雑感
設計とは別に思ったこと
週刊誌 20141225
学生時代はもちろん、社会人になってもいわゆるサラリーマン向け「週刊誌」には縁がなかった。
電車の中吊り広告を見ると、その見出しの文字が大きいほど興味をそそられることが無かったのがその主な理由。
ほぼ初めて手に取ったのはそんなに前ではなくて、高校時代からの友人、稲葉なおと氏の写真やショートストーリーなどが掲載されるようになってからだ。
先週、少し遠くに出かける時、売店で週刊文春を買ってみた。
楽しかったのはやはりコラムなどで、その一ページに池澤夏樹さんの書評があった。
氏のファンということもあって、紹介されていた「永続敗戦論」と「亡命ロシア料理」を買った。
「亡命・・・」はまだ開いていないけれど、前書は読み終えた。
散らかり放題の机まわりが見事にスッキリしたようで感激している。白井聡(1977年生まれの政治社会思想家)著。
似ている内容の本をいくらか読んでも余計にわからなくなったものが、一気に視界良好になった。最近出現するやや突発的な若手ヒーローのひとりに数えられる・・・というようなことを池澤氏も言っていた。
気まぐれに買った週刊誌でこんなことがあるのだから、どれだ機会損失をしているのだろうかと心配になる。でも、紀伊国屋に行くと目がくらむほど本が並んでいるのだから仕方ないか、とも思う。
青い夜(冬至) 20141222
「今日は確か冬至でしたね」、「確かそのはずです」打合せの後、そんなことを話しながらお客様と別れた。
太陽に対して一番のけぞっているのが今日なのだな、などと思いながら帰路に着く。
学生が冬休みのためか、混雑がおさまった電車で本を読んで最寄駅に着き、歩いているときに空が青いことに気付いた。空気が澄んでいて、目を休ませれば100の星が数えられるのではないかと思う。カシオペアを久しぶりに見た。
絵本にしたくなるような蒼い夜空に、どうしてかなと思っているうち、新月なことに気付いた。ふたつが重なった、静かな、もうひとつの聖夜。
爆弾低気圧 20141218
以前は聞かなかった言葉だけれど、ここ数日「爆弾低気圧」がテレビで何度も警告されていた。
予想気圧配置図を見せられると、北海道のあたりに巨大な親指の指紋があって、その等圧線は高密度だ。
何年前かの北海道で、ホワイトアウトに遭遇して、娘さんをかばって亡くなったお父さんがいたことを思い出す。
福井県出身の同僚が以前いて、ひょうひょうとしながらもその彼は世界各国を訪ねた経験があって、奥さんはブラジル人という国際派だった。静かなたたずまいに反して、「東京なにするものぞ」という気概にあふれていた。
その彼が、「東京にたったひとつうらやましいことがあって、それは東京の冬の空が青いこと」と言っていた。
志賀直哉の「城崎にて」がある兵庫県の城崎で旅館の設計をしたとき、一週間単位で泊まり込むこともあったのだけれど、冬の横なぐりの雪をともなった嵐には閉口した。「夢千代日記」(古過ぎ!)そのもの。
今日は快晴だった。現場では、ちょっとひるむくらいに冷たい風にさらされたけれど、爆弾低気圧は遠くにいるようだった。
買い物 20141214
何かを買う、ということがずいぶん長く苦痛だった。こんな服が欲しいと思っても、どこに行ってもそんなものが無かったからだ。
考えてみれば、欲しい服は、いつか見た映画や何年も前の映像のものだから、店に並んでいるはずもないのだけれど、それが不満だった。
そんな簡単なことに気付くのにずいぶん時間をつかったのがおかしい。
今日は久し振りにゆったりした一日で、(妻に急かされてもあったけれど)複数の店を覗いてセーターとシャツと靴を買った。とても良い気分になる。
時々だけれど、スーパーマーケットで大根や豆腐を買うのも楽しい。少し若いときにはなかった発見。
青みがかったモノトーン 20141211
もう一か月あまり風邪をひいている気分で、昨晩はどうにかしようと早く就寝した。
夜明け前というよりはもう少し深夜に目が覚めた時、それなりに満足感があって、すぐに寝なおそうとは思わなかった。目が慣れてくると、時計の針は無理としても大概のものの形や遠近が見えてくる。
それはモノトーンではないけれど、カラフルでもなくて、月明かりの夜空を薄くしたような印象だ。
ごく最近、色はエナルギー量の反映だとテレビで聞いたことを思い出す。続いて、「紫外線」のUVが、Under Violet ではなくて Ultra Violet ということに気付いた時のことも思い出した。「紫下」と「超紫」ではずいぶん印象が違う。
生物は太陽と太陽光があってスタートしたのだなあ、と思いながら、「日光浴から月光浴まで僕たちは選べるのだ」と思っているうち、また眠りに落ちた。
楽器を鳴らす 20141203
今通勤しているオフィスは新しいインテリジェントビルにある。
神谷町駅からホテルオークラに向かって来ると地下1階のロビーに着いて、六本木一丁目からだと1階のロビーに着く。
エントランスは吹抜けで一体化した二階建て構成なのだ。
その、吹抜け部分の下、バスケットコート二面分ほどの地下エントランスの中央に、自動演奏付きグランドピアノが置かれている。
普段、ポロンポロンとBGM的に無人演奏がなされているのだけれど、今日の夜はボーカルもこなすピアニストに、ベースとドラムスを加えた生演奏会が開かれていた。
少し聴いてみようかと思って座ってみたものの、あまり気持ちが惹かれなくてすぐに離れてしまった。(いつかの、城山ヒルズ前のビッグバンドを思い出してしまったので)
それでも、このピアノで発見したことがある。それは、月に一回か二回、昼時に開かれている生演奏での音の鳴り方の違いだ。
毎回別のピアニストが招かれていて、曲の種類もさまざまだし、その力量を判断しようなどとは思わないのだけれど、実力がバラバラなのか、その時々でピアノの音色が極端に違う。
好き嫌い以前のものがあるようで、やはり厳しいものだなあと思う。
自分の仕事において、うまく弾けなくても、せめて楽器は鳴らしたい・・・と思うことが、きっとその難しさを知らない証明なのだろう。
でも、やはりそう願う。鳴らしたい。
井上靖 20141130
「坂の上の雲」を題材にしたNHKのドラマがあって、その再放送らしきものを今日の昼頃しばらく見た。大河ドラマとは違うようだけれど、大変な豪華キャストで、撮影場所なども映画かと思うほど力が入っている。
「小説にあまり興味はないけれど、坂の上の雲だけは夢中になって読破した・・・」という友達が何人かいて、きっと面白いのだろうと思ってきた。実際、少しドラマを見ただけでもそれは伝わって来る。
何日か前、ふと目をやった本棚に「猟銃・闘牛」というタイトルの文庫本を見つけて、出勤のカバンのポケットに入れた。買ったときの記憶が無いけれど、ブックオフではないから結構前だったのだろう。
とても楽しく読んで、こんな小説を書いた井上靖は50を控えたころだったろうかと考えて、読んだ後に解説を開くと、34歳の時だったと判明して驚く。そしてそれは昭和25年の初版で、井上靖のデビュー作だった。
文庫は20年ほど前の増刷らしくて、ますますいつ買ったのかわからなくなってきた。井上靖という、あまりに平らな名前に、それが本名であってもなくても、強いメッセージを感じて敬遠していた時間が長かったのかなあと思った。
読後感としては、大変精緻な構築物を見せられたようで感心したけれど、やはり名前のようにとらえどころが見つからない印象が強かった。でも、社会は、70年くらいではそんなに変わらないのだなあとも思った。
冷たい雨
今日の雨は冷たかった。その中をしばらく歩いていると、自分の体温を感じたりする。
錦織選手や松山選手の活躍に熱くなったりするけれど、ここにある僕の日常。
花屋 20141124
8月末にお引き渡しをしたたまプラーザのお宅を訪ねた。
「落ち着いたらみなさんお呼びするので、遊びに来てください。」とうかがっていたので、期待していた。
お祝いを何にしようかと考えて、やはり消費できるものが良いと思い、花にすることにした。
インターネットで検索すると、いろいろなサイトに導かれるけれど、写真だけだと大きさもわからないし、どれも似通って見える。
たまプラーザの一件を選び出して電話すると、当日でも先客が無ければその場で作ってくれるということだった。
到着が遅れて心配したけれど、丁度目前のお客さんがレジを離れるところだったので、すぐにとりかかってもらえた。
幅や高さの目安を話して、二つのアレンジメントの色合いの希望を出す。二つにしたのは、奥様のお母様が北九州から合流されると聞いていたからだ。
目の前で見ていたかったけれど、時間が無い中邪魔だと思って店の内外で花を観察することにした。たまプラーザの「ラ フランス」という花屋さんは、ガラスケースをあまり使っていないので居心地が良い。
呼ばれて完成した姿を見ると、想像以上で嬉しかった。対話すれば、シンメトリーでない冒険もできるのだと聞いて納得。
残念だったのは、お母様が温かくなってからのお引越しということでお目にかかれなかったことだ。でも、ご家族の幸せなご様子を拝見して、美味しい料理をごちそうになり、滅多に手に入らないという鹿児島の焼酎をストレートで堪能させていただいた。
佳日。(差し上げた後撮る訳にもいかず、アレンジメントの写真が無いのが少し残念)
