲れ切っていても当惑は無かった気がする。

 今日は、意地で完歩したものの、「大丈夫かな」「転ばないようにね」と、頭の中に声が響いていた。

 

 昔の同僚に、「お遍路さん」を実行したいという人がいて、聞くと、早い人は毎日30㎞余りを踏破するらしい。そのとき、30㎞のイメージはあったから想像しながら、あれを毎日繰り返すのは無理だと思いながら、なんとなく感触はつかめていたような。

 

 ところが、今回の散歩で打ち砕かれた。悲

 

 お遍路さんは具体的に考えていないけれど、別に、大山登山を、などと思っているので現状ではアプローチさえできない。おお。

一体感                 20241020

 左の略図は「日本の排他的経済水域」を示したものだ。

 日本の小中高生たちが漫画「ワンピース」に熱狂しながらどれだけの人の頭にこの地図があるかとても疑問だ。

 

 排他的経済水域とは、僕も不勉強だけれど、支配地域とは違って緩やかな優先措置らしい。

 僕が提案したいのは、天気予報などで「沖ノ鳥島」までを網羅した図柄を示すことだ。

 まあ、沖ノ鳥島は人も住まないのでちょっと別という意見を聞いたとしても、沖縄県と小笠原諸島を端折るのは神経を疑う。

 ひょっとして「本土意識」という亡霊が生き残っているのか。あるいは大東亜圏への懲りない反省が巣くっているのか。笑

 

 前にも記したけれど、図面は倍率を半分に下げても情報量はさほど変わらない。そもそも当地の人たちに対して失礼ではないか。

 

 なぜ、端折るのか。無感覚なのであれば困るし、他国の圧力があるのだとすればもっと困る。それを疑わざるを得ない放送局だし。

 

 保守とかリベラルなどという半世紀前の名づけに惑わされず、普通に国土を愛する国であってほしい。

 

 そんなに多くの回数で沖縄、石垣を訪ねることができたわけではないけれど、彼の地は愛すべき文化を持っている。また、近いうちに父島にも仕事ができるかもしれないけれど、ネットでみる限り僕の知っている世界観を変える深さがありそうだ。

 比較的近い「青島」は日本一星空が澄んでいるらしいし。

 

 アイヌ文化を含めて、みなを大事にして身内であり続けてほしい。

K様邸棟上げ              20241017

 10年余り前に、中学・高校が一緒だったKさんから電話を受けた。

 家を建てるにあたり、ハウスメーカーさんと打ち合わせを重ねてきたものの、その対応に満足していないとのこと。

 我慢など初めからする必要はないのだから、信頼できる工務店さんを紹介する約束をした。

 その工務店さんは、僕がベルスという住宅サポートを中心にした会社に勤務しているとき、自信をもって推薦できる工務店として業務提携した会社。建設費は高額だけれど・・笑

 通常、実績と評価を持つ工務店は「提携」話など歯牙にもかけないのだけれど、このS工務店を訪ねて門前払いをされそうなとき、たまたま社長のSさんが通りかかって、話を聞いてくれた。

 するすると話が進んで、米資本企業の取締役さんをたまプラーザに、友人の友人の家を経堂に建ててもらった。その一連の流れでKさん邸も着工したのだ。

 その10年後の昨秋、また電話をもらった。

 武蔵境の家は次女家族に譲って(売却)また新しい家を三鷹に建設するという話。

 たぶん、S建設さんに大きな信頼を寄せていて、建てて欲しいとご夫婦で一致していたのだと思うけれど、Kさんは義理堅いので僕を飛ばすことはできなかったのだろう。

 もちろん、快諾する。

 根伐り、基礎配筋、基礎コンクリート打設、足場架け、棟上げ・・・と、要所要所で現場を訪ねたけれど、指摘が一つもない。

 通常は誰かと時間の約束があって、時計も見ながら過ごすけれど、今回はまったく自由だったので途上の商店街も観察できた。

 そこで見つけたのが古書店。

 誰もが素通りしていたのに、僕が店先で観察していると2番目の写真のように。「さくら」ってあるんだなあと。笑

 

