雑感 ~20121231

大晦日                              20121231

 

 昨日の三十日は珍しく雨だった。大掃除は寒いことがあっても、雨の記憶はあまり無いように思う。

 妻がずいぶん前に始めていて、子供たちも重要戦力だから殆んどが終っているけれど、僕の所有物は手付かずなのでしずしずと始めてみる。

 

 ブックオフに持っていく紙袋一つ分の本を選び、資源ゴミとは言っても捨てるに近い、雑誌や印刷物の重さに辟易しながら、企業のペーパーレス化はもっともだと思う。それに、身の回りが少し軽くなると、郵便物のビニールの違和感が否応にも増してくる。

 

 来年は個人のペーパーレスに挑戦するのも良いかな。タブレットを使い始めたところだから良いタイミングかも知れない。

 それに、世の中で大切にされている、美しい本を浮かび上がらせるためには、無駄な紙を消し去ることが有効ではないか?と思うのだ。

プレートテクトニクス                        20121228

 

 プレートテクトニクスとは、例の大陸が移動するという学説だ。どの学年だったか、7大陸のいくつかがパズルのように集められる図を見た記憶がある。

 

 先日、これに関する記事を読んでいて、面白さを再発見した。

 

 マントルに乗って大陸などが移動するものは、大きくは3つに分類できる、とある。

 収束型・発散型・トランスフォーム型

 

 収束型はぶつかり合うもので、アジアにインドが衝突してできたのがヒマラヤらしい。そう言えば、伊豆半島が衝突した結果が丹沢だったと聞いた記憶がある。

 これは陸塊どうしの衝突のケースで、片方が海の下だった場合、南アメリカのアンデス山脈になる。

 興味深いのは発散型で、大陸が二つのプレートとなって離れて行くときにおこる現象だ。

 アフリカの東側を南北に走る大地溝帯というのがそれで、数十キロの幅をもった裂け目らしい。

 

 みな、数百万年単位の活動とのことだけれど、ああそうか、山があるのはそういうことか・・・・と、イメージが湧いて嬉しくなった。同時に、アフリカに行ってみたいとあらためて思う。

ご近所狸                              20121223

 

 昨晩、ほぼ終電で帰宅した家のそばで狸に会った。

 何年か前に、やはり同じような時間、僕の前をつま先立って歩きながら、ときどき思わせぶりに振り帰ってみせる狸がいたけれと゛、その本狸か家族か。

 

 昨日はしゃがんで「チュッ、チュッ」と口をならしてみたら、電柱の陰からそろそろ出てきた。手の届くところまで来たとき、鞄が倒れてペットボトルが転がってしまい、坂道だから拾いに行っている間に姿を隠してしまった。

 遠くにもう一匹の狸がいた。心配で眺めていたのだろうか。

阿波踊り                               20121222

 

 一週間ほど前、ニューズウィーク日本版のインターネットサイトで、シャンゼリゼに阿波踊りを招待しようとしているフランス人のコラムを読んだ。

 

 日本に滞在し(奥さんは日本人だったと思う)、日本人が温和しくて静かな国民だと思う日々の中で、高円寺かどこかで阿波踊りに遭遇したのだった。日常では生真面目そうなサラリーマンばかりが目立つ中、女性と子供が溌剌としている様子に感激したらしい。

 フランス政府の要人とも回路があるようだから、きっと数年後に実現するのだろう。

 

 僕が阿波踊りに遭遇したのは、高画質になったころのテレビ画面だった。ハイビジョン放送にチャンネルを合わせてみたら、阿波踊り中継の最中だったのだ。

 

 何とはなしに見ていると、画面中央の高い所から何か目を離せないものが降りてくる気配があった。

 思い出してみると、きっとカメラが高い位置に据えられていたため坂を下りてくるように錯覚したのだろう、でもその時は、こちらに降りてくるのだと思った。

 

 かかとの高い履き物で、着物はタイトで歩幅が小さい。頭にはみかん型のかぶり物(?)を着けているので誰ひとり顔は見えない。

 よく練習をしたのだろう、足を小刻みに繰り出す動きは揃っていて乱れるところがなかった。

 

 一見、画一的な踊りなのに、溢れるような個性、主張、生命感と躍動感が画面から伝わってきた。一大プレゼンテーションとして人を惹きつけることに傾注しながら、踊り手自身が誰よりも楽しんでいる様子がうかがえる。その祝祭的な力を浴びて、固まったまま息を飲んだ。

 

 そのグループ(連というらしい)が画面から外れてしまった後は、同じ印象を持たなかったから、阿波踊りならみんな好きだという訳ではない。それでも、阿波踊りがとても洗練されていて、大きなパワーを持っていることは間違いないと思う。

 

 パリで披露されるときがとても楽しみだ。いったい何人の人が息を飲むのだろう。

話術(誘導)                             20121220

 

 「ホンマでっか」というテレビを見ていたら、男性を虜にする小悪魔的女性の話術・・・というものを解説していた。冷ややかに見始めたのに、経験の有無を度外視すればなるほどそうだろうということが多くて、いちいち感心してしまった。

 確か5項目の男性的特徴を挙げて、女性が男性を振り向かせようと思った時どのように話しかけるのが効果的かを論じるのだけれど、照れ笑いも含めて頷かざるを得ない。

 

 途中で解説された、性差として端的なものは、男子はプラモデルのような半完成品をおもちゃに選び、女子はお人形という完成品を選ぶこと・・・女子は友達の推薦する店に魅力を感じるけれど、男子は自分で発見したと思い込める風変わりな店を好むなど・・・だった。

 

 男性が好む傾向のキーワードは、「決めたい」、「比較優位に立ちたい」、「原因を知りたがる」、「妄想したい」、「フロンティア」、など・・・。

 

 およそ、僕は心理学とは縁が無いけれど、この番組を意地悪に見ればクレーマー対応の教則本のようでいても、しかし核心を突いているように思われる痛快な内容だ。

 

 自分のスタイルが無くても意識が普通にある一般男性を、僕自身を客観的に笑ってしまえる久し振りの気分だった。(女性も男性も、小悪魔的な会話がむやみに増えるとノッキング状態で疲れてしまいそうだけれど)

 

 それにしても、男性と女性は大変違っているのだなあ、と感心した。

ブレ                                  20121217

 

 ある人に興味が湧き、魅力を感じるのはよくわからないからではないかと思う。自分と相手の、何かが変化する期待が持てなければ、共に時間を過ごしてもそんなに楽しくはないだろう。

 「このような問いかけにはこのように答えるのだろう・・・」とわかってしまえば会話は退屈だから、答えを用意しておいて辻褄を合わせる人と長く一緒にいたいとは思わない。

 

 精一杯考えて、迷うのが当たり前だ。ブレてしまうのは格好悪いけれど、良い変化であることも少なくないのだ。

 

 昨日の選挙は本当に困った。

 憲法は自衛隊の定義を明確にするためには改正が必要だと思うし、原発はどこで電力需要を抑えるかを話し合わなければ動き出せないから、廃棄だけ叫んでも虚しい。それでも、必要悪のように頬被りするのは信じられないけれど。TPPなどは複雑な利害を見極めるために時間をかけるべきで、ある国に促されて決めることであるはずがない。

 

 官僚を叩いて溜飲を下げるのは、きっと官僚より力の無い人々だろう。

 

 国を愛する心は育むものだから、とやかく言われるのは御免被りたい。ああ・・・

 

 既存の政党ばかりか、新しい政党も考える筋道を示さないので、怖くて支持ができなかった。小選挙区では、唸った末に「なし」と書いた。(内緒の話)

 優秀な人が居ないと言いたいのではなくて、優秀な人に喋らせる社会が必要なのかと思う。

日傘                                 20121214

 

 祖母は、祖父を亡くしてからしばらく、体の弱い祖父の妹と一緒に山口県徳山市の田舎に暮らしていた。

 僕がその家に遊びに行くのはいつも夏休みだったから、記憶の祖母は決まって軽装だ。農業はしていなかったけれど、家の周りの雑草取りなどは結構大変で、いつも体を動かしていた。田舎に住んでいるのにヘビが嫌いで、あまりに嫌いなものだから誰よりも早く、遠くからヘビを発見していた。

 

 小学校の中頃の夏休み、祖母と二人で遠くのお寺に出かけたことがある。ゆっくり歩いて一時間の距離を、祖母の前を走ったり、橋の欄干を歩いたり、横道に逸れたりしながらついて行った。

 その時の記憶が鮮やかなのは、祖母が正装していたからだ。何が楽しいのかわからなかったけれど、いつもより華やいだ気配があった。

 

 一枚の絵になった記憶がある。

 ビルの3~4階もあるような、とても高い木立に沿った小道だ。そんなに高い木なのに、真昼で太陽はもっと高いから、強い陽射しで道は真っ白に見える。

 車がほとんど通らない田舎道のため、祖母は何に気を取られることもなく、歩くことに専念している。大量の蝉の声だけを聞きながら、遠く祖母を振り返ったとき、その手の白い日傘がまるで発光しているようだった。 

自転車                               20121209

 

 同居する母から最近祖母の体調がすぐれないと聞いていて、藤沢湘南台の入院先に見舞いに出かけた。師走になっているから道が混むことは容易に想像できたけれど、とても冷たい風が吹きすさぶ様子をみて車にした。

 