カラビンカ 20141116
およそ35年ほど前の町田商店街、おそらく1年ほどのあいだ、カラビンカという名前の店が存在した。
ひとくくりに言えばそれはジャズ喫茶で、みな温和しくレコードに耳を傾けていた。
みなと言ってもそれは僕一人か、せいぜい友人のT君と二人で、他に客を見たことは一度もない。
なぜ客がいないかというと、前衛ジャズしかレコードが無いからだった。そのころの前衛ジャズとは、音楽に関係するあらゆる規範から逃走するような衝動に駆られていたから、大変なことになっていたのだ。
だから僕は、聞いていて少しも楽しめなかったけれど、誰も来ない店を続ける店主に興味があってしばらく通った。
話しかけるような対象の店主ではなかったし、そんな気分とは程遠い僕だったから、無言のコーヒー代の受け渡しがあったばかり。
町田中央通りから路地に入った靴屋の上3階。
あの窮屈で白い部屋は、人類史上でも稀有なものではないかと思えてきて、それはちょっとすごいなあ・・・などと。
一条の光 20141115
今朝、雨戸を開ける途中でいったん離れた。戻ってみると、机の中央に置かれたドライフラワーに隙間から差し込んだ光が当たっていた。
手前でも感激しないし、奥でも気付かないだろう。なんだか、こんな風にタイミングが合うことがあって、面白いと思う。
若いころ未明に目覚めたとき、時計が僕の誕生日4:13を示していることが続いて、すごい偶然だと感心したけれど、きっとそれは前後に何度も目覚めていて、4:13に特別に反応したのだろうと思い至った。
でも今回はもう少し幅の狭いグッドタイミング。
漏れ聞こえるラジオ 20141108
映画では、部屋にひとりになって電気を消したとき、近所の世帯からラジオの音が漏れ聞こえてくるというシーンがある。
きっとそれはかなり古い手法なのだと思うけれど、その効果は大きいものがあって、それを何だろうと考える。
先日、雑誌でASMRという心理効果に関する記事を読んだ。
ニューズウィーク日本版にあった、3~40年前の絵画教室TV番組(アメリカ)に関するものだ。
カリスマ的な指導者が、落ち着いて心地よいトーンの解説を続けると、脳髄とか後頭部に甘い作用があったらしい。
僕もその番組は何度も見た記憶があるけれど、血気盛んだったのか癒されるようなことは無かった。(看板みたいに描くのに上手いなあ・・・などと)
でも思い出したのは、隣の幼馴染の弟がじっとおもちゃに向き合っている姿だ。そのとき後頭部がジーンとしていて、これは何だろうと思っていた、子供なりに。解明できなかったけれど、それには何か一定の条件があった気がする。
漏れ聞こえてくる夜更けのラジオ、違うけれど少し似ている。
汽水域で溺れる 20141106
最近、たまたまいくつかの計画が重なってそれなりに苦労していた。
この仕事は2日遅れたから土日に何とかしよう・・・今朝だったのに間に合わなかったからほぼ徹夜か・・・
まあ、そのくせ勤勉ではないのだからスケジュール回復は難しい。風邪もひいたりして被害甚大。
今晩、たまたま電話をくれた長女に話した時、休みと平日、昼と夜の汽水域でアップアップしている、と言って、我ながら上手いことを言うなあと思った。(笑)
自戒:真水、あるいは海水で泳げない魚は変な期待で越境しないこと。
祈りと笑い 20141031
「生きること」、を大上段に構えて考えたことはない。きっとそれは多くの友人だってそんなに変わらないだろう。
いくつかの病気が見つかって、処置を受けた人はとても多くて、だから心配するというよりは検査が過敏なのではないかと疑っている。小さながんのなんと多いことか。(ご本人たちには大変失礼でおゆるしください)
生きるとは何か、最初に記したようにわからない。ただ、祈りたい気持ちと笑う瞬間が大切だと考え及んだ。そんなに間違っていない気がしている。
祈ることと笑うことは、落胆することと泣くことと一対だろう・・・と思う。
ふと、そんなことを思った一日。
雲半分
昨日はうろこ雲の秋空だった。
今日は、もう少し空の青い明るい日だった。
雲半分と空半分だから、部屋は明るくなったり少し暗くなったりする。それをなんとなく感じていたら、一日が長かった。そういう気分は久し振り。
町田の小袖展覧会 20141026
今日は昼までになんとか必要な図面を仕上げて、昨日妻と約束した展覧会に出かけた。
地元町田市の、少し辺鄙なところにある博物館の小袖展。
きっと、たとえば上野での展覧会なら違った印象を持ったと思うのだけれど、
自宅のすぐそばで見る小袖(実際他で見たことはない)は、何か親密感のようなリアリティーがあって気持ちに迫ってくる。
このような衣装は、特定のひとたちの特定な場面に供されたと思っても、その圧倒的な存在感に驚くばかりだ。江戸前期から後期の小袖。
江戸中期のいくつかのものに、現代アートを凌ぐような自由闊達な意匠を見て感心する。まさに目を奪われて。
・・・
走る時計 20141024
最近、勤めている会社が新しい事業を構築しようとしていることもあって、打合せや相談する相手が少し錯綜している。
忙しくても、そのことを共有できれば乗り切りやすいのだけれど、それぞれ違うバックグラウンドの人と連絡を取り合うと、なかなかしんどいことになる。
以前、仲間と事務所を持っていたとき、多方面の元請け会社から同時にプレッシャーを受けたことを思い出す。今は木造なので工事規模が違うけれど、プレッシャーであることはあまり変わらない。
そんな風に日々を過ごすと、まるで期末試験を控えた高校生や、課題の提出が気になる学科生のような気持ちと生活になる。
このあいだ、しらじらとした外の空気を感じながらいつ寝ようかと思っていたら、突然たくましい拍子が聞こえてきた。
見ると、見慣れた時計(何かの信号で自ら標準時間に合わせる機能を持っているという)の、秒針が走っている。あきらかに一秒ではなくて何倍も早い。どちらかと言うとアンティークな丸い風貌がそんな意外な動きをするものだから、何かアニメの一場面を想起させた。
半周ほど疾走して、「これでよし!」というかのごとく日常に戻った。
ああ、君たちも頑張っているね、と思った。
監督さんと・・ 20141017
監督さんと初めに記したけれど、これは仕事の現場の話ではない。
自宅のある町田の隣家が売却されたので、傾斜地であることから解体と造成工事が初夏に始まっていた。
その工事の説明に4名の関係者が訪ねてくれたとき、「僕も設計なので同じような説明を繰り返してきましたから、余計な配慮は不要です」と答えた。
実際は、そのような説明は工務店さんにお任せなところがあるけれど、規模や地域によっては工事前の計画説明は設計の義務だから、その際、工事の騒音や振動、工事車両駐車の迷惑を厳しく訴えられることも少なくない。
だから、当たり障りのないことを言いながら、相当な負担になるだろうと考えていた。
今日、その一連の工事が終了したようだ。
そして我が家の感想は、気持ちのよい監督さんと作業員さんだった・・・というものだった。
これは驚くべきこととも思える。かなりの音と振動、それに工事車両だったのに。ヒントは笑顔と挨拶だっただろうか。わかったようで未だ人間心理が不思議でもある。
(槌音は聴きようによっては悪くないかも知れないなどと・・・明日から重機の音が無いのだなあと思ったりして・・・でも今度は新築する大工さんに腹を立てたりするかもしれない・・・)
森の精 20141013
仮りに「森の精」というものが存在するならば、それは音楽で僕たちの前に現れるのだろうと思った。
ボビーマクファーリンのモントリオール音楽祭のユーチューブを見ていて。
若手ミュージシャンのBONAやJORANEとのコラボでは、まるで彼らが森に棲んでいるように感じられて、実際さっき森から出てきたかのようなのだ。
都市という極めて高精度に構築されたものと、森の精と呼びたくなる音楽の並存。
おそらく、都市の機能がなければ出会えない森の精なのだろうと思い、でも、どこかの森で直に会ってみたいと思ったりする三連休中日の午前3時。ああ忙しい。(ワインを飲まなければとっくに終わっているはずだけれど・笑)
自慢話 20141011
なにが自慢かと言えば、高校時代の友人がアギーレジャパンのチームドクターになっていることだ。
少しだけ残念なところは、クラスが一緒になったことがなく、どちらかというと友人の友人という関係なところだけれど、この際それは無視しよう。
昨日ジャマイカ戦を見ているときも姿が映ったけれど、今日のニュースでは香川選手の脳震とう判断の映像があって、チームドクターの香取先生が大写しになる場面でもあった。
ひと月ほど前の就任お祝いの会では、ブンデスリーガの満員のスタジアムをテレビで見た印象を少し話した。彼はピッチで見る6万人の観客がどんなかを話してくれた。そう、鹿島のチームドクターを続けていたからそれはよく知った世界なのだ。
彼は高校のサッカー部時代、視察に各年代代表関係者が訪れる有名選手だったけれど、医学部進学に浪人しているときも、ひたすらボールを蹴っていたことで有名だったりする。かなりのハンサムでもある。
任期は次のワールドカップまでらしい。ただでさえ気になるイベントが何段も昇格した。がんばれアギーレジャパン!