 4冊購入して400円。え、

 沢木耕太郎さんの「深夜特急」を読むと、放浪旅の若者の手から手へ文庫本が手渡されていく描写がある。

 フードロスも大問題と思えるけれど、書籍は。

戸外夕食                20241014

 昨晩、久しぶりにささやかな屋上で夕食をとった。

 夕食と言っても、クラッカーにいくつかの食材を載せるだけのものだから、簡単。

 屋上に料理を運ぶのは面倒だし、落としたりすると後が大変なので乾いていて単位が小さいものがベストなのだ。

 今住んでいる町田市玉川学園というところは、もとは雑木林だけの未開の地だったはずで、それは平たんなところが無くて耕作に向かなかったからだ。

 どこに行くにも坂がついて回るから、しかも飲食店が未発達なので、住宅地としての人気はそうとうに陰っている。

 それでも、この地に親しんでいる者であれば、歩き回るほどに景色が変わる楽しさに愛着を持つことだろう。

 写真の中央に小さく三角形を見せているのは、丹沢東端の大山で、平塚市役所に出かけたときに見る大山とは裏返しだ。

 クラッカーに載せたのは、バナナ・キウイ・ツナ・タマゴ・チーズ・トマト・ウインナーと、冷蔵庫などにあるものを。

 僕は誰に言っても笑われるのだけれど、立食などの会場で少し乾いた小さなサンドイッチが好物だ。だからちょうどいい。笑

 上の左の写真は僕が作ったビーフシチュー。カレーもそうだけれど、販売されている「ルー」はとてもよく出来ている訳で、素人が抗ってもどうにもならない。

 それでも、食味にゆらぎは必須だと思うから、(コンビニのおにぎりはおいしいけれど、もういいや・・・)じたばたする。

 カレーもシチューも素人に足りない筆頭は旨味なわけで、鶏ガラを煮込んだり高価な昆布を使うのは本末転倒だから、ネット記事を多少気にしていたら、簡単に旨味を足す方法に行きあたった。

 

 ラード・オイスターソース・少量ケチャップ・インスタントコーヒー。ケチャップは難しいことを経験済みだし、インスタントコーヒーは無かったのでラードチューブとオイスターソースで勝負。

 

 ちょっと甘くなり過ぎたけれどおいしかった。

 

 右の写真2枚は「天下一品こってり」と、自宅でのインスタントラーメン。器が似ている。(^.^)

市民プール               20241003

 

 一か月くらい前に「泳いだりした方がいいかな」と何とはなしに声にしたら、「水泳着とってあるよ」と妻が即座に反応した。「あれはもう入らないしそもそも気分が違う」「今行くならバカボンパパのようでないと」と言ったら、翌日そんなのが届いた。

 しばらく居間に置くままにして、それでもせっかくだからと箪笥にしまった。

 今週前半は妻が妹の家を訪ねたので、僕にも空白の時間が生じた

 家から市民プールまでは6Kmある。

 20年前はそれを歩いてプールでは1Kmから2Kmを泳いでいたのに、片道で息切れした。笑

 

 それでも、一歩踏み出した自分を評価したい。

 この写真は、はじめの一歩。

20年前は何を思ったか裸足で歩こうとして血をにじませた。

 プールで泳ぎ始めてみると、床のタイルがのんびり移動していることに違和感を覚える。

 50mの時間を見ると1分を大きく超えていたので、両端にある2台の時計がズレているのかと思ったら正しかった。

 腹が減ったので併設されている食堂でうどんを食べる。

 これが思いのほかおいしかった。市民プールなのに塩分が多いとは思ったものの、ちょっと感激する。

ビル竣工見学会               20240930

一昨日、我が家の長男が勤める建設会社の本社竣工お披露目があったので出かけた。

 長男は入社時に赴任地として九州を希望したから、福岡・大分・熊本・宮崎・山口・・・というように大小の現場を巡って、我々は時にその赴任地を訪ねるのが楽しみでもあった。

 

 いきさつについて聞かされていないけれど、九州赴任の最後に婚約をして、パートナーも東京を拠点としたフルタイムの勤務者だったから、我々は東京に移動できるといいね・・・などと呑気に話していた。(呑気だったのは僕だけかもしれない)

 結果的に、本社屋の建設に少しでも関わることができたのは、親としては僥倖だと思う。

 お披露目会場のあちこちで仲間と挨拶を交わす長男を眺めながら、仲間にも恵まれたのかな、などと安心して、その挨拶対象のみなさんがどこか安定しているようすだな、と思った。

 眉間にしわ寄せるひとは足を運ばないだろうから、一面的な見方なことを前提に、「組織」の「力」を体感する日だった。

 昼から懇親会があるという長男夫婦と別れて、僕たちは虎ノ門ヒルズに向かった。上野に行こうかと言っていたけれど、2時間見学したら足が棒になったので断念。

 虎ノ門横丁でおつまみ的に補充をして、下北沢コンテナ通りでエスニックを食べた。おいしかった。すごい人出。

町田西園                20240929

 

