雑感

設計とは別に思ったこと

瀬戸内海                20170326

 

 また、知らぬ間に10日が経っていた。

 確定申告をおおわらわで済ませて、15日はおおさか。前回記したのがその翌日の潮来で、そのさらに翌日は富士市と河津市で調査と打合せ。そして土日は愛媛に出張だったのだから、まるで売れっ子のよう。

 実際はプレゼンで停滞することが多いし、大阪などは極小プロジェクトの役所申請関連の雑務なのだから、少しも自慢にならない。

 でも、動き回ることは大変でも楽しいし、こうして自慢げにもふるまえる。

 

 愛媛からの帰り、仲間が飛行機の窓際を譲ってくれたので、瀬戸内海の景色を楽しみにしていた。しかしながら、右翼側から見えるのは四国の南側で、撮った写真は室戸岬。

 何年も前だけれど、瀬戸内海の直島や豊島、女木島などを巡ったときに魅了された。

 

 特にビエンナーレの空撮ポスターは圧巻で、とても興奮した。

 

 一昨日大学の恩師を囲む会があって、そこに尾道の先にある島に移住した若い建築家が参加していた。数年前の同じ会ではインターネットを介して近況を伝えてくれたのだけれど、自ら補修改築した大きな家は暖炉も暖かそうでうらやましいかぎり。

 

 僕は両親が山口県出身だから瀬戸内海には縁が無いわけではないけれど、移住を考えるのは難しい。ああそれができるひとがうらやましい。

潮来エピソード             20170316

 

 今日の楽しい出来事。

 潮来の現場は、運送・流通の拠点となるべくのスペース・社屋の新築で、だから電車でのアプローチは本来求められていない。それでも最寄り駅は近くて「延方駅」までは徒歩5分もかからない立地だ。その隣駅は鹿島神宮駅。

 しかしながらこの路線は1時間に1本程度の超ローカル線で、利用客はかなり少ないと思われるし、我々も頼ることができない。だから、発達している高速バス交通がもっぱらの手段だ。高速バスは東京駅八重洲口とを1時間10分程度で結んでいて、ダイヤは10分~15分間隔と不便を感じさせない。

 

 現場の近くのバスターミナル駅はタクシーで1000円程度の距離で、現場の仲間がターミナル駅までの送迎を買って出てくれることもあるけれど、仕事が停滞してはいけないのでタクシー利用が多い。

(前置きが長くなりました。ここからが今日のエピソード)

 

 今日は高速バスとタクシーで昼前に延方駅に到着した。現場付近には食事をするところがないため、一緒に行動している監督さんがタクシー運転手さんに駅前の食堂を当てに行先を告げたからだ。ネットで一件紹介されていたというカツ丼が目的だった。

グーグルマップより借用。左がお店右が駅。
グーグルマップより借用。左がお店右が駅。

 営業中という看板に安心して自動ドアに見える手動の扉を開けると、狭くはない店内で店主が昼食を新聞片手にとっていた。(12時10分ころです!)すこし恥ずかしそうに、少し慌てて自分の食器を厨房に移動して「いらっしゃい」と言った。

 僕たち二人はカツ丼を注文した。(二人で違うものを頼める気配ではない・・・)

 

 現場での打ち合わせを終えて、夕方5時ころ、また延方駅に戻ってきた。流しているタクシーは皆無だから、駅前にいつも待機している1台のタクシーを期待して。

 ところが今日は姿が無い。時折通り過ぎる自家用車があるばかり。

 待ちくたびれた僕は、少し先にある昼間の食堂にタクシー配送の連絡先を訊きに行くことにした。

 扉を昼のように引くと、また驚いた顔。でもすぐに親し気に変化。

 事情を話すと、ちょっと知らないくらい小さなお店の車で僕たちをターミナルまで送ってくれた。恐縮すると、「昼に注文いただきましたから」と。その嬉しそうな様子に僕たちも嬉しくなる。次回はお土産持参だ。

のぞみ×map              20170315

 

 毎週通うようになった大阪の案件で副産物を発見した。僕は出張がしばらく無かったから発見と思うものの、きっと新幹線を使う人ならみんな知っていることだと思うけれど。

 

 スマートフォンで位置検索をすると、カーソルが地図上を滑るように動くので、のぞみがどれだけ速いのか実感させられる。そして、いま自分がどこを運ばれているのか逐次情報が得られる。

 以前は川を渡れば川岸の建設省(国交省)の青い看板に名前を確認したけれど、マップはそれを教えてくれるし、その川がどこにあったのか確認できるようになる。

(関係ないけれど727の看板が維持され続けているのも面白い)

 

 このあいだは、掛川を通過する時、およそ30年前に地図を頼りに見学訪問した「資生堂アートハウス」を車窓に見た。

 今日は新幹線が琵琶湖に最も近づくタイミングを逃さず、琵琶湖の端っこを確認することができた。乗車機会の半分以上は面倒な仕事の段取りで気分がふさがれるけれど、こうした一瞬は掛け値なく楽しい。

 

 こんなことを記していたら、1964年の新幹線開通のとき、開業前の見学乗車に乗ったことを思い出した。5歳になったころか。

 母が何かに応募して偶然当たったという記憶があって、それは登呂遺跡見学日帰り乗車だったような。子供のころは、英語アナウンスが加えられていることに特別な感じがしていた。そういえば大阪万博も思い出した。 

雛祭り                  20170301

 思い立って雛祭りのイベントに出かけてみた。

 足柄の開成町にある、旧家に集められたたくさんのひな人形。今朝のテレビ番組でも紹介されたらしく、平日なのにたくさんの人が訪れていた。50代の男はほぼゼロとしても。

 

 母二人も一緒だったので自然と観察時間は多くなる。今までひな人形の構成や顔など、じっくり見たことがなかった分だけ発見も少なくなくあった。

 展示点数は多いものの、少しも豪華さを目指していないから、いわゆる高級感・特別感は無いのだけれど、一体々々が普通の人に大切にされてきた空気が濃厚に漂う。

 加えて、近傍に例が無いという大きな造りの蔵にも圧倒された。

 

 ほかにも、渡り廊下の手摺のような位置にある竹を削った中に据えられたお雛様など、小さく可愛らしい仕掛けや遊びが楽し気だった。

 町おこしなのだろうか、ボランティアに集まる地元のおじいさんおばあさんも生き生きとしていて心地よい。

 

 二人の母は、柑橘類や鉢植え用草花、帰りに寄った松田山で買った桜まんじゅうやあれこれで、車のトランクを一杯にしてくれた。

 今年の河津さくらは早咲きで、すでに葉桜状態だったけれどそれも一興。

 

 そうそう、昼食に寄った小田原の「わらべ菜魚洞」はかなり美味しいのでお勧め。地魚刺身に気持ちが傾きつつ、最近房総でアジフライを食べ続けた経験から比較してみたかった「わらべ自慢のアジフライ」は絶品だった。(休日はかなりの混雑かも)

浅い夢                  20170225

 

 最近移動が多かった。友人の話を聞くと、ほんとうに移動や出張の多い人はスケジュールが凄そうなので、あくまで僕の過去に照らして多いと思うのだけれど。

 それでも、10日余りの間に日帰り大阪が3回、それに宿泊潮来現場が2回とあれば、多少の同情も期待できるはずだ。(月曜朝はまた潮来で、火曜日は藤沢、水曜に横浜で金曜はまた大阪 笑)

 

 今日明日は出かける予定がなくて、自分で好きなように時間が組める。そこで朝は無制限の寝坊を決めた。頭の上の窓から明かりが射しこむころから、まどろみを繰り返していくつもの夢を見た。

 

 基本的に仕事に切迫感のある状況が反映された夢なので楽しくはないのだけれど、それでもいくつもあるからバリエーションを観察することができた。

 「自分に不足がある場合」、「相手が明らかに間違っている場合」、「そのどちらかで揉める場合」・・・ああ疲れる。

 

 仕事と私生活の切り替え、という言葉が頭に思い浮かぶ。でもそれって誰でもできるのかなあと疑問が生じる。まあ僕は無理。

 ネガティブ話題で申し訳ありません。

小春日和                 20170218

 

 水曜木曜と、潮来の現場に出かけた。40feet×1、20feet×5プラスアルファの事務所の上棟。

 朝8時から始まって、15時ころ据付が終了した。

 

 この日は気温が高めで、ときおり緩やかな風が通り抜けるという春を感じる天気だった。

 僕は、掃出し窓のレースのカーテンが風にはらむ様子を眺めるのがとても好きなのだけれど、現場では養生シートがそれを再現していた。

 とび、鍛冶屋、基礎屋、大工、監督、そして施主の10人で弁当を食べた。美味しい弁当ではなかったけれど、監督さんが用意してくれた弁当を食べることが美味しかった。

りんご                  20170210

 

 僕はあまり果物に手が伸びる方ではないので、りんごを食べると言えば、それは妻や誰かが促してくれる場合がもっぱらだった。

 

 今日、テーブルのかごにあるりんごがなんだかつつましやかに見えたので、妙な親近感がわいて齧ってみた。

 よーく知っているりんごの味だったけれど、食欲や休憩などから離れたりんごと僕の関係だからか、それは少し違う味とも言えた。

 

 こんど、果物を外に持って行って食べてみようと思った。

インフルエンザ              20170209

 

 久しぶりに記す時間(余裕?)ができた。半月余りの空白は初めてのようで少し残念。

 

 先週の土曜日、富津の現場で何となく低いテンションのまま仕事を続けていて、昼過ぎには仲間を残して先に帰ることにした。14時25分金谷発のフェリーまで送ってもらって乗船し、バスや電車を乗り継いで帰宅すると、18時を大きく回っていた。

