雑感~20100917
MOKUBAZA 20100917
今日は祐天寺で外構工事の立ち会いをして、午後には原宿にコンテナハウスの打合せに行くことになっていた。
コンテナハウスを作っている会社は「シルエットスパイス」という名前で、僕にとっては暗示的だ。
神宮前に美味しいカレー屋兼BARがあるということを聞いていたけれど、なかなか行くチャンスがなかった。最寄り駅が原宿と言っても、10分程度の距離があるからだ。外苑前の花火大会の後、ずいぶん遠回りして行ってみたときも、道までお客さんがあふれていてカレーどころではなかった。
今回、昼過ぎに原宿駅前で待ち合わせることになったとき、友人の顔と一緒にMOKUBAZAが頭をよぎった。
お店は神宮前2丁目の信号から見えるところにあって、木造の小さなバルコニーで看板のキーマカレーを食べた。
カレーを食べると大抵幸せになるけれど、これほどなったことはない。
音楽の当り日 20100914
日曜日の夕方、馬車道から赤レンガ倉庫に向けて歩き出すと、近付くにつれて人が増えるので、もうすぐ6時なのに何だか逆だなと思った。そのうち、あちこちに大塚愛という名前が見えるようになって、着いてみると倉庫の海側に大きな仮設舞台が建てられていた。舞台裏に廻ってみて、スタッフの多さに仰天する。
その場を離れるときコンサートの手拍子が始まって、1時間半後に戻ってきたときはアンコールの声が響いていた。会場はシートで隔てられているものの、ステージ脇のスクリーンは外からも見え、野外だから音はそのまま聞こえる。
目的だったのか、通りがかりだったのか、結構大勢のひとが会場隣の広場に座って聴いている。大塚愛さんのちょっと感傷的なトークを聞いて、なぜ活動を休止するのか不思議に思いながら、僕でも知っている4曲を聴いて花火と同時にその場を後にした。
駅に戻る途中の万国橋というところでは、運河の対岸から生映像をビルの壁面に投影してのコンサートが開かれていた。こちらも終演前だからか、サマータイム・スタンドバイミー・タイトル思い出せないスタンダード、を聴くことができた。とても良い演奏と歌だ。しかも、こちらは正面から鑑賞できる。
思いがけず、構えずにゆったり聴ける曲を野外で楽しむことができて、横浜はいいなあと思った。
今日は音楽の当り日だ。仕事の後、町田駅で乗り替える時にも、エイサーと沖縄民謡を楽しんだのだから。
R と L 20100913
通勤途中の駅で、停車中になんとなく外を見ていたら 「パセリ」 という店の看板が目に入った。変わった名前だなと思いながら、何年か前にも同じように感じたことを思い出した。
二度その看板が目に留まったのは、パセリという片仮名の隣にParsley という英語標記があって、綴りが意外に思えたからだ。口の中で繰り返してみても、わかるようなわからないような微妙な感じだ。考えている内に、長年気になっていた車のシボレーCHEVROLET と同じで、Rが曲者だということに気付いた。
ネットで 「r 発音」 と検索したら、『(前中略)・・。ですから、基本的に英語のRとLには音がなく、舌の形や、ポジションと息が作り出す音だというわけです。』 とあった。
ちゃんと理解したという自信はないけれど、それでも霧が晴れたようにすっきりした。やっぱりインターネットは凄いなと思う。
美容室パセリも検索したら見つかって、「主役はお客様で、私たちは主役を引き立てる存在です。」 という説明があった。僕たちのような田舎の喫茶店を知っている世代は、必ずしもパセリに好感を持っているとは思えないのだけれど、それはきっと無用な心配なのだろう。ありがとうパセリ。
起きたら、雨 20100908
朝目が覚めたら何か違和感があって、それは雨の音だった。 「あ、雨だ」 とちょっと感激した。
最近天気予報をあまり見ていなくてわからないのだけれど、もしこれで真夏が去ったなら、なかなかカッコ良い夏だったと言わなければならない。スッと去ったのだから。
強烈なイメージで、しかもウロウロしないのなら首相に推したいくらいだ。
でも、帰ったように見えて駅前のゲームセンターにいる高校生のように、また戻ってくるかも知れないのでまだ安心はできない。
☆この公演は、大盛況のうち終了しました☆(9月7日)
お知らせ
9月3日(金)~6日(月)、井の頭公園 に、各地新聞でも取り上げられた、親子の旅一座公演が上陸します。(全国巡回の東京ステージ)
投げ銭形式なので、面白かった分に見合った出費で、でもきっと心底楽しめます。ご家族やお友達連れでぜひ!!