ぶどう・・・と月 20141006
粒の大きいぶどうは、色が深くて皮も厚めなのに弾けるようにまるまると膨らむところがすごい。この絵はぶどうです。
今日は台風を押し切って打合せに出かけた。終わったとき、訪ね先の仲間が風がひどいからしばらく動かない方が良いと忠告してくれた。
それでは手持ち無沙汰なのでタクシーを探すと答えると、駅まで車で送ってくれることになった。
車の乗り降りだけでびしょ濡れになりそうなところ、自由が丘の駅に着いてみるとたまたま雨は落ちていなかった。そそくさとお礼を言って車を降りると駅の廻りの様子が変。
台風の影響で東急線は全線運転見合わせで、一時間あまり足止めされた。
朝の予報で28度という表示を見たから上着なしだったのだけれど、ずっと寒かった。(せめてクーラーを切って欲しいと思う)帰社後、晴れたころに事務所を出て、新宿で2件の用事を済ませて鵠沼海岸に向かう。このときになって28度になったから今度は汗をかいた。ちょっと踏んだり蹴ったり。
それでも、夜の月は深い紺の空に卵のように光を放って、台風もやっぱり悪くないなと思った。
地下鉄 20141003
地下鉄にはその路線によって匂いがあるらしい。
義父は兜町に通う生涯で、千代田線の早朝の匂いを何度か話してくれた。おそらく、行商のおばあちゃんたちが健在だったころのことだ。
それとは違っても、地下鉄には匂いがある。銀座線、丸の内線、千代田線・・・新しいところでは南北線や副都心線。
通過する駅や路線の状況によって、乗降客も違いを見せる。
東京は広いし、多様だなあと思いながら、寸分狂いなく動いていることに驚き、そして、そうなのかと思った今日。少しは行き違ったらよいのにと思ったりして。
マクファーリン3代 20140927
僕は、ジャズボーカリストのボビーマクファーリンが好きなのだけれど、最近その息子のテイラーマクファーリンが来日したりして記事になっていた。
テイラーは子供とのワークショップも継続していて、伝説と呼ばれる父親の威光など関係無いかのようなところが気持ち良い。
今日、久しぶりにボビーの動画を見てまた感激した。今まで、超有名だから紹介しようなどと思ったことがないけれど、考えてみると世の中の超有名人の、おそらくほとんどを僕は知らないのだから、知らないひとも少なくないと思い至った。
音楽のような人間。ボビーマクファーリン。
2355的に 20140927
学習院大学そばに計画している、女性専用アパート(ディズニー風になるかも知れない・・・(◎_◎;)・・・)の断面図を描いていたらパソコンがシャットダウンした。
コンセントに繫いでいたつもりが、大元で外れていたのだ。ソフトには15分毎の自動バックアップがあるはずだけれど、大体30分の作業が失われた。でも、考えている時間が8割だから、復元には数分かかる程度だろう。
それでも普段は落胆するのに、今そうでないのは直前に楽しい出来事があったからだ。
そのアパートの断面図に、スケッチとしてロフト梯子をアバウトに描いていた。そのうち、吹抜けに飛ぶ梁との干渉が気になってきて正確に描き直そうとしたら、その角度に1度の狂いも無かったのだ。とても小さな出来事だけれど案外嬉しい。記憶の情報が、数字の情報とピタッと一致したのだ。
朝読んだ友人のブログに、「旅のラゴス」の感想を見つけたことの方が、もっと「カチッ」というスイッチの入り方だったけれど。
「にいさん、ごうごう。」という細野晴臣さんの声が頭で鳴った。
日の出 20140925
今朝は故あって、午前3時半に起きて5時半まで製図した。
何もそんなに自分の時間を使うことも無いと思うのだけれど、いろいろ考えると必要な気がした。
5時半までと言うのは、やはり眠くて少し休んでから朝の支度をしたかったからだ。布団に入ってまだ空が暗いことに、(雨も横なぐりだったりしたけれど)感謝した。(ベッドの頭のすぐ上に東向きの窓があって、夏だと日焼けしたりする)
そういえば、一昨日秋分を超えたのだった。日の入りの早いことをつるべ落としと聞くけれど、もぞもぞと出てこない朝の日は何というのだろう。
ラゴス 20140918
筒井康隆氏の「旅のラゴス」を読んで、感激した。最後は電車中距離移動中で、ある予感が的中して思わず目に手がいって、慌てて状況を思い出して自重した。
内容について拙速で触れるのはためらわれるので、気持ちを即興イラストにする。これは、主人公ラゴスと多くの時間を共にする「スカシウマ」だ。
心でつながり、手綱やむちを必要とせずに走る。
ひとつだけ感想を述べると、「紫電改のタカ」の読後感に似ていたと思う。
僕は筒井康隆氏をほとんど知らないので、誰にも薦める材料がないけれど、たとえば「アルケミスト」を楽しんで読んだ人なら、興味を持つかもしれないと思った。(まったく保証の限りではないけれど)
鍋とパソコン 20140915
今日は、仕事と思わずに楽しんでプランニングを始められた。たぶん、ここに糸を垂らしたら魚が食いつくかもしれない・・・という釣り人のように。
そんな調子だから、動き回りながらの設計になる。昨日は妻と母との外食だったので、カレーを作ろうかと思った。
パソコンと鍋の往復。
特段ではないけれど、美味しいカレーができた。豚肉と茄子のカレー。
連休中日の朝 20140914
3連休の前の天気予報で、出かけたくなるような好天に恵まれるでしょうと聞いていた。
僕は、昨日が打合せで、今日明日も自宅で新しい提案を2件描き上げなければならないから、天気など関係ないと思っていた。
今朝、妻を車で送ったとき、町の姿がとても気持ちよさそうに見えた。昨晩の瞬間豪雨がいろいろ洗い流してくれたのだろうか。
テニスコートの上の道を通って、その楽しそうな様子にカーペンターズを思い出す朝だなあと思った。
こんな天気なら、提案も爽やかなものになってくれるに違いない。
名前 20140912
スカシウマ、ミドリウシ、ビタハコベ、リゴンドラ、ムルダム、ヤシ、デーデ
・・・これは昨日書店で買った筒井康隆氏の「旅のラゴス」という小説の冒頭に並ぶ名詞だ。(昭和61年刊)
筒井康隆さんの本はあまり読んだことがないので、このゴツゴツした音感が氏の個性なのか、物語に必要だったイメージなのかはこれからの楽しみだ。
そんなことを思いながら、電車で友人たちの名前を頭に浮かべてみた。
○○○君、△△△さん、□□□□君、みんな、その名前と雰囲気が融合している。その姿や声と、名前をセットで覚えているのだから当たり前だけれど。
名前には姿を発見されて付けられるものと、人間のようにほぼ先に名前があるものがあるだろう。
だとすれば、少しの割合だとしても、人間は自分の名前を追いかけることもあるかも知れない。(ほぼ無意識に音楽作用として)
僕が生徒のころ、日本のローマ字表記が「NIPPON」に統一された。
大人はセンスが無いなあ、と当時感じた。音の強さと外国人の発音のしやすさが理由だった気がするけれど、それは JAPAN に任せればよいと思ったのだ。
「私はにっぽん人です」というひとと、「私はにほん人です」というひとに会ったら、迷わず後の人と親しくなりたいと思うだろう。僕の場合。
埋もれたキラリ 20140908
車の調子が低下してきたので、来年3月の車検を前に買い替えかなと妻と相談していた。
急ぐ必要はなかったけれど、車のショールームを見かけて立ち寄ってみる。9月は半期決算とのことで、どうぞどうぞと勧められる。その効果のほどは知らないけれど、期限を切ってもらうのはこちらのモチベーションにもつながるのでその気になった。
考えてみると、これまでは子供達の送迎なども判断基準になっていたけれど、今は違う状況だ。どんな車にどんな気持ちで乗るのか・・・と聞かれたようで、それなりに考えさせられた。