 先週の3連休、妻の提案で、町田市の地理的中央部で町田駅からはバスで15分余りに位置する公園「西園」にハンバーガーを食べに行った。

 古くからある薬師池と、遠足に出かけた記憶のある七国山に隣接していて、とてもよく整備されている。

 上の2枚の写真の変化のように、陽射しに強弱があったけれど、盛夏とは明らかに違っていて心地よかった。広いところは気持ちいい。

 写真の先の方へ丘を降りて、また一山超えると薬師池で(薬師池は小学校のころ遊び場だった、家から3.5Kmなのに)、牡丹園や椿園、蓮池が隣接していて、近くにはリス園もある。

 

 それらをのんびり回ればきっと一日を要すだろう。町田もなかなかやるもんだ。

左の写真は西園のサイトから借用したもの。

(クリックすると飛びます)

 

 いつものように、食べる前に写真を撮ることを忘れてしまったので・・。

 場所も施設も食事もお勧めです。

全会一致                 20240920

 

 兵庫県知事不信任決議が、県議全会一致で可決したらしい。

 マスコミは斉藤知事を叩くことに全局一致しているから、「当然だ」という論調。

 でも、先の大戦で何が問題だったかと言えば、みなが同じ方を向いたことだと、くどい程言い続けたのがマスコミではなかったか。

 

 この雑感は政治とは無関係でありたいけれど、今回は例外。

 

 「いじめ」こそが人生の大敵だと僕は思っていて、それがなぜ発生するかと考えると、同調圧力と無言なのだろう。

 斉藤知事に失政はあっただろう。それでも、罵倒されたとか威圧された、まして物を欲しがったなどと言うのは大人の発言と思いにくい。その場で反論なり対決なりすればいいのに、「それは難しい」と言ってしまうのは人生から降りたひとのものではないか。少なくとも公益に関わる人にあってはならない。

 

 自殺された方とそのご家族を思うと中途半端なことは言えないけれど、しかし別問題だ。そもそも追い込んだのは知事なのか。県庁そのものではないのか。

 

 そろって安全側に身を寄せる県議ばかりの自治体に、未来を託して良いか大いに疑問だ。

 潔癖主義と言われそうだけれど、額に汗してものを作らないのなら、「信頼に足る」こと以外に何があるだろう。

 問われているのが選挙民の意識なのは間違いなく、耳障りだけに注目するマスコミは決して指摘できないだろう。

世田谷線                 20240919

 

 一昨日、進行しているリフォーム工事の家に向かった。その前の平塚市役所での調整が思いのほか短時間ですんだので、気持ちがそちらに向いたのだ。

 監督さんに電話すると、自分は今離れるところだけれど、大工さんは居るのでよろしく・・・ということだし。

 

 住所は桜上水で、町田からのアプローチなら「豪徳寺駅」で東急世田谷線にに乗り換えて隣駅。(世田谷線の駅は山下という)

 世田谷線は。三軒茶屋から下高井戸をつなぐ駅の数が6~7個の地域鉄道だ。江ノ電とは気配が違うものの、車両規模は似ている。

 豪徳寺は招き猫で有名で、前に訪ねたときも日本人より外国人観光客が目立った。(電車にネコがプリントされているのはそのためだろう)

 駅前にある八百屋さんが良い気配だったので写真を撮った。店前にいる二人は何を見上げているのだろう。(次回探してみよう、多分わからないと思うけれど)

 

 世田谷線は町田住民にはあまり縁がないけれど、若林という駅に同僚(後に社長)のリフォームを担当したことがあったのと、下高井戸に新築現場があったのでそれなりに利用した。

 駅の周りの側溝などにタヌキが暮らしていることも報道されていた。

 昨晩はカレーを作ることに決めて、どんなカレーかと思案するうち、もう何十年も前に食べた「〇〇小金井駅」そばの食堂のカレーを再現しようと思い立った。

(花小金井・武蔵小金井・・・どこだったか?)

 本当はもっと黄色ふいカレーにしたかった。

 僕は、珈琲専門店のような熱心さで作られたカレーか、原初のようなカレーかが好きで、トッピングなどはもっての他と思っている。笑(写真の卵とジャガイモは別皿という認識で)

 材料を買って気付いたのは、普通の固形ルーの方がよほど安いことだ。(初めてラードなど買ったし)

 まあでも、満足した。黄色いカレーはなんで黄色かったのだろう。ターメリックの量か。

CT検査で、                20240914

 

 会社勤務時代、初期は人間ドック受診が厳しく管理されていて受けていたけれど、後期は申告制に変わったのでサボってしまい、独立後も当然敬遠したから、去年の町田市健康診断は20年振りで、結果を聞きに行くのに勇気を振り絞った。

 メタボリックシンドロームが(それは問題だけれど)注意される以外は眼科も含めて特に指摘が無かったのでほっとした。

 