鏡池物語 20100905
この一週間気になっていた、楽市楽座が読売新聞に取り上げられていた。多摩版は日曜日だったけれど、23区と武蔵野版は土曜日だったらしい。
2回も新聞に取り上げられたことで観客も増えたに違いないし、加えて座長の出身地だから、東京公演というか、井の頭公園公演は初日から大盛況の様子だった。
写真を撮った後にもまた観客が増えて、すごい盛り上がりになった。
公演終了後も立ち去りがたい人が多いらしく、電気が消えるのは遅かったようだ。
来年も見たい、と切に願う。
そんなことは他になかなか思い当たらないのだから、とても大切だ。
カーナビ 20100905
先日叔父に会った時、「新しいカーナビのこと教えて。」 と言われた。
僕はカーナビを持ったことがないのでそれを伝えると、叔母が 「へぇーいまどき珍しいわね、道路地図を見るわけ?」 と言うので、「出かける前にグーグルマップをコピーしたりします。」 と答えた。
道路地図が気になって、ドアポケットにある変色したのを開いてみると、関東甲信越版で1985年刊だった。ベイブリッジが破線で、建設予定地と書いてあったのには笑ってしまった。
仕事で敷地を調べに行く時は、番地まで確認する必要があるので住宅地図かグーグルマップのコピーが必要だ。これと、広域にしたものを一緒に持てば、道路地図が無くても平気だったのだ。
それでもその程度の情報でよく辿りつけるな、と自分ながら感心して走ってみたら、なんのことはない、道路の行先表示がとても充実していることに気づいた。知らない町名のときは、日陰を見て東西南北の見当を付ければ良い。
でもそのせいか、僕が道に迷うのは曇りか雨の日が多い。
南房総への小旅行もコピー二枚だったけれど、晴天だったので楽だった。海沿いだったし。
誰かがお古のカーナビをくれても、多分僕は着けないだろう。目的地到着は僕にとってクイズのようなもので、答えがわかってしまっては面白くないからだ。まあ、そんなことを言っていられるのは、仕事で乗る機会が少ないからだけれど。
夏休み3-体験 20100901
月曜夜の楽日公演前、座長に 「翌日の舞台の撤収を見てみたいし、ちょっと手伝ってもみたい」 と申し出たら、「歓迎するけどキツイよ」 という返答だった。
民宿の朝食を終え、少し早く出かけてみると座長が準備を始めたところだった。
9:30開始。
炎天下の砂浜で、たくさんある電気コードを集めて巻き取る内、調子が悪くなった。でも多分まだ1時間も経っていない。離脱はみっともないと思うものの、押しかけ手伝いが勝手に倒れて救急車では最悪なので、木陰で休んだ。
シャツを脱いで民宿の手拭いを頭に巻き、大量に水をかけたらなんとか回復できた。
昼は主演女優の手作りパスタをご馳走になるチャンスに恵まれ、その後は町の共有物らしいスノコ屋根付き縁台でひとり休息を取った。吹き抜ける風に本当にリフレッシュする。
10歳のホーキオニ(役名)は友達作りの天才らしく、あっという間に仲良しになった友達と遊んでいる。それでも、状況を見ているのか、的確に座長と主演女優の手伝いをする。そして、その友達たちも同じように手伝ってくれるのだけれど、これが結構な戦力に見える。
夕方5時、親子の幸せが伝染して、かいた汗に心の底から満足して、そして舞台の仕掛けを観察して、自分の車に乗り込んだ。
夏休み2-野外劇
目的にしていた野外劇は、10才の娘さんを含む親子3人で上演される。金曜日から月曜日までの夜、4日の上演を基本にして週毎に全国を移動している。冬場は野外劇が難しいので、1年間で30余りの公演を予定しているらしい。
僕は、演劇に関して知識がないので客観的なことはわからないけれど、とにかく楽しい。どのように表現したら良いか・・・、あえて試みるなら、雑誌を見ていてきれいだなと思った商品や景色が、目の前に現れた感じと言っても良いかも知れない。
屋根がないと言っても、整えられた施設での野外劇は多少耳にしたような気がする。でも、砂浜に、境内に、広場に忽然とあらわれる舞台は他に多くはないだろう。
そして円形劇場で、演者と観客が一体になるのも新鮮だ。加えて舞台は回転する装置付きで、この回転に座長がどれだけの想いを込めているか・・・、ぜったい簡単ではないはずだ。
原岡海岸での公演を後押しした、南房総市の広報の方が見えて、来年はもっとアピールしたいとおっしゃっていた。
(投げ銭形式なのでチケットはなく、1円玉を含めたあらゆるコインと、あらゆる額のお札が投じられるらしい。)
夏休み1-南房総へ
今年は、2回に分けて夏休みを取ることにした。1回目は展覧会とカレー屋さん回遊。そして今回の2回目は南房総市へのドライブ。
なぜ南房総かというと、高校の同級生が野外劇を上演するからだ。この雑感の初めに紹介している公演の、ひとつ前の上演場所。
房総半島は僕の場合、観光の対象としては意識から外れていた。それはきっと、東京都心部を通り抜けないと行かれない、という印象があったからだ。遊びに行くのに、通勤路をトレースしなくてもと思っていたのだ。
でも、今回目的地は事前に決まっていたので、考えるている内にフェリーを再発見した。
東京湾をフェリーの甲板から眺める感じは、僕が触れるまでもなく快適そのものだ。一泊後の帰りはサンセットクルーズになって、用途のわからない巨大な船と近い距離ですれ違った。
南房総市の原岡海水浴場は、今年の活動を終えていてシーズンの様子はわからないけれど、とても魅力的な桟橋のある美しいところだ。写真に撮れなかったものの、石鯛の子供(釣り人による)をたくさん見た。
行き帰りに信号の極端に少ない道を走るうち、小学校の臨海学校と高校のそれは、岩井海岸と館山だったことを思い出して、ザ・夏休み、になった。
(久里浜~金谷間は約40分で、往復フェリー代は6,980円。1年間有効の20%割引券をもらった。)