 20時ころ、熱っぽいと思って計ってみたら38度。38という数字は小学生以来だと妙な感慨にふけってベッドに横たわった。その後計るたびに上がって39.5度へ。

 

 翌、日曜日午後、救急担当内科を受診し、タミフルを処方される。服用して人心地つくも月曜未明には40度へ。

 僕は熱に弱いと思っていたけれど、40度は座っていられないものの、横になっていれば息苦しさも動悸も頭痛もなくて暖かいばかり。仕事をするなと命じられたような安心感があった。

 その後熱は下降していったものの、起き出してから奪われた体力の量を痛感した。

 

 火曜水曜はデスクワークで、今日は横浜根岸に行かなければならない。本当はもう少し延ばしたいけれど、月曜日の約束を既に延期しているので頑張ろう。「車を運転して良いのかなあ」と、ボーっと考えている自分を発見して電車にすることにした。5°。震。

大きな船                 20170121

 

 18日、20日と、それぞれ富津の現場に向かうためにフェリーに乗った。写真はいずれも行きの便で。

 右側は珍しくフェリー船内でアナウンスがあって、全長317mの鉄鉱石などを積む船だと教えられた。東京湾を南下して次に北海道を目指すらしい。

 フェリーとこれらの船がどのくらいの距離ですれ違っているのか、海上だと勘が働かない。真横から見るときが一番迫力あるけれど、写真には撮りづらいので似たようなアングルになった。

 

 以前、友人が内房の海岸で芝居をしたとき、帰りの夕方発フェリーで、近くを横切ったコンテナ船の大きさに驚いたことを思い出す。藤色の空気に、おぼろな巨大シルエットが美しかった。

 そのころはコンテナ建築に関わるとは思っていなかったから、その後何度も大きな船を見るとは想像していなかった。

 いくつになっても意外と変化が訪れるものだ・・・なんて。

 

 今週水曜日、潮来の建築確認申請が終了した。これからしばらく大型トラックに挟まれることが増えるだろう。町を離れてみると、信じられないほどの量の物が運ばれている現場を目撃する。

バス停                  20170114

 

 10年ほど前の激しい雨の日、仕事で厚木方面の田舎道を車で移動していたとき。

 通常スピードでもワイパーを高速にする状況で、フロントガラス越しにいくつかのバス停を見た。

 それはおそらく県道ではなくて市道の様子で、歩道というより白線で仕切られただけの歩くスペースがあるような道。ひとつのバス停ではお地蔵さんのようになったおばあさん、別の一つでは女子中学生らしい生徒が肩をすぼめていた。

 

 「乗せてあげたい」と思いながらも、警戒されるだろうことは明らかだし、後続の車も無いわけではなくて停まることができなかった。

 

 昨日、車で水戸方面にでかけて、またバス停の人々を見た。寒いながらも晴天で、風も柔らかい様子の一日。

 スマートフォンに見入っていてもそうでなくても、バス停に佇む人の姿があらためて脳裏に刻まれた。それは、きっと時間との付き合い方という概念を呼び起こしてくれたからだろうと思う。社会というルールを信用して、いら立つ様子もなくバスの到来を静かに待つ人々。

 

 翻って、バスが現れないかとチラチラと眺める自分を想像すると、少なからずがっかりした。でもまだ年の初め。修正は効くと思いたい。

睡眠                  20170108

 

 今日はゆっくり風呂に入る時間があって、仕事のことは他で考えようと決めたら、なんとなく睡眠に関心が向いた。

 渡り鳥はいつ眠るのだろう?

 (別の話だけれど海を渡った蜘蛛がいること知っていますか?)

 マグロはいつ眠るのだろう?

 花や木は眠るのか?

 

 答えはインターネットに聞くことにして、何となく虚空を見つめていたら、少なくとも哺乳類は例外なく、みな等しく寝ていることに気付いた。

 

 アインシュタインもピカソも、葛飾北斎や沢庵和尚も寝たはずだ。いや寝ていないはずがない。それらの人々の寝室と、寝顔を覗いてみたいと思った。叶わぬ夢だけれど、案外かわいいのではないかと想像した。笑

(僕の不眠最長記録は、大学卒業設計課題提出前の60時間。フルフルした記憶がある。)

遅ればせながら             20170107

 

 新年おめでとうございます。

 

 気が付いたらクリスマスイブから半月近くが経っていてびっくり。

 僕は特筆することなく大晦日を乗り越えて、新年を迎えていた。パソコンをあまり開かなかったのは、暮れに長男が帰ってきて、正月は長女夫婦と孫のKも加わって過ごしていたからだ。

 初めて抱っこの装置を使って散歩したりもした。笑

 思った数倍の負荷が腰膝肩にかかって途中離脱。苦笑

 4日5日は多少の仕事をしながらまだ正月気分。

 6日になって富津の現場に出かけた。

 8時半に着こうと6時半過ぎに家を出ると、町田から内房の富津は地図通り東への移動なので、冬の水平線ぎりぎりの太陽光に打ちのめされる。

 2時間近く、トンネルを除いてほぼずっと目の中に太陽があるのはきつかった。生まれて初めてサングラスが欲しかった。

 

 現場は外構工事に移行していて、アメリカンガレージや小さなプールの詳細打合せ。お客様の別荘だけれど、自分の遊び場のように楽しい。

 

 そういえば、新年になって少しだけ新しい発見をした。

 自分のことなので大仰に言うと滑稽だけれど、右の雑誌をとても楽しく読んだのだ。僕は趣味的な物への興味、まして執着がほとんど無くて、カタログ的な雑誌は手に取ることがまったくなかったのだけれど、この所さんのデイトナは楽しかった。今日、最新号も購入した。

 きっかけはコンテナハウスで、この写真の号に記事があるからと仲間が渡してくれたこと。そこだけを見て放置していたのが、正月ののんびりした時間でまたページを開くことになって、ようやく楽しさに気付けた。

 

 そう思って最新号を買いに寄った書店で、さまざまな趣味の溢れるほどの雑誌を見て(゚д゚)!(←偶然の変換です)

 思い返してみると、去年の暮れ、僕の車の前を走るHONDAのRidgeLineに惚れ惚れしている自分が居たような。

 おやおや。きっとはしかのはずだけれど。

ローストビーフ(昨日の続き)      20161224

 

 美味しくできた。

 みんなとても喜んでくれて、驚いてもくれた。

 写真2枚は妻作で、右側のミルクベース大根はピンクスパイスで飾るのだけれど、写真は自宅出発時なのでできなくて残念。ピンクの粒胡椒がちりばめられると綺麗だ。真ん中はポルチーニ茸。左側は伝統の鶏肉トマト煮込み。両皿で赤・緑・黄色が並ぶと楽しい。

 さて、ローストビーフはこのように。

 冷蔵庫から出したばかりで切っているとき、失敗を試食したらさして美味しくなかった。皆に食べさせるのはどうかなあ、と気になったけれど、一人で全部食べる訳にもいかず、まずは積み込む。

 

 実際に食事になったときは常温に戻っていたので、我ながらとても美味しいと思った。

テレビ視聴で覚えられた範囲での作り方(不正確)

材料 牛モモブロック400g~600g

   香草(番組では紹介なし。ローリエやローズマリー?)

   酒・醤油・みりん(字幕では200:50:50だったような)

   塩・胡椒、適宜

手順1 塩胡椒をすりこんだももブロックに香草を添わせ、ビニー     

     ル袋に入れて常温に戻るまで待つ。(冬でも1時間)

手順2 ももブロックの表面にフライパンで焦げ目を付ける。

手順3 酒醤油みりんを好きな配合で混ぜ合わせる。(自己責任)

手順4 焦げ目ブロックに調味料を加え、短い時間煮込んでアル         

     コールを飛ばす。

手順5 全部をジプロックに入れ、空気を可能な限り抜く。

   (プロは真空パックにする。熱が均等に伝わるように)

手順6 鍋の58度の湯で、1時間加温する。(65度超は不可)

手順7 取り出してブロックは粗熱をとって冷蔵庫。(冷やさない  

    とスライスが難しい) ソースは好みに煮詰める。

手順8 スライス厚はバリエーションがあっても楽しい。

     完了

 料理家・オーナー村田吉弘の主張は、料理は科学の側面があってそれを幅広く教え共有することが、和食の発展に結び着くというもの。

 僕が試したかったのは、58度60分がブロック肉を生でなく、しかしローズで柔らかなレアーにするという点。僕ですらなんとか及第点だったはず。美味しいです。

Kくんの森               20161223

 

 明日は長女夫婦が昼食に呼んでくれたので、少しの料理を持って出かける。

 妻は長女のリクエストがあったとかで、チキンとトマトの料理、それにミルク仕立ての大根料理などに精を出している。

 僕は、横入りとして、昨晩忘年会への参加を断念したために途中からみたカンブリア宮殿の、簡単美味しいローストビーフを試そうかと思った。(菊乃井という☆☆☆料亭取材からレシピが紹介された)

 写真はその途中経過だけれど、明日食べてみて美味しかったら詳細を報告。

 

 長女は、新年早々1歳誕生日を迎えるK(僕の孫(^^))と向き合う毎日。優しい夫が支えていても、いちにち24時間目が離せないことに変わりはなさそうだ。

 近所に暮らしているから、ときどき3人の顔を見ることができて安心しているものの、子育ての大変さは伝わってくる。

 

 息子Kに夢中の長女は、きっと「Kくんの森」に二人暮す住人なのだと思う。そして、僕はそれをとても美しい世界だと思っている。(制御不能の大変さがあることを観察しつつ・・・)

 その世界は、Kの記憶の深くにしまわれるかも知れないけれど、Kの血肉になることは疑いようがない。今、Kくんの森にいる、二人の遠い息遣いに耳を澄ませてみる。

鞄                   20161216

 

