雑感~20110630

光                                                                     20110630

 

 まったくもって季節のイメージがどんどん変わりつつあるようだ。昨日今日の陽射しは6月のものとは思えない。僕達の子供時代なら7月20日の陽射しだ。

 

 終業式があって通信簿を受け取り、いつもより早い時間の帰宅の道で、今日のように晴れている日は何度あっただろう。その道から40日間の夏休みが始まるのだ。

 

 ヘッセの幸福論に、祭りの朝の子供の心理描写があった。

 目を覚ました少年は幸福な気持ちに満ちている。理由はわからないが、ただ幸福の中に当たり前のように浸かっているのだ。やがて遠くに祭りの囃子が聞こえ始めたとき、祭りの喜びがその幸福を引き裂いてしまうのだけれど。

 

 厳しい陽射しに一部溶けたアスファルトを突付きながら、まだ手付かずの夏休みをしかし手の中に実感する時間。逃げ水があちこちに見えた帰り道。

 大変に幸福だった。

男子ごはん                                                          20110628

 

 一昨日の日曜日、遊びで夕食を作ろうと思って家族に希望を訊くと、まだ夏本番でもないのに「さっぱりしたもの」という答えが返ってきた。

 自分では考えられないので男子ごはんの過去レシピを見ると、昨年の7月放映の分に「さっぱり和風定食」というタイトルがあった。

 それを読むままに作ったのが写真。

 男子ごはんはとても楽しいけれど、過去レシピに写真がないのは欠点だ。ある意味勝手に映像を思い浮かべる楽しみがあるとしても、やはり映像情報は重要だ。本を買えということなのか。

 

 でも今回は、言われた通りにやってみたら美味しいものができた。写真はパースがかかっているのでボリューム感が違っているけれど、奥の「茹で鶏肉梅ごはん」がメインだ。

 手前左は「トマトと卵の和風スープ」で、右が「オクラとインゲンのごま味噌炒め」

 

 バタバタと作っているところを見て、「まずい」とは言えないことを考慮しても、なかなかうまくいったのではないかと思う。

 いま静かに進めているダイエットにだって好材料だった気がする。

パレオマニア                                                        20110625

 

 池澤夏樹のパレオマニアを読み始めたらとても楽しくてすぐにでも旅に出たくなった。

 パレオマニアというのは古代に思いを馳せて妄想まで楽しむことを意味するらしくて、今、ギリシャとナイルそしてインド、ペルシャまで読んできた。

 これまでにも砂漠の方面に興味を惹かれて、いくつかの本を買ったり手に取ったりしてきたけれど、網羅的・学術的な匂いのあるものはあまりにも情報が膨大ですぐにこちらの容量がパンクしていた。片仮名の名前が連続すると迷子の気分になるし。

 

 池澤夏樹のこの本は、誰のためでもなく、知識を誇らず、ただ自分の目を楽しませるためだけに旅を繰り返す男が主人公なので、着眼点がフレッシュで直接的にこちらの気持ちを波立たせる。

 それでいて大掴みの世界観が博識に裏打ちされているので安心感もあるのだ。

 そうか、世界や歴史とこういう風に関わる方法があったのかと教えられた。

 

 子供達が独立したいつか、仕事と旅をゆったり繰り返して暮らすことができたら、と思う。パソコンを持って行けばできるのではないか。

 

 イスファハンの街角で、イスラム教徒に混じってアザーンを聞きたい。

クラッシュ後                                                         20110623

 

 先日地震のことを調べていたら、国宝級の寺社建築を例外として、建物の耐震性が明確に意識されたのが1900年以降だということがわかった。都市計画・建築基準に相当するものは1920年にようやく施行される。

 その後関東大震災と太平洋戦争があって焼け野原となり、もう一度立ち上がった日本はひたすら走って今の社会を築いた。

 

 歴史を習った幼いころ、1900年、明治の終わり頃は想像の及ばない昔だったけれど、50才を超えてみるとその倍と少ししかなく、現代のような日本はまだ若いのだなと思う。

 

 そこに原発事故というクラッシュが起こった。

 仮に原発事故がなくても、財政破綻というスローモーションのクラッシュは確実に進行していた。

 

 若いのだから思い切って方針を転換したらよいと思う。脱原発と規制の全撤廃。きっと混乱が生ずるけれど、充分耐えられるのではないか。それより、身を固くして足元に視線を落としてしまう方が、代謝が滞って病に倒れる確率が増すと思うのだ。

毎日新聞の風知草という欄の記事(6月20日)が本当のことだとすると、憐れみさえ覚えるけれど、しかしそれにしても相当にまずいなあ。

 

http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/

ふくよか                                                               20110621

 

 バルコニーの黄色い花が梅雨の控えめな陽射しに鮮やかだった。

 なにか形容詞を、と何となく考えていたら「ふくよか」なのかな、と思った。

 例えば、何色が好きですか?と聞かれたときに、黄色と答えるひとは多くは無いような気がする。でも、今日に限ってはそんな風に言ってみたくなった。

 

 黄色は多少ヒステリックな印象をともなっているように思っていたけれど、今日のそれはゆったりとしていて、説明を必要としていない雰囲気が良い感じだった。色に精神状態の投影が観察される性質、クールダウンとかモチベーションアップとか、があるとして、黄色はどのように説明されるのだろう。

 

 でも、そういうことから離れて自己充足している様子が、頼もしくふくよかだったのだろうと思う。

テレビ                                 20110618

 

 割と簡単にテレビのスイッチを入れる人間だけれど、最近あまりつけなくなったら快適になった。面白くない番組ばかりだ、とか文句を言いながらつけていたのは本当に無駄だったような気がする。

 

 そこでちょっと気が付いたのは、テレビという窓を通して外の世界に触れていたように思っていたのが、最近はテレビを通して他所の人が家に上がりこんで来る感じがし始めたということだ。

 これは良い傾向かもしれない。

 

 皆既月食のことを考えていてそんなことを思った。

皆既月食                                                             20110616

 

 今朝、出がけにテレビを点けていると、沖縄で観測された皆既月食の映像があった。とてもきれいで、文明の発達以前の地球で見たらどんな様子なんだろうと想像してしまう。

 

 

 僕は自分の目で見たことが無くて、どのくらいの頻度なのだろうとウィキペディアを開いてみた。

 すると、21世紀の100年間で、皆既月食85回、部分月食57回と書いてあった。天気や方位の障害物の影響もあるだろうけれど、注意していれば4~5年に1回くらい見られるのだろうか。

 

 太陽と地球と月が一直線に並んだ様をイメージしようとしたら、やはりウィキペディアに丁度良い写真があった。ただ、直径は地球の1/3.7らしいから、モデルが不正確という意味ではなくて、暗さの影響で少しだけ印象が違うだろうか。それにしても、手軽さに後ろめたさが無い訳ではないけれど、やはりとても親切で便利な情報源だと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88

KEEBOW                                                            20110613

 

 ひょっとすると、今回の発見は何人かの友人に感謝されるかもしれない。

 それは高校を卒業したころ、少し伝説のような気配をともなって一部で熱狂的に支持され聴かれたミュージシャンだからだ。

 