下北沢 20100824
阿波踊りでは連というのだろうか、グループひとつあたりの人数は少ないものの、阿佐ヶ谷や高円寺などたくさんの連が、目の前を通過していく。
テレビで見る阿波踊りとは違って、下北沢の商店街は道も狭いし観客も少ないのだけれど、参加者の浮き立つような楽しさが伝わってくる。
数人の友人と下北沢に集まってみたら、偶然阿波踊り大会の日だったのだ。
下北沢は小田急線と井の頭線が交わるところに位置していて、本多劇場が有名なように芝居小屋やライブハウスなどが伝統的に息づいてきた。渋谷や新宿と違い、六本木や赤坂とはもっと違って、流行とは一線を画した人たちが多く集まっていたように思う。
若いころに行っていた店は、ミックジャガー信奉者が仕切っていたり、メジャーとはかけ離れたアメリカの田舎を真似たものだったり、翻ってファンキーな雰囲気の店だったりした。
小田急線では複々線化が進められ、これに伴って下北沢駅の地下化があるため、これを好機に再開発を進めようという声が上がった。その中で、街の独特の雰囲気をどのように継承するかが常に話題になってきた。
下北沢に長く住む友人は、店の入れ替わりが激しくなって情緒が失われたと語り、外に居る僕でもそうした変化を感じてはいた。
でも阿波踊り大会に触れて、僕の知らないところで商店街の熱意が継続されていることを見て、まだまだ期待したいと思った。
うぐいすと狸 20100822
動物番組を見ていたら、最近都心部で狸が多く見つかっていると紹介されていた。人間による乱獲や都市化などによって、絶滅の危機に瀕したり数が急速に減ったりしている動物が多い中、狸は東京都心部でむしろ増えているらしい。
世田谷線の線路わきの排水溝などをねぐらにして、食品ごみなどを拾ってくる様子が撮影されていた。
23区内で見つかるとは、という視点なのだけれど、多摩地域にいるのは当然と思っている訳でもないだろう。
でも、僕の住んでいる町田市玉川学園では、夜遅い時間に帰宅したりすると、確かに狸とばったり出くわすことがあった。
最近はうぐいすが日常的に鳴いている。
田畑がほとんど無くなったことが農薬を遠ざけて、環境のごく一部分が改善されたのだろうか。
佐藤雅彦 D 20100817
21-21 Design Sight の 「これも自分と認めざるをえない展」 は、とても面白かった。来ているのは若い人が多く、みな楽しそうにしていた。
体験型の展覧会ということで、始めのところで身長・体重・虹彩、そして手の動かし方を採取される。もちろん自由参加で、人を介すことはないし、名前以外は誰にもわからないようになっているのでほとんどの人が参加していた。提供しておかないと展示が面白くない。
展覧会だし、仕掛けや構成などいろいろあるからここで内容に触れるのは良くないと思うけれど、最初のひとつの展示だけ。
1.5m×3mくらいのテーブル状の画面があって、爪くらいの大きさのものが、金魚が泳ぐようにしている。近寄ってみるとそれは指紋だった。数百人分だろうか。僕も機械に指を当ててみると、僕の指紋が画面に現れてそのうち皆の中に泳ぎだしていった。ちょっと瞬きしたときに見失ってしまい、どれが自分の指紋だかわからなくなった。
展覧会を見終わって、同じところに戻ってきてまた指を当てると、たくさん蠢いている中から一匹というかひとつがスーッと手元に戻ってきた。愛おしく感じませんか?と記述があって、その通り愛おしいと思う。
ディレクターの佐藤雅彦さんとはどういう人かなと思ったら、2355とピタゴラスイッチの制作者だった。なるほど。
外苑・絵画館 20100815
先日曇りがちなのに被った日焼けに、今日の日差しはダメージとなりそうなので、海をあきらめて外苑の絵画館に出掛けてみた。
外苑一帯が日曜・祝日はサイクリング用道路ということで、車を外苑西通りに停めた。でも、CIプラザ近くのカフェ前ではみんな路上駐車していたから、駐車場代が勿体なく思えて車を取りに戻った。結構余分に歩いたから、海ほどではなくても日焼けの追い打ちになった。
絵画館は誰も居なくて、ヨーロッパの教会を思わせる静かさとドーム天井だ。ただ、来場者が少ないから仕方ないと思うけれど、冷房が弱くて今年の猛暑にはちょっとキツい。
中に、明治天皇の可愛がられた馬のはく製と骨格標本があって、思わず見入る。
馬の前脚が、ほぼ背骨に直結されていることがわかって、考えてみれば当たり前かも知れないけれどちょっと意外な気がする。そして、まだ品種改良がそんんなに進んでいない様子なのに、脚の骨はとても華奢だった。
背骨に一体化して、背ビレのようなパーツがあるのも新発見だった。当然だけど、馬は人を乗せるつもりではなかったらしい。
カレーは味噌
テレビでS.マックウィーンの 「Get Away」 を見て、何となく次の番組を見ていたら信州の味噌が取り上げられていた。
味噌を作っているひとが、味噌の 『噌』 という字は日本の創作した漢字で、にぎわいを表す意味が込められているのだと説明していた。
最近カレーを食べることが多くて、喫茶店的なところで作られるものが好きなことに気づいて、それはどうしてだろうかと思っていたのだけれど、味噌のように単一素材として熟成されたという点があるように思った。
コーヒーを入れ続けるような、小さな積み重ねの先にある味。
こんなこともできる、というパフォーマンスとは違った、ひょっとすると誰も気づかなくてもそれはそれで良いというような、作り手の自由さが感じられるのだ。
単一なのにたくさんの要素が混ざり合っていて、味わいが奥行きのような感じがするのも味噌に似ている。
スパゲティや天ぷらといったような料理ではなくて、まあ、そう、美味しいコーヒーのように、あるいは味噌汁のように賑わいを呼びながらも静かなものなのだろうという気がして、あるいは僕はそんなカレーが好きなのだと思った。