 昨日は妻の誕生日で、お祝いの食事をしようと待ち合わせた。妻の誕生日だけれど、僕の鞄が多少傷んできていたので、新しいものを探しに見て回った。

 

 ひとつ気に入ったものがあって、他の色も見てみたいと他店から取り寄せてもらうことにする。

 鞄店から出て、「どっちの色にするか観察してね」という妻の意見に「何を観察?」と尋ねたら、ごった返す町田のターミナルの人たちの観察だという。

 

 鞄に着目するのは初めてで、お洒落な若い人でなくてもいろいろな鞄を持って歩いていることに気付いて、驚いた。

「おお」

 

 初めて見る風景。おっさんが自分で選んだ鞄を持って闊歩しているなんて。前々回の髭と同様、57歳の発見。世界は僕のしらないところにあるのか。今から参加できるか。

出張                  20161210

 

 今週は房総の富津に出かけ、大船で打ち合わせをし、広島に日帰り出張し、昨日は潮来に出かけた。

 潮来は電車だと大変なので車にするのだけれど、往復300㎞。もう慣れたからどうとなく出発したら、師走10日前日の金曜日だからか、東名高速首都高とも駐車場のよう。

 ラッシュ時間をずらして、12時に着いて約束13時への食事時間調整のはずが、13時15分にやっとたどり着いた。

 

 そういえば、電車が正確だと選択した横浜待ち合わせと新宿待ち合わせ。横浜線は異音がしたとの理由で40分遅れ。小田急線は乗客トラブルとかで50分遅れ。それが7日と8日の連続。ああ。

 

 それでも思う。移動は仕事のようで頑張っている感があって精神衛生上楽だ。成果が薄くても妙な充実感が残る。

 辛いのは出かけずに時間があったのに目立った成果がない日常。

 

 伸ばし始めたはずの髭も、あまり成果なし。

 

余談

 首都高で渋滞にはまっている時、渋谷から腹痛を感じて、まあ珍しくもないからと無視していたものの、六本木あたりで切迫してきた。その間30分は経過。幸い池袋方面が少し動いていたので、早めの対応として進路変更。その判断が自分にしては的確だったと思ったのも束の間、余裕がなくなってきて降りたのが霞が関。さすが官庁街であらゆる入口に警備員さんがしっかり立っていて、警護というより「トイレ貸さない」バリケードに見える。信号待ちも超長い。

 これはいかんと日比谷方面に舵を切って(ハンドルですが)やっと見つけた「P」の字にすがる思いで突っ込む。

 そこは気付いてみると帝国ホテルだった。何となく優雅。

自分の顔                20161129

 

 僕は自分の顔に絶望的なコンプレックスまでは持たないものの、カッコ良く生まれたらよかったのに・・という諦念のようなものが常にあった。(ふつうありますよね!)まあ、歌が上手く生まれたら、と思うのと同じで、欲しいものはたくさんあったのだけれど。

 だから、鏡をちゃんと見ることはほとんどなかった。髭をそる時にはそこの一点に集中するという具合に。

 

 最近、「自分は自分の顔を見られないけれど、他人はその顔を頼りに判断している」というような意見を聞いた。

 その通りだと思った。

 つまらない諦念など遠ざけて、少しでも他人に見えるところに気配りした方が良いかもしれないと思ったのが、57歳の発見。いやひょっとすると、少し気配りしないと敬遠されるというイメージがわいてきたのが本当のところか。

 

 それで、髭を少し伸ばしてみることにした。新しいアイテムで変化をもたらすために。そうしたら、近しい仲間が髭をそれぞれ演出していることに気付いた。何も見ていなかったのだなあ。

 

 髭はいま一週間。微妙。父方の祖父はダリのような髭だった(丸くなる手前まで)のに残念だ。まあそれでも、もう少し観察してみよう。

オリオン座               20161124

 

 ホームページを作成して、雑感を記し始めてからそれなりの年月が経った。

 その途中、オリオン座に触れたことが2回か3回あったような記憶があって、なんとなく懐かしい。ひとつ鮮明なのは、帰宅中に坂道を登る先にいつもあったオリオン座だ。

 

 昨日から関東地方にも季節前の降雪が予報されていて、かなり正確にその通りになった。寒い大変な思いをした人も多かったと想像できる。

 僕は家、仕事場にいて、普段と変わりなく過ごさせてもらった。夜更けに家を出てみると、台風一過のような澄んだ空にオリオン座が輝いていた。スマートフォンで撮れるオリオン座は珍しいのではないか。

 仕事上の軋轢も抱えざるを得ないけれど、きっと晴れたり曇ったりなのだろう。すくなくともスモッグには気を付けたい。笑

港湾の仕事                20161118

 

 一昨日は、富津の現場で打ち合わせをして横浜の港湾エリアに立ち寄った。北海道のニセコに送るコンテナ事務所の確認のために。僕は関係していないけれど、しばらくお付き合い。

 つばさ橋の近く。

 殺風景だけれど、緩まず淡々と仕事をこなしていく人たち。話しかけると、とても親切に答えてくれた。

 右側の写真は、12mのコンテナに中古自動車を5台積み込む作業。以前は架台を使っていたとのことだけれど、コスト競争の結果、今はワイヤーで宙づりにして台数を稼ぐのだとのこと。

 次から次へとコンテナ、搬送車が乗り込んでくる。

Pot of Gold              20161114

 

 ポットオブゴールドはその通り金の壺で、宝の箱というような意味らしい。

 「There is a pot of gold at the end of the rainbow」という言い伝えがアメリカにはあって、未来への希望を託す言葉らしい。

 これは、デイモン・ベイというニュージーランド人の書籍からの引用。「日本人の知らない美しい日本の見つけ方」サンマーク文庫

 

 57歳の僕としては、虹を見たとき、その向こう側のある場所に金の壺を想像することは難しい。それでも、どこか未来に金の壺を想定したいと思う。

 そして、最近房総半島に出かける機会が増えてみると、虹と言ってもそのかけらがほとんどだけれど、7色(6色?)を多く見かけるようになった。空が広いのだ。先ほどの写真集の著者も千葉県民らしい。

 英米に続いてお隣の韓国でもリーダーに不信任を突きつける事態になっているようだ。その詳細はわからないけれど、経済減速が不満の核にあることは容易に想像できる。

 韓国は近年こそ停滞気味であったとしても、今世紀に入ってからは経済規模が2~3倍に伸びてきた国なのだ。日本とは大きく違う。

 傍から見ていると大きな成功を収めているようなのに、人の欲望は想像を超えるのだろうか。

 

 比較するつもりはないけれど、日本人は成長の果実と、停滞の現実をじっくり見定める性質を持っていると思う。そうでなければ、デイモンさんが礼賛する里山など生まれようがない。

グローバリゼーション          20161110

 

 アメリカ大統領選でトランプ候補が勝利したらしい。夕方までテレビを垣間見ていて、その勝利に気付いていたけれど、出かけたから勝利宣言は見逃してしまった。

 その結果に大変に残念な気持ちがする。トランプ氏の多少の愛嬌は認めるものの、信頼を置くには違和感が大きすぎる。

 

 何も予見しないし、できないけれど、投票の1.5日前に評論家の木村太郎氏が確信に満ちてトランプ候補の当選を(興奮を隠さずに)予告したとき、僕は少し心動いた。それは、アメリカで熱心に勉強していたのに学費の目途が立たなくなって退学した若者のレポートを思い出したからだ。その番組の一瞬、ヒラリーさんが敵に思えた。

 自分の直感はたいしたものではなくて、他人に披露などしないけれど、ヒラリーさんが最終盤にボンジョビ、ガガ、スプリングスティーンで盛り上げているとニュースで聞いて、その方法の巧拙は別に、白けた気分に襲われた。

 

 科学で初めに教わる概念に「エントロピー増大」というものがある。わかるようでいてわからないことも多いから解説はかなりかいつまんで。それは、秩序を構築・維持するにはエネルギーが必要で、それを注入しなければ無秩序に向かう・・・という法則。

(わかりやすい例では、掃除をすると部屋はきれいに維持できるけれど、放っておくと汚くなる、あるいは散らかる)

 これをグローバリゼーションに援用すると、100の収入がある先進国の労働者と、20の収入の途上国の労働者が、100+20÷2=60に向かう流れと想像できる。

 もしそうであれば、アメリカ中間層の白人高齢者は当然収入が下がる。それを、皆が発展すると職業政治家は喧伝したのだろうなあ。もしそうでなくても、だまされてなくても、気付いて耐え難いと感じ始めた英国民と米国民。そこに向かわせた指導者は自身にだけ先手を打っているという事実。

 さて、日本はどうするのか。大変に興味深い。

 

 江戸時代は経済規模の発展がないから文化の発展でしのいだ・・という話を思い出す。現代の豊かさは、若者に苦難を強いている背景を無視できないけれど、エントロピー増大という試練があるのなら、ここは挑戦どころだ、と思う。文化のエントロピー増大は、経済よりずっと明るく思われるのだ。(特に僕にとって 笑)

台湾旅行                20161105

 

 11月1日から4日まで、妻と台湾旅行に行ってきた。

 台湾を訪れた知り合いのほとんどが、「台湾は美味しくて優しい」と言っていたことが大きく影響していて、果して訪ねてみると、その通りだった。

 

 チャイナエアラインの今回は、羽田を7:25に出て、22:05に帰ってくるから、ほぼ4日楽しめる。存分に楽しんだ。

 

 なるべく仕事への影響を軽減しようと、出発日前日は潮来消防を早朝に訊ねて、朝礼を待って窓口に着いた(8:20)し、午後は富津で上棟に立ち会って結局深夜に帰宅した。旅行前2日間の睡眠は計5時間余り。(超久しぶりの強行日程)

 