 昨日、2年目の健康診断結果を聞きに行くと、X線を見ながらCT検査を受けるように言われた。(去年も指摘はあった)ただ、僕が診断を受けた医院は心臓が専門なので、当該問題について別の専門医お二人は書類上「所見なし」という判定だったので余裕をもって聞くことができた。

 医師によれば、「深刻とは思わないけれど、自分としては気になるので面倒くさいかも知れないけれどCT検査を勧めます」とのこと。

 とても好感を持っている先生なので頷き、その足で総合病院に向かった。

 初めてのCT検査は、なんだか自分がロボットになったみたいで面白い。(心配があれば違ったはず)

 

 また診察室に戻ると、問診から話していた先生がパソコンを僕に向けてくれて「何もありませんね、安心してください」、ホッとしていると「あ、胆石がありますね、え、こんなの初めて見たわ」

 断層写真を前後させて時折写る胆石が正方形だったのだ。僕が見てもなかなかきれいな正方形だった。強いて言えば、4辺の内1辺がやや薄いけれど。何度も繰り返してくれるので観察すると、どうやら四角垂でもサイコロでも無さそうだ。野球のベースのようなものか?

 先生によると、胆石原因の発作は激痛らしいけれど、現時点で処置などはないらしい。「気になるなら、毎年の健康診断でエコーを撮るとかで経過を見たらどうですか」

 

 抱えている痛風の発作との比較は質問しなかったけれど、なんだかそれよりも激しそうな気配。(僕の痛風発作は足の指先ではなくて膝に来たので、外科医をいくつも受診するも判明せずに苦労の時間が長期だった)

 

 来るかもしれない激痛に慄きつつも、どうせできた胆石なら美しい方がいい・・・などと。(後で泣くのか。病気の話をするのは歳の証拠だろうから、その方が悲しいのか。 笑)

新潟 柿崎                20240911

 

 昨日、予備校のことを記したら思い出したことがあった。前にも一度書いたけれど、ずいぶん時間が経ったからもう一度。

 高校一年の夏休み、野村さんというひとが海に遊びに来る?と声を掛けれくれたので、同じクラスだったハヤシ君と一週間余り泊まらせてもらった。

 僕の父が玉川大学のスクーリング制度を卒業していたので、ある時期、後輩にあたる人たちに夏だけの部屋を提供したことがあって、その縁で呼んでもらったのだ。

 

 その家から海岸までは楽に歩ける距離だったけれど、砂浜はなくて遊ぶのには勇気が必要だった。岩交じりの波打ち際からは10mの海藻の帯があって、その先はいきなり崖のように深くなる。

 その海藻の帯が足に纏わりついて気持ち悪いので、野村さんが作ってくれたおにぎりを木陰に置いたあとは、昼まで海の中にいた。

 

 人の姿はまったくなくて、一度だけ漁業関係者が船外機付きの小さなボートで近寄ってきた。

「おまえらどこのもんか?」といきなり言うので、「東京から来ました」と答えると、「こんな遊びでも東京もんに負けるのか」とこぼした。地元の高校生は学習塾で忙しいらしい。「一日中海に入っているのは珍しい」とも。

 

 そんな日々の中、帰ろうと思っていた数日前に嵐がきた。

 日本海は太平洋と違って順光だから、海の色が濃い。陸に居て危険を感じるような嵐ではなかったけれど、猛り狂うと言ってもいい波しぶきに「すごいなあ」思わず声が出た。

 

 海の一部に、海面に姿を見せない程度の岩場があって、そこがスリル満点だった。ふじつぼとか、凶悪な姿をした貝が無数にくっついていて、波のタイミングを間違えると相当な傷になりそうなのだ。

 うまくいってそこに立てたとき、征服感や達成感は少しも得られずに、「どうやって降りよう」と恐怖を覚えた。若いって面白い。

オール5300点               20240910

 

 一昨日日曜日、高校友人のモリモト・マエダ・ヤマモト、と八王子昼宴会をした。

 来年、家を建てていた広島に移るかも、というヤマモトがクラス会を発案して(彼は常に幹事だ)、皆が集まりやすい土曜日は継いだ米穀店を休めないモリモトがまた欠席と言うので、だったら日曜日に会おうということになったのだ。マエダは船橋からの参加。マエダも海外出張(ケニアとかインドネシアとか)が多くてなかなか顔を見られない、

 

 実は、モリモト・マエダは高校卒業時に一緒に京都大学を受験した仲間だ。「あれは旅行だったね」と意見が一致したように誰も受かるなどと考えていなかったけれど。

 もうひとり一緒だったハシモトは翌年合格して「受かる奴もいるんだ」と変な感心をした。

 僕は当時大学受験など意識の中になくて、どこか予備校に潜り込まなければ、と焦っていた。

 二日にわたる試験後、なぜかタクシーに乗って対向右折車と正面衝突した。僕が助手席にいて、ダッシュボード下にあった後付け空調機にむこう脛を強打して出血までしたのに、彼らは「大丈夫です」とか。