 渋滞は思ったより軽くて、1時間余りで到着した。

 駐車場の空き具合について、僕の携帯電話で叔母とやりとりしていた母が、おじさんも来るってと言う。

 

 病院の玄関で待つことにして、近所に家のある叔父と合流して3人で病室に向かった。

 20分少しで病室を後にする。

 

 叔父が自分は済ませたはずの昼食に誘ったけれど、「電車でまた飲みに来ますから今度」 と言うと、同じように酒好きな叔父は 「そうだな」 と言った。

 枯葉が舞い踊る様子を気にする素振りもなく、自転車にまたがった叔父は後ろ手に 「じゃあ」 と手を振り帰っていく。

 

 角に消える姿を普通に見送りながら、祖母が103歳で叔父が82歳だということが、頭から離れることもやはり無い。

 その時僕が思ったのは、長寿とか元気、ということではなかった。日常と自転車があるのだ、ということだった。

階段                                  20121206

 

 フェイスブックで他愛もないやりとりがあって、設計の先輩からあるサイトを教えられた。

 何気なく開いてみて、そこにあったポール・リッシェという解剖美術家のスケッチに見とれてしまった。

 

http://espace-holbein.over-blog.org/article-25857704.html

 

 ページ上段のもので、以前どこかで見たような気がするけれど、それがどこだったかは思いだせない。

 

 絵を見ていると、一段降りるのに4拍子を当てていることがわかる。拍子の(・・動き始めてからの)4番目に頭の位置が下に降りる。

 そのリズムと足の動き・膝の回転がきれいに一致していて、初めはからくり人形を見るような気持ちが、次第に人間の動きに見えてくる。

 

 何に惹かれるのか考えているうちに、階段を作れるのは人間だけで、それを降りることは歩行とはまた違ったリズムがあるのではないか?と思ったけれど、どうも釈然としない。

 だとすれば、静かに降り続けていくことに何か象徴的なものを感じるのだろうか。

 

 理由は自分でもわからないけれど、味わったことのない、静かな気分がそこにあるように思った。

 (ひょっとすると、意志が蒸発しているように感じるからだろうか)

ISO                                20121203

 

 先日、四谷で開かれている写真の個展に出かけた。

 「Rome By Night」というタイトルで、共通の恩師を持つ石黒唯嗣さんが深夜のローマを撮っている。

http://www.roonee.com/?p=2396

 

 「深夜」、「ローマ」、「モノクローム」、という条件ではこうなるのだろう、という予想を寸分も裏切らず、こちらの想像力を遙かに超えた名作の数々だ。

 氏が丁度在廊されていて、客が途絶えた少しの時間、写真術を教わった。

 

 「トリミングは一切しない」、というのは予想していた回答でも、実際にご本人から迫力を持って言い渡されると説得力が絶大だ。

 もちろん、素人の僕には許される話だけれど。

 

 他に、深夜スナップだからシャッタースピードを固定すると聞いた。絞りをカメラのオート機能に委ねるのかと思ったら、それもレンズパフォーマンスの高い位置に固定して、ISO(感度)の自動切り替えで対応するらしい。

 

 僕のカメラでできることかわからないけれど、そうしたことを学んでみるともっと楽しいのだろうと思う。

 

下の写真は本文とはかすりもしない、自宅からの風景写真。ただ、画像を拡大してトリミングしてみると、色の階調に不連続があるようで昔のISO値の高いフィルム写真のようだと思った。

生物                                                                  20121127

 

 今朝、日が昇る前の明るくなった時間に、目の前にあった洋箪笥の側面に手を当てた。何も考えは無くて寝返りの一部だったけれど、開いた指の間から蒸気が立ち上って箪笥の少しを白く覆った。

 濡れたフライパンが乾いていくような、蒸気の発散を見ながらその水分量に驚いた。

 

 実験と思ってもう一方の手で同じことをしてみても、再現されないことから初めの手がしばらく握られていたことが原因だと推測する。

 そうしているうち、覚醒する前の頭で、何年も前の冬、仕事帰りにフットサルをした時のことを思い出した。

 

 二子玉川のそばで、2時間の練習と試合をした後、屋根ばかりの着替えコーナーで皆がユニフォームを脱いだとき、全員の体から湧き上がる湯気に視界が曇って遮られたことがあったのだ。

 施設照明の乱反射もあったけれど、おっさん達の裸から滝が逆登りするように煙が立ち上っていて少なからず感動した。

 

 その情景を頭のすみに思い起こしながら、布団の中で「気配」という言葉を思い出す。

 気配の多くは音かと思っていたけれど、重要なのは空気の攪拌かも知れないと思う。

 僕は、というより人間のみなは、むんむんしているのかと思ったらいい気分になった。

館林・富士山                            20121124

 

 先週、群馬県が東北自動車道側にせり出したような、館林に工場見学に出かけた。「木場」に100年の歴史を刻んだ材木商、現在は技術の粋を集めた別荘などを建設している会社の次世代展開を見せてもらうためだ。

 

 工場では要所要所にUSBメモリーが配られていて、昔ながらの作業所の面影は見つけられず、設計解析から刻みのミリ単位までコントロールされていることに驚く。

 

 人間臭さの後退した情景に一抹の寂しさを覚えない訳ではないけれど、この技術でデザインの自由度が上がることは疑われないと思い、ありがたさに気付いた。

 

 工場長かつ副社長さんの、「富士山を見られましたか?」という質問に当惑した。

 

 今日、東北自動車道を走って、館林近辺で冠雪する富士山を見て納得した。

 高いものは離れるほど鮮やかに姿を現すのだ。近視眼的になっている自分を反省する日だった。

緑雨                                 20121120

 先日、丸の内の東京会館ギャラリーにエッチングの個展を見ようと出かけた。

 作家は、僕の友人N I さん(作家/写真家)が少年時代に恩師と仰いだ先生のお嬢さんで、申請してFB友達になってもらった武田史子さんだ。

 

 受付をしている人がとても親切で、色々と教えてくれた。

 その方はエッチングではなくてシルクスクリーンで作品を発表しているそうだけれど、何より武田さんの熱心なファンだとみえる。

 

 前回目白のギャラリーで拝見した、ガラスボウルに梅の実がたくさん浸された作品があって、タイトルは「緑雨」とある。

 解説してくださった受付の方との話の中で、「あのみどりあめと書いてある・・・」と言いながら間が抜けているなあと思った。後から調べると「りょくう」と読んで、新緑の雨をさすらしい。

 

 その作品では水に沈むもの、水面に肌を露わすもの、梅の実そのひとつひとつのエッジが鋭利な質感で描かれていて、なかなか目を離すことができない。

 

 少し離れたところの「インクベリー」という作品では、大変な数のベリーの実と葉がひとつひとつ等価に描かれているように感じられて、自分が好む世界観を見せられる気がする。

 そして、その膨大と想像される製作時間のためか、こちらも無心に沈潜することができた。こんな憶えはなくて、とても充実していて嬉しかった。

二十歳の原点                           20121118

 

 今日、車で坂本龍一の曲を聴いている時、誰を惜しんだ追悼曲だろうかと考えて追悼曲に決まった訳ではないと思い直した。

 どうしてそう思ったのか不思議な気持ちもしたけれど、そのうちある曲に似ているからなのだと気付いた。

 

 それは、四人囃子というグループがサントラ盤を作った映画「二十歳の原点」に収められたもので、ずいぶん久し振りに蘇ってきたのだ。

 

 高野悦子さんという二十歳の女性が自殺をして、丁寧に書き綴られた日記が出版された後、映画化されたのが「二十歳の原点」だ。

 高校生だった僕は本を買ってきて読み、しばらくしてからサントラ盤を買った。

 内容は曖昧になってしまったし、映画化そのものが感傷的で美談にしたい欲求を内包していたから、客観的な視点は持ちようがない。

 

 でも、昨今の自殺に関する報道と比べて、その絶望の種類が大きく違うような気がした。この点は、きっと他人のせいにできるものではないのだろう、と思う。

 そして、そう思いながらもなんと不寛容な社会なのかと慄然としてしまう。

 

車内の夕陽                             20121114

 

 東茨城町の現場で打ち合わせを終え、工務店の社長さんに送ってもらって水戸駅から電車に乗った。

 途中、空いた車内で夕陽を撮ろうとしてチャンスを失ったけれど、反転したら自分の手とカメラが写った。極めて自己満足的でも、その時間を記録するには良い方法かもしれない。

 

 往復には7時間を要するから、乗り降りする学生なども見られていろいろ考えることもある。そして、そういう時間を持てることは思いがけず貴重なのかと思った。

91歳                                 20121111

 

 お客様に新築の設計提案をするために、敷地調査に出かけた。

 お母さまが91歳で、おひとり用に平屋の住宅を10年前建てられたとうかがう。81歳のとき・・・。そして今回は、次世代家族が敷地内にもう一軒建ててお母様に寄り添おうという計画だ。

 海辺の歴史ある住宅地で、100坪を超える敷地ならではの優雅な話。

 

 そのお母さまにもお目にかかると、にこやかにお茶を入れてくださった。お元気もさることながら美人で驚くばかり。

 

 測量図がお手元に無いとのことで、打ち合わせの後敷地内外を歩きまわった。写真はそのときに鞄とメモ帳が写ったもの。

 