展覧会とカレー 20100814
今回の夏休みは特に予定など立てていなかったので、気ままに出歩く休みになった。展覧会とカレー屋さんをセットにしたら、思ったより楽しい夏休みになった。
目黒の庭園美術館と、祐天寺の 「カーナ・ピーナ」 :マトンカレー
ミッドタウンの21-21と、外苑西通りの 「ヘンドリクス」 :ポークカレー
小金井の江戸東京建物園と、国分寺の 「ほんやら洞」 :チキンカレー
今月は家でも、レトルトでデリーのカシミールカレーと中村屋のスパイシーチキンカレーを食べたし、シーフードカレーも作ったから、結構なカレー率になる。
ここに並べたカレーは傾向が似ていると思うので、どれかが好きな人がいたら他はきっとお勧めだ。
それにしても、カレー屋さんは葉っぱに覆われたところが多い。
有元利夫展 20100811
東京都庭園美術館で開催されている、「有元利夫展 天空の音楽」 を観に行ってきた。有元さんは芸大の卒業時の作品が大学の買い上げになったくらい、早くから評価された画家らしいのだけれど、38才で亡くなったので活躍の時間は長くなかった。今年が没後25周年とのこと。
年齢が一回りしか違わないので、観ていると何か時代的にとても近しいものを感じる。
庭園美術館が、ホームページに5分あまりの紹介ツールを用意していて、とても親切だ。
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/arimoto/index.html
絵画に限らず、作品を鑑賞するときに解放されるものと緊張を強いられるものがあるとすれば、有元さんの作品を前者という人はきっと多いだろう。とてもリラックスできて心地良くなる。
庭園美術館は 建物・庭園 自体が作品で、とてもふさわしい場所での展覧会なのだけれど、庭園入場料と展覧会入館料がセットになったチケットが多く、庭園を訪ねたグループがついでに入ってくることもあるようなので、時間帯を考えた方が良いかも知れない。
(入館料1000円:9/5まで)
一色海岸 20100808
逗子の先、葉山のひとつ手前の一色海岸に電車とバスを乗り継いで行った。
先月末に義父が亡くなって葬儀などいろいろあったのだけれど、入院が長かったこともあって皆に驚きはなく、静かに受け止められた。
義父は海が好きで、だから今日海に行ったことは少しでも供養になったのではないかと思う。
一色海岸は、知り合いが海の家を経営した時期もあったことから少なからず縁もあった。その海の家でお客さんと設計の打ち合わせをしたこともあったし、そうでなくてもバーべキューなどのイベントを思い出せば、結構通ったような気がする。
今日観察してみると、こんなに暑い夏なのに人が多くはないようで、穏やかに見える。目立った変化を挙げれば、パラソルの一部がテントのようなものに変わっていることがあった。
四角錐のてっぺんが丸くなったような形をしているもので、きっと日陰の確保には都合が良いのだろうけれど、なんだか生活感が溢れているようで僕の目にはあまり嬉しくない。
でも、少し離れたところに陣取ったカップルが面白かった。
黒い小さな雨傘を置いて、その小さい影に寄り添って眠ったあと、さっさと帰って行ったのだ。
スーパーパスモ
ニュートリノと小柴博士の話題が多かったころ、その観測された物質は地球を通り抜けてきたものという説明があって、そのくらい地球・物質・分子・原子というものはスカスカなのだと教えられた。確か、テニスコートとテニスボールとか、グラウンドとピンポン球のような喩えがあった。
見ようによってそれだけスカスカなら、衣服などは無きに等しいものかも知れない。とすれば、皮膚より荒く、衣服より細かいというレベルで洗浄剤を噴霧し、吸引・吸着することができれば、洋服を着たままのシャワーが可能になるかも?
ドラえもんよりだいぶ前の世代の僕がこんなことを考えるのは、今年の夏があまりにも暑いからだ。完成直前の現場は冷房がなくて、風の無い猛暑日に数時間居るとすごいことになる。昇り降りだってあるし。
先の装置は車の自動洗浄機に似ているけれど、立って待つのは退屈だから、自分で通り抜けるのが良いと思う。空港の金属探知ゲートのような感じ。
そこで思ったこと。通り抜けるならパスモだ。改札を通るたびにリフレッシュできるなら、乗車賃が一割増しでも歓迎するという人が結構いるかも知れない。一千万人いれば相当な開発費になる。年間一千億円?
闇夜の列車 20100728
大学時代の夏、友人に誘われて、宮城県のある町の法務局に土地情報集めのアルバイトに出かけた。
確か二泊だった。法務局のすぐ近くに地味な宿が確保されていて、そこから法務局の一室に午前午後と通い、木造の部屋で古紙と黴の匂いに包まれて、淡々とページを繰りながらリストを作っていった。
友人と僕を引き連れる雇い主は、とても誠実な感じのする細身の中年男性で、余計なことは少しも喋らず冗談も無いのに居心地が良く、不思議に落ち着いた時間が流れていた。宮城県のその町の独特な気配も作用していたと思う。夏休みの子供の歓声がとても遠くに響いていた。
帰りにその中年男性が、少し遠回りになるけどこの列車に乗ってみようと言った。2両立てで内装が木材の古い列車だ。
小さな町はすぐに出てしまって、田畑の中を走っていた。日が暮れるとあたりは完全な闇夜になった。窓の外は広いはずなのに漆黒で、ときおり遠くの山の稜線が確認できるだけだ。
薄暗い車内だけが窓に映るのを、僕は今生きているのかと思いながらただ黙って眺めていた。なぜこんなに静かなんだろう。
どこにも声はなく、小さな振動だけがかろうじて僕をそこに繋ぎ留めているようだった。
猛暑・熱中症