 僕は二十歳を迎える少し前に、友人Ymmから「いい曲があるんだけどレコードは見つからないから、ダビングのダビングをしてやろうか」と言われて、生返事で頼んだ。そうして手元にきたKeebowは一回目で気に入って、車を運転し始めたころ繰り返し繰り返し聴くことになった。

 

 発売は1975年で、僕が熱心に聴いたのは1979年から1980年だから、手に入り難くなっていたのも不自然ではないような気がする。

 「どこにも見つからないんだ」と繰り返し話していたら、音楽に驚異的に詳しいJerryがどこかの段ボール処分レコードで発見して買ってきてくれた。

 それは、確か最初に聴いてから7~8年は経っていたころで、プレイヤーを失くしていた。

 

 ユーチューブという便利なものを知ったとき、真っ先に探してみたミュージシャンのひとりがKeebowだ。でも見つからなかった。まあ、聴けないながらもレコードはある訳だからいつか、と思っていたら、昨日の検索でヒットした。2010年にアップロードしてくれた人がいたのだ。

 

http://www.youtube.com/watch?v=tW_PJjdlTrU

 

ジャズ                                                                 20110612

 

 今日ラジオを聴いていたらジャズピアニストの大野雄二さんがゲストで、自らが作曲したルパン三世の映画音楽などの話をしていた。

 ビッグバンドで演奏する、ある程度の年齢なら誰でもが知っているルパン三世のテーマミュージックなどを目玉に、定期的なコンサートが続けられているらしい。

 

 若いファンも多くて、若いミュージシャンとの共演も活発だということから、そうした活動の感想をパーソナリティが聞くと、世代が違うことは感覚的に差異を生むので興味深いという答えがあった。

 その中で、「僕たちリアルタイムで聴いてきた世代と違って・・・」と言った後で、「僕たちもリアルタイムでは無かったけど・・・」という小さな訂正が入ったのは面白かった。

 それはそうだろうと思いながら家に帰って検索すると、1941年生まれらしくて驚いてしまった。

 

 マイルス デイヴィスが台頭したのが1950年代中頃だから、十分にリアルタイムだったはずだ。きっと情報の入り方にギャップがあったためか、番組でも言っていたルーツはBe-Bopとする姿勢がそうした小さな訂正を生んだのだろう。

 

 それにしても、ルパン三世のあの曲の作曲者が現在70歳とは。そしてこんなにもナイーブだとは。

ゴォーという音                                                       20110610

 

 今日深夜、週末の打ち合わせのための図面を描いていて、少しも孤独感がないのは開けている窓から街の音が流れ込んで来るからだ。

 

 住んでいるのは町田市で、しかも奥まった住宅地だから幹線道路からは離れているのだけれど、谷を作る地形のせいか車の音と、耳を澄ませば電車の音も聞き分けることができる。(今は、数キロ先の救急車の音が移動している)

 それは基本的にはゴォーっという音で、あまり抑揚もない騒音だ。時折、近くの坂をバイクが走り上がる時は、人の気配を伴っていてうるさいけれどホッとするところもある。

 

 両親の実家がある山口県の田舎町から親戚が訪ねてきたとき、東京の夜は少しも夜のようではないと言っていた。それは、田舎の人なら当たり前の静けさが24時間見つからないことを恨んでいるようだった。

 

 そういう話を思い出す時、こういう町に住んでいることを実感して、将来静かなところで暮らすことができるかすこし不安になる。町田は田舎だけれど、やっぱり本当の田舎ではありえないのだろう。

明星                                                                   20110607

 

 これはあけぼしと読むイギリス在住のミュージシャンで、NARUTOという大ヒットしたアニメの主題歌を歌ったことで(僕は知らない)、長男を通じて知った。相当に有名なのかも。その主題歌がとても好きで、ユーチューブでまた別の曲を聴いていたら下のような一節があった。

 

・・・ロンドンでは、徴兵を終えたコリアの少年が、安アパートのキッチンでドラムを叩いている。

国の壁をくぐりぬけるひとつの祈りはあるだろうか。肌の色や言葉じゃなく・・・

 

 こんな風に抜き書きして伝わるかは疑問としても、聴いているとそこに間違いなく人が居る、という確かさがあると思った。

タイプは全然違うけれど、ブルーハーツを思い出したりする。

 

http://www.youtube.com/watch?v=uU4v7n0Q9uo

 

http://www.youtube.com/watch?v=BdmI-J4dDec&NR=1

 

 もし、退屈して何か聴いてみようと思ったらちょっとお勧めだと思う。

うぐいす                                                              20110605

 

 日曜日の今朝早く、5時に目を覚ますとうぐいすの声がすぐ近くで聞こえた。ふだんの朝ならすぐにももう一度寝るところを、耳を澄ませてみると他にもたくさんの種類の鳥の声が聞こえてくる。

 うぐいすの正反対の、最近目立つとんでもない悪声の鳥、規則正しく喉の運動をしているような鳩の声。

 そうだ、朝5時は鳥が大合唱を繰り広げる時間だった。大抵の場合、朝帰りの途上で聞いてきたのだけれど。

 歩き疲れたそういう時と違って余裕があったから、うぐいすを見てみようと起き出してみたもののすぐそこに居ることはわかっても姿を見つけることはできなかった。

 

 目を凝らすうち、雨が降った訳でもないのにしっとりと濡れたような木々に、新しい葉のつぼみ(?)がたくさんあることに気付いた。 思わぬおまけ。

暗がり                                                                20110603

 

 先日、深夜に家路を歩いている時、何か気配が違うと思ったらそれはコンビニエンスストアの明かりが消えていることだった。

 近所にできた別系列の店に押されたためか、駐車場確保など立て直しを図るために建て替え工事が行われるらしいと後から聞いた。

 

 それを聞く前、最初に発見した時は、真っ暗な建物のみすぼらしい姿に少なからず驚いて写真を撮ったりした。

 日が替わって改めて見ると、解体を前提にした看板の取り外しなどがみすぼらしく見える印象を増幅していることに気付くのだけれど、それでも建物の貧弱なことには変わりがない。

 眩しいほどの照明と、規則正しく陳列された商品ばかりを見ていたのだと今更ながらに気付いた。

 

 東京ほど明るく照らされた街は他に無い、という意見を聞くことが多い。アメリカに行ったことがないけれど、ラスベガスだって東京よりは暗いのではないかと想像される。

 

 思ってみると、近年の日本の街づくりや建築は暗がりの中での居住まいを考えてきたとは言い難い訳で、今夏の節電暗がりモードがどんな印象を人々に与えるのか興味が湧く。

 暗がりは、心落ち着けて見ることができれば優しさを含んでいるようにも思えるから、そうした新たな発見があれば節電もマイナスばかりではないかもしれない。街を構成するさまざまな要素のデザインがそちらの方向を向くとすれば、だけれど。

タイ                                                                    20110601

 

 タイとは言っても南国ではなくてネクタイもしくはスカーフのこと。

 僕の乗った今朝の半蔵門線はドイツ観光局にジャックされていて、ベンツのクラシックカーの写真からある日の赤坂アークヒルズを思い出した。

 