 今晩は久し振りに音を感じる雨が降っていて、38歳先輩のあのお母さまは今どうされているだろうかと思い、息子家族の新築を喜ばれていた様子を思い出して心温まる。良い提案をしたい。

国道4号線・国道6号線                     20121107

 

 栃木と茨城の現場に出かけるようになって少し経ったとき、主要な道路がそれぞれ一ケタの国道だと気付いた。

 一目瞭然だから、気付くも何も無い話だけれど、どちらかと言うと東北自動車道と常磐道の違いに気を取られていたのだ。高速道路を降りてから、「あれ、どっちが4だったか・・・」と思って初めて、それがとても若い数字だと意識した。

 今回二つの現場に出かける準備をしているとき、ふと検索してみてそれが東北に向かう一対の道路だと知った。

 

 4号は内陸の谷間を縫って行く男性的な道路だ。別荘の工事が進む喜連川はこの国道から15分ほど入ったところに位置する。

 もう一方の6号は太平洋岸を北上する女性的な道路で、水戸近郊の東茨城町の現場はこの国道から100mほどの距離にある。どちらも日本橋を起点にしているけれど、6号は仙台で終点となり、その少し手前で合流する4号は青森まで行く。4号は日本最長の国道らしい。

 

 地図を見ると、4号は青森市を直線的に狙わずにやや東で海に当たって西に回り込む。見たことのない、陸奥湾の景色が外国のようなのではないかと勝手に想像して、とても魅力的だと思った。

 

 来年の夏は、6号と4号を走って青森に行ってみたい。

グラス                                20121104

 昨年の初夏、高校時代からの友人HYさんに美味しく飲めるワイングラスを教えてもらった。

 すぐに注文してみると、本当にワインの味が数段階アップするばかりか、ビールも美味しくてびっくりした。

 今回、ひとつ割ってしまったこともあって別のタイプを手に入れた。最初のものはとてもおおぶりで僕の手にもぎりぎりだったけれど、今度のものはスリムで優等生っぽい。

 

 その姿を写真に撮ろうとしてみたら、うまく撮れたと思えたのは最初に買ったグラマラスなグラスの方だった。(素人写真だと区別がつかないので良い方を掲載)

 

 リーデルというメーカーには高額のものが多くラインナップされているけれど、これは2脚で3千円余りだから、普通に手が届く範囲でその結果は想像をはるかに超えている。

徴兵制                               20121101

 

 先日の夜更け、手軽になったネクサス7で松岡正剛の 「千夜千冊」 を開いて、かわぐちかいじの 「沈黙の艦隊」 を見付けた。

 松岡正剛らしくなく絶賛の様子で、僕も30代の頃に楽しんだ記憶があるから読み返してみようと思い、ブックオフで21巻分を買ってきて読み始めた。(全32巻)

 

 潜水艦の戦闘漫画だ。きっと僕の世代はサブマリン707は少し記憶が曖昧だけれど、青の6号はなんとか憶えている。そして映画では 「眼下の敵」 のファンだったから、およそ少年は潜水艦が好きなのだ。

 

 主人公の胸のすくような活躍も見事だけれど、少年とは違う、今の僕の頭には他のことがかすめていく。

 韓国には徴兵制度があるし、中国には日本を優に10倍超える職業軍人がいると聞く。日本とは全く違った時間、環境。

 

 軍事強化や外交戦争を考えているのではないけれど。

 

 沈黙の艦隊の主人公、天才的な軍師 「海江田」 は、政軍分離を目指す。それはつまり軍隊の警察化で、地球がひとつの国家であれということだ。

 衝突か他かの選択を突きつけられる日が来るだろう、と思った。自分なりに考えてみよう、戦争だけは嫌なので。そうした気分を支えてくれる漫画なのだ、これはきっと。

参加する                               20121028

 

 先月の上海旅行では、誰が参加するのかわからずに小さな不安を抱えたまま成田に向かった。一週間弱の旅行中、会話の相手が見つからないのは結構つらいだろうと思えたので・・・。普段から連絡している友人は、お祝い会にだけ駆けつけると聞いていた。

 

 そもそも僕は継続的に催された会の出席率が高い方ではなくて、参加しても同期など近しい人を見つけて過ごすことばかりだったから、参加者が限定的な今回は不都合を覚悟をしない訳にはいかなかったのだ。だから、成田の集合場所の手前で同じ設計事務所の後輩にあたる女性を見つけた時はかなり励まされる思いだった。

 

 昨晩、旅行のまとめを兼ねた集まりがあって楽しい時間を過ごした後、閉会時に来年の定例会の幹事に指名された。あいうえお順とか年齢順の役回りであって、選ばれた訳ではないのだけれど、それでも名誉なことだと嬉しく思う。

 

 そして、これは算段せずにとりあえず参加した結果だと思って、「ああ、よかった」 と思った。

 昨晩も、久し振りに大阪から駆けつけたという後輩になる人がいて、痛いほど気持ちがわかった。フォローも何もできなかったけれど、終わり頃はとても楽しんでいる様子で安心した。

 参加してから考えれば良いのだなあ・・・と思う。

(写真は中央が恩師で、左右は右腕とまだ若い優秀な教え子:上海でのお祝いの会のインターバルで)

こころ:夏目漱石                          20121025

 

 「こころ」 を読んだ。

 有産階級の手慰みだと思うしかなく、評価の高いことがわからなかった。時代の差を考えても、少なくとも自分からの距離はとても大きい。

 

 小説を読んで初めて、誰それとなく意見交換したいと思った。

 

 なぜなら、犯罪目的以外であんな卑劣なことはできないし、される予感も無いからだ。

 それを可能にしたのは、持てる者の独善的・特権的判断に違いないと思う。

 人々の多くは、もっと支え合うことに注力しないと生きていけないのではないか。

 

 それでいて 「先生」 は、人間の不確かさに原因を求めたがるけれど、明らかに当人の作為だから、論理は破綻していて同情の余地はない。

 単に不誠実で、被害者ぶるばかりだ。

 

 あげくに、「私」の出現を好機ととらえて心慰め、天皇崩御に便乗するのだから都合が良すぎる。妻を思うならば、失踪ではなく遺体をこそ見せよと思った。

ネクサス7                              20121023

 

 グーグルが売り出したネクサス7というタブレットを買った。

 月初めに妻と出かけた時、思い付きで立ち寄ったビックカメラでそのまま予約をしていた。このタブレットがお客様にカタログを見せられる大きさで、かつ電車で開いても違和感がないところが気に入ったのだ。入荷を待っていたら先週末連絡があったので受け取ってきた。

 

 予約した後になって 「カメラは付いているのかなあ?」 などと疑問が湧くような買い方だったので、まだ何ができるのかよくわからないけれど、二日ほど使ってみて気付いたことが二つある。

 

1.夜、小さな音、耳元でマイルスディビスを聴くのが楽しい。

  (スマートフォンや音楽端末を使っていなかったので・・・)

 1960年代始め頃の、トランペットにミュート(弱音器)をつけたバラードがぴったりで、まるで小さなマイルスディビスを虫かごで飼っているみたいなのだ。ジージーと、ほんとうに虫のように鳴ってかわいい。

 

2.電子書籍の魅力を発見した。

 僕は、本というものには内容以外にも物体としての存在感や価値があると思っている。だからディスプレイで読もうとは思っていなかったのだけれど、青空文庫という著作権の消滅した作品などを集めているサイトを見ると、たとえば芥川龍之介など、小品も含めれば200もの作品がただちにダウンロードできると知った。このサイトはとっくに有名らしいけれど全然知らなかった。

 ここで読んでみて特に気に入った作品を買いに行けばよいのだ。

 

 そして、タブレットにサンプルとして掲載されていた 「こころ」 を読み始めてみて、実体 (厚さ) が無いこと、つまり読んでいるページが作品のどのあたりにあるかわからない (調べればわかる) ことは、そのページが眼前で展開されているような臨場感を生むと気付いた。

 

 皆に半月待てばIpad mini が出たのに、と言われるけれど、僕はグーグルが作っていることに魅力を感じた。上手に使いこなせたらいいなと思う。

太平洋・カリブ海                                                    20121019

 

 時々思いついたように「国旗で読む世界地図」吹浦忠正著 光文社新書 という本を読んでいる。一連のストーリーがある訳ではないので、数分間読んだりするのには向いているのだ。

 

 中米5カ国について触れたところを読んでいてとても楽しくなった。グアテマラ・エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア・コスタリカ・・・この国々の国旗には左右または上下に青が配されていて、それは片方が太平洋、もう一方がカリブ海を表しているというのだ。

 本当にはそんな場所はないだろうけれど、丘の上から左に太平洋右にカリブ海を見る風景を想像した。絵本の表紙のように・・・。なんて明るくて豊かなんだろう。

 それにしてもよく似通った国旗だなあと眺めていたら、これら5カ国は19世紀初め、アメリカ合衆国を手本に中米連邦を作っていたと知った。

 20年弱で解体してしまい、その後も再統合の動きはあるものの進展していないと読んで、また中米らしいなあと思う。慌てることはないのだ。

過ぎた夏                               20121016

 

 日曜日に栃木県さくら市の現場に出かけて、昨日月曜日に水戸の現場に出かけることになった。日曜日はお客様のスケジュールで、月曜日は工務店さんのスケジュールだ。

 