 台北に到着して最初に入った下町の食堂は、太田裕美さん似のおばぁちゃんがきりもりしていて、二日目に頼んでいたガイドさんはオノヨーコさん似だった。面倒見がよくて親切なおばぁちゃんたち。(僕も今年初めじいさんになっているけれど)

 

 写真は台北から車で小一時間ほどにある観光地で、「千と千尋の神隠し」のモデルとなった街。食堂の座席からガラス越しに写真を撮ったら、映画の竜を思い出した。

 

 ほかにも記録したいことがあるので、それは新コーナーにしようと思う。そこまで開いてくださるとは期待しませんのでご心配なく。

晴れ間2                20161023

 今日はアクアラインでマラソンが開催されたので、富津行きが急きょフェリーに変更された。(前もってあったであろうアナウンスは、直前仲間から知らされるまで気付かずに)

 左の写真は帰り航路。カモメのはるか遠くに飛行機がいる。フェリー・かもめ・航空機のいずれも移動のさなか。スピードはそれぞれ。

 

 現地打合せの時間から逆算して、起床は4:40だった。普段なら自信満々なのだけれど、前夜が遅かったので久しぶりに目覚ましに頼った。

 

 ある時はジェット機から海を見下ろし、ある時は船から空を見上げるけれど、人間は中空になかなか居辛い。それでも、高所恐怖症の僕としては、最近になってやっと鳥になりたいひとの気持ちがわかるようになった。

晴れ間                 20161020

 梅雨の晴れ間という言葉は耳にしていたけれど、今年は秋の晴れ間が出現した。

 

 各部屋の窓を開け放ち、長く雨模様だった時間を突き飛ばす。(自宅にいるので)

 

 乾くことは恐ろしい。でも、モンスーンに浸食された今日の日本では、乾かないことも疎ましい。すっかりさらっとできてうれしい。

砂時計                 20161017

皆川さんのHPからの写真
皆川さんのHPからの写真

 今晩のNHK番組「仕事の流儀」を見たら、ファッションデザイナーの皆川明さんが対象だった。僕は初めて知ったのだけれど、高倉健さんを優しくしたような風貌で女性に絶大な人気を誇るらしい。

 

 その全体像を記すのは放棄して、ひとつのエピソードを。

 イタリア旅行中に砂時計を見ることがあって、モチーフとして取り上げたのだけれど、その時に次のコメントがあった。

 「砂時計の上側の砂は減っていく人生の時間。砂時計の下側は積み重なる記憶。」

 

 質量保存の法則を思い出した。

 

 分子、原子レベルでは保存されて消滅は無い。広大な時間軸にあって、一個人の人生は光の当たる瞬間なのかと思った。あるいは思ったような。

diversity                20161011

 

 昨日、打ち合わせでお台場のダイバーシティに出かけた。目的はその商業施設ではなくて、隣接する駐車場で開かれていたイベント。それは車関連のもので、内容を知らないものの、このあいだのル・マン、最終周回で悲劇的ストップを見せたトヨタの実物車も展示されていてちょっと感激した。

 出かける前に周辺状況を確認していて、そばに大きなガンダムがあるらしいことを発見して密かに期待していた。子供だましではないかという疑心は気持ちよく吹き飛ばされて、良く出来ているなあと感心した。(ガンダムのことは何も知らないけれど)

 

 打合せ場所がそこになったのはコンテナ関連だったためで、その車関連イベントにコンテナかき氷店が出ていたからだ。メンバーがイベント終了に伴う撤収を見守る必要があった。

(コンテナは住宅・別荘から仮設店舗、ホテルなど様々に活用されている)

 

 前日にmapで目的地の「潮風公園」を探していたとき、ダイバーシティという名称を見つけて、小池都知事がたびたび会話にもりこむダイバーシティを思い出した。その意味が何だったかと気になったまま出かける。途中、施設名称はお台場という地名に由来するのだろう(アカサカサカス)と気付いたけれど、都知事の発言は別のものだ。

 今日、ネットで見てみると、diver city ではなくて、diversityだということがわかった。意味は「多様性」。そうか。

 

 昨晩の、移動間際のコンテナと青森から駆けつけた撤収チームの軽やかな動きを思い出して、その変幻自在な姿がdiversityに呼応していると思えた。

ストレス                20161008

 

 キラーストレスを題材にしたNHKの特集番組を見た。再放送だったし、人気番組らしいから観た人も多いだろう。

 7月に記した、ゴルフ漫画から引用した「恐怖は2本の脚で立っている」という指摘がここでも確認できた。

 

 ストレスは本来自らを防御するために必要なものだけれど、連続して抱え込むと、それがキラーストレスになって健康を蝕む。連続させるのはあくまで本人で、昨日上司に罵倒された恐怖や憎しみを思い出し、明日また罵倒されるかも知れないと不安を持ち続けるような姿勢が原因らしい。

 

 そこから抜け出すために必要なのは、生きている今を実感すること。手段として世界中で実践され始めたのが瞑想。

 背を伸ばしてリラックスを心掛けて座り、静かに目を閉じて呼吸を感じるように努める。鼻を通る息、動く腹、指先・・・邪念は浮かぶけれどなるべく考えないようにする。これを10分から30分ほど毎日。

 成果として、鬱からの回復、その他感情不安定などを誘発すると考えられている脳の海馬萎縮が、再構築されるケースも確認されたとのこと。そうした症状などなくても、思考は前向きになり、創造性が発揮されるらしい。

 この瞑想は、座禅にとても近いものだろう。

 

 30代前半にとても親しくしていただいた会社社長さんがいらして、彼は午後4時ころ、かならず瞑想の時間を設けていた。そうだったのか、なるほど。(当時は社長室が無いと難しいと思ったけれど、朝でも良いらしい)

 その社長は自ら設立した会社で東証一部上場まで果たされたから、マニアックなどと思わずもっと熱心に耳を傾ければよかった。笑

地獄ノック               201601007

 

 最近、本棚から引っ張り出して「敗れざる者たち」と、「スローカーブをもう一球」という本を読み返した。どちらもスポーツのノンフィクションレポートで、野球の話題が多い。

 前者はプロの話題だけれど、後者には甲子園などが多い。僕は甲子園と無縁だけれど、練習風景ということで少年野球を思い出した。

 

 小学生のときにリトルリーグに所属していて、その町田リトルは関東大会で3位に入る強いチームだった。準決勝で調布リトルに2-3で敗れたのだけれど、調布は全国優勝してその後日本7連覇を飾り(僕たちの世代の4番打者はでかくて、猪熊という名前だった)世界大会優勝も果たすチームだったから、町田もなかなかのものだったのだ。だから練習も厳しかった。

 

 光安百太郎という調布リトルを育てた人が会長(おじいさんに見えたけれど今の僕くらいだったかも知れない)で、練習を時々覗きに来られていたある日、皆を集めて宣言した。

 

「厳しいノックをやってみよう。地獄ノックと名付けた」

 

 ボール(硬球)に対する恐怖心を取り除くことで補球技術を高めようと、至近距離から数百のノックを浴びせるものとのこと。

 説明の後、「受けてみたい者」と挙手を求めた。

 

 リトルリーグはアメリカ式年齢制限なので、4月生まれの僕は日本の一学年上に混ざっていたし、レギュラーぎりぎだったからリーダーシップとは無縁だった。それでも、自分が臆病だと自分で認めたくない一念で手を伸ばすと、驚きの声が上がった。挙手は僕だけだった。

 会長は「おお荒美受けるか」と喜んだ。

 

 チームメートの悲鳴とため息を聞きながら進んだノックは、やがて各自別の練習に移ったけれど、簡単に終わることは無かった。長く浴びていると面倒くさくなって確かに恐怖心は薄れ、いつか体で止めるようになっていた。

 

 次の練習日、今日は誰が受けるのだろうとわくわくして待った。まさか連続指名はないだろう。しかし、一向に始まらないので監督に訊くと、「あれは危ないからもうやらない。荒美は特別な経験ができて良かったな。」え?

あびこ                20161002

 

 先週末は我孫子に出かけた。建て主は音楽家で、仲間の5人が共同出資して、音楽活動や家庭菜園も視野に入れた拠点をコンテナで作る計画らしい。

 お目にかかる前に敷地を調査すると、がけもあるようなので一筋縄で行けるとも思えず、明日の3日、測量に入ることにした。

 

 僕は小田急線の玉川学園が最寄り駅で、高校時代もそれは変わりなかった。その高校時代、小田急線と千代田線が乗り入れるようになって、玉川学園前駅にも見慣れぬ車両が現れるようになった。

 ある日、僕が乗ったのは「我孫子行き」電車だった。読めないから、「がそんしゆき」と勝手に決めて、訂正の機会もなくて時間が経っていた。

 その後、博識な友人に「がそんし」って何だ?と詰め寄られ、あびこと読むのだと教わった。

 

 だから、我孫子にはちょっと気後れがある。つい、すみませんという気持ちが頭をもたげるのだ。

 ちょっと気後れしながら、明日、敷地調査のために始発に乗る。 

反省                  20160929

 

 ここしばらく、気持ちにゆとりのないまま雑感を記し、その後は忘れる状況だった。

 今日久しぶりに読み返してみて、その語調の刺々しさに自分のことながら驚いた。サッカー代表選や豊洲問題への不満も恥ずかしいし、出かけたことも記録の粗野な羅列になっている。

 

 それでも開いてみてくださった方に申し訳ない気持ち。

 

 少しくらい仕事が詰まっても、気持ちにはゆとりを持たないと、と反省した。無理に記すことなく、素直に生活の中の感想を残そうと思う。

ureu                                                   20160923

 