 その頃、アークヒルズの近くにある設計事務所に詰めていて、疲労困憊しながらアークヒルズの中庭で時々休憩をするという習慣があった。

 サントリーホールに続く中庭の一画に華やかな気配があって、近付いてみるとBUGATTIの新車らしいものと往年の名車が数台展示されていた。

 車に詳しくないけれど、その特別な感じは僕にもよくわかって、鉄の重みを知り尽くしているような欧州ならではのデザインだなと魅入ってしまう。

 イタリア人らしい関係者数名が会場点検に歩き回っていて、鮮やかな色のスーツが辺りの風景を変えていた。

 超高級車の関係者はやはりお金持ちでカッコ良いのだなと思いながら見ると、その華やかさはスカーフ(と言うのだろうか)に増幅されていることがわかった。

 そして、そのイタリア人たちがモデルのような体型ではないことに気付いて、そうかファッションはプロポーションだけではないのだな、と心強く思った直後に、むしろ彼らのアプローチが相当に難しいことに気付かされて消沈したのだった。

 

 スカーフ(?)など考えたことも無いけれど、余程に歳をとったら考えてみても悪くはないかと思う。ああ、それでも太ったままではまずいか。

ゲバラ                                                                20110530

 

 家族の借りてきたDVD「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観た。

 医学生ゲバラが、23才の時に友人と二人で南米をバイク旅する映画だ。主人公がハンサム過ぎる(ラテンのブラピと書いてあった)きらいはあるけれど、若い冒険心がストレートに表現されていて、とても楽しめた。

 以前、戸井十月という人がゲバラの一生を描いたドキュメントの本を読んだ時、あのいかめしい顔と全然違った青年であったことを知ってとても好感を持った。

 有名な髭面は、もともとは革命のために山に籠る時、虫を警戒して少しでも肌の露出を減らすためだったらしい。

 この本も観た映画も、作者・製作者がとてもゲバラを愛する気持ちが伝わってくるところに好感が持てる。

 いつか時間をかけて旅行できるときは、アフリカに行ってみたいと思っていた。野生動物を見るためではなくて、赤い土の道がうねうねと続く風景を実際に見て、歩いてみたいからだ。

 でもこの映画が、南米の美しさ、道の美しさを丁寧に撮っていて、だから南米もいいなあと思わされた。

 バイクの練習をしようかとちょっと考えてみるけれど、簡単ではないのだろう。

逗葉新道                              20110527

 

 明日も逗葉新道を行くのだなと考えていたら、そこを通る度にある友人のことを思い出していることに気付いた。

 Kmd君は中学校の友達で、高校時代に接触は少なかったものの、大学時代のあるとき、共通の友人を介して真夏の海に行くことになったのだった。

 

 よく憶えているのは彼が車を出してくれたからだろうか。準備の悪い僕たちは当たり前のように渋滞に捕まって、逗葉新道は駐車場のようだった。でも、誰もイライラしていなかったし、盛んに喋りながら夏の空気を楽しんでいたような気がする。

 きっと、今思い出すのはその前後のない時間なのだろう。

 

 本当は内緒だけれど、名古屋に思い立つまま住まいを定めてしまった二十歳の友人を訪ねたゴールデンウィークは、町田から名古屋まで16時間くらいかかったのだった。

 その時も断然楽しかった。

 

 梅雨入りが例年より早いらしいので、梅雨明けも早いといいなと思う。

乾いた文章                             20110526

 

 ・・・・・エル・バーラムの体は黒いアスファルトの上に、緑色のシャツと、紺のズボンに覆われた堆積のようだった。倒れたことを静かに主張していた。目がくらみそうな陽光をエル・バーラムの丸まった体は吸い込んでいた。・・・・・

 

 みちくさ市という古書を大切にする人たちのイベントで、町に分散して陣取った出品者の本を覗きながら歩いていたら、アポロンの島というタイトルの文庫本があった。冒頭に引用したのはその短編小説集の一部なのだけれど、とてもカッコ良いというか思わず「ヒット」と言いたくなる僕にとっての出会いだった。

 

 小川国夫という作家は有名なのだろうか。あまりに平凡な名前で見ている内に知っているような気がしてしまうけれど、でもやはり僕は初めて知った。

 昭和2年生まれで、学生時代にパリに留学して、ヨーロッパをバイクで旅行したらしい。小説の中でも度々バイクに乗った青年が出てきて、引用は接触事故のシーンだ。

 

 僕はヘミングウェイの短編小説がとても好きだ。なかでも好きなのは 「清潔でとても明るいところ」 というもので、色々な人が触れているのを目にする。ヘミングウェイと小川国夫が似ているとは思わないけれど、読んでいて導かれる空気感はとても近いものがある。

 

 とても乾いている感じがして、土や陽光の匂いが香り立ってくるのだ。

横浜町田インター                                                   20110522

 

 昨日は横須賀にお客様を訪ねた。電車なら、小田急線と東海道線、横須賀線に京急バスを乗り継いで、全部で二時間かかるところを、車なら保土ヶ谷バイパスと横横、逗葉新道と繋がるので一時間くらいで行ける。距離は多分45㎞くらいだ。横浜横須賀道路はたいてい空いていて、山の中を走るから気持ちが良い。

 

 ただ、帰りは夕方にかかったのでいつもの渋滞。町田が近づくあたりでそろそろかなと思うと赤いテールランプが見え始めて、そのうち止まる。

 

 だいぶ前だけれど、保土ヶ谷バイパス横浜方面から東名高速に連結した高架専用道路ができて、少しは渋滞が緩和されたようでもある。それを脇目に見ていよいよ横浜町田インターに差し掛かると、八王子方面から東名に入るための高架道路の建設工事先端が見えてくる。

 

 水を差すつもりは無いけれど、僕の感じている範囲では16号と246号の交差が渋滞の原因であって、東名は二番手以降に思われる。それでもこの壮大な高架道路は少しずつ進められていく。16号の八王子側にも柱脚工事があるから、16号と246号の立体交差のさらに上を跨ぐ道路になるのだろうか。

 

 正直なところ楽しみであって、でも、建設費を払うひとのことも気にならない訳でもない。きっと日本はそうした分岐点に差し掛かっているのではないかと、やはり心配だ。

 

 横須賀では、早く着きすぎて湘南国際村のフリーマーケットを覗いてみたら、骨董品の鋏を見つけて500円だからよほど買おうと思ったけれど、保管の難しさを考えて見送った。

五月晴れ                               20110520

 

 昨日今日と陽射しに力強さが増していて、きっと植物は気持ち良いのだろうなと思う。

 なんとなくBSをつけていたら屋久島の子海亀が月夜に砂浜を走っていた。殻を破った後、砂の中から表に這い出すだけで半日かかるらしいのだけれど、出てきた瞬間に海を目指して懸命に走る姿は可愛いというにはあまりに真剣だ。

 

 大人になる、なんだか変な言い方をテレビがしていて、それには30年を要すらしい。太平洋を渡ってメキシコ湾に着き、産卵の時にはまた帰ってくるということで、なんとも羨ましい人生もしくは亀生だ。本当に一部しか生き延びられないとは思うけれど、寿命は70年~150年くらいとか。