 連日の日帰りはきついので宿泊した月曜日の移動時、余裕があったので那須烏山市にある酒造会社を見学した。

 島崎酒造という蔵元で、東力士というブランドで有名らしい。醸造所のそばに洞窟を借りていて、15℃という日本酒の熟成には適した安定温度で、短いものは一年、長いものは40~50年寝かせていると教えてくれた。

 洞窟は予約で案内をしてもらうことができる。

 

 店の一角に冷たく冷やして飲む「夏にごり」というお酒があった。 

 江戸末期の創業。現在6代目の老舗でも、こんなにかわいらしいパッケージを採用できるのなら、まだまだファンは増えていくだろう。

 

 飲んでみたくなったけれど、やはりこれは夏に飲むお酒だと思い、今年の夏がこのあいだ去ってしまったことを惜しんで、来年の楽しみにした。

ダイビング(夢)                                                      20121013

 

 珍しく、夢をリアルに憶えているので、記録しておきたくなった。

 

 (先月の上海旅行の影響か、) 夢の中の僕は、大陸の山岳地帯を車で走っている。

 幅広い尾根道は、細かい石炭が敷き詰められて真っ黒だ。粉が多いからカーブで後輪が滑ってしまうけれど、初めて経験する接地感と音が心地良い。

 

 だんだん慣れてスピードを上げた頃、両脇の森が消えて遠くに峰が見えてきた。尾根道は一直線にそこを目指しているようだ。

 やがて足元まで来てみると、それは道路と言うよりは崖で、とても登り切れそうには見えない。それでも、ギアを切り替えて加速した。

 

 車の馬力は大きく、スピードが衰えぬまま勾配はどんどん増していき、道路の両側が空になった。このままではひっくり返ると思ってハンドルを左に切る。

 以前だったら(夢の中ででも)そこでスピードを緩めて戻っただろう。でも、違った。

 斜めに走ってスピードを維持する。先に何があるのかを見たかったのだ。

 

 

 車が道路左端を蹴って、中空高く躍り出た。

 眼下500m、マチュピチュのような遺跡が広がる。

 

 

 僕は重力から解き放たれて、遺跡の茶と緑、空の青を見る。とてもきれいだ。

 背中側の太陽までを見たと思ったその時、シートベルトに引かれて落下が始まる。

 

 衝撃が来る前に、今の景色を網膜に定着させようと膝を抱えて目を閉じた。

 

 

 幸いなことに・・・、スキージャンプのようにソフトランディングすることができて、生還した。(止まることができずに湖に突っ込んだけれど)

 

 上海の森タワー展望室に行ったことで、高所恐怖症をいくらか克服できたのではないか?という気がする。丁度同じくらいの高さに飛び出したから。そしてそれはスカイツリーの空中廊下の高さでもある。ああ、でも、よく考えるとあんまり行きたくはない。

祝東京駅復元完了                         20121010

 

 先週の金曜日、東京駅を見に行くという妻と落ち合って写真を撮った。

 デジタルカメラのオートモードで、道路にある電気設備の箱(ポストくらいの大きさ)の上に置いて撮ったからブレが小さい。

 背景に新しいビルが煌々としているところと、車のヘッドライトはペインとというパソコン標準搭載ソフトで消した。

 

 僕としてはきれいに撮れたと思う。加工も一度やってみれば驚くほど簡単なので、ここに紹介しようかと思ったけれど、ちゃんとわかるようにと考えると意外と難しそうだ。

 知りたいパソコン初心者の方はメールをくださればお教えします。(教えるというほどの作業でもないのですが) arami.shinichiro@mx.bels.co.jp

中之島駅で                             20121007

 

 昨日、南武線で扉脇に立って中之島駅に着いたときのこと。

 土曜日のせいか、夕方の電車はとても空いていた。

 扉が開くと、ホームに可愛らしい顔をした制服の女子中学生が4人いた。降りる客はなく、4人が乗り込もうとしたとき、何か気配があった。片足をかけた前の二人が振り向いて、あれ、乗らないの?という顔をしてためらった。

 二人が身体の向きを変えた時、一番後ろの子が前に進んだ。前の右側の子がスペースを作ろうと勢いよく乗り込んだ時、後ろの子は停止して前の左側の子はとっさに降りた。乗り込んだ子が気付いた時、扉が閉まり始める。

 降りようと両手を扉の間に入れて挟まれる。車掌は開くことをせず、微かな悲鳴をあげながら、女の子は車内に手を引き抜いた。勢いで数歩後退し、車内の目を集める。外の子を見ると、無表情で眺めていた。中の子は大丈夫とばかり手を振る。

 

 駅を離れたあと、ガラスに映る女の子の顔は能面のようだった。悲しそうでも悔しそうでもなかった。次の登戸駅で降りると、その子も降りた。

 そのままホームに残ったから、次の電車と3人を待つのだろうか。どんな顔で現れるのだろうと思ったけれど、僕はそのまま小田急線に向かった。

 

 いじめより酷いとも思われる神経戦。つらいだろうと思った。乗りきることができればこの子は大丈夫だ。しかしあの3人に、変われる機会が訪れるとしたらそれはどんなことだろうと考えてしまう。あるいはこれが、今の中学生の日常なのか。

中国人観光客                            20121002

 この写真は、杭州の郊外にある西湖という観光地のものだ。浜名湖なのか中禅寺湖なのか、あるいは相模湖か・・・。規模に注目すれば比較対象が見つからないくらい大きいとのこと。

 多分、写っているのはほとんどが中国人。大雑把な印象では、日本人の風体と極端な差異はないように思うけれどどうだろうか。

 

 違いは、色彩感覚・声の大きさ・押しの強さ、そして俯いているひとのいないところ。

 そうした特質と、ガイドさんの旗に着いて歩く従順性が不思議とも思う。

 

 実はこの日に中国各地で反日デモがエスカレートしたため、翌日の日曜日は西湖そのものが閉鎖された。この土曜日は不穏な気配は見つからなかったけれど。

 

 そのニュースとともにガイドさんはこう言った。

「日本人は中国人を見てよく似ていると思うらしいけれど、中国人は日本人を一目で見分けます。だから不用意な刺激をしないでね」 と。良い悪いではなく、他人を見る目の緊張感がまるで違うらしい。

上海の森ビル                            20120929

 この日は、昼食の落ち合い場所だけが知らされて、みなが思い思いに出かけた。

 僕は年齢の近い男女3人と再開発地区に向かう。(同行者が20年前に訪れた写真を見せてもらうと、そのころは更地だった!)目指すのは一番高い展望台で、それは日本の森ビルが建てた森タワーだ。展望室は100階だと聞いていた。

 

 以前は30階にある会社に行くのも嫌なくらいの高所恐怖症だったけれど、だんだん恐怖症が面倒になってきて、最近はあまり考えずに出たとこ勝負にしている。

 477mの展望台に着いてみるとさすがに高かった。外壁となるガラスは足元から外側に傾いていて、床の一部がガラス仕上げになっている。東京タワー展望台にもあったけれど、それより遥かに大きい。

 困ってもどうにもならないので、普通にしていたらその内慣れた。いよいよ克服できたかと秘かに考えていた時、同行者が「普通に手足が前に出るようになったね」と言った。バレバレだったのだ。

 

 昼食後、少し仲間が増えて今度は旧市街の新しいスポットに出かけた。フランスが建てた牛の屠殺・食肉加工するためのビルで、長く閉鎖されていたものを新進レストラン複合ビルにリニューアルしたのだ。その、『19参Ⅲ』という建物の前から撮ったのが下の写真。

 

 遠くに見える栓抜きの形をしているのが森タワーで、さっきまで最頂部の橋のようなところで、ガラスの上に立っていたと思うと不思議だった。

同じ月                                20120926

 

 今晩、たまたまBBCの NatureVideo をインターネットで見たら、アフリカのサバンナの様子だった。いろいろな場面が出てくるけれど、5~6頭のライオンがバッファローらしき大きな動物に歯を立てて組み伏せている時、空に視点が映って月が見えた。

 

 同じ月を見たとは思わないけれど、帰宅途中に見る月とそっくりだ。

 

 他のニュースでは、136億光年先の、銀河の集団映像も見た。銀河が、万華鏡のようにわさわさしている。

 

 とても面白い。何が何だかわからないまま、ITの社会がずっと好きになってきていると思った。

杭州へ                                20120926

 

 水郷の街、西塘古鎮からホテルのある杭州市街へと向かう。

 高速道路は片道3車線で快適だ。同じような看板が続くので、薄暗くなった高速走行の中、シャッターを押したらブレてしまった。

 4.5m×12mくらいの、イメージというより漢字が主体の看板が、高速道路と住宅の緩衝地帯に立ち並んでいる。 100mおきに100以上見たように思う。

 

 目に入る住宅はレンガ造らしく、どっしり整然と並んでいる。一軒にしては大きいけれど、共同住宅というには分割の気配がなくて、どんな構成なのかが気になる。

 電線が見えなくて気持ちが良いのと、看板も住宅も、日本の見慣れた風景からスケールアウトしているので不思議な気分になった。

 ホテルに着いて相談をし、反日デモもあるので夕食は遠くに出かけることを諦めた。ホテルを出て間もない大通り沿いに、庶民的な食堂を見つけて入る。

 

 後から来た、同じ旅行グループのテーブルは賢明で、美味しい地元野菜を中心にオーダーした結果、一人あたり17元(220円)だったらしい。

 僕たち男性中心のテーブルは肉料理が多くて、ビールもたくさん飲んだから50元(650円)だった。※所得の差が激しいので、高級そうな店だと3千円くらいにもなる。

 