妻が選んだ日産車と欧州車は可愛らしい車で僕も好きだけれど、それが最善かと勝手に自問すると、少しのためらいがあった。
最終的に選んだのはトヨタの「RAV4」。妻は喜んで賛同してくれた。
契約を終えてとても満足しているのは、地味かもしれないけれどひとつひとつの線に開発者の気持ちがうかがえるからだ。奇抜に走らない、見栄を気にしない、エクスキューズ不要、自足したい。そんなことを考えるうち、半月ほど前に出会ったグランドキリンを思い出した。僕の設計もこんな姿でありたいと思う。
この車で日本を走ってみたい。
夢と朝 20140904
今朝、とても幸福な気分で目が覚めた。
それは、直前に見ていた夢が鮮やかで、なおかつ気持ちの良いものだったからだ。
沖縄の友人T君宅を訪ねてみると、それは絶壁の上でたどりつけないと一旦はあきらめる。それでもなんとか着いてみると、その民家風の建物はさすがに夢らしく、洞窟通路も含めてさまざまな高さで海に接していた。
(実際の沖縄の友人は、大学時代の仲間で今は那覇でバーを経営している)
海は青から緑までみごとな諧調を見せていて、素直にうっとりする。
目覚めた直後は自分の色彩感覚に大きな自負を持ったけれど、実際のところそれは見たことのある色が何分の一かで、あとはテレビ映像の記憶だろうと思い至る。
夢の中の友人T君は大家族で、近所の友達やその子供たちまで集まって僕たち夫婦を歓待してくれた。(これはきっと、田舎を訪ねる紀行番組の影響だ)
珍しく、ひとかたまりの統一された夢だったから、より印象が強くて手応えがあったのだと思う。
そして目が覚める。
大変な幸福感の中に、今日の予定がよぎって落胆する。明日の申請などの手続きに向けた図面と、書類の整理が半端ではない日だからだ。
あまりの気分の落差に、幸福な夢で目覚めることは不幸ではないかと疑った。
かなり残念な気持ちが、朝食時のTVニュースで知った錦織選手の活躍で少し浮上する。セットカウント2-2を確認して出かけて、通勤電車で錦織選手の勝利を知る。
俄然やる気が出てきて復活した。V字回復の朝だった。
時空 20140831
少し前に時空という言葉に触れたばかりだけれど、今日は繰り返しでもう一回。
昨日は横浜山手に新しいお客さまを訪ねた。夜は友達の集まりだったけれど多少の時間差があったので一旦帰宅した。今日、日曜の打合せのために図面を増やしたかったから。それでも、A3は自宅でプリントできないのでUSBに落とし込むことにする。
そのとき、USBがごちゃごちゃしていたので、いくらか整理しようと思った。念のためと思って消去の前に開いたフォルダー、その一枚が下の左の写真だった。
一昨年の上海見学で訪ねた蘇州。
カメラを手にして歩いていたとき、子供が吹いたシャボン玉が流れてきた写真。
たぶん、この旅行で一番気に入っていたものだったから、それが突然現れて少し驚いたりした。
新宿でのお祝い会から何とか終電で帰って、目覚ましもかけないのにちゃんと起きて(自慢:笑)打合せに向かう朝、道端に目に留まるものがあって拾い上げた。ものを拾うなんてずいぶん久しぶり。
それは上海から移動してきたような球だった。今回は水ではなくてガラス。
打合せの帰り、目白駅で写真を撮った。時空。
悲しみ(紫電改のタカ) 20140829
なんとなくくすぶっていた思いを、冷泉彰彦さんのコラムが晴らしてくれた。
それは、このあいだ見た「風立ちぬ」と「永遠の0」に関するもので、冷泉さんのコラムは2月のものだから、なぜ今日行き当たったのかは少し不思議だけれど、何かが呼んでくれたのかも知れない。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2014/02/post-624.php
ここには、特攻隊をどのように見るか、見るべきかが表明されている。
冷泉さんは常に冷静沈着論理明晰で、そのあまりの明晰さにうんざりするくらいだけれど、今回もまた頷かされてしまった。
僕は、以前にも記したように戦闘機に多少の興味があるので、「永遠の0」は新しい本を手に取らないのに珍しく読んでいた。
面白がっていたのに、これから最終章というところでやめてしまったのは、違和感というよりは既視感があったからだ。
「紫電改のタカ」という、ちばてつやさんの1960年代の漫画が原因。
これを読んだ時の気持ちを、常に下回っていたからだと思う。
その理由や考えるべきことが僕には曖昧だけれど、冷泉さんが霧を晴らしてくれたポイントは、「悲しみを加工してはならない」ということのような気がする。
悲しみは、克服してはならないし、そっとそばに置いておくものなのだと思わされた。
海に下る坂 20140825
先週はとても暑苦しくて、外を歩くのに閉口した。
でも、何か退潮傾向も感じられたので反発はしなかった。さすがに、昨日今日の天気予報によると、どうやらあれがピークだったと思える。そうすると、夏が行ってしまうことに戸惑いも覚えるのだから身勝手なものだと思う。
いくつかの夏の風景を思い出したなかに、瀬戸内海の島を自転車で駆け降りた場面があって、それにつられて下り坂の先の海を思い起こす。
道路と海ということでは、湘南の腰越のあたりとか、湘南国際村からおりてきた信号とか、逗子のたいらなT字路とか、地名が思い出せないけれど江ノ電の踏切越しの海とか、横須賀とか真鶴とか熱海。いろいろな景色を思い出す。やっぱり海は魅力的だ。
ひとつ思うのは、自分が車ででかけたことも多いから無責任になるけれど、車のない海の風景が何と言っても良い気がする。
長崎に行ってみたい。
お披露目会 20140824
一昨日のたまプラーザでのお披露目会は、思ったより多くのお客様をお迎えできて、盛況のうちに終了した。
午後早めの時間に予約が集まったことがあったけれど、熱心なお客様のすがたに感銘を受けた。
竣工写真はしばらく先として、数点の写真を撮らせていただく。
これはその一枚で玄関を撮ったもの。
とても楽しい一年だったこと、建て主、建設会社ほかのみなさまに感謝申し上げます。
描いてみた 20140822
最近多少忙しいので、短い時間でリフレッシュする方法を考えてみたら、リフレッシュしようと思わないことが大事なんだと思い付いた。
思い付きの域を出ないけれど、忙しいと思う気持ちが錯覚ではないかと考えてみると、意外とそうかも知れないと思う。
というわけで、テレビを消して、何度かスケッチブックを取り出してみた。
うまく描きたい欲求と、自分だけの時間を大切にしたい欲求が交錯するようになって、何か気持ちに変化があったように思う。
描いた絵は、月と即興の犬もどきです。
子供たちが自立の道を歩み始めると寂しいけれど、こちらにも変化があるのだなあと思ったりする。夜が身近になって、それは良い兆候だと思いたい。
冷やっと 20180819
テレビを見ていたら、椎名誠さんがカタログハウスのコマーシャルで「冷やっとするシーツ」の感想を語っていた。
我が家のシーツは同じメーカーかどうかは別として、似ている機能を持っていて思わず感情移入する。
いつからかシャツにも同じ機能があって、先鞭をつけたのであろうユニクロに感謝してもしきれない。
ただし、今日はお客様の家へと20分炎天下を歩いて(バスがまばらでしかも駅前ロータリーが無くてタクシーがつかまらない)、そんな機能を自ら吹っとばしてしまった。風があったからまだ良かったものの、これだけ汗をかいて電車に乗って良いものかと気になった。
空いていない車内で、極めて近くに居た学生女性グループの会話が途切れなかったから、ご免なさいと忘れることにする。
それにしても、お客様を無理して訪ねる理由が大工さんのとんちんかんだったのだから、「勘弁してくれ」と思う帰り道でもあった。(日頃からいろいろ感謝しているけれど、やっぱり勘弁してほしい、熱暑で冷やっとなんて。誤解が解けたのは良かったけれど。)