 

 そう言えば、鶴の群れがヒマラヤの8000メートル級の山々を越えていく映像を見たことがあった。鶴と亀の神々しさは、移動のスケールからくるのかも知れないと、ふと思う。

 

 テレビは屋久島の縄文杉も映していて、強風に倒れた樹齢2000年の大木から、新しい芽が出て風に揺れていた。倒木で地表に光が届くようになる2000年に1度のチャンス。屋久島は土壌としては痩せていて、だから倒木は次世代の栄養源としてゆりかごでもあると解説していた。

 

 光に緑輝く新芽と倒木は、見事なコントラストを見せて瑞々しかった。

フェイスブック                                                       20110519

 

 最近、フェイスブックを通じての複数の接触があって、久しぶりに使ってみた。

 フェイスブックの最初は、高校時代の友人Mdmが海外出張の写真を見せてくれたことに始まって、他のも見せてほしいと頼んだら共有ホルダーとして彼がFBを教えてくれたのだった。アルバムページを見せてもらって、便利になったものだなどと思ったままだった。

 

 今回は友人が友人を紹介してくれて、それは僕がお願いしたことだけれど、連絡をくれたものに返信しようとしたらそれはチャットだった。

 チャットというもののイメージはゼロではないけれど、なにしろ使ったことがないので困惑するばかりだ。

 こんな難しいものをみんな良く使っているなと思って、その通りの質問をしたら、意外とこれから使いこなせるように頑張るんだという率直な感想が複数返ってきた。

 

 きっと、僕はつぶやくことができないし、誰かのつぶやきを読むこともできないだろうと思う。ある意味でそれができる人に驚嘆するばかりだけれど、それは批判ではなくて、体質とかのレベルの問題なのだろうと思う。

 でも、リアルタイムの時間を共有できなくても、それはそれで良いという雰囲気もあって、恐れずに尻馬に乗ってみようと思う今日この頃だ。

田中角栄                                                             20110517

 

 電源三法の仕組みを聞くと、田中角栄という人はやっぱり凄いなあと思う。理念より情念に立脚していて、常にお金が飛び交っていたようで誰も清廉とは思っていなかったし、そもそも公共工事の利益誘導が無ければどれ程の手腕を発揮できたかという疑問もあるけれど、田中角栄がこの法律をまとめきれなければ原発は居場所が無かっただろう。

 大きなものを動かす時にはテコが必要で、電源三法はテコそのものだったのだ。

 

 田中角栄らしく話はストレートに出来ている。僕たち民衆から明確な不満を突きつけられない上限値に電気代を設定し、なおかつ競争を排除し、そのダブついた巨額の資金を政治と官僚が分け合って、過疎に苦しむ地方自治体の目の前にお金を積んで見せた、ということだ。

 

 本当に安全ならお金を積む根拠が無いのに、国が巨額な支出を続けたのは大変な矛盾だし、どうしてそんな背景で東電が民間企業でいられたのかと考えると、良いように使えるからだったとするのが自然だろう。

 だから、国は東電批判をする資格を欠いている。(しかしそもそも国って誰なのか)

 

 原子力村というバーチャルな村の住人がどれほど我が身を大事にするかを見ていると、暗澹とした気持ちになるのも仕方無いけれど、やはり僕たちはそんなことは放って置いて、子や孫の時代を少しでも快適にするために東電や電源三法の解体的再構築を政治家に求めるのが役割だと思う。(橋下府知事も言う首相公選制が良いのではないか、などと普段は全く縁のないことまで考えている自分がおかしいけれど)

 

 もうそろそろ、発展途上国のようであった田中角栄の枠組みから脱却しなければみっともないし、危なくさえある。

BGM                                                                20110515

 

 週末は、同居している父の通院の手伝いのはずが入院の手伝いになってしまって、本当は訪ねたい完成住宅の現場があったのだけれどキャンセルした。

 快復が見え始めてホッとしながらも、これからに思いを巡らすと、身を引き締めなければと思うところもできた。

 

 今日、日曜日は少し久しぶりにカレーを作ろうと思い、キッチンにパソコンを持ち込んでBGMをかけてみることにした。

 今までウォークマンとかそれ以外にも手を出さなかったのは、雑踏の音がある意味で好きだったからで、あるいはそれほど音楽が好きではないのかも知れないけれど、いつも昔の人のようにその場の音しか聞かずにいた。

 

 今日発見したのは、カレー作りとボブディランがとても同調することだ。前にも少し触れた記憶があるけれど、ボブディランの初期がより合っている気がする。

 単なる思い付きかなと思いながら、家事はお祭りのように生活の中心に据えた方がよいのではと考えた。知っていたようで、もう一度思った。

 

 食事の支度と食べること、それを超える活動はそんなに多くないのかと思うのだ。

でらうま市                                                            20110513

 

 ゴールデンウィークに長女が友人を名古屋に訪ねて、帰りに味噌煮込みうどんを買ってきた。

 僕は何の用事だったか忘れてしまったけれど、二度ほど名古屋に行ったことがあって、同行者に「名古屋に来たらこれを食べなければ」と勧められて食べたことを思い出す。

 新幹線の改札の中だったからか、二千数百円して高いなあと思ったけれどとても美味しくて感激した。娘に聞くと街中なら千円程度らしい。

 

 妻が「みゃあみゃあって本当に言うの?」と思っていないことを訊くと、「偏見だよー」と答えていて、やっぱりそうだよね、と落着した。味噌煮込みうどんは、お土産を家で食べても変わらず美味しいのがすごい。

 

 朝、半蔵門線で壁上部の広告に名古屋物産展のものを見つけた。うみゃあ名物大集合などと書いてあって、本当のところどうなのだろうと思う。

 それに、イベント名の 「でらうま」 とはなんだろう。

 きっと「すごく美味しい」と言いたいのだろうから、でらは比較最上級だろうか。メガマックを思い出す。そう言えば「テラ」という単位があったはずだ、まあ関係無いだろうけれど。

 

 超うま市よりは風情があると思いながら、でも名古屋はやっぱり異郷だと思った。

星野道夫                              20110511

 

 先日、未知の作家の本を買おうと小さく決意して、駅近くの本屋に寄った。

 タイトルを頼りに手にとってみて、カバーに殺人の文字があれば元に戻す。それを何度か繰り返した後(ミステリー人気はすごい)、これはと思ったのは星野道夫著 「旅をする木」 だった。

 目次に並ぶタイトルは自分に不向きに思えたものの、電車の時間も迫っていたのでレジに向かった。

 

 開いてみると、1頁目に引き留められる一行があって、その日はそれしか読まなかった。そんなことはあまり記憶に無いことで、何か反応したらしい。

 

 翌日読み進めて著者がカメラマンであることを知る。

 数頁単位のエッセイは確かに一枚の写真のようで、力強い構図の中に澄んだ空気が満ちている。ワクワクしながらも、ピュア過ぎる気がしていつ飽きるかと不安に思いながら読み続けた。でも、結局はそんな心配は不要だった。

 