 これはぶつかるな・・・と思ってからの時間の長いこと。

 

 話が逸れたけれど、一年ほと前に町田近辺在住の高校友人の集まりで、キムラさんが「オール5だった」と振り返ると、ヤマモトもコムロも「ああ、俺も」 え 。

 

 忘れもしない内申点。オール5は51点だったはず。僕は43点で、担任の馬場先生からは「この内申点でこの高校を志願する人はまずいないのよ、わかってる?」おお、そうなのか。

 

 当時は志望校管理が徹底していたので、不合格はとても少数だった。もしあと一人不合格にしなければならないとしたら、それは僕だっただろう。

 

 さて、モリモトが発した当時の記憶。「おれはオール5で300点満点だった」おいおい、オール5以外っておれだけ??

 8クラスあったから、一学年320名あまり。その一番とびりの八王子昼飲み。愉快。

 

 予備校は、「駿台京都校」に受かったけれど、さすがに浪人するので京都に行かせてほしい、とは言えないので東北沢の河合塾にした。(それだって不相応な贅沢)

 暑い夏で、玄関前の階段に座って煙草を吸っていたら、腕が焼ける音が聞こえるようだった。

体重と糖質                 20240907

 

 函館旅行に行ったとき、普段は炭水化物や糖質を気にしていたもののその気持ち制限を解除した。せっかくの旅行だから存分に楽しみたかったから。

 帰ってから不合格体重を量るとさして増えていなかったから、その後も気にしないことにした。ネット記事などで還暦を過ぎての食事制限は必ずしもよくない・・・などと読むし。(奨励は小太りで大太りりではないけれど 笑)

 

 20代にアルバイトから所員まで6年ほど勤めた東横線祐天寺駅そばの設計事務所時代、好んで出かけたカレー屋さんと洋食屋さんがあった。

 どちらもご夫婦らしきふたりが切り盛りするお店で、そこの「ハンバーグ乗せスパゲッティ」がとても好きだった。ハンバーグがとくに好きでもないのに、毎回同じものを頼んだ。食べながらも不思議に思っていたけれど、やや硬質で白いスパゲッティと炒め油の香りが好きだったのだと思う。ほんの少し焦げ臭い感じ。ラードが混ざっていたのか。

 

 すっかり離れていたけれど、40代になってたまたま近くに行くことがあったので寄ってみると、嬉しいことに覚えていてくれて、しかし「まあ、大きくなられて」と不思議な感想をもらった。「太った」と言いづらかったのかな。

 写真は、そば・堅焼きそば・カルボナーラ。短い時間で考えもせずに作れるのはやっぱり麺類だ。しかも好きだし。

 他にできるのは肉や豆の炒め物か煮込みもの。和食系は妻にまかせて僕は放棄。

 このあいだ、孫が夕食を一緒にするというので「マッシュポテト+カリカリベーコンクラッカー乗せ」を作った。いくらも買っておいたけれど、これは孫たちの希望でごはんにのせることになった。

 変な取り合わせ。笑

 本当は炒り卵+キャビアクラッカー乗せも頭をかすめたけれど、キャビアは高いから迷っていたら近くのスーパーに無かったのでほっとした。

函館旅行記録                20240902

 

 今回の、というかいつも通り旅行は妻が裁量する。僕はただ「おお、いい計画だと思う」失敗経験がないし。!(^^)!

 今回妻は「読売旅行」に応募した。羽田往復で、ガイドは初日の午後のみであとは自由行動。(五稜郭からトラピスト修道院見学)

写真左上から、修道院中景・ジャンヌダルク像・外来信者祈祷所建物・修道院を開祖した人々・五稜郭・五稜郭タワーから函館山。

 

 修道院を開いた人々の記念写真は、併設されている資料館にあった。僕は最近曽野綾子さんのエッセイなど読んでいたので他人事と思えず。

 右下の写真は五稜郭タワーから函館山を見返したもので、わかりにくいけれど、真ん中あたりでくびれているのがパンフレット夜景写真に見るところ。今回は夜景を見ようと麓まで行くものの、霧が立って機会に恵まれなかった。

 それでも、下の写真の内、最後の3枚に撮ったレストランオーナーらしき女性と話すと、地元にいると函館山に登ることはなくて「最後は小学校の遠足だと思う。」とのこと。ちょっと気が晴れた。

 宿泊した「函館国際ホテル」は函館駅から徒歩10分程度で、その先そばにビアホールがあった。

 古い建物を改装したらしくて、真ん中に蒸溜窯が何基も鎮座している。オブジェではなくて稼働しているらしい。

 

 僕はクラフトビールにさして関心を持たなかったけれど、10年前に川越に出かけて「伽羅」と名付けられたものを飲んで開眼した。ような。

 この、函館のクラフトビールでその体験を思い出して、大いに満足した。燻製鶏のハニーマスタードがまたおいしい。!(^^)!