初島 20140817
福岡に居る長男が、研修と夏休みで3週間帰省した。
友達に会うことが忙しそうだったので、特に何も計画していなかったけれど、妻は一泊くらい出かけられないかと考えていたようで、相談すると本人も喜んだらしい。
妻は長女も誘いたかったけれど、さすがに結婚したばかりなので自重したようだ。
15日~16日というとても予約が難しそうな日なのに、熱海に確保したと聞いて少し驚く。
着いてみるととても眺めの良い部屋で、初島が望めた。
翌る日、高速船で渡って歩いて一周した。一時間弱だったけれど、日差しがとても強かったので案外ハードだった。(初めて雨が降らないのに折りたたみ傘を差した。意地を張っている場合ではなかったのだ。)やはり海か山に触れると、夏が身近に思える。
風立ちぬ「草木・風」 20140813
今日は工務店とのスケジュール調整から、夏休みにした。
ゆっくり起きて、晩御飯を考えて買い物などしてみたついでに、DVDを二枚借りる。「風立ちぬ」と、「永遠の0」。(流行りからは常に遅れているので)
去年は河口湖と所沢、上野の3か所でゼロ戦を見たから、遠巻きの戦闘機ファンではある。
(小学生のころは、メッサーシュミット、スピットファイアー、P-38、ヘルキャット、グラマンなどなど、たくさんプラモデルで作ってペイントもした)
「風立ちぬ」は、関東大震災の状況など、描写が大変だったとテレビ番組で見聞きしていて、それはもちろんすごかった訳で、でも感情が揺さぶられたのは緑、草木の様子とそこに吹き渡る風だった。
宮崎監督とは年齢差があるけれど、どこか共有していると思う風景がある。
豊かさとは何か、汽車の存在感や乗客の過ごし方、それに情報の少なさなどが作る環境など、考えさせられる時間があった。
これからペルセウス座流星群をちょっと観察してみよう。雲はどうかな。
雲上の飛行機 20140809
夕方帰宅して、屋上に出てみる。
飛行機の音が高くから聞こえてくるけれど、雲が立ち込めていて姿が見えない。
晴天時、一万メートル(?)上空を飛ぶ飛行機は砂粒ほどの十字架に見える。(白くて時に銀色)その記憶の光景を曇天に重ねてみたら、空の立体感が増した。時空という言葉を思い起こして、どちらの空もいいと思う。
近所の坂をおりる軽自動車の音。すれ違って坂を駆け上がる原付バイクの音。
そして鳥の羽音と鳴き声。圧巻は蝉の合唱。夏の夕方だ。
パッケージ 20140806
今日は完了検査の立ち合いがあって、無事終了した。
夕方に終わることはわかっていたので、その後は休暇に決めていた。明日までの図面提出があるので、自宅籠城なのだけれど。
でも、そんなことを忘れて、一年を超えたプロジェクトの節目がうれしかった。
自宅に向かう電車の中吊りにグランキリンを見かけて、買って帰った。
とても美味しかったし、加えて心動かされたのはパッケージ。
自分たちを満足させるためにまずは作りました・・・というのがひしひしと伝わってきていいなあと思う。良い日に良いものに出会う幸運。(明日への負担感はそのままだけれど・・・)
記憶もう一話 20140802
先日の再会が引き鉄か、今日の日差しで思い出したこと。
受験指導やそうしたカリキュラムなど何もなかった都立高校だったので、自覚的な生徒は別として、過半の同級生は浪人が当たり前だと思っていた。
特に僕の場合、心配は受験の失敗ではなくて、予備校の入学試験の難しさだった。少子化の後の若いひとにはわからないかもしれないけれど、当時、御茶ノ水の駿台予備校東大コースは東大に受かるよりも難しいとされたものだ。そんなはずないけど。
で、僕は最初の駿台試験で京都校しか受からなかったので(現役時代京大に挑戦した・・・とりあえず)、その後受かった河合塾に決めた。
関西拠点の河合塾が東京進出した二年目で、東大受験コースというキャッチフレーズが、なんとなくおさまりが良いように感じられたというような理由で。
前置きにエネルギーを割いてしまったけれど、覚えているのは河合塾での昼休み。真夏の。
東北沢という各駅停車しか停まらない駅で、河合塾駒場校は住宅地の中にあった。
エントランスのそばには、隣接したアパートにアプローチする十段ほどの階段があって、8月の真ん中あたり、ぼくはそこに座ってショートホープを吸った。
周りが見えなくなるほどの今日のような日差し、それを脳天から浴びていた。ショートホープの先端を見ながら吸い込むと、火が跳ねてジリジリと大きな音がした。でも、僕の肌も、容赦のない日差しにジリジリと音を立てていた。何を焼きたかったのか、今となってははっきりしないけれど、僕の青春のいちページ。クラクラを求めていた。
再会 20140729
一昨日がコマーシャルなので、その下に記します。(笑)
8月23日 20140727
いつもとは違って、コマーシャルをします。
8月23日土曜日に、たまプラーザで竣工する住宅の完成お披露目会があります。普段は竣工とお引渡しがほぼ同日なので、ご覧いただく時間が無いのですが、今回はお客様のご厚意で実現します。
工務店さんの主催する会ですが、連絡をいただければどなたでもご覧いただけますので、建設予定の無い方も、たまプラーザという駅に降りてみようと思われたら、ぜひ足をお運びください。(arami.shinichiro@mx.bels.co.jp)
お客様から最初のメールをいただいたのが一昨年の暮ですから、もう一年半になります。
大変エネルギッシュなご夫妻で、もともと広い敷地なのに、地下緩和・駐車場緩和・小屋裏緩和などを総動員して、A4一枚くらいの余裕しか残さずに与条件を使い切りました。(設計者は冷や汗の連続です)
地上1・2階は特殊木造で、大きな窓に外付けプラインドを設置しています。柔らかい雰囲気です。
一方、地下は音楽室と書斎という部屋構成から、木質とは違った気配の場所になっています。
そろそろクリーニングに移行しようかという昨日、写真を二枚撮りました。
書斎の扉の横スリットがバッチリ決まって大変うれしいです。音楽室の黒板も、どのように使われるか想像するとわくわくします。
土曜日です。ぜひお越しください。
それではあらためて「再会」 20140729
ガラガラっと引き戸を開けて「こんにちは」と言うと、「こんにちは、いらっしゃいませ」という返答があった。
妻と食べに来たのは、何度かテレビでも紹介されて、雑誌のカレー特集でも見ていた小さなカレー店。
町田の仲見世という、ちょっと名物になったふるーい商店街の一角。
カレー好きの僕としては、食べてみたいなあと思いながら、近いからいつか・・・、と思う店だった。
カウンターについてメニューを見た妻が、「辛さはお好みを」という一行を見つけて教えてくれた。
「少し辛めにしてください」と頼むと「カレー専門店だからファミリーレストランと比べると普通でも辛いですよ」と店長。
「カレーが好きで少しは専門店にも出かけます」
「そうですか、それでは今日も遠くから?」
「いえ、隣駅です。なかなかタイミングが合わなくて」
「玉川学園?」 「そう」 「何丁目ですか?」 「なぜ?」 「私も玉川学園なので」 「そうですか、1丁目です」 「ああ近い、私は3丁目で、中央幼稚園から降りてきたところ」
妻が「小室さん家の近くね」と言ったところ、「小室さんをご存知?」と聞かれ、「ええ、お兄さんの方を良く」と答えた。店長が「僕は弟と遊んだ」と言う話なので、 「店長は何年生まれですか?35年?」と聞き直すと 「よくお分かりで」 「そしたら小室さんはふたつ先輩ですね」 「私は早生まれですから」・・・えっ・・・35年の早生まれ?
アサノカレー、アサノカレー、アサノ、アサノ、あさの、あさの、浅野!