 家でホームページを開いて、すぐ 「あの人か」 と思った。写真集なら何度も手に取ったことがある。頭の中で星野道夫という名前がゆっくり活字になっていって、どこかのいくつかの本屋の景色が思い出された。

 実は、僕はそれらの写真集があまり好きではなかった。正確には、写真以前に本のまとめ方や売り方が好きではなかった。だからエッセイは別人のようだと思う。

 

 まずはこの本を大切に読んで、いつかじっくり写真集を見ることにしよう。それにしても、ヒグマを書いた文章を楽しんだ日に、ヒグマに襲われ命を落としたことを知ったのは驚きだった。当時は大きく報道されたらしいけれど。

雑司ヶ谷                                                             20110509

 

 昨日は良く日の照った一日だった。ニュースでは関西で30度近くに気温が上がったそうだから夏と同じだったのかも知れない。

 以前、古本市が谷中で開かれたとき、出店する友人Okkに教えてもらって何人かで訪ねたのだけれど、昨日は朝思い立ってひとりで出かけてみた。

 

 夫婦で並んでたくさんのお客さんと会話しているのを見ていると、本当に本が好きなことが良くわかる。

 奥さんもやはりメディアに関する仕事をされていて、ホームページを見せてもらったことがある。

 想像を絶する友人の読書量にひけを取らないようで、書評のコーナーが大変人気がある様子だった。

 

 最近はしばらく休筆しているらしくて、再開を待っている読者の書き込みに、「また早いうちに あの男らしいしっかりした  書評を読みたい」というものがあった。

 そう、本当に(男らしいかどうかは別として)論理の立て方が明快で実にすっきりする読後感なのだ。僕も遠くない再開を待ちたい。

http://yomuyomu.tea-nifty.com/dokushononiwa/

 

 会場となった、雑司ヶ谷・鬼子母神は新宿から遠くないのに、細い道に入り込んだのは実は初めてだった。

 方角のイメージだけ(しかも間違っていた)で隣の西早稲田駅まで散歩してから帰ろうとしたら、行き止まりが多く直角の無い入り組んだ道に翻弄されて、4~50分後に鬼子母神参道入り口というところに出た。親しみを感じる風景だったけれど、もう一度訪ねる気力は残っていなかった。

佐野元春                               20110507

 

 佐野元春の公開講座番組「The Songwriters」の再放送を見た。

 今回はサンボマスターというロックバンドがゲスト。山口隆さんという人がボーカルで曲も書いているらしく、対談に応じていた。2回続きの後半を見ただけだけれど、とても面白くて、やはり佐野元春という人は凄いなあと思う。

 

 会場には60人くらいの大学生が参加していて、今日のテーマは東北大震災の状況の下での詩と歌の可能性についてのようだった。

 学生に紙を配り、震災を念頭にした4行詩を書いてもらう。楽屋で佐野さんと山口さんが6つくらいを選び出して、ステージに戻ってから紹介する。

 そしてその1行ずつを抜き出して再構成し、サンボマスターがステージでメロディーを付けていく。

 30分くらいで完成して披露された。

 

 メロディー、リズム、リフレインが、バンド仲間と相談しながら骨格が決まっていき、途中で佐野さんのアイデアも盛り込まれて出来上がる様はまさにライブだ。

 

 大震災を前に、あるいはたとえそれが無かったとしても、たじろぎ、とまどい、さいなまれながらも何かを探し続ける、現代の学生のさまざまな気持ちがテレビに写しだされ、その真摯さに感じ入りながら若い魂が懐かしく新鮮だった。

ビュッフェ展                               20110505

 今日はホテルニューオータニ美術館で開かれているビュッフェ展に出かけてみた。ゴールデンウィークはあちこちに多くの人出があることが報道されているけれど、都心の小さな美術館は空いているだろうと思ったら期待通りだった。

 

 26点の小さな展覧会なのでじっくりと見ることができる。

 ビュッフェの特徴のひとつに黒い線の縁取りがある。食器洗いというタイトルの絵は、重ねて立てかけられた皿と台の骨組みを描いた線の力強さが際立っていて、どんなスピードで筆を走らせるとこんな迫力が出るのだろうと思う。

 

 目を転じると、隣のコーナーでビデオが上演されていてそれは20分の製作記録だった。真っ白なキャンバスに向き合うところから始まって、丁寧にサインを入れるところまで、おおよそ全ての工程が簡潔に撮影されている。解説は無く無音だ。

 想像した以上に、遥かに早いスピードで筆とナイフが動かされる。手と目が相談しながら作業を進めているようだ。

 

 どんなに音楽に理解力があっても、鍵盤を叩く正確な指が無ければピアニストになれないように、画家もまた技術の人、運動とリズムの人だということがよくわかった。入館料800円。

ビンラーディン                           20110504

 

 ウサマ ビンラーディン氏が殺害された記事を読んで、ほとんど何も知らないのになんだか悲しい気分になった。アメリカ同時多発テロが彼の仕業なら同情の余地は無いかもしれない。でも話があまりに単純で、わかりやすいのが却って不気味だ。それに、ビンラーディン氏は何かこちらの気持ちを振動させる気配を持っていた。オーラというのだろうか。

 

 悲しさは、それは哀しさと言った方が合っている気もして、アメリカという唯一の超大国が国をあげてひとりの男を10年かけて追い回し、法廷に立たせることもなく射殺し快哉を叫んでいることにも起因する。

 

 是非はわからない。知らないことが多すぎて。

 この10年、アル カーイダと対峙した兵士達がビンラーディンと等しく危険にさらされたことは容易に想像できる。だから、現場が任務の遂行を喜び安堵することは自然に感じられる。でも、現場を離れてみたらそれは本当に勝利なのか。

 

 国というものが、ひとりの大人と同じように矛盾をはらんでいると考えれば少しも不自然ではないかもしれない。しかしそれなら、あまり自分の正当性を訴えない方が良いし同じように振る舞うことを求めない方が良いと思う。求心力と強制力は紙一重だ。

その時                                20110503

 

 昨日の出勤は鞄を会社に置いていて手持無沙汰だったので、売店を覗いてブラジルの記事が一面にあった産経新聞を買った。すると、読み進めた後ろの方に津波で流された仙石線車両の写真と記事があった。

 

 先日訪れた時、東塩釜から先が不通になったのは津波を受けてバラストが流されたからだと見えたけれど、ほぼ復旧していたからその先により重大な原因があるのだろうとは思っていた。

 無数の小島に囲われた松島の湾内は津波が減衰されたものの、やはり石巻に近づいた野蒜駅付近では三陸同様の破壊力があったらしい。

 インターネットに、地震直後のニュースで仙石線の電車のひとつが連絡不通となった記事が残っていたことを思い出す。この写真がそれなのだ。

 

 新聞記事によると、野蒜駅を上下線同時に出発した車両はその直後に地震で停まり、運転士達はマニュアル通りに乗客を避難誘導しようとした。その時、下りは停車位置が高台だったことを理由に、乗客のひとりが車内に留まることを提案して運転士がそれを受け入れたらしい。上りは避難先をも流され死者を出し、下りはしばらく孤島となった高台で難を逃れたとある。

 