打ち合わせの間に車で移動すると、外気温が42℃と表示されていた。道路面のそばはきっと50℃を超えているだろう。
暑くなければ夏の感じがしないけれど、熱中症で15人亡くなったとニュースで聞くと痛ましいと思う。
サッカーや海水浴でどんなに汗をかいたときも、気持ち悪くなることはあっても具合が悪くなったことはない。それなのに、数年前、草むしりをしていて立てなくなったことがある。
何時間も熱中していたわけではなくて、20分とか30分程度だったはずだ。軽症だったから水を浴びる程度で回復したけれど、その時知ったのは、視野狭窄のような状態になるので人の助けがないと危険だということだ。
暑い日は、どんな作業であれ、特に慣れないことは単独で行わない方が良いと思う。
眠気の水位
火曜日の夜までに完成させたい仕事があって、祝日の月曜日に出社するかどうか迷った。でも、昼には予定を入れていたから、火曜日に始発で出社して頑張るというのも良いかなと思った。
17時間かかったけれど終電までに無事終わり、帰宅しながら徹夜と違って疲れが残りそうもないのが良いような気がした。
徹夜の最長は大学の卒業設計を出すときで、月曜朝の仮眠明けから、提出して帰宅した水曜の夜まで寝なかったことを憶えている。
そういえば、30代前半までは日常の中に徹夜があって、眠気には水位があると感じていたのだった。
元気な時が晴れで、まず始めに体の中に霧が出てきて、これが欠伸の出る状態だ。
それが雨に変わって降り続くと水がたまりはじめる。体の中の水位が鼻あたりまでくると結構きつく感じられて、むずむずと神経が動揺する。水位が目に及ぶと廻りが見えづらくなってちょっと変になり、これが額にまで達すると、水が冷えて凍るように頭が痛くなる。
こういうときにふと眠ってしまうのは居眠りではなくて、気絶だと思っていた。
今はもちろん気絶したりしない。それは、気絶までいくには基礎体力が必要だし、第一そんな状態ではちっともはかどらないからだ。
コンゴ共和国 SAPE
東京都写真美術館に、「2010世界報道写真展」 を観にでかけた。世界120余りの国から10万点を超える応募があって、選ばれた170点が展示されている。
軽い気持ちで行ったのだけれど、初めの三分の一はテロと暴力、貧困をそのまま撮った凄惨な写真も多くて、結構なダメージを受けた。
後半の、文化・生活といったジャンルでは日常的な場面が多くなり、少しホッとしたところで面白い組み写真に行き当たった。
コンゴ共和国でのSAPE(サップ)という活動?組織?に関する写真で、直訳すれば「エンターテイナーとお洒落な紳士協会」 という会のメンバーが、一年かけて貯めたお金でお洒落な洋服を買って、個性を競い合っているらしい。そのセンスが高く評価されれば、結婚式などにセレブとして招待されることもあると書いてあった。 彼らはアーティストを自認していて、決めポーズがとても大切とのこと。
展示されていたのは3枚で、独特の雰囲気でカッコ良いものだった。
家に帰って検索して見つけたのがこのサイト。
PHOTO STORY 2010 in association with GUP
写真の3・13・16番目が会場にあった写真だ。(赤チェックパンツ/片足コンクリートブロック乗せ/赤帽子、緑パンツ、葉巻/の紳士達)
血を流す人々とアメリカのローズボウル開幕式の航空写真、食用に殺され解体される象、そしてこのSAPEやほかさまざまな場面が広くはない会場に展示されていて、妙な感覚におそわれる。地球は大きいのだとあらためて思う他なかった。
夏、到来!
2010年の夏は7月17日にやってきた。
子供達の夏休み開始にぴったりで、きっとプールには歓声が溢れているだろう。でも、工事現場が熱い。
陰のあるはずもないピッチで真夏にサッカーの試合をすると、「おじいちゃんが迎えにきたけど帰ってもらった」とか、「おばあちゃんの呼ぶ声がした」とか、ひそひそ報告し合うことになる。
氷水を、ひしゃくですくって後頭部にかける瞬間、 歓喜 夏 。
印象派&エコール・ド・パリ
横浜美術館で、7月2日から「印象派&エコール・ド・パリ」展が催されている。
ポスターを見るとタイトルの脇に、「25人の74点」と書いてあって、この規模でまとめることが重要だったらしい。僕が出掛けたのは平日で、とてもすいていてゆったりと観ることができた。
平均して、一人の画家の作品が3点であれば丁寧に観ることができるし、画家どうしを比較しやすいから解説文も頭によく入ってくる。もちろん、もっとたくさん見たいという人もあるだろうけれど、印象派を俯瞰するという趣旨に誘われた僕にとっては、とても親切な展覧会だった。
モネの作品で、所蔵するポーラ美術館のサイトの中で、それぞれ「眩いばかりの陽光の輝きを描いている。」、「1日の終わりの一瞬の輝きと静けさを描き止めている。」と解説されている、《ジヴェルニーの積みわら》と、《エトルタの夕焼け》が本当にその通りでとても鮮やかだと思った。
どんな絵でも実物と写真では大きく違ってしまうけれど、ショップにある本と比べてみて、このふたつの作品はその落差がとても大きいように思われた。実物はまるで空気を描いているようで、自分がそこに立っている気さえするのだけれど、本ではそれは伝わってこない。(観覧料:1300円)
ギャン
決勝戦はイエローカードが飛び交ってちょっと興ざめのところがあった。トルシエさんがスポーツ新聞で、「大きな試合では、主審が早い内にレッドカードを出すことをためらう心理を、オランダは計算に入れていた」 と話していて、確かにそんな様子だった。
それじゃ、マリーシアじゃなくて越後屋だろう、と思う。戦う相手が違う。
挑発に乗らなかったスペインの強さが印象に残った。
今大会、僕にとってのベストゴールふたつ。 ( 日本戦以外 )