 遅くなって帰る時、レジのそばで8歳くらいの男の子が勉強していることに気付いた。店主の息子のようで、一人っ子かどうかはもちろんわからないけれど、いかにも大事にされている感じだ。

 店主に「美味しかったです」と言うと、不意を突かれたのか身構えて険しい顔をする。指で丸を作って「美味しい」ともう一度言うと、パッと顔が晴れて嬉しそうに笑った。

 店を出て振り向いてみると、子供は静かに片付けを始めていた。「邪魔だったなあ」と思う気配を少しも感じさせずに。

30代前                               20120923

 

 昨日、お彼岸でお寺に出かけた。

 住職のお話しの中に、父母・祖父母・・・と二十代遡れば200万人になる、という部分があった。暗算してみて105万人だと思ったけれど、一代の差が問題なのではない。

 もし写真技術が開発されていて、フェイスブックのように105万人の顔写真が並んだら圧巻だと思った。

 

 その内一人でも結婚前に不慮の死を遂げていたら僕はいない・・・と考えるのは子供じみているだろうか。それでも、105万人からの結果が僕だと考えると思いはあちこちに拡散する。

 でもそう思いながらも、ちょっとした違和感があるので更に十代前を計算すると、10億人を超えてしまう。それはアフリカで発見された現代人全ての母の存在と矛盾するから、正しくは105万人、10億人のうちの相当数が重複するのだろう。それでも大変な数には違いなく、国境線など軽く超えてしまうと思った。

 そして、血縁関係という閉じた繋がりから離れてみれば、あらゆる人間が相互作用の中で時間を受け渡ししてきたことに気付く。

 その中には戦争も含まれるけれど、やはり領土や資源の占有を巡って殺し合いをするのは、大変な愚挙だと思うのだ。

 

 下の写真は、僕の30代前が通過したかも知れない中国杭州の西塘というころにある、水郷の古鎮(古い街)だ。ひょっとすると、僕の先祖の一人またはその友達が、この運河沿いでデートしたかも知れない。30代といえばおよそ750年前くらいで、この街は1000年以上の歴史を誇るのだから。

上海                                 20120919

 

 上海に行ってきた。

 反日デモを見に行ったのではなくて、大学の恩師の喜寿をお祝いする会が上海で開かれたのだ。

 成田から15名、他から15名が集まり、歴史的人物も迎えたことがあるという老舗のレストランで和やかにお祝いをした。

 食事代は7000円で、日本ならその倍くらいだろうか。先生のお嬢様(上海在住)がお店と相談してメニューを決めてくださったので、珍品は何も無いけれど日本人に合ったとても美味しい料理だった。

 何の香味料なのかわからなかったけれど、酸辣湯(さんらーたん)というスープが麻薬的な感じで、スパイス系が大好きな僕は何度も器に取り直した。「満足」

 

 これから数回、初めて訪れた中国の印象をメモしようと思う。

残暑                                 20120912

 

 今日はあまり外に出なかったので、元気いっぱいの陽射しにあたることはなかった。

 でも、厳しい残暑だと思う。

 

 3ヵ月後は12月中旬で、電車を待つあいだに 「寒いなあ」 とつぶやくのだろうか?

 

 何度も繰り返してきたのに、実感がわかない。

復興予算                              20120909

 

 写真は昨日那須に向かったときのもので、スローガンと新幹線車両の連結を面白がって撮ったものだ。

 

 今晩NHKの特集番組で、東北大震災の復興予算19兆円の使われ方が適切かどうか、というものを見た。

 

 建設業界では、復興に関連して真偽の定かでない話がたくさん出てきているけれど、NHKも腰を上げたのだなあと思う。

 火事場泥棒のような人は一定割合でいるだろうから、残念だけれど騒いでも元に戻すことはできない。チェックすべき行政機関も、想像できないくらいひっ迫した状況にあっただろうから、手落ちだったと指摘する人は多くないだろう。

 

 それでも、少しは落ち着いてきた今、丁寧な説明と今後の展望を示すことのできる人が現れて首相になって欲しいと思う。

 そして、等身大の人が総理大臣を務められるような、良い意味で日本的なシステムができたらいい。

最終電車                              20120907

 

 今日はもうすぐ事務所を出るけれど、昨日は最終電車のひとつ前だった。

 と言っても、ハードワークにさらされている訳でなくて、考えている内に時間が経つこともあるし、インターネットなどによる情報収集も含めて、他に興味が移っている時間もあったりする。

 

 昨晩電車のホームで思ったのは、終電間際の人々の様子が10年あるいはそれ以上前の人と違うことだ。

 

 一昔前の終電車は、自分の子供達と一緒に乗り合わせることは想像したくないくらい緩んでいたように思うけれど、最近はかなりシャキッとしている。

 

 それは、不況で緊張が増しているというより、マナーの向上が大きいのではないかと思った。最近の若い人たちは、しっかりしている。

数は力                                20120903

 

 今日、テレビのコマーシャル映像で見たためか、運動会の玉入れの情景を思い出した。竿の先端にあるカゴ上空で、たくさんの玉がぶつかりながら失速して入っていく様子。

 小学校低学年で、確か1学年には4組があったから、160人が二手に分かれて紅白それぞれ80人がいっせいに投げていたのだ。

 

 僕は、空中に10~20の玉が同時にあることにとても驚いた。

 そして、玉どうしがぶつかって、二つともカゴに落ちる様子に見惚れた。

 

 当時、自覚はしていなかったけれど、4月生まれはかなりのアドバンテージだったらしく、僕は運動が得意だった。

 特に野球は何よりも好きだったし、誰よりも練習したからいつも学年で一番遠くに正確にボールを投げることができた。

 でも、意外と玉入れのカゴには入らない。それが誰かの玉に当たって入るととても得をした気がした。

 

 数がたくさんあることは幸せなことだ。と、子供なりに感じた。

 

 広く声を発して多くの反応を得ること。ハウツーではなくて、でも心がけた方が楽しいのだと今日また思う。(できれば静かな日に混ぜる感じで)

Ride on time                                20120901

 雨の音で目が覚めることは滅多にないけれど、今朝がそうだった。僕は休みなので長女を車で送ると、止んでいたはずの雨が再来襲。

 ラジオをつけていたら、山下達郎の 「Ride on time」 になって 「ここはどこだろう」 と・・・

祭りの夜店                             20120827

 家から7~8分歩いたところに菅原神社がある。

 毎年8月25日はお祭りで、たくさんの夜店があちこちから集まってくる。むき出しの白熱灯に浮かび上がる水ヨーヨーやピストルやお面、手品グッズなどは独特の光沢を帯びていて、発電機の騒音と人いきれもあって、子供はクラクラする思いでそれらを品定めして歩く。雨だと中止になるから、雲など出てくると空を睨み付けたものだった。

 

 小学校高学年になると足が遠のき、やがて祭り自体の規模が縮小されて、自分の子供達を連れて行ったときはずいぶんさっぱりしたなあと拍子抜けした。

 

 その後、どこに転換点があったのか今は全国的に祭りが復調しているようだ。今年はこの祭りが土曜日にあたったため、賑わっているのではないかと出かけてみると、往時に近い規模で五月みどりさんなども舞台に立っていた。

 

 写真に撮ったこどもはきっと兄弟だと思う。品物選びが真剣すぎて、悲痛な感じまで漂わせているのが、遠い日の自分を見ているようで嬉しくて小さく悲しかった。この悲しみはなんだろう、と不思議に思い、「子供の悲しみだ」 と気付いた。

ウェイ・フリー                            20120824

 

 先週から、栃木県の現場打合せの約束をしていた。

 今週、膝に痛みがあって少し逡巡したけれど、延期は監督さんたちに迷惑をかけるから、電車+レンタカーから車に切り替えて出かけることにした。

 

 往復500㎞弱だから、特別長い距離ではない。でも、運転が目的ではないのに7時間もかかるし、体調も万全ではないので負担感が無くはなかった。

 

 結局夏休みの長男が同行してほとんどの区間を走ってくれたので、極めて快適に一日の仕事を終えることができた。そりゃそうだ、運転手付きなんて初めてだ!