 電車はサスペンションがあるから建物内よりさらに激しく揺れただろう。

 僕は遠く離れた東京で、あの次第に増幅される揺れの中、ただ自分の不安を抑え込むことしかできず、前後左右の状況は見ているだけ受け入れるだけだった。そんな自分を思い出すと、逃げようという提案を踏み止まらせた判断力と、貫いた意志力を感嘆するばかりだ。

カエル                                                                20110501

 

 僕よりは若い友人と携帯でメール連絡していたら、少し脱線してカエルの話になった。どうしてそうした脱線が起こったのか忘れてしまったけれど、なんと12匹のカエルを飼っているらしい。

 多分それは友人の趣味ではなくて、はっきりとは書いていなかったもののきっとお子さんの手助けだろうと思う。

 

 古参のカエルは5年を友人宅で過ごし、今では肉まんの大きさになっているとあった。カエルは生きているものしかエサにしないらしくて、大ミミズやトカゲ、バッタなどのエサ獲りが大変らしい。

 東京で毎日そんなエサになるものが獲れるのか不思議だけれど、買っている様子ではないし、だとすると5年を経過しているのだから大変な苦労だと思われる。(何カ月冬眠するのだろう、まだ起きるなとは思わないのだろうか?)

 

 でも、僕は静かに感動して文面を追った。

 そういうことができる子供とその両親、あるいは家族は滅多にいないのではないか。愛情にあふれているとは感じていたけれど、それでも驚いてしまう。

 そのお子さん(達)に、仮にいつか試練があったとしても、きっと頑張れるとまったく関係の無い場所で僕は確信した。万一それがお父さん(友人)の趣味だったとしても。

お知らせ

多田洋一さんのインディーズ文芸創作誌 「Witchenkare(ウィッチンケア)」 Vol.2 が4月1日に発刊。詳しくはホームページへ。作家・写真家の稲葉なおとさんの 「ニューヨークの流れ星」 を収録。

冷やし中華 (仙台 3)                                             20110430

 

 仙台に自分の出番がないことを知って、三陸海岸か福島に移動することも考えたけれど、徒歩で動ける範囲は極めて限定的で、本当に自分が迷惑者になってしまう恐れが十分にあったのでおとなしく帰ることにした。ああリュックが重い。でも、三陸では渋滞が問題になっていたし、状況を目で見たいという目的だけで放射線を浴びるのは無責任だとも思ったのだ。ただ見るだけなら、もっと早く来ればよかった。

 

 バスのチケットを買ってから昼を食べることにした。仙台だから冷麺だと思う。しかし、いくら探しても店先のメニューや看板に冷麺が無い。牛タンならいくらでもあるのだけれど、焼き肉店でも牛タンは1枚食べるかどうか程度なので、並べてもらってもこまる。

 道行く人に訊ねるのも決まりが悪く、駐車場のおじさんや工事現場のガードマンに訊いても反応が無い。

 

 仕方が無いので本屋でるるぶ仙台版を立ち読みして、それでも冷麺の記事がないことを見て、ようやく冷麺が盛岡なのだと思い出した。その雑誌の中に冷やし中華が仙台発祥と書いてあって、進化系冷やし中華として「仙台味噌冷やし中華そば」というのが駅のコンコースにあると知って、行ってみた。

 これは単に、麺以外に火を使わなかった味噌ラーメンだ。普通より脂身の多いチャーシューはざらざらしていて、はっきり言えば気持ちが悪い。蓮華があるのに使わなかったのはきっと初めてだ。 進化系はまたいつかにして、正統派にしておけば良かったと後悔する。

 

 外しまくりの1日だった。目的が不純だったからかと考え、いやそんなことはないと思い直す。東北の距離感を掴めたのだから良しとしたい。

 帰りのバスは、ゴールデンウィークらしく華やいだ女性が多くいたから、女性も昼なら心配ないのだろうと思った。

松島 (仙台 2)                           20110430

 

 トンネルの出口が明るく輝いていて、新緑の勢いが入りこんできていた。でも、盛りに比べるとまだおとなしい主張なのだろうとも思う。

 歩道があったり突然なくなったりしていて、無いところでは箱根のターンパイクのように歩行者を想定していない道を、スピードを上げた車が通過していく。怖い思いをしながら歩いているのは、東日本大震災のために仙台と石巻を結ぶ仙石線が東塩釜から先で不通になっているからだ。午前6時。

 

 本当は東日本大震災の爪痕を記憶に留める小旅行だったはずが、いつの間にか松島を愛でる観光旅行になったのは、喜ばしいことに違いない。

 途中の道で、下水マンホールが浮き上がりかけていたり、舗装に裂け目ができて段差が生じていたり、あるいは不通になった線路わきに小さな漁船が残されているなど震災の痕跡は散見されたけれど、きっと片付けが急ピッチで進められた成果として松島は平穏に見えた。

 

 松島海岸駅で折り返すことにして、臨時代行バスと電車で、松島から多賀城、名取を経て仙台空港までのおよそ40Kmを移動した。その範囲、その限りでは、テレビでたくさん見た光景に出くわすことは無かった。

 更地に数百台単位でひしゃげた廃車が置かれていたけれど、整然と並べられているので自然の猛威というものには感じられなかった。

 

 電車の中は中高生の笑い声が溢れていて、東北地方太平洋岸が一様ではないことがわかり、東京など離れたところにはやはり思い込みがあるのだろうと思った。

高速バス (仙台1)                                                  20110430

 

 東北に行ってみることを決めて、ボランティアに関するウェブサイトを色々見たら、条件が付けられていて自分が該当するものは見つからなかった。第一あちこちにボランティアの心構えが説かれていて、まだ何もしていないのに厄介者のように扱われるのが愉快ではない。

 もともとはボランティアが目的ではないので、たまたま手伝える場面があったらということにして、数日分の着替えや軍手をリュックサックに詰め込んだ。長靴は通勤に邪魔なので諦めざるを得ない。釘を踏み抜かないように金属製のソールを推奨するページもあったけれど。

 

 車は迷惑だろうし新幹線にも違和感があったので高速バスを検索する。夜行は仙台以北からで、運よく最後の一枚に予約を入れることができた。東京八重洲を午前0時前に出発して仙台駅には5時過ぎに着く。

 繁忙期で割増とはいえ片道3900円で、新宿や渋谷から町田への深夜タクシー代で仙台を2往復できるというのは発見だ。

 

 ゴールデンウィークだから混んでいるのだろうと思ったら、乗り込んでみると女性の姿はなく中高年の男性が多かった。カーテンが全部閉められているので、後部座席から見ると何か移送されるようで少し不気味だ。

 でも、走り出してみると快適で、いつの間にか寝て起きた時は仙台だった。

田村はまだか                                                       20110426

 

 朝倉かすみさんの「田村はまだか」を楽しく読んだ。同じ間違いをする人はたぶんないだろうから、注意でもなんでもないけれど、第1話、第2話というように進んでいって6番目の最終話で終わった次に、特別収録という同じような分量の短編があって、僕はこれを一体の小説だと思い込んで読んだ。