☆ 開幕戦のチャバララ ( 凄い技術の上、オープニングで祝祭的 )
☆ 対アメリカ戦、延長前半のギャン ( 倒れない、強い!大迫力 )
最も印象に残った選手・・・・・・・☆ エトー (特集番組を見たし)
最も美しいと思ったチーム・・・・☆ アメリカ
4年後の本田と長友、森本がすごく楽しみだ。
清潔でとても明るい所
ヘミングウェイの短編小説集 「勝者に報酬はない」 に収められている、
『 A Clean ,Well-Lighted Place 』 が短編小説で一番好きだ。
深夜のカフェが舞台で、バーテンダー二人と老人の客一人が登場する。何も起こらないし、何も論じられない。
金持ちなのに毎晩ひとりで酔いつぶれそうな老人の孤独を、不眠症の年配バーテンダーが新婚の若いバーテンダーを取りなしながら眺めている。それだけなのだけれど、風景として強い印象が残る。
物語の最後に、年配のバーテンダーがバーに寄り道しておかしなことをつぶやいたとき、店の男が 「オトロ ロコ マス(また変な奴が来た)」 と言う。
次のサッカー代表監督に、現チリ監督のビエルサ氏が候補として挙げられている。彼がロコ(奇人)と呼ばれていると新聞で読んだとき、バーの場面を思い出した。
ボレーシュート
連日世界がW杯で盛り上がっている。トーナメント中盤からは試合がとびとびになって寂しい思いをするけれど、体力的にはそうでなければ困る気もする。
かつての日本代表で、中村俊輔選手がコーナーキックを蹴って、名波選手が直接ボレーシュートを突き刺した試合があった。その丁度一週間前、距離は短いものの、同じシュートを僕は《草サッカーで》決めていた。不運にもその歴史的瞬間に立ち会えず、かつ僕のサッカーを知っている人はきっと信じないと思うけれど、本当のことなので淡々と記す。
僕の定位置は左サイドバックなので、シュートチャンスはあまり無い。この記念すべき日も、コーナーキックになった時はディフェンスに戻れる程度の位置に立って、こぼれ球を期待していた。
コーナーキックを蹴るのは茶目っ気のある若いテクニシャンで、彼と目が合ったとき感じるものがあったので少し前に出て行った。中に入れるふりをしながら放たれたボールは、皆の予想と別の弧を描いて僕の2歩先の膝下に来る。体重を移動させて利き足の左足を振ると、体の重心の鉛直面で、甲の芯がボールの芯を捉えた。
野球でもゴルフでも、芯でヒットするとボールの重さを感じないものだけれど、それは道具を使っているからだ。
甲にあるボールが超高速度撮影で見たように歪んで、甲がめり込んでいく感覚が伝わる。ノーバウンドで20mを超えてきたボールは重く、脚が戻されそうになるのを文字通り踏みとどまってなんとか振り抜くと、ようやくボールが剥がれて行った。
インパクト直前からゴール前までの映像が記憶に無いのだけれど、鈍い音を聞いていた。ボールは低く水平に飛び、運良く幾重もの相手DFや味方FWの隙間を通った。キーパーは1歩も動けなかったらしい、生涯一のシュート。
大桟橋
年に一度か二度、ワインとサンドイッチを持って横浜の大桟橋に出かける。芝生とウッドデッキが心地よくて楽しい時間だ。
一番の魅力は何と言ってもその設計にあって、海から港町を眺めるというちょっと珍しいシチュエーションをとても自然に演出している。微妙な高低差や斜面が、来ている人を美しく見せているようにも思う。
以前オーストラリアのシドニーに行ったとき、湾を船で通勤する人を眺めながら 「ここに足りないものは無いんじゃないか」 と思ったことがある。景色が大きく広がっているのに、箱庭を見るような近しさも感じられるのだ。
ビルや美術館やショッピングモール、遊園地に電車に港、坂道があって小島にはヨットやボートが停泊している。常に吹いている優しい風は、太陽の傾きと共に変化していくのだろうと予感させる。
でも、大桟橋も負けてはいない。ベイブリッジとインターコンチネンタルホテル、赤レンガ倉庫と観覧車、そしてランドマークタワー、横浜税関などが魅力的な風景を作り上げていて、一日眺めていても飽きることがない。
あの変わった形のインターコンチネンタルホテルを、僕はずっとみかんの房のようだと思ってきたのだが、それを話すと家族中から変だと言われた。ヨットの帆のイメージだという。
それでも、みかんを連想している人は少なくないとふんでいるのだがどうだろう。
東照宮
ひとの話に聞いていたけれど、東照宮のこれでもかという豊饒な装飾に圧倒された。
以前、奈良東大寺の南大門を見たとき、テレビで見た伝統家屋の茅の葺き替え作業を思い出して、南大門の大きな屋根に職人が何十人もとりついているところを想像した。それは、大和という名前に相応しい、漫画「火の鳥」に出てくるような映像に思えた。
それに対して、陽明門で想像されたのは職人の口論の様子だ。あの大きさのものにあれだけの細工を施そうとすれば、相当なストレスがあったに違いないと思う。どの職種も少しも引く気配が無くて、小さい中で全部が肘を張っているのだ。
何十万匹のひぐらしの大合唱を思い出させる迫力に、真夏にもう一度来たいと思った。
訪れた人たちは、みんな眠り猫という小さな彫物に夢中になっていて、陽明門よりよほど受けが良いように見える。それを面白がっているうちに、僕は三猿を見落として帰ってきてしまった。
金谷ホテル
金谷ホテルの居心地の良さは、今までホテルで経験したことのない特別な感じのするものだった。何かに似ているなと考えたら、それは山口県にあった田舎のおじいちゃん家を訪ねたときの印象だった。
祖父の家が立派だったと誤解される心配は無いと思うけれど、もちろんそうだった訳ではなくて、瀬戸内海から山側にしばらく入った小さな村の平凡な家だった。では何が共通していたかと言えば、木製の窓と厚みの不揃いな板ガラス、ペンキの様子、清潔だけど多少傷みもある床材、今風ではない家具などだ。そして日だまり。気にかけてくれる暖かい視線。