「えーっ浅野?」 「ひょっとして荒美?」
40年振りの再会。
こんなことは特に珍しくもないかもしれないけれど、感激ひとしおなのはその接点が面白いから。なにしろ1学年12クラス、全校で1500人をはるかに超えていたので知らなくても不思議はないのだ。
中学2年生の昼休み、バレーボールが僕の頭を超えたから右回転で振り向いたその一瞬、浅野くんが別のボールを追いかけた進路を塞いでしまって激突した。
勝負はおでこが強靭だった浅野くんの勝ち。
僕は自分の下駄箱もわからなくなって、友達に連れて行ってもらった教室ても席がわからずに、その後の数学の授業中に手を挙げた。
「何かおかしいので保健室に行っていいですか」
保健の先生と雑談しながら出掛けた救急病院で、レントゲンの結果、僕は側頭にヒビが入っていて一か月近く安静にしたのだった。
「あの時は悪かったね」 「お互い様だね」
再会、うん、再会。それがまた出会い頭。そして店主の顔から浅野君にたどりつくのに3秒。たった3秒で40年を駆け抜けた。
昼の時間配分 20140722
VIE DE FRANCE という店は十数年前に表参道駅構内で目に留まり、そういえばあちらこちらで看板を見ていた。
自分が入る店ではないような感じで、特に意識もせずにただ前を通り過ぎていた。神谷町にオフィスが移って、改札から出て最初に見るのがその店になっても、入ってみようとは思わなかった。
今現在現場を進めている工務店さんが茗荷谷にあって、その改札前にもその店がある。
ある日、お腹を空かせて打合せに間に合わそうとしているとき、窮余の策でその店に入ってパンを購入すると思いのほか美味しかった。
最近、偶然だけれど歩きながらのコンビニエンスサンドイッチが何度か連続した。
今日はあるお客様と女性専用アパートの視察に同行する予定があって、昼過ぎまで粘りながら出発の時間を見計らっていた。事務所を出ると、何か楽しい気配があって、それはブラスグループが大きなビル前で聴衆を集める、昼休みの生演奏だった。
評価などできないけれど、大変にノリが良いようで立ち去り難い。
待ち合わせの時間を意識しながらぎりぎりまで演奏を聴いた。
案の定、目的地の私鉄沿線で降りたときには食事の時間などなかった。でも、目の前に VIE DE FRANCE を見つける。少し救われて、歩きながら食べた。演奏があれほど魅力的でなかったら座って食べられたのに、と思いながらも、楽しい演奏でああよかった・・・と思う。
派手さは少しも無かったけれど、どんな活動をする人たちなのだろう。
終わってみれば美味しい×2の昼。
関東地方 20140720
昨日は北春日部で棟上げがあったので、電車で出かけた。自宅のある町田からは、小田急線で代々木上原に行き、千代田線を経由して北千住で東武線に乗り換える。
春日部は東京を起点にすると、町田と似ている距離感だけれど、僕としては普段の2倍なので結構遠い。
北春日部の駅前は市街化調整区域の田んぼなので、一層遠くへ来た感がある。
この家は、建てこんでいる住宅地の対策として、建物を45度回転して配置した。柱梁の骨組みが出来上がってみると、その効果が感じられるようで嬉しい。
いつの間にか時間が無くなったので、サンドイッチを食べながら駅へと急ぐ。このとき、田んぼの真ん中の畦道を自転車で走る女子中学生を見かけて、そこに二羽の白鷺が被った。まるでアニメのようなショットだったけれど、カバンとサンドイッチで両手がふさがり、シャッターチャンスを逃した。残念。
駅に着いてやって来た電車は中目黒行きで、通勤時の日比谷線だから不思議な気がした。
午後は大網だ。
同僚の奥さんのご実家がリフォームを検討されているとのことで、同僚と一緒に視察兼打合せに訪問した。
武蔵野線で南越谷から南船橋に回り、蘇我を経由して外房線で大網に着く。大網は、県道沿いに各種店舗などが揃っているけれど、駅は写真のようなところだった。
大学時代の友人が東金のひとで、夏休みに何日か遊びに行かせてもらったけれど、その時は旅行気分だった。それが大網の少し先。
帰りは特急で威張ってビールを飲もうとしたけれど、結構混んでいたのでおとなしく飲んだ。ほぼ普通電車と徒歩で、移動時間7時間超の一日。自分にお疲れ様と言いながら、移動が少しも嫌いでないことを確認した。
ガソリンスタンド 20140718
現場に車で出かけようとしたら、エンプティーサインがあった。
時間にはだいぶ余裕があったのでガソリンスタンドに立ち寄る。僕たちの若いころには自分で給油するなんて思いもしなかったのに、いつしかそれが普通になっている。
片岡義男の文庫カバー写真の多くを憶えていて、その一枚にガソリンスタンドの給油場面があったことを思い出す。今朝は、丁度手元にカメラがあったので撮ってみた。アングルが違うし、それ以前に似ても似つかないことに失望して撮りなおそうとすると、今度はカメラがエンプティーを示した。
帰ってきて加工してみてもイメージからはほど遠い。けれど、初めて加工してみたので採用しよう。
その片岡義男さんの小説タイトルはなんだっただろうか。
少し探しただけでは見つからないけれど、ハワイのサーファーを題材にしていたことは間違いない。
サーフィンをすることを優先して、ガソリンスタンドに限らないとしても、楽しそうに日々の糧を補っていたというイメージだ。
ついでにビッグウェンズデーという映画を思い出して、少しノスタルジーにふけったりもした今日。
赤青(緑)黄色 20140712
一人きりで考えること、二人で考えること、三人で考えること・・・
今度のプロジェクトは、お客様と僕と、そして工務店のデザイナーの3人で進められたらと考えている。
それはただ単純に、良い家を作ろう、お客様に安心して楽しんでもらおう、という動機で思い付いたことだけれど、案外素晴らしいことかも知れない。
直線、平面、立体・・・次元が増えた方が良いとは限らないとしても、少なくとも多様性という豊かさを獲得できるはずだ。
先日、現場打合せが思ったより延びて昼を過ぎた。最寄り駅まで歩くとき、広くてよく整備された公団住宅に心地よい場所を見つけて、ベンチで弁当を食べることにした。ピクニックのように。
食べている間に、たった一人通り過ぎたおばあちゃんがにっこり微笑んだ。
コンビニエンスストアの弁当や、各種レストランやファーストフードも、美味しくするために大変な力を注いでいるのだと想像する。
でも、録音とライブのように、完成度ではない臨場感という物差しで計れば、そうした出来合いの食事と弁当では全く違った喜びがある。
三原色の取りあわせを考えるだけでも楽しくて、三・・・という数字は面白いと思う。(今思い付いたのは、大葉とトマトとチーズにオリーブオイルをかけて!) 四にするともっと楽しいのか?そして四番目はどんな要素だろう。
西新宿 20140706
西新宿のリクシルショールームで、お客様とアルミサッシや室内扉、ユニットバスなどいろいろ見学しながら方向性を定めようとした。
実際には既製品ではなくて現場で製作してもらうものが多いのだけれど、メンテナンスフリーなど、工場製品には優れたところがあるので、ベースは既製品に置いた方がお客様は安心されるようだから。
キッチンもあるし、洗面化粧台やフローリング、細かく上げれば選ぶべきものはいくらでもある。
さすがに3時間では一通り見るのが精いっぱいで、いくつかを仮決めするに留まった。
僕もそれなりに疲れたけれど、いつも感心するのは案内してくれる女性係員の几帳面さだ。図面を片手に、分厚いカタログ持ち歩きながら、質問のたびにページを繰って説明し、ひとつひとつを確認してメモしていく。
商品知識が求められて、なおかつ笑顔を絶やしてはならないのだ。
蛍の光を聴きながら、それから30分が確認のために費やされて、ショールームを後にした。
日曜日の夕方、サラリーマンが少なくて少しおっとりした空気の中、西新宿から小田急線新宿駅へ歩きながら、頑張っているなあ・・・と思った。
東京(その一風景) 20140703
今日は、プチ入院から帰宅する母を御茶ノ水まで迎えに行った。一人でも大丈夫と言うけれど、僕はやりくりできる状況だったので車を出したのだ。
御茶ノ水から大手町を通って、虎ノ門や青山を通り過ぎると、その景色に母から嘆息が出たりする。「いつの間にこんな街を作ったのか」と・・・
電車では美術館に出かけたりしているのだけれど、コースを外れて初めて見る景色も多くて感激しきりの様子だ。
東京に住んでいることと、東京を見ることは別のことだと感じながら、それは自然だとも思ったりする。むしろ東京から離れていればハトバスなどを考えたのだろうけれど、その感覚は僕に無かった。また一方で、母の本当の関心は、郷里にあることも再確認した一日であった。
途中の寿司店でプチ退院を祝って、国道246号線で帰宅する。
夜は、金時豆と牛挽肉のスパイシー炒めと、じゃがいもスープを楽しんだ。
じゃがいもスープにパセリがあったらよかったのだけれど、切らしていた。それでも美味しかったのでグッドです。
自由な動き 20140629
スアレスまで去ってしまった。
FIFAの判断がどのようなものか知らないけれど、僕は怪我をさせた訳でもないのに・・・と残念に思う。
昨日は終日打合せで、そこには7年ほど前に自宅を設計させてもらった、仲間(先輩)のガラス工芸家:岩﨑さんが参加していた。
岩﨑さんが担当するのは、玄関と書斎の間のステンドグラスなど5箇所のガラスだ。先々週最初の打合せをして、昨日はイメージの模索だった。
お客様とのやりとりを見ていて、デザインの人が線を自由にあつかうことに羨望を覚えた。
我々設計者は、基本的には直線を繋げていくのに、彼は自由に折れ曲がり回転する。
工芸、美術作品と住宅建設・・・コストへの影響額を考えれば自由度が違って当然だけれど、うらやましかった。
今日は妻が長女とさくらんぼ狩りに出かけて、完全オフの僕は屋上でスケッチなど試みようとした。のんきにしているうち、雨雲が立ち込めたので部屋に避難した。
「自由な線かー・・・」と思いながらスケッチブックに悪戯書きをしてみたら思ったよりは気に入ったので写真を掲載しよう。
でも思うのは、もちろん僕のは暇つぶしだけれど、抽象画家という人のエネルギーだ。特にミロが好きだ。
噛みつきスアレス 20140627
少し遅くなった仕事を終えて帰宅したニュースに、噛みつきスアレスがいた。
笑っちゃいながら、何かが流れ出た。
ワールドカップが盛り上がってきたとき、注目選手を紹介する番組を複数見ていた。数々の名ゴールシーンを見ながら、ひときわ気になったのがウルグアイのスアレスだった。他の選手がスポーツしているのに、ちょっとチャンネルが違うような気配を感じたからだ。
だから、今回のワールドカップの注目は、ネイマール選手とメッシ選手、他にはあのひとあのひとになるけれど、筆頭にスアレスがいた。
そしたら、イタリア戦ゴール前で相手選手に背後から噛みついていた。信じられない。笑った。
噛みつく人と、たまにでも対戦する日本代表に同情というか思いを馳せる。
反則や想定外の行動を讃えるつもりはないけれど、なにか今朝の気分が払拭されたように思った。スアレス!!!