道と、潮の香り               20240901

 

 遅い夏休みで函館に出かけた。台風が来ていたからどうなることかと気を揉んだけれど、進路北上は予想外なほど遅れたので、3日の行程で傘を差したのは15分ほどだった。

 左の写真は、市電を乗り間違えて着いた小さな漁村の通りのひとつ。

 僕たちが乗車した範囲では一度だけ二股に分かれるのだけれど、きちんと間違えたので近くの終点まで行ってみることにした。

 降りてみると、潮の香りに包まれたのですぐそこの海を目指した。写真は海を背に振り返った静かな通り。

 数隻の漁船が陸に引き上げられていて、水は澄み切っている。

 防波堤と波消しブロックで保護されているから、小さいとは言え漁港なのだろう。

 

「谷地頭」という電停(市電駅)に戻ろうとすると、「石川啄木一族の墓」と「立待岬」という観光案内板が目に入った。800mとあるし、明らかに上り坂なので「行かないよね」と申し合わせるもいつの間にか向かっていた。

 過去2回熱中症になりかけた僕は、石川啄木一族の墓の前にある木陰で休息をとり(風が心地よい)、あそこがてっぺんというところまで行こうと頑張ってみると上の左の写真のように岬に出た。

 海の向こうに陸地が見えたから、ひょっとして、と思ったら津軽海峡をはさんだ大間だった。

 右の写真は岬の小さな売店で買った「帆立焼き」を食べながら下り始めた道。わかりにくいけれど、遠くの先に函館山山頂が写っている。

 八重山諸島や十勝、伊勢などでガイドさんが案内してくれるツアーも体験したし、レンタカーで移動する旅も多くあった。

 しかし、今回の函館のように距離が限定される旅であれば、とにかく歩き回るのが楽しいのだと再確認した。そしてそれは、常に「道」によって導かれているといまさらながら気づく。「路地」「都市道路」「海路」「空路」。

 出発前に耳に入ってきた情報はオーバーツーリズムの弊害が過半だったけれど、8月最後の3日間だったせいか、交通機関にも飲食店にもなにも不満を持たなかった。

(写真は赤レンガ倉庫群)

2024夏                 20240817

 写真は妻が育てているあさがお。 

 咲く花の数は日によって違って、この日は多かった。

 育てているという言い方が適切かどうか置いておいて、最初は孫の理科観察だった。

 その孫も小学校3年生になり、先日サッカークラブの3泊4日の合宿から帰ってきたところだ。

 8月15日に墓参りに行った。その時の遠い空が左上の写真だけれど、周りに人がまったくいなかったのが印象的だった。

 出かける前に妻から「お盆に墓参りする人は珍しい」かも、という話を聞いていて、その通りだった。

 妻の妹があるとき、義母に「お盆休みにお墓参りします」と伝えたところ、「お盆には皆帰ってきているからお墓には誰もいない」という答えがあったらしい。

 そんなことも知らない自分。笑。

 

 真ん中は孫ママ(長女)が買ってきてくれた崎陽軒弁当の割りばし包み紙。マークというか、絵が何なのだろうとしばし話題になった。やがて玉を持った龍だろうと落ち着いたけれど、僕個人としてはその龍の爪の数が気になる。まあいいか。

 

 右は、僕が即席に作った食事。おいしかった。!(^^)!

麺のこと               20240817

 

 まず、おいしかった記憶。

 

 20代で妻と出かけたヨーロッパ建築視察旅行時(イタリア)のカルボナーラ。ペペロンチーノ、その他。ああ、マルゲリータピザ。

 

 学生時代に新宿に現れた「壁の穴」、たらこスパゲッティ。

 

 高校時代、山本君とコインを足して食べた登戸駅構内のコロッケうどん。カレー味コロッケ。箱根そば。

 

 丸亀製麺。水天宮前駅近所で、店は高架下でくすんだ印象だったのに、行列の後ろについて食べたらおいしかった。!(^^)!