 

 

 助手席に沈んでいると、またひとつフリーになったのだと気付く。そして、そのフリーは、長女長男とこれからどのように楽しく暮らせる・・・独立していっても・・・だろうか、と考えることに繋がるようだ。

清流                                 20120820

 

 一昨日、多摩川の上流、酒造所のある沢井に出かけた。

 中央線立川駅から青梅線で46分らしいけれど、青梅で乗り継ぎに25分待ったから、のんびりした行程だった。沢井駅と聞けば普通のようでいて、先が御岳駅、手前が軍畑駅という駅名を見ると土地のイメージが湧く。

 澤乃井という日本酒で有名な小澤酒造が、小さな庭や軽食の売店を運営しているので、渓谷の散策路を歩いた後は地ビールを楽しんだり利き酒ができて一挙両得だ。

 前に訪れた時は大雨の後で、水量に迫力があったけれど濁ってもいた。

 一昨日は静かな雨が上がったところで、川は澄み切っていた。

 

 散策路から階段を見つけて河原に降り、裸足で川に入ってみる。

 

 何度だろう。長く入っていると足が痛くなる冷たさだった。たった今湧きでてきたようないささかの穢れもない水が、光を反射しながら足の前後をくぐり抜けていく。文字通り時を忘れた。

情動的思考                             20120817

 

 「わかるとはどういうことか」という本を読み始めたら、先月読んだ痴呆老人の話を思い出した。

 

 人間の感情や判断は、情動的に決められるものと、論理的に決められるものがあるそうだ。そしてそれは並列的な関係ではない。

 

 認知症の人に対する時、その人の言動がどんなであっても、優しく微笑み続けていればとても良い関係が期待できるらしい。ということは、論理的思考に支障が生じても、情動的な判断が安定していれば、ひとは安心できるということだろう。

 

 それは我々も同じだ。個性的な政治家の当たり障りのない演説と、核心を突きながら特徴が薄い政治家の演説に接したとき、多くの場合前者に投票する。特に差し迫らない限り、論理など気にかけてはいないのだ。

 

 美男美女が得をする、というのはみな知っていることで、それは置いておけば良いことだけれど、やっかいなのは、自分でも気づかずに情動で結論を出しておいて、後から論理で説明しようとすることがままあることだ。大抵の場合説明しきれない。

 

 もし、情動で決めたことを意識していないと、論理が破綻したときにやけっぱちになることもあるだろう。ちゃぶ台はそういうときに返される。

 

 大きな問題では原発や領土、小さな問題では自分の日常。キーワードは痴呆老人看護と同じく微笑みと傾聴なのかも知れない。少なくとも、スタートはそこに置くべきだと思う。なぜなら、対立者に不要な警戒心を抱かせて、何も得することが無いからだ。

戦争ゼロの世界                          20120813

 

 夏休みを取って家族旅行に出かけたりしていたら、雑感に間があきました。長女が24才、長男が21才で、4人で行かれる機会は少なくなるだろうと、妻が立案した旅行でした。

 

 帰ってきて昨日、オリンピック中継の間にNHKのBS特集番組を見たら、面白い発言があった。

 途中から見たのだけれど、それは太平洋戦争末期のフィリピンでの戦闘を、水木しげるの長編漫画をベースにして、辿り直した番組だ。

 

 米軍のマニラ攻略では、市街地に紛れ込んだ日本兵を掃討するために、最後は無差別砲撃が選択された。細かな数字は忘れたけれど、日本兵が16,000余名、米兵が1,000余名死亡したのに対し、フィリピン民間人は10万名を超える人が巻き添え死したという。

 

 その戦闘に居合わせた日米の兵と、フィリピン市民の多数がインタビューに応じていた。

 その内のひとり、米兵がこのようなことを言った。

 「戦争を起こした人間が最前線に立つことにしたら良い。そうしたらどのくらい戦争が減ると思うか?ゼロになる」

 

 

 僕は原発反対デモに数回参加したけれど、未だにデモの空気には違和感があって小さな苦痛を感じる。

 それでも出かけるのは、「決定権者は顔を見せる義務と、たった一人で説明し切れる覚悟を持たなければいけない」、と思うからだ。

 

 根気よく改革を求めないと、子孫が可哀想ではないか、とも思う。

深夜行                               20120802

 

 なでしこJAPANが引き分けた日、仕事で遅くなってやっと乗った終電で、うとうとするうちに乗り越しをしてしまった。

 途中で戻ろうとすると余計に難しくなるから、終点の長津田までそのまま行く。

 

 思った通り、タクシー乗り場には長蛇の列ができていたので、歩いて帰ることにした。

 近道を選び、うるさい幹線道路を避けて田畑を歩くから、タクシーに出会える可能性はほとんどない。

 

 それでも、深夜のあぜ道というのは思った以上におもしろい。都市の騒音が遠くに響いているから孤独感は少しもなくて、でも足下の小さな虫の音や用水路の水音がささやきのように聞こえてくる。

 

 その音に耳を澄ましていると、やがて自分の呼吸音も聞こえてくる。自分が自分と一緒に歩いているようで、それがおもしろい。

関わり                                20120731

 

 昨日の帰宅時に、下北沢駅で体調を崩した男性を30分見守った。

 

 午後9時ころ、混んではいない電車が代々木上原駅を出て少し経ったとき、僕の後ろにいた同年代の男性が貧血のようにして倒れた。

 一度立ち直ったもののまたすぐに倒れたので、再び立ち上がろうとしたところを抱えて一緒に降りる。「動かすな!」とか、周りは大騒ぎだったのに、降りてみると僕ら二人だった。

 

 降りて間もなくまた意識が遠のいたので、最近出したことの無い大声で駅員を呼んだけれど、先頭の位置で駅は工事中だから声が届かない。

 歩いてきた若いサラリーマンに駅員を呼ぶように頼んだのに、困惑した表情でうろうろするばかりだ。その反応には本当に驚いた。そして、一人目がそうだと二人目はもっと動かない。

 

 ならば僕が呼びに行くからこの人を見ていてくれと頼んだとき、意識を戻した男性が人を呼ばないでくれと繰り返し頼んできた。

 ますますサラリーマンは知らぬ振りをするし、男性の表情は落ち着いてきていたので、そのまま30分ホームに座らせて休んでもらったのだ。(会社に知られたくないとも言っていた)

 

 結局、駅前のマックで休んでから帰るという男性を改札まで見送り、それ以上は過剰だと思ったので別れた。

 

 その間、誰一人関心を持ってくれなかった。

 飲んでいないし酔っ払いに見えるはずもないのに、目の端でそう判断して、関わることを避けているのがわかる。

 僕も面倒見は良くない方だけれど、今度からせめて観察しなければ、と思った。

夏休み                                20120727

 

 昨日、打合せで水戸に行き、南口からまっすぐ南下する広い道路を歩いていると、多くの少年少女に自転車で追い越された。

 

 夏休みに入ってまだ一週間!という喜びが体中からあふれ出している。

 

 道路が広いからか、土地柄か、東京の子供たちとはずいぶん違って見えて、久しぶりに夏休みのこみあげてくる感情を思い出した。

 

 その一番。

 7月20日の終業式後の帰路。小学校3年生のころ。影のないゆるやかな坂道を見上げて震えた。「今日から40日」

お墓との対話                            20120722

 

 昨日は妻の父の法要だった。3家族で墓参りをして会食をする。

 

 墓前で手を合わせる時、とても自然な気持ちになることができた。対話にはどうしてもならないのだから、一方的な報告や宣言になるようで、しかし対話があるようにも思われた。相手は父でもないし、自分でもない。誰と話したのだろう。

 

 結論は持ち得ないながら、お墓参りとはそういうことか、と思った。

熱中症にご注意                          20120718

 

 梅雨がいきなりあけて、筋肉質の若い夏が来た。

 連休の月曜日、暑さに体を順応させるためにプールまでの道を歩くことにした。

 次第に街路樹が頼もしく思えてきて、その時点で危険ではなかったけれど、そのまま歩き続けるのは不安になって休んだ。

 

 木陰のベンチを探して、水を2本買ってきて頭からサンダルまで冷やしても、なかなか歩き出す自信は生まれず、20分あまり休んだだろうか。遠くの音が明瞭に聞こえてくればOKだ。この日は風があったからその程度で済んだのかも知れない。

 

 以前、草取りの最中になりかかったから、それがどんな風に近づいてくるか少しわかる。体が元気でも、聴力(もしくは視界外縁部)に違和感があったらすぐに休まなければいけない。それも小さな変化の段階で。

 炎天下のピッチで、草サッカーを半日する体力とは別のものなのだ(今はしていない)

 

 そうは言っても、夏の陽射しは魅力的だ。世界が笑っているようにも感じる。そして、海や山に行かなくてもそこら中に夏を見つけられるようになって、それは多分、年齢が影響しているのだけれど、ならば、年齢に感謝してやろうと思う。

男と調理                               20120715

 

 僕は一週間に一度くらい夕食を作る。本やインターネットを見ながらなので、いつまでたっても初心者のような感じだ。

 最近、そんな話をしたときの相手の反応が、大きく分けると二通りだということに気付いた。

 「美食家(的な)趣味があるのか?」 というものと、

 「奥さん孝行なのか?」 というもので、どちらも 「ちょっと意外だけど・・・」 という当惑を帯びているのが可笑しい。

 

 そして、そのどちらでもないのだけれど、説明が難しいので曖昧にしてきた。

 最近、友人の M.Maeda さんがフェイスブックでエチオピア料理を紹介していて、その写真を見て僕が料理を作る理由がわかった。

撮影:M.MAEDA  テフという米科の穀物を素材とするクレープ状の食材とのこと
撮影:M.MAEDA  テフという米科の穀物を素材とするクレープ状の食材とのこと

 この写真の料理が、僕の理想形のひとつなのだ。

 美食とは違うだろうし、家族が喜びそうだとは思いにくい。

 

 眺めていて気付いたのは、カウボーイや漁師、兵士などが自分で作って食べることに、以前から憧れがあったということだ。貴族は決して自ら調理することは無さそうで、僕はその反対を行きたいと思っているのだ。

 

 実はもう少し自覚的だった理由があって、それは沢木耕太郎の著書からの影響による。

 氏がユーラシア大陸を路線バスで横断した旅行記 「深夜特急」 の中に、次のような内容の記述があった。

 