1-4 20140625
日本代表は頑張ったのだと思うけれど、悔しがることも取り上げられたような敗戦に、気持ちを持っていくところが無い。
ああ、
モチベーション 20140625
もうしばらくするとワールドカップ第三戦、vsコロンビアが始まる。
テレビではいろんな人がいろんな意見を言っていて、とても盛り上がっているようだ。
客観的に見れば難しいとわかるけれど、僕はただ頑張ってほしいしなんとか勝ってほしいと思うばかりだ。
それでも、何か心穏やかなところがあって、それが何故かと考えてみたら、勝っても決勝リーグ進出が保証されていないことだと気付いた。
日本は、グループリーグ最強のチームに勝っても、その後どうなるかはわからない。だから開き直る選択などなくて、もう開き直ったのだ。
昨日の夜、観た映画はコロッセオで殺し合いを命じられる奴隷剣闘士の物語で、映画ではあるけれど、結果を恐れない澄んだ気持ちが見ていて頼もしかった。(ポンペイ3Dバージョン)
先日ストレスについて触れた記憶がよみがえって、それではモチベーションとは何なのだろうと考える。
今日のところ、モチベーションを支えるのは材料が揃っていて結果がイメージできることだと思う。(料理もそうかも知れない)
繰り返しになるけれど、正しく知ることがとても大切なのだと思った。
がんばれ にっぽん!!!
ストレス 20140622
今日はストレスフリーな日だったので、ストレスについて考えた。日頃ストレスとどのくらい親密かはわからないとしても。
いきなりの話題ではあるけれど、いわゆる河野官房長官談話の検証結果報告が、20日に国会でなされた。韓国は反発しているようだし、この報告が妥当なものかどうか、断じるだけの知見がないけれど、僕はこの方向性で発展して欲しいと感じている。
このことには前にも触れた記憶があって、日本は相当の覚悟をもって謝罪するべきだと思うけれど、しかしその謝罪の根拠が公開されなければ覚悟など定まりようがないからだ。(報告書全文が読売新聞ウェブサイトに掲載されている)
今まであったストレス。それは知らないことがあるということ。
そして、知らしめまいとする一部の人間が居るということ。何をいまさら・・・かもしれないけれどストローマンと併せて考える日ではあった。
昨日に続く夕食は、トマトと玉葱、ガーリックで作ったソースのパスタと、鶏腿肉の煉瓦焼き(押さえつけて焼くだけ)など。
なんだか昨日とよく似た姿になってしまったけれど、それなりに美味しかったので満足した。
コンロの前で 20140621
今日は打合せがなかったので、家の廻りでのんびりした。
夕食を作ろうと思って、料理の小さな本を出してくる。お気に入りは新書サイズのもので、ワインの種別ごとにお勧め料理が紹介されている。
普段赤ワインばかりなのだけれど、食べてみたくなるのは意外とスパークリングワインや白ワインの章だったりする。と言ってもそれにとらわれる必要はないだろうから、スーパーマーケットでは赤と白の両方を買ってきた。
ページを繰ってみるうち、キッシュとか、ミートパイなどにも心惹かれたけれど、天候を考えてやっぱりさっぱり系に決める。
肩ロースの煮豚マスタードソース。
しらすと胡瓜のひとくち寿司。
ひとくち寿司にミョウガか梅干しを少し混ぜると美味しい確信があったけれど、煮豚との相性を考えてオリーブオイルかけというレシピを遵守する。
ブロック肉は1時間半弱煮込んだ。アクを取るといっても、それは初めの10分くらいの話で、その後はただ水を足すばかりだ。
何も考えず、時間だけを尽くすことで結果が出ることに喜びを感じて、コンロの前で過ごした。
思い付きで始める料理は家事にはなり得ないけれど、ただ楽しい。
ストローマン 20140617
ストローと言えば、ジュースを飲むプラスチックかストローハット(麦わら帽子)が頭に浮かぶけれど、今日学んだのはストローマンという言葉だった。
ストローマンは麦わらの人形、つまり案山子のことで、論理学では詭弁の一種を指すらしい。
そんなことを検索してみたのは、先々週の恩師を囲む会がきっかけだった。その参加者に興味深い意見を披露した人があって、そのブログを拝見してのことだ。
彼の説明とウィキペディアによれば、ストローマンとは仮想(自己創作)の対象を論破することによって自分の説を正当化する、ねじくれた論法らしい。
例にあるのは次のようなこと。
Aさん「子供を外で遊ばせるのは危険で不安だ」
Bさん「私はそうは思わない。Aさんのように家に閉じこめるのが良い教育だとは思えない」
つまり、BさんはAさんの意見と関係なく(Aさんは子供の安全性確保の提案をしたかったのかも知れない)、勝手にAさんの発言を別のものに見立てて(案山子を立てて)攻撃している。
幸い友人にこのような論法のひとはいないけれど、心を許していない世界ではこうした展開で消化不良を起こすことがままあった気がする。特に子供を媒介にしたときなど。
日常と論理学は縁が無いようでいて、少しでも知ればかなりすっきりするのだと気付いた。ちょっと遅かったような気もするけれど、それは自分のせいだから仕方ない。森山さんありがとう(新国立競技場問題に関連して)
洗濯日和か 20140615
なぜ、か が付いているかと言えば、僕は洗濯を妻に任せているからで、そうしないといかにも洗濯をする働き者と誤解されそうだったから。
一昨日は現場で外壁を見上げていたら、真っ青な空に積乱雲がもくもくと発達しながらこちらに凄いスピードでやってきた。
雷が鳴って、食事中だった大工さん達が「窓を閉めろー」と動き出した。僕はバスで駅に向かったのだけれど、とても冷たい風が吹いてきて驚いた。その後田園都市線の車両は晴れから豪雨に突っ込んだから、車内が一瞬で暗くなった。
昨日は打合せに向かう途中でとても気分が良くて、なぜだろうと考えたら湿度が低いことに気付いた。それは今日も続いている。早く夏が来ると良い。
川に降る雨 20140608
昨日は現場と打合せに車で出かけたから、雨に降られている時間が長かった。空にはこんなに水分があるのだなあ、と思いながら傘を差す人々や水しぶきをあげる車を見ていて、フォークソングを思い出そうとしたとき、「川に降る雨」という言葉が頭に浮かんだ。
川なら新しい水溜りができることもないし、同じ水だから境界があいまいだなあ・・・とのんびり思っていると、それはひとつの風景になった。
「川に降る雨」という言葉にどんな風景を思い浮かべるか友人達に訊いてみたくなって、水曜日に集まりがあったからその前に思い付いていたらよかったのに、と残念な気がする。
まあでも、飲んでいる最中にそんなことを聞かれたら間違いなく迷惑だろうけれど。
僕が思い描いた風景。
緑が無かったので、インドとかバングラデシュの方だろうか。そちら方面に行ったことがないので何の根拠もないけれど、幅の広い茶色い川で、細かな雨に対岸は見えなくて、ただ静かに降り続いているという風景。
結構気に入った。
いかの明太子和え 20140604
一週間ほど前、福岡にいる長男から明太子で和えた食品セットが送られてきた。長女や義母、叔母のところにも送ったというから元気なようだ。
明太子はもちろん、いかなどが本当に美味しくて嬉しくなる。普段メールなどしないけれどそのことを連絡したら、近況を知らせてきた。
今日は、この四月から四国勤務になった友人がメールをくれた。
ようやく落ち着いてきたと書かれていたけれど、東京というか町田を離れたことのない僕は、そんな風に新しいところで生活していることが不思議な気がする。見えない姿を想像するのは楽しいことだと発見した。
旋律を掘り出す 20140601
BSの特集番組で、2004年のアメリカンリーグ優勝決定戦の記録を見た。
バンビーノの呪いが解かれたと言われた、0-3から7-3へレッドソックスがヤンキースをひっくり返したあの4日間だ。
もう10年が経過したのだ、と思いながら、あらためて感激する。密着取材だから当時知らなかったことが目白押しなのだけれど、特に印象に残ったのが、「ヤンキースは俺たちを眠らせておいた方がいい、目覚めさせたら歴史的なことだって起こるかも知れない」というセリフだ。
それを言ったのが、惨めな3連敗に周囲が意気消沈している中、第4戦で9回裏にぎりぎり追いつく四球を選んだ下位打線の選手だったから。
スタジアムで心臓病薬を飲みながら息を殺す観客もある中、選手は4日間、薄氷の上を乱舞する。恐れながら恐れを乗り越えていく選手を見ていて思った。
美しい旋律は常に鳴っているけれど、それは向こうからやって来たり発見するものではなくて、掘り出すものなのだろうと。
また、彼ら選手はそうした経験を持っているから、適切な時に必死に掘るのだろうとも。
そしてそれは、頑張るとか努力するというエクスキューズを内包するものではなくて、「掘る」という動物的行為に感じられた。
内田選手 20140528
サッカー選手が膝や腿などに故障を抱えた場合、全力で走るときにどのくらい不安があるのだろう・・・と、僕が考えても仕方がないけれど気になっていた。