 9月の終わり、秋めいてよいはずなのに、まるで梅雨のような空に気持ちは塞がりがちなこのころ。

 しばらく前に豊洲市場への移転がらみで問題が提起されて、バラエティ番組では憤慨するコメンテーターの鈴なり。見ている僕は惚ける。用意されたバスに乗りたいひとばかりなら、街頭素人の方が愛嬌がある。意外性もあるかも。笑

 見なければよいのだから、それら番組への批判は当たらないだろうとは思うけれど。

 

 僕は、規模の大小を無視すれば、想像できることが多々あるので複雑な心境になったりする。発端は、土盛りで安全性の確保ができるという幻想をふりまかせた都政にあるのであって、それが実態と遊離していたのは想像が易い。

 であるなら、引継ぎや決済の責任の重大さを無視できないとしても、専門家に何か言わせれば収拾が図れるとした都庁と、そこに招かれて感想を述べただけ、それっきりの専門家、そうした行政手法と安易に太鼓を持つ民間識者体質がまずは断罪されるべきだと思う。

 

 小池新都知事には、オリンピックを視野に(言われなくてもそうなのだと思うけれど)透明化を期待したい。それは、理想とかではなくて相互信頼のマナーだ。

 

 ここで話のコぺ転。(若い人は知らないと思うので、余計なおっさん講座です:天動説を地動説に切り替えるくらい驚愕的な発想の転換を、その提唱者コペルニクスにちなんで、コペルニクス的転回と呼んだのでした、むかし)

 

 ああコぺ転ではなかったけれど、新国立競技場の問題から始まって、建設業界の闇と行政や政治の癒着をきっかけに、市民のための建築経済学を提唱した森山高至氏がいる。

 最近は各テレビ局から引っ張りだこで大活躍だ。僕は、大学の恩師の繋がりでその活動を数年前から垣間見ていた。現段階で彼が次のステージを考えているかは計り知れないけれど、氏の様子から学んだことが一点あって、それは周りの多くが醸し出す遠慮がちな気配を上回る熱心さだ。

 

 コメントも最初から素人っぽくなかったけれど、磨きがかかってきた。都庁の闇は別として、建設業界の悪い所と(良い所を)存分に披露して欲しい。建設業界は時間がかかっているけれど、他の業界に比べても切磋琢磨と淘汰に直面して長く、僕の仲間は相当にクリーンだと自負しているのだから。

会う                  20160919

 

 住宅の設計を中心にしているときは、お客様の人数は限定的だから、特に準備を心掛けなくても自然にお話しできていた。

 所属していた会社の信用力があったから、設計担当として営業的な振る舞いも特には必要とされなかった。聞く人によっては垂涎ものの環境にあったのだ。

 

 コンテナ関連の仕事が増えてきても、ありがたいことに真剣なお客様を選んで打合せの場を設定してもらっているので、お客様との距離感に変化は感じられない。

 それでも今までと違うのは、ご自身の住まい建設に限定されていた以前と違って、事業として建設を考えられている人が多いからだ。住宅の場合は、生活感や趣味など、感性とか相性が測られる気がする。他方、事業の場合は提案能力一辺倒だ。プラス感性。

 

 住宅の場合は、失礼な意味ではなくてお客様は素人だ。比してコンテナの場合は玄人。

 最近の実感として、玄人と会うのは簡単だと思ったりする。そして、いまさらのように振り返ってみると、住宅は難しい。

 だから、新しく学んだこの気持ちで、お住まいの発注者に会いたい。ちょっと贅沢な気分。笑

感化・順応               20160907

 

 今日は自宅の町田を早朝に出て南に向かい、葉山の仲間をひろった後、北上してアクアライン経由で外房に向かって横断し、打ち合わせを二つと現場視察をして、真反対をなぞって帰宅した。(先週は新幹線仙台日帰り、一昨日は後部座席にて潮来日帰りがあった・・・自慢・笑)

 何気なく車で東京仙台往復する人も多いらしいから、取り立てて言うほどのことはないかも知れないけれど、僕にとって(日常業務で)は、結構長距離。えらい。

 なんのことはない、みなの日常に引っ張られたのだとしても。

 

「久里浜からのフェリーもいいよね」という提案は、体よく却下。

 少しづつ、そうしたリズムに馴染んでいく自分を発見するのは、個人で仕事する身としてはありがたい。

 

 ここのところ知ったのは、千葉は空が広いこと。緑が優し気なこと。山というより丘の変化が楽し気なこと。千葉人は威張らないこと。

 

 夕日を正面に受ける帰路、富士山と東京湾が見え、渡り、もぐり、工業地帯と東京タワーを眺め、前の車のテールランプが頼りになってきたころは横浜横須賀道路に入っていた。

 その間の陽光の減退と奥行きの変化。奥行きの変化による世界との一体感と疎外感のはざま。

 我ながら子供じみていると思うけれど、一体となった躍動感と、それとは裏腹の問答無用な大きさがそこにあると思った。

 

 自分自身が変わって新しい気配(世界)を感じられるか・・・は未知数なまま、まずは恐れず感化されて順応してみたいと思った。

UAE戦                 20160901

 

 引き分けもあるかな、と見始めた2018W杯最終予選。出だしは日本が優勢で、早くに得点もしたので良い調子だなと思っていたらまさかの敗戦。

 1998仏大会以降、最終予選で最初に負けた国はどこも本戦に進めなかったらしいから、これは相当な試練だ。

 

 ただあまり悔しくないのは、「なんだか無理そうだなー」と思わされてしまうから。僕の想像の及ばない世界のことに、批判的に触れるのは本意ではないけれど、選手たちの熱が伝わってこない。

 友人がチームドクターとしてベンチにいることは何度か記したけれど、日ごろの様子から、彼が一番残念がっているのではないかと思うほど。(勝利は戦術の先にあるのではなくて、戦意の先にあるのではないかなあ)

 

 選手にとっては人生も変化するであろうW杯出場。だから、きっと本当に切実に望んでいるに違いないけれど。応援している観客が負けて悔しくない試合をしてはいけない。

 

 日本選手を侍になぞらえることが多いけれど、侍の集団はなかなか勝てない気がする。周囲の気配を大事にするから。

 勢いあまって相手DFに噛みついたスアレスのような、野武士が日本代表に上がってきて欲しい。

 ドローンのようにピッチを俯瞰できる能力はすごいけれど、ジャングルに突進できる選手もいなければ、組手の試し合いになってしまう。

房総半島                20160826

 

 いくつかのプロジェクトが進んでいるので、仲間と房総半島を訪ねた。

 途中、過日の台風被害が稲に見られて、立ち直ってくれるのかと車中で心配する。

 写真は、美味しいと評判らしい蕎麦店に立ち寄ったときのもの。僕はわからないけれど、近接した田んぼでも違う種類の稲が育てられているらしい。

 見学した施設の一部。僕たちは参考意見を求められるに過ぎないけれど、その豊かな自然資源におどろく。

 

 最近、日本の隠れた魅力をテレビ化する番組が多くて、それはあまり行き過ぎるとどうかと思いながら、嬉しさを感じることが多い。

 今回も同様。力になれるか別として、良い空気と地元の豊かさを感じた。

 最後はもうすぐ着工の別荘周辺環境再確認。

 海まで1分。うらやましい。

 

 どうでもよいけれど写真の解説。砂浜に出て、おっさんたちのくせに貝殻や石、流木を検分する。

 僕はひとり、3m超の流木を砂浜に立てた。最後は小指でバランス祈念。写真を撮ろと5歩退いたら傾き始めたのが水平線角度。仕事の合間に楽しんだ。

本3冊                  20160826

 

 最近、読み終わっていないものも含めて、とても楽しく読ませてもらった本が3冊続いたのでその記録。

 空気の発見は子供向けの本だけれど、感激満載。百姓の力は、わずか200年前への冒険。普通のデザインは、日本人の心構え。

 

 キーワードを挙げると、空気の発見では「質量保存の法則」

 炭は燃えて見えなくなったけれど、形(結合)を変えただけ。(あなたは没しても消えない)

 百姓の力では、「常に主人公」隷従したひとなどいない。(あなたもひとのせいにするなかれ)

 普通のデザインでは、「すごい日本」他国文化も素晴らしいけれど、日本の特性も忘れるな。

 

(ブックオフってほんと素晴らしい・・激)

学ぶ                  20160819

 

 今晩はシンクロナイズドスイミング団体?チーム?のフリールーティーンを見ながら仕事していた。他のチャンネル(笑)で見た競歩では、日本人選手が最終盤に競っている選手と接触して、それでもアナウンスが銅メダル獲得と祝っていたのでああよかったと思ったら、先ほど失格のニュースを見かけた。

(接触によるものか、他かは知らないけれど残念)

 

 昼から連続していた仕事は埼玉県のベーカリー店に関わるもので、コンテナを希望されている経営者ご夫婦へのプレゼン。

 詳細は何度も打ち合わせをしなければ決められないのだけれど、そのたたき台とは言え、あまりにも専門外と思われたら申し訳ないので、グループの専門家に教授願った。

 加えて、インターネット検索でいろいろな意見や事例を収集する。

 これが楽しい。夢中になって、室温が30度になっているのに気付かなかったから妻があきれたくらいだ。

 

 専門の仕事として、95点以上の回答を当然と要求されるとなかなかしんどい。だけれど、専門外も含まれているというエクスキューズがあるとなんと晴れやかなことか。だから資料収集が楽しいのだ。学生時代、いやもっと幼いころに戻れたように。

 学ぶのは快感だ。

 

 課題は、日ごろの仕事でも謙虚に学び続けることができるかどうか。決意するのは簡単だけれど、継続するのはなかなか難しい。

 

 ただ、連日オリンピックを見ていると、三宅選手、水谷選手、錦織選手、女子レスリング、バドミントン女子ダブルス、100m×4リレーのように、視聴者としては受け止めきれないメッセージを投げてくる人たちがいるので、せめてそれを励みにしたい。