僕は設計が仕事だから、頑張って京都の人気旅館なども体験に努めてきたけれど、ホスピタリティという単語が素直に使えるところは多くないような気がしていた。それが金谷ホテルにはある。それはあまりにも平凡な様子をしていて、お金持ちには敬遠されるんじゃないかと思われるほどだし、実際そうなのではないかと今まだ思う。
初めて行ったのでわからないけれど、ずっとこうだったのだろうか。
そういえば、六甲山ホテルにもちょっと似た空気があったから、リゾートの草分けとしての特徴なのだろうか。
華厳の滝
初めて日光に行った。
湯滝と竜頭の滝、そして華厳の滝。こんなに美しいとは知らなかった。
華厳の滝では、エレベーターで100mを一気に降りる直前、すさまじい雷雨になった。乗客は僕たち家族だけで、エレベーター係員が 「停電にならないと良いですね」 と言ったので肝を冷やした。100mの筒に宙ぶらりんになるのは困る。
(ビルなら非常時最寄階自動着床装置が期待できるのでほぼ安心です。)
雷雨を背景に華厳の滝を見上げ、しばらくして激しい雨もおさまった頃、静かになったホールでエレベーターが降りてくるのを待っていた。
ようやく到着して、鼻先で扉が開いた瞬間声が出そうなほど驚いた。
雷で足留めだったのか、中年男性30人がぎゅうぎゅう詰めになっていたのだ。
東武グループの乗車クーポンは4日間で4400円。一泊旅行でも浅草-東武日光往復と、滝や中禅寺湖をバスで2往復した合計は12000円にはなるはずで、とても割安だ。
はやぶさ
一度ならず帰還が危ぶまれた小惑星探査の 「はやぶさ」 が、7年振りに帰ってくる。オーストラリアの砂漠にカプセルを運んで、自身は燃え尽きるらしい。
はやぶさは金属でできた機械だが、多くの研究者の思いが届いてふらつきながらも帰ってきた様子は、もはや無機物ではなくなっているような気さえする。
いくつもあったトラブルのとき軌道を逸れていたら、はやぶさはどれだけの時間、カプセルを抱いて宇宙を行くことになったのだろう。
遂行による消滅と記憶の彼方の存在、どちらが 『はやぶさの死』 なのか考えてみるのだがよくわからない。
夜明け
会社で仕事をしていたというのにうっかり遅くなって、ジョルダンで検索しながら駅に急いだ。玉川学園前と出たからホッとしたのも束の間、到着は5:37だった。地下鉄の接続が変わって0:18の前に乗らなければと思っていたのに、正確な時間を忘れていたのだ。
田園都市線最終の終点、鷺沼に降りると深夜バスとタクシーに長い行列があった。
歩き始めて、以前細い道で大きく遠回りしたことを思い出したので、246を行くことにした。でも、しばらく歩いてこれが結構つらいことに気付く。車で何百回と往復しているから景色がほぼ頭の中にあって、残りの距離が常に想像できてしまうのだ。
横浜市青葉区、田奈の駅で246を外れたとき、サンドイッチひとつ食べただけだったことを思い出し、24時間営業のデニーズに入った。初めての貸し切りデニーズだと思ってみたものの、ビールが寂し気に見えるだけだった。
田奈の駅と長津田の駅の途中には水田が残されている。白み始めた澄んだ空気の中、あぜ道を歩くと白鷺が二羽でくちばしを交互に田に差している。カエルの鳴き声とうぐいすの声、他の鳥のさえずりも聞こえてくる。
なぜ歩こうと思うのか、その理由のひとつがわかった。深夜から朝に繋がる、動き始めの時間帯が好きなのだ。もっともこの後僕は寝るのだから、睡眠願望をこれから満たすというひとりよがりな優越感が混ざっている可能性も否定できないけれど。
家には5:20に着いて電車より早かったのだが、土曜日一日僕は使えない奴だった。
ナイロビ便り2
以前ナイロビから写真を送ってくれたmdmさんは、ついこのあいだ東京で一緒に飲んでいたのにまたナイロビから写真を送ってくれた。(正確には写真をアップしたサイトを知らせてくれた)
踏査に向かった先で見かけたシマウマとのこと。ちょっと逆光で臨場感がある。今回の踏査の前のときは、水牛やダチョウがすぐ傍にいたらしい。ナイロビから車で30分程度なのに。
以前、NHKの衛星放送でサバンナ中継というようなタイトルの番組を見たことがある。解説のないまま固定したカメラから風にそよぐサバンナが見渡せて、ときおり遠くの象の鳴き声が聞こえていた。
mdmさんの写真には空や雲、どこまでも続く線路など大地を感じさせるものが沢山あって、俄然音が聞きたくなった。
小さいコリー
メンテナンスでお客様の家にお邪魔したとき、最近あまり見ることのなかった小さいコリーが飼われていて、学生時代のことを思い出した。
近所によく訪ねる友達があって、ある時遊びに行くと小さいコリーがいて友人は自慢気だった。
飼うようになったいきさつは忘れたが、初めて子分を持った若い衆のように喜んでいて、「名前はリキジにしたんだ」 とか言いながら、呼んだり何か命令したりしては小さな菓子を与えていた。コリーっぽくない名前だなと思ったが、犬は子供の頃飼ったきりだったし、ひとの犬の自慢を延々と聞かされても興味は持続しないので、適当に相槌を打っていた。
帰ろうと玄関を出たとき、家族名が並んだ表札に手書きの追加があることに気がついて、
「お前、犬と一緒に蟹も飼い始めたのか?」
と指さすと、
「カニってお前、・・・リキジだろう!」
と、しっかり不機嫌になった友人がいた。
手写本
自宅から徒歩で20分程度の「国際版画美術館」に行ってみると、「挿絵本の世界」という企画展が催されていた。(800円)(町田駅からやや遠いのが難点)
入場してすぐのボードに、『 ヨーロッパで活字が発明されたのは15世紀半ばで、それ以前は木版画か手写しで本が作られていたのです 』 と解説されている。その隣に、ガラスケースで保護された手写しの本があった。