 だから、感動的に話が完結したのに登場人物は替わるし何というスローダウンしたエピローグなんだろうと思い、でもこれも面白かったので「そんな作り方もあるのか、ずいぶん変則的な方法だけど、へぇー」などと感心してしまった。

 いつの小説だろうと思って巻末を開いて気付いた。自分でもどうしたものかと思う。

 

 作者は同じ学年かひとつ違いで、なんだか1959年と1960年は当たり年なのではないかと思う。

 登場人物は自分の周りとは違ったタイプなので、共感という意味ではあまりピンとこないけれど、でも面白かった。

 

 何と言ってもタイトルが秀逸で、新刊の時に知らなかったから初めて見て、買わない訳にはいかないと思ったのだった。なぜ、山田はまだか、とか佐藤はまだかではダメなのだろう。

小太陽の塔                                                         20110424

 

 昨日の土曜日は、とても丁寧に家を作り続けてきた工務店の完成住宅見学会があった。

 西武新宿線の上石神井駅から石神井公園に向かったところにあって、西武新宿線は大学時代の友人が何人もアパートを借りていたので懐かしく思いながら出かけたのだけれど、景色はほとんど記憶に残っていなかった。あるいは変化したのかも知れない。

 自宅のある町田では横殴りの雨で、お客さんを大事にする工務店は新築の家の汚れを気にして中止ではないかと思って電話したら、質問の意味がよく通じないようだった。上石神井の駅に降りてみると、雨は降っているものの温和しいもので、確認の意図が伝わらなかったのも無理はないと思う。

 

 約束の時間ちょうどくらいだったから傘をさして気持ちよく歩いていたら、何か目の端に気になるものがあって立ち止った。ああ太陽の塔みたいだと思い、岡本太郎の顔を思い出した。後から家族に聞いてみたらざくろの実らしい。

 

 見学会では30台前半と思えるご夫婦と男の子の建て主家族が迎えてくださって、とても幸せそうに見えた。お話しをうかがうとまさに幸せを感じていらしている様子が確信に変わって、建築はやっぱりいいなあと再確認できてこちらも幸せになった。

キャンディーズ                                                      20110422

 

 友人が別の友人に宛てたメールをCCしてくれて、そこには、昨夜遅く打合せをしているときトイレに立った相手が携帯を手に肩を落として戻り、キャンディーズのスーちゃんが亡くなったと教えてくれたとあった。

 「僕はミキちゃんのファンだったけど」、というところがメールのきっかけらしいけれど、いずれにしてもその相手の方の落胆が見えるようだ。

 

 僕が最初にキャンディーズを見たのは中学生のころの新宿駅だ。小田急線の西口地上階で、今でもある階段の踊り場が特設ステージになって、ピンクの衣装をまとった少女、その時はお姉さんだったけれど、が、躍動していた。

 しばらくしてテレビで見かけてキャンディーズという名前だと知った。

 

 きっと、キャンディーズというとドリフターズの「8時だヨ、全員集合」を思い出す人は少なくないだろう。若かったからなのか、あるいは別の理由があったのか、体当たりの演技はいつも新鮮で、特段のファンでなくてもとても可愛らしいと思って見ていた。しかも、可愛いだけではなくて弾けてもいた。

 

 解散がピークだとみんな危惧したのに、ミキちゃんこそ芸能界から身を退いたらしいものの、蘭ちゃんとスーちゃんはとても高度な変身を遂げて、新しい魅力を振りまいた。それはとてもさわやかな成功事例だった。

 

 長い闘病があったことを初めて知って、チラッとテレビで見た家族が冷静に対応しているらしいことを見て、少しだけ悲しみを減じているように思った。

ラドリオ                                 20110421

 

 今日の昼はお茶の水に居たので、簡単に食事をしてから喫茶店のラドリオに行ってみようと思い、神保町を目指して歩いた。小径に入ると、ずいぶん久し振りだけれど変わらずに在った。

 

 お茶の水が懐かしいのは駿台予備校があったからだ。と言っても、浪人したときは駿台の試験で希望のコースは京都校しか受からず、早々と河合塾にしてしまったから駿台は現役の夏期講習と模擬試験の時か。あとは建築専門書店があるからだろう。

 僕の通った都立高校は府立二中を前身とする伝統校で、年がら年中お祭りをやっているから、現役で大学に行く者は少なくとも男子ではクラスで数人だった。3年の冬に深刻な顔をして相談しているのは、大学受験ではなくて予備校受験だった。お前受かりそう?

 

 そう言えば、学生時代にも本屋と画材屋「檸檬」を目指してお茶の水には結構出かけた。半日かけて4~5冊を選び、疲れ果ててラドリオに着くのだ。でも、テーブルに真新しい本を載せるのはとても良い気分だった。

 

 入り口脇の、出窓のあるところが死角になっていて居心地が良いのだけれど、意外と空いていることが多かった。今日もそこに座った。本当は雨が降っているともっと良い。

楽隊のうさぎ                                                         20110420

 

 中沢けいさんの、「楽隊のうさぎ」を読んだ。小学校で心を閉ざしていた少年が中学校でブラスバンド部に入り、全国大会に臨むストーリーだ。

 10年ほど前に発表されたもので、50代男性を読者に想定していないのは明白だけれど、とても楽しめた。それは作者と同じ年齢だからだろうか。

 

 どのくらい読まれた本なのだろうと検索してみると、レビューに批判的なものが多くて意外な気がした。言われてみれば思い当たる節もあるし、もともと新聞の連載小説らしいから全体の緻密さにおいて完成度が高いとは言えないとしても、生命を歌う場面がいくつもあってそれは誰の真似でもなくて中沢さんならではの表現になっていたと思うのだけれど。

 

 イタリアのオペラ歌手パヴァロッティのCDを、車中でボリュームを上げて聴くのが好きだ。

 パヴァロッティほど漲るひとは滅多にいなくて、歌う喜びが全身から溢れ出てくる。そして、『歌う』 瞬間は、何も声をメロディーに乗せる音楽ばかりでなく、絵画でも料理でもサッカーでも、何にだってある。

 それを感じたとき、それを幸せと呼ぶのだと中沢さんは言っていると思って共感したのだ。

日本の不思議                                                       20110418

 

 新しいアエラに東電への融資に関する記事があった。経産省の事務次官が銀行の頭取のひとりに密会して、政府の暗黙の保証を与えたことが二兆円の無担保融資の背景だとある。

 政財界に詳しい人でもこのことを明瞭に説明できるか疑問だし、僕のように普通以上に疎い者はただ驚いて不思議に思うしかない。そのような巨額の融資が口約束だったらそれはそれで一つの事件のはずだ。ましてや一方が政府なら。

 

 一行当たり数千億円というのが大した額でないということ?銀行横並びって何?癒着は公然のこと?俺たちがやるから黙ってろということ?