(それにしても、バドミントンの「覚えていない」はすごい。セナの「塵まで見えた」をちょっと思い出した。)

虫の音                 20160813

 

 夜中に目覚めて何か鳴っているなと思ったら、テレビのオリンピック放送だった。

 昨日は、仕上げなければいけない事があって、妻も明るくなるまで仕事していたので(今回は硬筆習字の添削で、記事で紹介されるから力が入るらしい)、僕も負けじとテレビをつけたまま、柔道最重量級の決戦までは頑張ろうと決めていた。

 その後、錦織選手の試合中継が始まってしまったので、ハラハラしながら結局朝6時半まで見ることになった。すごい展開で、今でもやや興奮気味。

 

 翌日となった今晩、今朝?、マレー選手と錦織選手の試合の決着は知っていたけれど、モンフィス戦の再現はないのかと非現実的な期待をしたのが数時間前。今は、水谷選手が卓球で善戦、苦戦?している。その小さな実況中継音声が虫の音のよう。

 

 スイッチを入れて、明るさを取り戻したパソコンにあるのは、千葉の別荘計画の図面。見ているうちに虫の音が聞こえるように感じたから、オリンピックと何か繋がるかなあと考えてみたりする。

 

 虫の音は僕たちにいろいろ想像させる。ノイズとしかとらえないと言われている、オリンピック対戦国の人々に思いを馳せると、日本人の生活には際立った特色があるようだ。

 

 こうした感想は、「夜でこそ」のものかな。気づけば空は明るくなっている。今日もか、ああ、オリンピック。好。

新コーナー               20160806

 

 最近コンテナハウスを推進しているグループに参加しつつあって、その可能性に思いを馳せています。

 よかったら新しいページを開いてみてください。

左側のメニュー、ホームの下に設定した「鉄の繭」です。

よろしくお願いします。

平均台                 20160805

 

 オリンピック開幕前日とあって、テレビはオリンピック特集花盛りだ。活躍の期待されるいろいろな競技や選手に関して、エピソードや練習風景が紹介される。

 自分の体験に照らし合わせることができないので、ひたすら感心するばかりになった。

 少しその興奮が冷めたころ、平均台に立っている自分を想像した。コマーシャルの一場面がきっかけだったような気がするし、上ってみた経験がわずかにあるだけの平均台。突然のイメージだったけれど、目の前に浮かんだ体育館の風景と平均台に立つ高さは、映像としてそれなりにちゃんとしていた。

 

 それは試合に出るような場面ではなくて、日常の練習だ。高くて細い平均台に立って前転しようと息を整えている時。

(少し埃っぽくて高い所に窓がある)

 挑戦するか、どうしようか。出来るか、出来ないか。ああ、でも・・・逃げるわけにはいかない。爪先、足首、膝、腰、肩、脳天と、上に伸ばして肘でバランスを取る。

 

 そのような風景は有望選手ばかりでなく、中学校やあるいは小学校の体育館で、日常的に誰かがとらえているのだろう。

 

 オリンピックのような大きなイベントは、知らない世界を、妄想かもしれないけれど実感する気にさせてくれて、他人へのリスペクトを補強してくれる。

3枚の写真                20160801

 

 3枚の写真、とカッコつけてみてもたまたま続けて撮っただけなのだけれど、なんだか面白いと思った。

 最初はスーパーマーケットで買ったラーメン。熊出没注意は前に見たことがあったけれど、ゴリラはこの日初めて。同じメーカー。妻は一応話題にしたものの、明らかに興味外。無理もないか、僕だって誰かに勧める気持ちにはなれないし。

 真ん中はふと見つけた火事。Y幹郎君が住んでいるマンション(右側のタワー型高層階)に煙が届いていそう。以前、我が家の3軒先で火事があったとき、大丈夫か?とメールをくれたので、何かメールしようかと思ったけれど、離れているから心配ないので自重。

 右はNHKBS放送のブラジル編。世界一の透明度を誇るプラタ川。驚いて思わず画面を撮ってしまった。アマゾンだけじゃないんだ。

 

 変てこ商品を開発しているひと。火事で悲嘆にくれているひと、日常から離れて宙に浮いているひと。ほぼ同時に存在している世界なんだなあ。

小さな至福                20160729

 

 仕事で難解な処理を考えていたのに、パットメセニーの「WATERCOLORS」を聴いていたら、なぜだか良い気分になって至福とは何だろうと考えた。

 今日、いま思いついた風景ひとつ。

 

 リゾートなどでなくていい。風が入る庭のようなところで、背後にはしっかりした樹木か煉瓦造りの塀、建物がある。

 足元に虫は少なくて、頭上にはパーゴラなど日除けがある。

 そこに、少し先にある水面に反射した太陽光がゆらゆらと。

 

 陳腐と笑われて反論しないけれど、僕たち、わたせせいぞうさんに近い世代、高中正義さんでドライブした人はきっと頷くような気がする。

 

 良い気分の理由は明快。そんなことに思いめぐらす空の色があらわれたからだ。梅雨明けが遅れて、海の家の出だしがくじかれたのが少し心配(無関係、おせっかい)だけれど。 青い空白い雲、揺れる葉じりじりと動く影。

怖れ                   20160728

 

 20年近く前、「風の大地」という漫画を繰り返し読んだ時期があった。これは坂田信弘さんという元プロゴルファー、当時指導者兼作家が原作を書いたゴルフ漫画だ。

 漫画担当のかざま鋭二さんの凄さに驚きつつ、坂田さんの勝負師としての人生観や勝負所の名言に感心させられた。

 

 主人公沖田がアメリカのスーパースター「シルバー・スコット・ウォーレンⅤ」と死闘を演ずる中で、そのシルバーがキャディーに次のようなことを話す。

 

「恐怖が2本の足で立っていることを知っているか?それは過去と未来だ」

 

 「風の大地」は1巻~25巻くらいで満足して、そのうちスペースをとるからとブックオフに戻してしまった。だから曖昧な記憶だけれど、そんな内容だった。

 はっきり意味を解さないまま、それがずっと心に残っていた。

 

 先日、未読の本「この世で一番の贈り物」を本棚に発見して読んでみた。自分が買うと思えないタイトルだけれど、ブックオフの安い値札が貼られているので、気まぐれで混ぜていたのだろう。

 最後の紹介によると、(その時点で)世界18ヵ国以上に翻訳されて、累計3600万部以上を売った作家らしい。気の遠くなるようなベストセラー作家なのに、僕はその気配すら知らなかった。

 それだけの数が売れるだけあって、大変読みやすくてあっという間に読了する。楽しませてもらったけれど、講演者の殿堂入りを果たした・・・というような記述を見ると、アメリカ独特の文化のように感じられて違和感が無くもない。(先日スピリチュアル関連を読んだばかりでどうしても思い出してしまう)

 

 最後の数ページでメッセージが要約されるのだけれど、それはおよそ次のようなもので、シルバー・スコット・ウォーレンⅤのセリフと重なる。

 

 「昨日の失敗、後悔は取り返しがつかない。明日どんな困難に出会うか予測できない。そのふたつを足し合わせれば恐怖が生まれる。」

 

 先に触れたように啓発・教義の本なので結論は「今日を懸命に生きなさい」ということらしい。少し鬱陶しいけれど、シルバーの言葉と読むと、素直に頷くことができる。

音、気配                 20160720

 

 今日は蝉の音を聞いていた。少し遠くには建設現場のモーターの音があって、そっと降り出した雨が少しづつ大きくなったのか、屋根をたたく音に部屋が包まれた。

 雨上がりの夕方、家を出てみると、梅雨の空に夏の気配も混ざっていて楽しげだった。塊となったそれぞれ色の違った雲の群雄割拠。

 

 昨日と今日、そして明日はもっと違って夏になると思ったら、いいなあという感じ。

夕食                   20160718

 

 しばらく前、夕食を作ることは僕にとって小さなイベントだった。レシピの本やインターネットを開いて、それを台所に持ち込んで遊んでいた。

 「男の・・・」というような料理に興味はないし、高価・貴重な食材を使うこともなかったけれど、レシピにあるものをそろえるための買い物は必要だった。

 

 その後、たまの、ぽつぽつの夕食つくりでも、回数が増すと力みは自然に取れてくる。そこにあるもので、要領よく、できれば栄養と色のバランスが良くて・・・という発想に進化してきた。

 

 連休中、長女と孫が遊びに来ていたので、妻をそちらに向けようと作ったのが下の写真。

 豆腐ハンバーグと、明太子マッシュポテト、人参のバター炒め、それにしめじとピーマンの炒め物にブロッコリーのレンジ。皆、ただ一言「美味しいね」で終わるのが心地よい。

 この二日前にはたっぷり生野菜サラダとカルボナーラを作って高評価。(パスタは写真を撮る時間がない)

 カルボナーラは、パスタを茹で上げてオリーブオイルにからめて、別に作った焦がし気味のベーコンに牛乳・玉子・パルメザンチーズで作ったソースをお皿であえるのがヒット率高いように思う。

電話                   20160708

 

 昨夕、長女と孫が家に寄るのを待った後、車に乗り込んで出かけようとしたとき電話が鳴った。

 知らない番号なので後でかけ直そうかと考えたけれど、ひょっとしてと思って出てみると、ここのところ一部をお手伝いしている仙台近郊のプロジェクト発注会社の担当者だった。

 

 いくつかの事務的連絡・確認をするあいだ、何も声以外の音は聞こえないまま、しかし仙台の空気が僕の車に満ちた。

 それはとても暖かいものだ。

 

 昔だったら、電線には気配も伝える力があるのか・・などと考えたところだけれど、無線の今日。

 