昨日の日本代表、キプロス戦に関連して、内田選手がそのことにインタビューで答えていた。
内容としては、「いつも故障のリスクはあるのだから、ブラジルに着いてから消えるか、今ここで消えるかなら単純に時間の問題で、もしそうなるのだとすれば早い方が迷惑が少ない。」ということと、「痛めても治してくれるスタッフの力があるのだから心配はない。」だから、今日も全力で行く・・・ということのようだった。
我が家も世間と違いは無くて、内田選手(と柿谷選手)は絶大な人気を誇っている。僕ももともと好きな選手ではあったけれど、正式にファンに加えてもらおうと思った。(それとは別に、大久保の活躍がとても楽しみだ)
うーん、そうね。 20140525
もともと土曜日だった打合せが、建設会社のスケジュールで日曜日に変更になった。日曜日の今日は午後別の打合せがあったから、昼過ぎに退席することを申し出たら、「そうしたら時間が足りないので、朝8時からにしましょうか?」という返信があった。
考える間もなく同意することになって、今日は朝6時30分に家を出た。
外資系グローバル企業の役員であるお客様は、驚くほどくったくなく要求を表明される。前の晩1時まで図面を描いた僕は、眠い目をこすりながら到着すると、実にさわやかな笑顔の夫妻に巻き込まれてしまう。
このお客様とはもう一年以上打合せを重ねているけれど、ようやくその効果に気付いたセリフが「うーん、そうね」だ。
おそらく、経験上その効果を実感されていると推察しながら、実際に効果が大きい。
「うーん」・・・という否定形
「そうね」・・・という肯定形
勇気を与えられて前に進もうという気持ちになる。(同意や賛同ではこうは行かない)
ぎりぎりで間に合った午後のお客様は、星付きホテルの企画を担当される方で、また大いに打合せが盛り上がった。お腹は鳴っていたけれど。
効率よく打合せが終わって、明るいうちに家に帰ってきた。ゆったりした気温と穏やかな風にあたって、かなり久しぶりに夕日を鑑賞した。
こんにちわー 20140521
石垣島に民家を保存したところがあって、そこはとてもよく整備されている。室内に上がり込むのも自由だから、しばらく寝そべってみたりする。まるで屋外のように風が通り抜けて、それはそれは大変気持ちが良い。(室内で床を這う風など、贅沢の極みともいえるだろう)
観光地だから、三線の音がどこからか聞こえているのだけれど、水牛車の牛使いのライブなど少し聞き慣れたせいか、拡声器だと想像できても特に違和感がない。
まどろみかけたとき、「こんにちわー」(はいさいおじさん、か?)と誰かが訪ねてくれることを想像して体を起こすと、目に入ったそこはとても明るくて清潔な場所だった。
マングローブ 20140518
ゴールデンウィークをずらして石垣島方面に行ってきた。
本島の那覇は経由地にして、石垣島と西表島、竹富島などを訪ねる。
西表島の仲間川を遡上すると、マングローブの密生する川べりがよく観察できて楽しかった。
神々しいというような形容詞が頭に浮かんで、それがなぜかと考えると、人の手を超えた秩序のようなものが歴然とあるからだろう・・・と思う。少しづつ細くなる上流はますます魅力的なようで、ずっと行ってみたいという誘惑と、その先にあるものに対する不安が交錯して不思議な気持ちだった。
さまざまな植物が群生する様に、アンリ・ルソーの絵を思い出させられて、ルソーはどうしてパリに居るままこの気配を描き出せたのだろう、と不思議に思ったりする。
樹齢400年の木や、千数百年のサンゴを目の当たりにして当惑し、そういえば行きの飛行機で読んだ機内誌に、皇居のお堀に百何十歳かの鯉がいる話や、500年齢の二枚貝が発見された話なども混ざってきて、少し薄ぼんやりした心地になった。
沖縄のひとたちのイントネーションは、ほんとうにやわらかくて素敵だ。
語尾に「よー」を付けられると全部OKという気がする。
29年前 20140510
正確には29年と少し前、結婚式をいつにしようかと婚約者(妻)と相談していた。
そのころは、公開設計コンペも含めて、熱中度合が高い事務所に勤務していたので、なかなか休みが取れなかった。休日が貴重だったから友人もそうだと考えて、ウィークディがいいかなあと思っていた。
式場も予約が多かったらしくて、係の人が「その時期でしたら金曜日の仏滅に枠が残っていますが・・・」とガイドしてくれたのだろう。喜んでそうした。
友人たちは、「なんでお前、金曜日の夕方に!」と言いながら、それでも祝いに集まってくれた顔をよく覚えていて、感謝に堪えない。
29年後の今日は打合せがなくて、一日家で図面を描いていた。夕刻あいまいな時間に外に出てみて、久し振りに写真を撮ったら気に入ったものになった。
見ているもの 20140509
今朝電車の中で、(インターネット日本語版)ニューズウィークの記事を読んでいた。
それは、自閉症の子供にGPS機能を付与するかという問題で、話題の中心の女性は長くプライバシー保護運動に携わってきた人だ。
結論として、自閉症の娘の位置情報が第三者の手に渡るのは好ましくないけれど、それでも安全を何より優先したいということで、政府の援助方針を支持すると言っていた。
自閉症の人たちは動き回ることを好むことがあって(周りからすると徘徊に見える)、水辺に行きたがる傾向もあることから、とても心配らしい。
僕はそうした問題に触れた経験がないので、意見を表明したい訳ではない。ただ思ったのは、水辺にたたずむ自閉症の人が何を見ているのだろうか、ということだ。そして、自閉症でない人々がある瞬間に見ているもの。
草原になぜか立つ旗のもとだったり、スクランブル交差点の歩道際、深夜帰宅のアパートの階段など、他人の視線から離れて中空を見つめている人。そのわずかな瞬間に見ているもの。
現場にて 20140504
ゴールデンウィークは休みをあきらめて、時期をずらして小旅行することにした。製図されるべきものがたくさん待っているけれど、気持ちが詰まってしまっては何も良いことがないので、今日は現場に出かけてみようと思った。
建物は、完成すれば建て主のものだけれど、それまでは建設会社のものだ。でも、誰も居ない休日なら、設計者が占拠するのも悪いことではないだろう。
キーボックスの暗誦番号を知っているつもりで開けようとすると、反応がなかった。あちこち電話しても繋がらないので困っているとき、思い出す番号があって試してみると、カチッと開いて安堵する。
普段は工事の音で会話も難しい現場が、静まり返っている。
僕が望んだ通りに加工された材木や建材が並び、切り捨てられた端材が束ねられている。ちょっと親近感というか、連帯感のようなものを感じる。
好きなジャヴァンやアルジャロウを聴いて、あちこち確認していたら、いつの間にか3時間が過ぎていた。幸せと心配の時間は、あっという間に過ぎ去るらしい。
真っ暗闇 201404501
先日、ガラスパーティションで隔てられた隣の、関連会社の女性と会議に同席した。(少し前に記録したムーミンが関係する流れで、加わりたかったけれど残念なことに席はなさそうだ)議題の基調にイベントがあって、いろいろ紹介される話の中に、その女性が経験したという盲目の世界の疑似体験があった。
確か青山近辺と聞いたように思うけれど、それは一時間あたり5000円くらいの費用らしいから、ボランティアという世界ではなくて、商業的な目算もある企画なのだろうと思う。
広くなく狭くない無照明の部屋に置かれて、盲目のメンバーやガイドと交信しながら課題をこなしていくらしい。(盲目者との、日常と非日常の逆転が興味深い)
僕は、瀬戸内の直島か豊島で似ている体験をしているから、一時間がとてつもない時間だとわかる。
そのプログラムが魅力的なのは理解できるけれど、高所恐怖症は閉所恐怖症を感じるところもあるので、そこに立ち会うときはちょっと複雑だろうとも思う。
毎朝の通勤で、霞が関駅の乗り換え時、非常にしばしばすれ違う白杖のおじさん(僕よりは高齢と推察)は、かなり挑戦的に杖で床を叩いて周りの通勤客を圧倒し続けている。
その姿は、非難とか苦言を呈するものではないけれど、「もう少しやさしく」と思わないではなかった。
数週間前、その白杖のおじさんが何かの接触で杖を落とした。その当事者かどうか判断できなかったけれど、中年サラリーマンがやさしく杖を握らせた。短い時間だったけれど、杖が手元に戻るまでのおじさんの表情が忘れられない。
読解 20140429
たとえばジャズを、音楽として深く理解していないとしても、ミュージシャンや楽曲を選んで楽しんでいる。
そんなレベルでも、楽しむことができるようになるには一定の我慢の時間が必要だった。クラシックだってそうだった気がする。
考えてみれば、野球も、投手の配球を予想できたほうが楽しいに違いなくて、でもそれをするにはそれなりの経験が必要だ。
半月ほど前、どこかでフランスの漫画の記事に触れて、そのまま書店で買い求めた。
開いてみると、面白そうでいて難解だから、ある程度の我慢をしなければならないことになりそうだ。
それが、なんだかうれしい。