 

 終電を乗り越した相模大野駅(小田急線)の、ワゴン車ラーメン店。あきらかにそちら系の人だけれど、ワゴン車内調理場は畳敷きで、そちらの方は真っ白い足袋だった。

 

 海の家のインスタントラーメン。

 学生時代のアルバイト中に食べたカップ焼きそば。

 

 小学校就学前に、隣の家の尚ちゃんが沸かしたインスタントラーメン用の湯。(味は覚えていない)

 

 香港で有り金を(数千円 笑)をむしり取られた後の屋台ラーメン。青菜のトッピングが絶妙。同行先輩のとっさの判断(現金確保)に感謝しつつ。

 

 バブル時代の、〆の稲庭うどん。

 

 小豆島に行ったときのうどんセルフサービスのようす。(これが本場か!)

 

 中華料理店でオーダーした「豚肉細切り」「牛肉細切り」焼きそば。(たいていどこでも)

 

 京都駅プラットフォームの立ち食いうどん。(そばは悲惨)

 ああ、それと名古屋駅構内で食べた味噌煮込みうどん。なぜか駅外ではありがたみが薄れたけれど。 

 

 あまり良くない記憶を辿ろうかと思ったけれど、楽しくないので割愛。(付記すれば、天下一品も、3年に一度くらい食べたいと思う)

 さて、直近のラーメン写真

 左は土浦国道沿いのドライブイン風ラーメン店。「黒い・・・」と券売機に書いてあった。

 大型車も相当数停められるそうで、店内も50席を超えているように思えた。11時ころだったから客は僕一人で、それなのに市役所か法務局のように電子音声で番号を呼ばれた。24時間営業らしいし仕方ないか。

 食べると、とてもおいしかった。仮に僕が店長で、オーナーから味の改善を求められても次の手を思いつかないと思うほどに。

 

 中央は「はやし田」というチェーン店の塩ラーメン。町田の商店街中央通りに新規出店されて、店構えとポスターが目を引く。検索してチェーン店なことを知って、国道16号の店に出かけた。

 美味しいかどうか、それはそれぞれの評価だろうけれど、僕からすると可もなく不可もなく。清潔でアルバイトさんの元気よさは満点。

 個人的には塩ラーメンに「こく」や「ふかみ」を欲していなくて、切れ味と余韻のラーメンにしてほしい。

 

 右は僕が初めて通販で購入したもの。読売新聞の広告を見て電話注文した。驚

 左のラーメンからすると塩分が半分以下と思われるけれど、家の中ならこの方がよい。

薫るアイスコーヒー           20240809 

 

 先週、平塚のもとお客様を尋ねることがあったので、辻堂のナリエンカフェに寄ろうかと思った。妻に話すと食べたかったものがある、と同行することになった。

 「タクシー運転手さんうまい店に連れてって」という番組でも紹介された、造園に血道をあげる社長が敷地内にコンテナで併設した奥さん経営のカフェだ。

 

 ナリen カフェ (ナリエン) - 辻堂/カフェ | 食べログ (tabelog.com)

 開設当初、ホットサンドをメインにする、という話をうかがって、僕はそれで勝負できるのかな、と訝しんだ。でも、開業時は客足が思ったようではなかったらしいけれど、訪れた日はママ友さんや家族連れで盛況だった。近い距離にお住まいであれば、再訪率はとても高いと想像できる。この空気感は得難い。

 

 妻は、僕たちの長男の結婚相手が辻堂出身なので、その母親とこの店を訪ねたことがあって、そのときアジフライを使ったホットサンドに目が行ったものの、嫁母とは別にしようと考えたことがあったようで、それが記憶にあったらしい。僕は、迷いなくそれを注文した。

 このお店を開業されたとき、無造作にアイスコーヒーを出してくださったのだけれど、それを一口飲む前に、コーヒーが薫ってきたことに驚いて率直に感想を述べた。

 すると、社長さんは満面の笑みで「よし」と言った。

 写真は、帰り道に寄った茅ヶ崎の海水浴場。この時期には稀な曇天だったから、人出は多くなかった。砂浜を歩くなんて考えていなかったから、革靴が重く感じられた。

 左の写真の水平線にあるのが烏帽子岩で、右の写真は江ノ島と烏帽子岩が入っている。

いろ                   20240806

 

 自分の雑感を見直してみて、二つの建物が黒くて似ていることに気づいた。

 僕は、設計を担当していても、色については意見を言わないようにしている。それは単純に、少なくない金額を投資される建て主さんの気持ちというか、思い入れを尊重したいからだ。

 

 コンテナ建築という、少し風変わりな建物に興味を持たれる方には傾向があって、基本的に鉄好きだから、黒を好むようだ。

 

 僕は、かすみがうらの寮を淡いレモン色かほんのりした水色にしたかった。でも、そんな色はメンテナンスに費用がかかるから表明はご法度だ。もし可能だったら、建物をレモン、階段を水色にしたかった。美しい海の色を知っている南国の彼らであれば、評価されただろう。

 