見開きでB5ほどの大きさで、厚さは6センチ程度。太めのペンで書かれた多色の文字と、木版画の挿絵で作られていてとても精緻なデザインだ。
1460年ころの本という解説を見て、遠い昔を想像した。
本はとても高価だったと思われるので、昼間寝そべって読むようなことはなかっただろう。本は夜更けに燭台のもとに運ばれて、そっとページが開かれたのではないか。財力に応じて書棚の幅は様々で、金持ちでも数冊しか持っていないことだってあったはずだ。
当たり前だけれど、テレビもラジオも無く、そして電話や新聞すら無い。
あるのは闇と蝋燭と本。
このページはどんな気配を漂わせ、開いたひとはどんな表情をしていたのだろう。
午前2時
学生時代、僕はすごく緊張しながらあこがれの設計事務所にアルバイトに行きたいと電話した。1年半のアルバイトの時はもちろん、その後所員になってからも、先輩に教えてもらったことはすごい量になる。加えて自由が丘でバーボンなんかを飲ませてもらいながら、ナホトカからヨーロッパに入った様子などの冒険譚も聞かせてもらっていた。
その先輩が、東横線の白楽駅そばにちょっと難解な土地を手に入れて、建築主事とやり合うようにして店舗・スタジオ付きの家を新築したと聞いた。そのお祝いを兼ねた見学会があるというので、喜び勇んで駆けつけた。多くの仲間に会えて、先輩ともゆっくり話ができて楽しい時間を過ごした。
散会後、終電で横浜線の町田まで帰って歩くことにした。
家まであと3分というバス停で一休み。このあとは全部上り坂だから。
昼間は交通量のある道なのに、午前2時は静まりかえっている。団地の窓に灯りはあるものの、僕だけが起きているのではないかと思われて、その錯覚のせいか25年前がとても身近に感じられた。
古本市
谷中で行われる古本市を覗いてみようと、祝日の昼過ぎに根津に向かった。
少し早く着いて地上に出てみると、いろいろなイベントがあるのか大勢のひとで賑わっていた。
高校時代の友人が参加する 『 第10回 不忍ブックストリート一箱古本市 』 は、本を展示する面積を段ボール一箱分に制限しているとのこと。きっと、町や人の流れとの融合を考えてのことなのだろう。
友人が送ってくれたマップを見ると、この日は谷中の十ヶ所に4~5人ずつが店を開いているらしい。
近くから見始めて、早速、植草甚一のジャズエッセイ集2刊を見つけた。合わせて700円は定価に近いけれど、セピアがかっているものの新品同様だし、何より絶版になっているのだから嬉しい値段だと思う。
そうしてのんびり箱を覗いて歩いている内に、あることに気付いた。それぞれの箱が、とても個性的で強烈な印象を放っているのだ。そしてそれは美しさと置き換えても良いように思えた。
大きなエネルギーを注いで作られて、大切に読まれてきた本は美しい姿をしているに違いない。そうした本の集合が見る人を心地よくしてくれる一方で、違和感やきしみを感じさせる本や箱も少なくはないのだ。
僕は出品するだけの蔵書も人に見せる自信もないけれど、もし他人が見たらどんな印象の本棚なのだろうとちょっと心配になった。
友人の箱に辿り着いたときはずいぶん売れてしまっていたけれど、その箱はとても美しく清潔感に溢れていて、何だか僕まで誇らしくなった。
友人とバレー部後輩の奥さんが薦めてくれた本を、ゆっくり楽しみたい。
リースリング
大学で卒業設計・卒業論文の指導を受けた鈴木先生の住宅見学会があって、高輪に出かけた。44年前に建てられたということなのにとても新しい印象で驚いた。
先生の設計趣旨の説明では、メキシコを長旅しているときに 『発見』 した西日がテーマとのこと。思いを巡らせてメキシコの風景が見えたように思ったけれど錯覚だったかも知れない。
この日の主役は強烈な西日で、僕も大いに楽しませてもらった。
この住宅の現在のオーナーはワイン輸入商社の社長さんで、この方とワイン通の先生が選ばれたワインとチーズがとても美味しかった。
僕は普段あまり白ワインを飲まないし、リースリングという葡萄の種類さえ知らなかったくらいだから他人に勧める資格はないけれど、お世辞を言いそうもない廻りのひとが口々に美味しいと言っていたので、もし初めてのものを探している人が買ったら僕は感謝されるだろう。
フーバー リースリング : 2300~2700円
HUBER RIESLING Traisental D.A.C.
ゼリー・海
三浦半島先端の三崎港に行って干物とわかめを買った。三崎に着く前、途中で食べた真いわしの刺身が美味しくて期待は膨らんでいたけれど、本来日曜日の朝が有名な市だから、このときはマグロ意外は太刀魚くらいしか見られなかった。でも、生姜のきいたわかめはとても美味しくて収穫だ。
市場を出て防波堤に歩いて行き、海をのぞいて驚いた。ゼリーのように透明で、僕が普段みている隅田川とは全然違う。立ち泳ぎする人がいたら、きっとつま先が見えるだろうと思った。
この日の最初の目的は三崎港ではなくて、横須賀美術館だった。3年くらい前にできた、山本理顕氏の設計による居心地の良い美術館だ。
町田の自宅からは、保土ヶ谷バイパスと横浜横須賀道路を使って1時間余りで行くことができる。インターネットで見ると、菅野圭介という昭和中期の画家の展覧会があるようだ。「色彩は夢を見よ」 というタイトルにも惹かれるものがあって出かけることにした。
インターネットで紹介されていた絵も魅力があったけれど、シリーズのように何枚も描かれた砂浜から海を見た縦長の作品が魅力的だった。たくさんの色が投入されているのに、滑らかな水平なタッチが透明感を醸し出している。
来てみて良かったと思って、うれしくて足が伸びたのが三崎だった。ようやく訪れたように思う春の日、海の一日になった。