 インドに滞在していたとき、現地の人が通う食堂で、スプーンなどを使わず指で食事をするようになった。初めは違和感があったものの、慣れるにつれて指で味がわかるようになり、そのことにとても驚く。そして、トイレを含めて設備というものがほとんどない生活に浸ることで、道具に頼らなくてすむ自分を発見していき、とても大きな解放感を味わった・・・

 

 僕の目的も、料理ができない自分を解放したかった・・・と言ったらとても大袈裟だけれど、そういう気分は確かにある。

 

 ちなみに、Mさんに質問したところ、上の料理も 「当然指で食べる」 とのことだった。

 そう、自転車に乗れるようになりたい、と思うのと一緒で、やはり美食とは全然違うものだ。

塔と死神                               20120712

 

 ずいぶん前だけれど、丸山健二の 「虹よ、冒涜の虹よ」 という長編小説を読んだ。

 対立する組織の組長を撃ち殺したヤクザが、追手から逃れて旧日本軍の遺構、巨大な灯台に隠れ棲む話だ。

 夜毎死神が現れ、地上100メートルの中空に漂いヤクザと話をする。

 

 当時読んでいる時、その死神の映像が映画のカットや子供漫画の挿絵のようにしか想像できなくて閉口した。

 

 今週初めの日曜日、曇り空のもと市民プールに出かけると、隣接するリサイクルセンターの煙突が雲に溶けていた。

 丸山健二の小説を思い出して、漂う死神と塔の中でふてくされる主人公の姿や気配が感じられるような気がした。

 

 丸山健二の小説は力強くて魅力があるけれど、重くつきまとう生物臭は負担でもある。それがこの風景では希釈されて、好もしい印象が増した。

盛り上がらないデモ                       20120707

 

 ああ、七夕だ。難しい季節に再会を期したものだ、と思う。

 

 大飯原発再稼働反対のデモに参加した。19時過ぎに国会議事堂前駅から地上に出ると、複数のヘリコプターが大きな音を響かせながら旋回していた。

 

 でも、じきに姿を消す。

 

 雨が降っているようなそうでもないような・・・傘をさそうかたたもうか・・・という降り方だった。

 デモは雨合羽でしょ!と聞いていたものの、買いに行く時間がなくてビニール傘がちょっと残念だったけれど、意外と傘も多い。

 

 「再稼働はんたい!」というシュプレヒコールが増したり衰えたり、と同調しているのか雨も激しくなったり知らぬ顔をしたりという天気だった。

 

 大江健三郎さんが西新宿でデモを企画したとき、出かけたら、組合や団体構成員らしい人達の醸し出す空気に打ちのめされた。中に入りたくなかったから、僕は参加者ではなかった。

 

 今回は違う。多くの人が静かに、要らぬ声を上げることもなく歩いていたから、最後まで一緒にいた。下の写真は、デモが終わってから霞が関駅に帰る人達。

大音響(スピーカー)                       20120705

 

 このあいだ、友人がスピーカーの話をしたとき、次の話題に移る前にどうしても思い出せなかったバンドの名前があって、それは 「Wether Report」 だった。

 その名前を出したかったのは、特殊な体験をしたからだ。

 

 若いとき、ジャズが最高だと思っていたとき、代々木のNARUというアメリカの大御所もたまにライブを行うジャズ喫茶にいた。

 このアルバム 「WEther Report 8:30」 がかけられた。

 僕はすでに持っていてよく知っているはずなのに、初めて聴いたように、感動した。

 

 僕が家で聴いていたのはメロディーラインとリズム、つまり楽譜に収まる情報で、少しも音楽ではなかったのだ。

 JBL あるいは ARTEC というメーカーの、大きくて高価なスピーカーに人が集まるのは、音がきれいだからではなくて浸れるから、包み込まれるからだと知った。 

藤原新也氏サイトで                       20120703 

 

東電の最近の説明、「福島第一原発、4号機の傾きが増したけれど、建築基準法の範囲内だから問題無い」、に対して氏が疑義を表明し、建築関係者の意見を求めた。投稿してみたらた他一件と合わせて掲載されたので、ここにも記録しておこうと思う。

 

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 福島第一原発での建屋の傾きの記事を拝見しました。

 

  私は意匠の人間で構造の専門家ではありませんが、東電の説明そのものと、それをただ伝達するマスコミはかなりみっともないものだと思います。

 

 建築基準法はかなり経済性を意識していて、最低限これだけは守らないと危険だ、という水準を示しているにすぎません。

 ですから、重要建築物に一般の基準を当てはめるのはナンセンスです。

 

 そして、福島第一原発は誰が見てもわかるように、もはや建築ではありません。遺構もしくは廃墟です。

 柱の傾きなどは、柱・梁の接合部などが耐力的に信頼できる、という前提で考えられているのですから、どこまで亀裂が入っているかわからないものには何の参考にもなりません。

 

 健康な人が激しい運動をするときの目安 「このくらいまでなら」 を、瀕死の重病者に説明しているようなものです。

 

 きっと海外では、マスコミを含めた当事者の能力が極めて低いか、悪意あるめくらましとしか見えずに、だから日本異質論が繰り返されるのでしょう。

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(もう一件は、内部応力が集中することによる危険に触れた、やや専門的なものだった)

 

 使用済み核燃料棒の取り出しについて、東電は工程表こそ作ってみたものの根拠がないことを認めている。そして、その終了前に地震による倒壊か、冷却システムの崩壊が起これば、東京にも住めなくなると小出助教が繰り返し警告している。

 

 もう東電を悪者にしている暇はなくて、国を挙げて対処しなければならないのに、東京新聞を除いてマスコミはみな頬被りし、デモすら伝えようとしない。この正常性バイアスは、生物的に危険水準だ。

思いとは別に                            20120702

 現在進行中の別荘の、洗面器を決めようとして訪ねたTOTOのショールーム。遠くまで見えた。

 

 原発や社会福祉のことなどいろいろあるけれど、お構いなしに夏はやってくる。

 

 楽しい夏にしよう、と思う。

「自己実現」vs「自己発見」                    20120630

 左の本を読んだ。

 認知症を発症した人とのつきあい方、あるいは介護の仕方が書かれているかのようなタイトルだけれど、本文では多重人格や仏教の心の観察にも触れていて、だからどちらかというと心理学の本だ。

 僕は、茂木健一郎の「たった1リットルの脳」や福岡伸一の「動的平衡」という観点から、「生物が世界をどのように認識するか」、という問いとして読んだ。

 

 西暦はキリストの生誕を出発点としてひとつの物差しであるのに対して、日本の元号は天皇の即位で起点が変わるから多数の物差しと言える。

 そしてそれは、そのまま一神教と多神教の違いとも密接な関係があるだろう。

 

 おそらくキリスト教では、人格は統合されたもので人生はひとつの彫刻を造り上げるようなベクトルを持っている。

 対して日本では、人間関係の中に漂い、常に相手の存在を意識しての自分だったように思う。

 

 どちらが良いか、とは考えずに読んだ。

 

 西欧では「老い」は恐怖らしいけれど、沖縄では認知症の老人が本人はもとより周囲の人間も病気と思わずに暮らしているらしい。(沖縄では、それは病気ではない)

 

 若い時は強い自我への憧れがあって、西欧的な上昇志向が当然だと思っていたけれど、その自我を見つめようとすると、科学的には東洋的な捉え方が合理的に思えてくる。上り詰めるより変わり続けるのが、生物の姿なのか。 

静かに伏せた竜                          20120626

 これは山陰で設計の機会をもらった旅館の写真で、パソコンの更新でデータを整理していたら出てきて懐かしくなった。

 

 川沿いの立地で、女将の一世一代の博打、温泉の掘り当てにも立ち会ったから忘れることは決してないと思う。

 もうご高齢になって、施設を手放されたのは少し残念だけれど。

 

 『山あいの川縁に、そっと降り立った竜』 が僕のテーマで、真上から見ると体をくねらせた竜が息を潜めている。(写真右側が頭)

 

 この写真と一緒に見た口コミ記事が微笑ましくて、本物かどうかはわからないけれど気に入ってコピーを残しておいた。

・・・・・※※のロープウェイに乗り山の上から川ぎりぎりに立っている建物を見て「きっとあれだよ~」と話していたのですが、お部屋に案内されてびっくりしました。

 部屋も(部屋付きの)お風呂も川に面した側は全面ガラス張りで景色を独り占めしている気分です。

 いつもはテレビばかり見ている彼がずっと川を眺めていました。

食事も本当に美味しいものだけが少しづつたくさん出てきて、「お腹いっぱい!」って言いながら全部平らげました(^_^;)

 お風呂にあった炭のシャンプー、コンディショナー、ボディーソープすごく良くて思わず買って帰りました。

 残念ながらお部屋には化粧水などのアメニティーはありませんが、大浴場にあったジェルはなかなか良かったです。

 次はカニのシーズンにどこにも寄らず、※※だけを満喫しに行きたいです(^^)v・・・・・

例えばペルー                            20120622

 

 ペルー弁当を続けて食べてみたら、その色合いがとてもきれいなことに気付いた。

 最初のころ買ったものは豆料理が多くて、僕の持ち運び方も悪かったから容器の中が動いてしまった。そのために、美味しいけれど見た目は今ひとつ・・・と勝手に思ってしまったけれど、それは間違いで、配色もよく考えられていることが後からわかったのだ。

 