 メールの便利さという、インターネット関連の果実に日々恩恵にあずかっているのは疑いようがない。それは双方の周囲環境を考慮しなくて済むことがラクで大きいけれど、今回は肉声の魅力にドキッとさせられて、時間や空気を共有する楽しさを再確認したのだった。

僕の一日                20160707

 

 孫の顔を見たり、親族の動向を注視したりすると、自分の一日がどんな意味を持っているのかと考えさせられる。考えさせられても特段変化はないかも知れないけれど、考える。

 

 わからないことが多いのは以前から進歩がなくて残念だけれど、みんなに幸多かれ、と祈念すると僕もすこし幸せになる。

自己啓発本                20160630

 

 昨日、散歩がてらブックオフに出かけて2冊購入した。

 ひとつが、「トスカーナの暮らしとインテリア」という実直一辺倒の小さな写真集で、まだ少ししか見ていないものの期待が大だ。

 

 もう一つは初めて買った自己啓発本ともいうべきスピリチュアル関連。(そういう関連があるかどうかあいまいとして)

 なぜ初めてかというと、30歳になる少し前に同僚だった人物---

この人は学歴もすごいしそこでの体育会(日本優勝争い)リーダーで大変華やかな人だった---が、自己啓発セミナーにはまっていて不可思議な気配を醸し出していたからで、率直に言うと胡散臭かったからだ。(セミナーでは全員号泣するとかまた聞きした。職場では多くの人が声をかけられたのに、僕は黙殺された 笑)

 

 購入したのは「こうして、思考は現実になる」というタイトルで、著者はアメリカ人女性とのこと。初版が2年前でそんなに古くない。

 

 読んでみたら、僕は著者の意図にかなりの懐疑心を持ったけれど、(真剣に欲すれは欲しい金額の小切手が届いたりする・・・・Oh)教えてもらったり再確認させてもらったことも多かった。

 そのいくつかのメモ。

 

「多くの人は世間を見るとき、見たいものをあらかじめ決定してから見る。」

「その結果、幸せになりたい人はそうしたものを探すし、そうでない人は不運な現状を肯定するものを探しまくる。」

「あなたが見ているものは、見えるかもしれない情報の、比例的には天文学的に小さな部分」

 

 さて、著者はアインシュタインや数々の偉人のエピソードを交えるのだけれど、それは僕は知らないので省略。

 

 僕が心打たれたのは次の指摘。

 

「イエスキリストは、崇められたいと言ったことは無くて、ただ、私に着いてきなさい---とだけ言った」

 

 この指摘は、共感というより共振した。

 著者は、イエスキリストの奇跡について繰り返し説明を加えるけれど、僕はキリスト教徒ではないし、正直ほとんど信用することができないので割愛。ただ、キリストという存在が、兄のようであるならこんなに楽しいことはないと思った。

 

 

 飛躍するけれど、漁村にあるらしい神社など、それを撮影したテレビ番組を思い出す。日本では、祈りと願いは多くの場合、家族・愛するひとのためだったようなのだ。そこのスピリチュアルはまた違った空気を僕たちの眼前にあらわしてくれるのだろうと考え、あるいはとっくにあったのだろうと考え始めた。

在宅勤務                 20160627

 

 最近、トヨタを始め、いくつかの大きな会社で在宅勤務制度が実行に移されるというニュースを見た。

 その善し悪しについてはいろいろな見解があるに違いないけれど、在宅勤務が例外的な現状からは、選択できる方向へ変わっていったらなあと思う。

 

 僕は、30代半ばから昨年まで住宅に関連する会社に勤めていた。そのために、昼間の住宅街を歩くことは一般的会社員よりも多かったと思う。その時、いつも感じていたのは会社回りの時間の流れ方と住宅街のそれの違いだ。

 

 僕が住んでいる町田の場合、都心に向かうと通勤時間は1時間から1時間半くらいになる。その間、みんな本を読んで目を悪くするのだけれど、その時間は違う世界に行くためのトンネルやゲートでもあった。ある意味、必須の時間ではないかとも思っていた。

 

 会社を離れて家で仕事をするようになって1年。何かがわかったとは思わないけれど、天気と日照が日々変わることには慣れた。

 長女夫婦と孫を見ていると、住宅街に流れる時間の方が生理的に自然であることは疑いようがない。沖縄や能登半島に出かけて感じた一番の収穫がこれかも知れない。

 

 在宅勤務でも生産効率が維持できそうな国は多くないのではないかと思ったりもして、日本はここにこそ注力して世界に発信して欲しい!!

 上の写真は新宿Lタワー28階のニコン店舗から撮ったもの。最後の写真はおまけで孫ウエルカムの遊び(まだよくわからないかも知れないけれど)。

集合・帰宅                20160623

 

 仙台近辺の、小規模だけれど熱心な建設計画に加わらないかと誘ってもらって、喜んで参入した。

 着工まで時間がないからということで、急きょの打合せを希望する。その結果、本体は横浜にあるので、僕の家(事務所)にほど近い「コメダ珈琲店こどもの国店」で会おうかということになった。

 

 夕食時に5人が席を囲む場合、ファミリーレストランでは迷惑だろうから・・というのが主たる理由だったけれど、初めて入ったコメダ珈琲店が僕はとても気に入った。(僕たち以外静かだった)

 

 打合せが終わって店から駐車場に向かうとき、若いメンバーが「7時なのに明るい!」と声をあげた。

 誰かが「昨日夏至だし」、と答え、みなが「そうなの?」と知らないかのように反応する。(日没を気にしない建設業者はいない)

 

 その後、それぞれ前橋・葉山・下馬に向かったはずだ。元気なひとたち。

鬼子母神                20160618

 

 今日は茗荷谷で打合せを終えて、池袋を経由しようとしたとき、天気が良いので少し歩いてみようかと思った。

 友人が古本市に出店していた鬼子母神が適当な距離だと思えたし、スマートフォンに方位磁石を入れたのも試してみたかった。

 

 超淡い期待、古本市開催に遭遇する・・・はかなわなかったけれど、鬼子母神ではろうろうとした読経が境内に心地よく響いていた。動画で撮ったのだけれど、そのままパソコンに送るのには長いのだという警告が出て残念。

 その後新宿方面に向けて歩き出したものの、高田馬場で今日はおしまいにする。

 高田馬場の商店街を気ままに眺めていると、1階は賑わいがあるものの、上に行くにしたがってうつろな感じのビルが多いことに気付く。

 普段そんな観察をしていないので自分の視点があやふやだけれど、地方のシャッター通りは東京でも既に現れているのではないかという気がした。わからないけれど。

 

 おそらく多くの人が感じているように、安さとシェア拡大一辺倒の競争は、誰も幸せにしないのではないかとあらためて思った。

町田から1時間             20160614

 

 先週と今日、用事があって金沢八景に出かけた。保土ヶ谷バイパスと横浜横須賀道路を使うと丁度1時間。

 町田という立地は、まあ田舎なのでどこに行くのにも一定の時間がかかるのだけれど、ちょっとした法則を発見した。

 

 中馬込の現場まで1時間。

 葉山まで1時間。横須賀、箱根、羽田空港、上野、湘南台、どれも1時間(経験則)。距離がまちまちなのは、自動車道の繋がり具合によるもので、下手をすると多摩川越えが一番遠くだったりする。

 ひとによるだろうけれど、車に乗ってのドアツードア1時間は、僕にとっては十分許容範囲だ。

 

 実は、かつて横浜方面の1時間は空いている時間帯の町田→横浜であって、帰りが夕方であれば倍近くかかかることがしばしばだった。その理由は、保土ヶ谷バイパスの終点が東名横浜町田IC付近で、しかも246と16号の交差部だったからだ。

 横浜から快調に帰ってきても、終点のはるか手前でストップしていた。

 

 先月、保土ヶ谷バイパスから帰ると空いていて、なんだか不思議だなあと思ったら長く工事していた立体交差が完成していた。

 この雑感でもかつてその工事途中を2度写真にしたけれど、ネットで記事を見ると4月24日に開通していたらしい。

 池尻のあたりから東北道に繋がるトンネル環状道路を走ったときを思い出した。 

 

 最近は246(玉川通り)も環七(上馬)まで渋滞のない時間帯があって、まだまだ渋滞にストレスのある人も多いと推測するけれど、一部分では別世界になりつつあるようで、ただ嬉しい。

 上の図は、多くのサイトに引用されていたので公共物なのかと。

ヨーグルト               20160613

 

 一昨日作ったカレーを今日食べたらとても美味しかった。

 クミンやクローブ、カルダモンをホールから調理するのが楽しいのだけれど、いかんせん、これらには「旨み」成分がないのでなかなか美味しく作るのが難しい。玉ねぎとトマトだけでは限界がある。

 そこで僕の出した結論は、最後にジャワカレーのルーをひとかけら加えるというもの。さすがに隠し味というのはおこがましいので、ハイブリッドと呼びたいところだ。(最初から素直にジャワカレーを作れ、という声が聞こえそうだけれど、実際全然別のものが完成している)

 

 カレー専門店では肉がほろっとしていて美味しい。それは上質な素材を丁寧に煮込んで作るからだと信じ込んでいた。だから、以前は圧力鍋を多用して工夫してみたのだけれど、なかなか思うようにいかなかった。

 

 あるとき、タンドリーチキンを本を見ながら作ってみて、思った以上に美味しくできて感激したことがあった。それがヨーグルトの力だった。(ああ、カレーもこうすれば良いんだ)

 

 ブロックで買ってきて大きめに切る。スーパーマーケットにある薄い袋に入れて、パウダースパイスとヨーグルトを加えてよく揉み込む(ここ大事)。1時間あまり冷蔵庫で馴染ませたらOK。

 

 ヨーグルトが肉を柔らかくすることなど常識じゃないか、という意見があるかもしれないけれど、未経験の人にはぜひにと勧めたい。僕は感謝されるかも知れない。笑

瀬戸内                  20160605

 