 「わびさび」を尊重することに特に異論は持たないけれど、「朱」をめでた「歌舞く」気持ちを思い出すことが子孫の日本を明るくするのでは、と思ったり。

 パリオリンピックの日本人の活躍に、そんな気配を感じつつ。

「労働」                20240805

 

 大学生のとき、建築学科の講義で「施工」という科目を受けていて、夏休みに現場で実習的なアルバイトをしてレポートを提出する、という課題が出た。

 友人の山本君の父君が大手ゼネコンの偉い人なことを知っていたから、すぐに頼み込んだ。

 小田急線の新百合ヶ丘駅の目の前の、「麻生区庁舎」の現場。

 

 アルバイトの日程が決まってから、その課題による事故を懸念した大学側の指示でそのレポートそのものが立ち消えになったのだけれど、僕はアルバイトを楽しんだ。

 

 朝8時ころの点呼とラジオ体操から始まって、夕方まで。真夏だったから明るいうちに終業だったけれど、蝉の大合唱と汗で重くなったシャツは、なんだか満足感を与えてくれた。一日を終える肯定感なのか。

 ある日は、地下の単純作業を任されて、時計を持っていなかったから、3時の休憩も飛ばしてしまって叱られたりもした。

 

 その後。設計事務所に勤めるようになって、「建築基準法」との確執が始まった。他の法令を知らないので比較はできないけれど、日本の経済の低迷はここにも端的に表れている。おいおい。

 

 建築士という形骸化した制度も含めて、刷新が急務だ。ああ、でも難しいだろうな。数万人かそれ以上が失職するかも。

 AIを使えば半日だろうになあ・・・。笑

 

 10年以上前になるかな、この雑感でコマーシャルを引いて「愛だろ、愛」ということを記したことがあった。

「愛」なくてなにがあるだろう。

かすみがうら               20240803

 

 一昨日、昨年着手した社員寮の引き渡しがあった。

 茨城県の出島と呼ばれた、ちょっとクリミア半島に似ていなくもない場所での、自動車関連 工作機械 製造会社「マルタツ」社員寮だ。

 東南アジアからの研修生が入居するらしい。19室。

 ニュースの聞きかじりによれば、円安は外国人労働者に少なくない動揺をもたらしているらしい。

 

 僕は、国道をはさんだ工場から寮に帰ってくる、その東南アジアの若者の心情を推し量った。工場にも出入りすることがあったから、礼儀正しくフレンドリーな彼らとほんの少し空気を共有していたつもり。

 

 65歳になって、働かなくてもよい年齢だからこそ、働きたくなった。「労働」心地よい響き。

 インドネシアかタイか・・・。きっと日本を乗り超えていくだろう国の、近未来を想像するのは楽しいことだ。最後はもちろん日本が豊かであるのが当然として。笑

乃木坂                  20240803

 先週、施工した建設会社から電話があって、乃木坂に10年前に設計を担当したメルセデスベンツの店舗が営業終了になることを知った。

 東京ミッドタウンのはす向かい・・・やや乃木坂駅寄り・・・のこの建物は、ベンツのショールーム兼オフィスの隣に位置していて、総合病院の解体後にコインパーキングになっていたものを、土地有効利用のためにイベントスペースとして企画されたものだ。

 

 丁度オフロードの新車種が発売されるころで、45°の人工の台を作ってプロドライバーの運転でお客さんを同乗させ、その性能を見せつけるものだった。

 僕はこの建物と人工台(登坂路)、それにゲートの設計を担当した。

 登坂路の構造は、高名な構造設計家にお願いした。打ち合わせの中で、頂上にたどり着いたときに地震があったら、と、答えの無い不安を口にしたら、その大家は豪胆そのものの顔をされて、「荒美さん、その確率をどのくらいに想像しますか?」と歯牙にもかけぬ様子だった。

 確かに、頂上付近に留まるのは数秒だから、数秒÷90000、の訳でマラカナンスタジアムの満席から一人を指さすようなものだ。

 

 昼時だったので、2種のメニューから暖かい肉そばを食べた。1200円はおごったところが無くて好印象だし、おいしかった。やや塩辛いと思ったものの、卵が添えられていて、それをすき焼き風に使えば丁度よいのだと知った。結構おすすめかも。

 以前、IBMの役員さんのご自宅を設計する機会に恵まれた。

 そのとき、丁度車を買い替えようとされていて、その様子を聞いたことがある。

 その方は、古い国産車に長年乗っていたので、メルセデスでもレクサスでも客扱いされなかったことに驚いてらした。

 

 六本木は言うまでもなく、白金・二子玉川・青山・・・

 最近現場が始まる中高の友人の建設地、三鷹や高円寺こそ「東京」なのだなあと思う。