 ペルーという国については、「コンドルは飛んでいく」とか、「花祭り」とか、民謡に馴染みがあるほかは思いつくことがなくて、サッカーも特には強くない南米の田舎の国、というのが率直な印象だった。

 だからペルー料理というものがあるとも思わずに、単にペルー人が調理しているからペルー弁当だと思い込んでいた。

 

 看板にも、ペルー人シェフが作る・・・という一文があったから余計にそう思ったところもある。

 

 でも、ひょっとすると・・・と思って検索してみたら、地味だけれどきちんと評価されていることがわかった。

 スペイン料理と先住民の食物の融合があって、中華の移民も加わったからインターナショナルな味になっているらしい。日本人の口にもとても合うというのは実感でもある。

 

 じゃがいもやトマトがペルーのあたり、インカ帝国原産とは知っていたけれど、唐辛子など香辛料の多くも原産だとは知らなかった。

 

 ジャガイモの無いドイツ。 トマトの無いイタリア。 唐辛子の無いインド。

 

 考えてみるとペルーに足を向けて寝られない。僕が知らないだけで、そんな国が他にもあるのだろうか。

平均律                                                                20120619

 

 僕はイヤホンを買ったことがないので、コンポが不調になってから車の中とパソコンが音楽を聴く場所になった。もともと、好きなジャンルが家族それぞれ違うので、大きな音で聴く習慣もなかった。

 

 電車の中では、本を読んだり目を閉じて騒音を聞いたりしている。扉の圧搾空気の音やモーターの唸り、線路の継ぎ目を乗り越える音やかすめていく踏切の音。吊り革のきしみ・・・自由奔放なクロッキーを見ているようで楽しかったりする。

 

 そんな調子なので音楽好きとはとても言えない。

 それでも他の人と比較をしなければ、音楽は好きだと思っている。

 

 仕事をするとき、一番良いのはバッハだと思ってきた。なかでも平均律のクラヴィア曲集などがよい。頭と心が澄んできて、とてもはかどるのだ。

 

 フェイスブックで知った日本画家のブログを読んだとき、製作中はバッハがよいと書かれていて共感した。「偉大な音楽家に申し訳ないけれど、バッハは私の労働応援歌だ」とも書いてあった。

 

 その画家が、ついこの間まで猫や料理の楽しい写真を投稿していたのに、今月初めに病気で亡くなった。

 コメント欄で何度かやり取りしただけだけれど、記事はいつも見させてもらっていたので、悲しい。どんな気持ちで平均律を聴いていたか想像してしまって、悲しい。

 

瓜南直子さん 享年56才

芸大美術館                             20120618

 昨日の日曜日、打ち合わせが無かったので芸大美術館に出かけた。

 

 ポスターにも書いてあるように、美術の教科書で多くの人が憶えている日本洋画の開拓者「高橋由一」の展覧会が開かれている。

 決して人気があると思えないのに、大勢の人が来ているのはやはり教科書の印象がとても強かったからだろう。

 

 以前は、アメ横から流れ込んでくる気配のせいで、上野自体があまり好きではなかったけれど、今はすっかり慣れて親しみのある街となった。

 上野恩師公園の、大道芸などで喧騒のある広場を抜けて、芸大の方まで歩くとしっとりとした町並みになる。ところどころはヨーロッパの街かどのようだ。

 丁寧に作られた建築群は、こちらの気持ちの骨格を整えてくれて、とても充実した気分になった。

 

 

 高橋由一は明治生まれだろうと思っていたら江戸時代の人で、油絵を描き始めたころは丁髷があったことに驚いた。

 有名な鮭の絵は明治になってからだけれど。

 道具もなく、技法も伝えられていない時だから、高橋由一は試行錯誤をくりかえしていて、同じ画家と思えない作品もたくさんある。

 

 へたくそなものも混ざっているので、絵画の成り立ちやタッチの質を観察するにはとても興味深いものがあった。

明るくない写真                           20120614

 

 数日前だけれど、曇りの隅田川の写真をフェイスブックに載せたら、何人かの友人が異国情緒があるとコメントしてくれた。

 昼なのに明るくなくても、自分でも気に入ることがあると発見した写真。

勇者と見物人                            20120613

 

 サッカーW杯予選の、豪州戦をテレビ観戦した。

 

 本田がケーヒルを倒してイエローカードを受けたとき、しばらくその表情がアップになる。

 しきりに大声でケーヒルに語りかけていて、それは 「自分は肩で行ったよな、お前分かってるだろ」 と言っているように見える。ケーヒルの姿は映らなかったけれど、本田の顔からアイコンタクトが成立したことがわかった。目の奥に人懐っこい光が見えた。

 

 夜遅くのニュースに、渋谷のスクランブル交差点の様子が映った。

 僕は残念ながらそちら側なので率直に言うと、若者達の軽薄とも言える熱狂は、本田とくらべると勇者と見物人の違いがそのままあった。

 

 草サッカーをしている時、スポーツを大学で教えている仲間が、しきりに 「スポーツは体育じゃないんだ」 と言っていた。(彼の祖父はラグビー日本代表だったそうで、そうしたことにうるさい)

 おそらく、スポーツは他の世界から独立していて、教育や鍛錬など、意味をみだりに加えてはならない・・・と言っていたのだ。

 

 南米ではサッカーの試合結果を巡って本当の戦争が起きたらしいし、また多くの国ではサッカーが貧困から抜け出す切実な手段になっていると聞く。

 本田も、最近まで試合直前は極度のプレッシャーから嘔吐に悩まされていたと読んだ。それでも・・・

 

 試合終了時、ユニフォームを交換する4番どうしの姿があった。ケーヒルは試合中の動物っぽさが消えて、ふたりで同じ空気を吸っているように見える。とても大切なものを見せてもらった気がして、スポーツの国、オーストラリアがとても好きになった。

美味しいお弁当                          20120609

 

 少し前にここに記したペルー弁当、しばらく前に記したおばあちゃん弁当。おばあちゃん弁当を最初に食べたのは、とても暑い日だったから少なくとも去年の晩夏だ。

 

 どちらもとても美味しくて、隅田川テラスで食べているととても満ちた気分になる。

 (昨日は、ずっと日なたにいて少し危なかった)

 コンビニエンスストアーのサンドイッチや、サラダ風のスパゲティなどもそれなりに好きだけれど、全然違うジャンルのように感じるのは何故だろう。

 

 

 初めて中村屋のレトルトカレー「スパイシーチキン」を食べた時、すごい完成度だと思ってびっくりした。でも、美味しさは変わらないのに、うれしかったのは初めの一回だけだった。

 そう考えると、デリーのカシミールカレーを月に何度も食べるのは、毎回味が違うからだ・・・と気付く。

 

 きっと、味はライブなのだ。味にゆらぎのあることが、同じ日が二度と来ない生活に対応していて、そこに感応が生まれるのだろう。

 

 やっぱり食事は、家族と人生にとって、最も重要なことがらなのだと思った。

 そして、僕の好きな弁当屋は、例外なく家族経営だ、とも気付く。

田舎暮らし                             20120605

 以前から 「田舎暮らし」 という言葉を聞いていて、憧れる人がいることを知っていた。僕は好き嫌いの前に、接点が薄いと思ってあまり関心が無かった。

 

 そうだったのに、去年の夏、瀬戸内海の直島を訪ねていきなり住んでみたいと思った。

 そして、その思いは心の中に生き続けていたけれど、最近ふたつの地方都市を訪ねる機会があって、どうやらそんなに単純ではないと思うようになった。

 ひとつは別荘地で東京と変わらないように思うけれど、もうひとつは地域の人の関係が濃密な地域だ。

 

 その土地土地の固有のリズムやリアクションがあって、それに心地よく同調するのは簡単ではないと気付いたのだ。

 

 自分のリズムを大切にし続けようとするか、それを壊しても別のステージに乗り出そうとするか、現在深刻とは思わないけれど、いつか深刻になるだろうと思った。

金星の太陽横断                         20120604

 

 3ヶ月でページを新しくしていたのを、4月時点でサボった。というよりも、写真を大きくして賑やかになった気がしていたのでまっさらにしたくなかったのだ。

 

 5月の終わりに、さすがに長くなったかなと思いながら記していたら、横線が入力できなかった。500だったか、同頁のアイテムの上限数があるらしい。

 最後の仕切り線だから、あと一つだった。これを悔しいと思うか、ほぼ完璧だと思うかはひとそれぞれだと思うけれど、僕の場合は「すごい!ぴったり!」

 

 

 明後日水曜日の朝、金星が太陽を横断するらしい。日本で観測できる次回は100年以上先というから、見なければ、と思う。

 その紹介記事で、朝7時過ぎから6時間半をかけて横断することを知り、少し違和感を持った。もっと短時間かと思ったのだ。

 

 考えてみると、地動説を知っていても、太陽を含めた空の星々が廻っていると思っているから、すぐに交差するとイメージしてしまうのだろう。

 

 この横断をしばらく眺めていたら、自分が地球と一緒に廻っていることが感じられるだろうか?

 

 以前の観測写真では、金星は米粒ほどですらなかった。確かに夜空でひときわ明るいとはいえ、形がわかるほどではないのだから、太陽に後ろから照らされたら米粒未満だろう。

 このあいだの日食は、目が危なかったと思う。明後日は余程注意しなければもっと危険だ。 みなさん一瞬たりとも直接見ないようにご注意ください。