 昨日、乃木坂駅のそば、桂由美ブライダルハウスのはす向かいにあるTOTOのギャラリーで開催されている展覧会に行った。

 建築に興味のある若者たちで静かに賑わっていたのだけれど、きっと建築関係従事者でなくても存分に楽しめると思ったので紹介しようと思う。

 会期が今週末までなので、乃木坂・六本木周辺に行く可能性のある方は頭の片隅に。

 

 展覧会は三分一博志さんという建築家が作ってきた、瀬戸内海に近い建物の紹介だ。三分一さんは動くものをキーワードに自身の世界観を説明する。それは、熱と水と空気。従来、建築物は固定物として扱われるきたと思うけれど、氏は、動くもの・流れるもの、循環するものに目を凝らすことを主張する。

 僕はとても感激して楽しんだ。

 瀬戸内海は美しくて、ため息が漏れるばかり。

 

 乃木坂で展覧会に行かれたのは、僕も参加した某自動車メーカーの施設に立ち寄ったのが理由。

 その施設は大きな組織のイベントで、だから関わるひとも多くて僕が何をしたのか線引きが難しいけれど、胃を痛める機会は与えてもらった。(とりあえず胃が強いので痛みはゼロだったけれど、本体もジェットコースターのような施設も設計者はエープラスなので、昼夜気になりっぱなしだった)

 この仕事に参加できたのは、コンテナという海がらみの専門家集団の繋がりなので、三分一さんの瀬戸内展はなにか線上にあるように思えて嬉しかった。

 

「動くもの」に注目するということは、視点の多様性にも直結すると思えて興味深い。(僕は川が特に好きではないけれど、なんだか話がいつも川に近づくような気がする。)

散歩と火星                 20160602

 

 昨日今日と、電話やメールのやりとりだけで家で仕事していた。昨日は昼過ぎ、今日は夜半に歩こうと思った。

 数日前に火星の大接近とニュースで聴いていたから、今晩のひときわ明るいオレンジの星は火星かな。散歩から戻って検索してみたら、そんなに間違ってはいなさそうだけれど、そうだという確信も持てない。

 どちらかというと問題は月で、新月を撮ったつもりの後、数歩移動したら見つからなくなった。でもきっと月だ。(焙煎後のコーヒー豆のようだった)

明日1歳                   20160531

 

 ちょうど一年前、個人事務所をささやかにスタートした。

 一年がたった。そうした日を迎えられたことに、感謝の気持ちがこみあげる。

 

 客観的に見ればたったの一年だから、振り返るほどの時間ではないかもしれないけれど、また、誰かに伝えるという内容を持たせようもないけれど、感じたことはそれなりにある。そのひとつは、ようやく日々が自分の時間になってきたことだ。

 

 就業時間という約束ごとなどに触れたら、長く自己批判しなければならない身なので割愛するとして、それでも時間を自分の味方にするのは案外難しい。

 

 疲れて眠ってしまうまで遊ぶ・・・というのは幼児の特権だ。仮にそんなことを羨んでも、出来はしないし実際しようとも思ってはいない。

 ただ、少し手前のレベルで、やりたい時間にやりたいことを進めるのが一番自然で無理がないという実感は定着しつつある。

 

 次の目標は知らない世界に目を向けること。新しい一年、もっと楽しみたい。もっと変わりたい。

 

今日繰り返し聞いたのはこの曲でした。

https://www.youtube.com/watch?v=xN--yTnS45Q

拵えもの                   20160529

 

 標題にした字は、夏目漱石の文庫の解説中に「こしらえもの」とふりがなが振ってあったもの。うん読めたよと思った(笑)。

 その、新潮文庫の「文鳥・夢十夜」の解説には、次のような部分がある。

 

「漱石の文学を〈拵えもの〉として批判した自然主義のリアリズムに対して、〈拵えもの〉であることを苦にするよりも、活きているとしか思えぬほどに拵えたら如何、といった意味の批判を(漱石が)投げ返したのも有名な事実である。」三好行雄

 

 内容の一部分だけ引用したのは、このセンテンスが最近読み返した二つの小説の読後感を想起させたからだ。

 最初は吉村昭の「高熱隧道」で、黒四ダム建設に挑んだ人たちの壮絶なドラマ。次は五木寛之の「暑く長い夏」で、これは氏がたくさん発表した業界ものシリーズの短編。(黒人少年のルポルタージュを撮る過程で、過ぎた思い入れ〈ヤラセ〉の演出が悲劇を招く)(どちらも昭和50年ころ・・・)

 

 半月ほど前に、読売新聞が1頁を使って吉村昭と司馬遼太郎を比較した記事があった。それぞれの作家の少しを読んだ僕は、圧倒的に、しかし単に感情的に吉村昭が好きなのだけれど、その判断基準は文体の好みに加えて、どれだけ拵えてよいのか・・・というところだったと思う。(司馬史観のパワーも尊重するけれど)

 

 黒部渓谷にダムを作るためにトンネルを穿つ、という(準備トンネルだけで4年余りと多くの犠牲者をうんだ)事業の全体像を事実の羅列では伝えられない。

 日常の報道という商業行為に何が起きているのか、という実態にも取材だけでは肉薄しにくい。

 

 だからそこに、語り部のダイナミズムが影響するのは当然とも言えるだろう。

 

 事実がその構成次第で違った印象を醸し出すなら、僕は情報のどの部分を、どのように受け取るべきなのか。難しいなあと思う。

情報量と幸福                 20160525

 

 幸せの国ブータンも、当たり前のように都市化が進んで情報量が増えたから、従来の社会が継続されるかどうか心配する意見も出てきているらしい。

 もちろん、ブータンの幸せは発展途上国にこそ存在するという先進国の思い込みは違うと思うので、そうした外的環境変化だけで揺らぐことは無いのだろう。それでも、多くの情報にさらされて生活している身としては、少しおせっかいな心配が頭をもたげる。

 

 話が飛躍するけれど、田舎暮らしに興味をもった時があった。正確に言えば今でも興味はある。それでも少し距離を置く気持ちがあるのは、知人の世間話が発端。

 

 その友人は丁度今回サミットが開かれる伊勢志摩の出身だった。

 東京で婚約をして、郷里のお母さんに電話で知らせていた。ある時、サプライズで婚約者を紹介しようと思った彼は切符を手配する。いくつかの交通機関を乗り継いで、実家の玄関にたどり着いたとき、宴会の準備が始まっていることに気付く。

 まだ携帯電話が珍しい時代だったのだけれど、駅やバス停、道すがらの情報がお母さんにとっくに届いていたのだ。

 それを彼は面白おかしく語ってくれたけれど、その話の中に彼が潜ませていたように、僕もそのネットワークの密度にたじろぐ思いだった。

 

 

 もう一度話を飛躍させると、テレビ番組の東大東島取材になる。

 広いわりに平らで、しかし海面からは高い島だから、波の状況によってはクレーンで乗客を乗降させる。その港で、ある主婦に買い物が不便ではないかと尋ねると、「アマゾンがあるから」という返答だった。

 

 そうか、情報量と幸福指向は選択の時代に入ったのかと思った。

 刺激的な見出しやコメントに左右されるのはもったいない。かつてに比べて、相当に自己責任の時代に突入しているのだと思った。

ブータン                   20160524

 

 ああ、もうじき閉会だ・・・と昨日、上野の若冲展に出かけてみたら、170分待ちという看板が行列の最後に掲げられていた。あれだけ人気沸騰なのだから、せめて3か月くらいやって欲しいよね、と言いながらブータン展にまわった。月曜日だから、そのふたつしか開催されていなかったのだ。

 

 展示の最後に、ブータンの民族衣装を着てみるというコーナーがあった。妻にしては珍しく乗り気の様子を見せていたし、係の人も楽し気に誘ってくれたので袖を通させてもらったら、「ブータンの男性はがっしりしているようで細身の人が多いんです」と申し訳なさそうに言われて、(簡単に着るために背中にファスナーが付けられているのだけれど、胸囲95㎝限界と思われる)少し残念だった。それでも、誰もが幸せになれる展覧会を見てきたところだから、少しも不満は感じずにお礼を述べた。実際、僕たち夫婦はその係の人が撮ってくれた写真に、楽しそうに収まっている。

 

 ブータンの政府観光局のサイトを見るとすぐわかることだけれど、幸福量を誇るブータン人には自らをよく見せようという欲望が希薄だから、お世辞にも充実した展示とは言えない。

 ただ、写真や紹介ビデオに映し出される人々の柔らかい表情には胸を打たれた。

 幸福とは何だろう、と誰しもが考えるだろう。僕は4月に57歳の誕生日を迎えているから、以前よりは、少しであっても、その答えに近づいているはずだ。

 反面教師ということも含めて、孫がそうした世界の存在に気付くための窓になりたいと思った。

(写真はブータン政府観光局のサイトから借用しています)

武相荘                    20160515

 

 今日は、太平洋戦争時に白洲次郎と白洲正子が住んでいた鶴川の武相荘にでかけた。家から車で15分ほどの距離で、周りはすっかり宅地開発されているけれど、敷地は竹林や雑木林に囲まれているから当時の様子を想像することができる。(入館料1050円)

 

 戦前戦後を通じて30年あまり手をかけた家は、元の農家の構造を残している一方で、小林秀夫や魯山人が出入りしていた気配も色濃く残している。

 

 行く度に、家の一番奥の白洲正子の書斎に感銘を受ける。それは厳しさと温もりの入り混じったようなもので、スーパースターのような夫妻でも物理的な等身大があったという親近感を覚えるからだろうか。

 白洲正子の本には、鶴川村の人々との交流や、荒れた家に手をかけていく様子なども記されているので、より身近に感じられるのかも知れない。