 

 アエラの記事だって当てにはならないけれど、しかし二兆円の融資とこの背景の指摘は複数のメディアがずいぶん前から報じていることで、そこは間違っていないとすると、どうしてもっと明確に「不自然・異常」と言わないのだろう。

 

 今回の原発の事故で、東電を悪者にするのは簡単だしすっきりした気分を得られやすいけれど、本当はそうではないと思う。でもだからと言って、検証の前に救済を前提にするのは偏りすぎている。

 

 誰が何を決めたのかわからなくするシステムこそが、原発事故に象徴的に現れた現代日本の弱点だとみな確認しているのだから、こういう話こそマスメディアのちゃんとした論評が欲しい。

大黒天像                              20110416

 

 世田谷美術館で白州正子の展覧会が開かれていて、観てきた。白州正子と白州次郎はいつごろからか大変な人気者で、地味な展覧会かと思ったのに想像以上に賑わっていた。

 

 展覧会には白州正子が見出した数多の美術品が展示され、彼女の論評や感想が綴られているけれど、とても全部読むようなゆとりはないので、ただ眺めた。

 

1 高さ30センチほどの大黒天像という彫刻が、生きているようだしとても現代的で何か不思議だった。

2 11面観音は美しいけれど、うっかりするとヘアースタイルと混同してしまう。なぜ11なのか調べてみようと思った。

3 農村にある面の中には、何かすごい気配を感じさせるものがある。

 

 白州正子が訪れたのはかくれ里だ。だから、やはり展示はそうした点を軸にして欲しかった。

 

 僕は、小学生の時に山口県の田舎で祖母と訪ねたお寺の昼下がり、住職を待つ間、少し先の蝉しぐれを薄暗がりになった広間で聞いていた時間を重ね合わせて、ようやく展示品とまみえることができたような気がした。

 

 砧公園は、天気雨と家族で香りたっていた。

終の栖                                                               20110414

 

 先月末、藤原新也が大震災に対して攻めの姿勢を見せるべきだと、大切な酒をブログ読者にプレゼントすることにした。

 最初は10本だったけれど、ハガキによる応募に限ったにもかかわらず殺到したということで、蔵元発送の20本が追加された。

 お酒にうるさい瀬戸内寂聴さんと、不味い物を口にしない藤原さんが広島に出かけて作ってもらったというお酒で、タイトルは藤原さんの書による。「終の栖」

 

 生まれて初めて懸賞というものに応募したら当たった。しかも藤原事務所から送られてきたので、最初の10本だ。

 ハガキの字がきたなかったから期待していなかったけれど、公平だったのか、機械的だったのか、いずれにしてもラッキーだった。

段ボール                              20110412

 

 プールに行くと、帰り道にスーパーマーケットがあるので買い物に寄ることがある。しばらく前まではスーパーマーケットはただ混雑しているところに見えてあまり近付きたくなかったけれど、プール帰りにひとりで寄るようになってみると商品がかたまりではなくてひとつひとつに見えてきて、結構楽しいことに気付いた。

 

 実に多くの産品が実に多くの地域や国から、たくさんのメーカーや流通経路を経て集合している様は、極めて今日的なものだと思う。

 

 いくつかを覗いて、店によって値段が違うこともわかってきた。

 僕と妻が気に入っているのはOKという名前のところで、チラシを作らずにその経費をカットしているというのがいい。実際に安いと感じられるし。

 そしてこのOKはレジ袋が有料で、それは6円だけれど要は使うなという姿勢だ。たいてい袋を忘れるので、そうした時は用意されている段ボールを使うことになる。

 

 そうしてみて発見する。

 食材は、レジ袋に入れるよりも段ボールに入れたほうが断然美味しく見えて、加工、調理のイメージもわきやすく、何と言ってもリアルに活き活きしてくるのだ。

 

 ダイニングテーブルや食器と同じことが、ここでも起こっているのだと思った。カウンターが大切なのは何も寿司屋ばかりではない。

コメント付記                             20110412

 

 3月12日の雑感で原発に関する下のサイトを紹介したけれど、このサイトに関する疑義の記事を複数読み、同頁に下のコメントを付記した。

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http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html

 

4月12日注:平井さんという方が講演などで原発の批判をしたことはあったが、上に紹介したページはその後他者から多くの加筆などがなされていて、科学的に見ても誤りが多いという指摘があり、僕も客観的情報としての信頼性が低いと考え直した。

桜 さくら                              20110410

 

 ソメイヨシノは一種独特な気配を放っていて、その美しさにはひねくれ者でも異論を差し挟むことが難しいけれど、それでもただならぬ切迫感にたじろぐ人も少なくはないだろう。地元の桜祭りが大震災で中止されてしまったなか、出かけてみると例年の人出はなくても桜はそれぞれ思うように咲き誇っていた。満開かと思わせて静かに機会をうかがうつぼみは、桜というよりさくらのようだと思ったりする。

 

 移動して、日大三高の桜通りをくぐりぬけて小山田緑地に行ってみると、山桜がいくらかあるだけでしかも高い梢に控えめな花をつけるばかりだから、とても地味な風景だった。でも、これはこれできれいだ。

 

 都知事選の投票をしてから、もち米の五目炊き込みご飯(とワイン)を買って市民球場に出かけてみると、普段気付かないままに大きくなった桜のかたまりが、またしてもこちらを圧倒するのだった。

流れる雲                                                             20110409

 

 今日土曜日の空はちょっとしたスペクタクルだった。

 

 町田のプールが大震災の影響で閉鎖されているので隣の相模原市のプールに向かうと、運転席から見る空は低い雲がテレビの早回し映像のように左から右へとすっ飛んでいた。

 雨滴がフロントガラスに少しずつ溜まりながら、でも直後に突然日が差してくるような目まぐるしい変化がある。戸惑いながらワイパーで雨粒を拭くと、フロントガラスの両脇に粘土のような花粉の集積ができた。

 

 プールに着いてよく見てみると、車全体では小さな団子ができるほどの花粉があるようで、でも、とりあえず自分が反応していないので発症まではちょっと猶予をもらった気もする。

 

 2時間泳いだあとの帰り道では、低くたれこめた重くて黒い雨雲が地平線との間に隙間を作っていて、遠くまで見通せる気配にひとときどこまでも車を走らせたい衝動に駆られる。低くて黒い雲は、普段なら単一に数キロ程度に見えていた空が、数十キロの先まで続いていることを見せてくれるようだ。

 そんな発見に触発されて想像力を働かせると、この南風が太平洋を走ってきたことも感じられるような気がした。

とても平易で明解な主張を見つけたので記録&ご紹介。

 

「 今こそ未来のエネルギービジョンを描こう 」

 

スウェーデン在住の高見幸子さんという方。

LIVE感                                                              20110407

 

 通勤で使う小田急線は、時刻表が紙で貼られているけれど殆ど通常運転に戻っているようだ。でも、車内照明をあまり点けないので本は少し読み難い。

 

 今日は全国的に天気が良くて気温も上がるだろうという予報の通り、ポカポカと暖かくてそのうち電車が混み合ってくると空調が入った。

 節電するなら窓を開ければ良いのにと思いながら、電車の窓を開けなくなってずいぶん長いなあと気がついた。昔は地下鉄だって開けていたのに。

 幼稚園に電車とバスで通っていたのだけれど、夏の昼過ぎのガラガラの電車で殆どの窓が開いている時、とても開放感があって気持ちよかった。LIVE感というか。

 

 女性専用車は女性にお任せするとして、他の車両は窓を開けたら良いと思う。音と風が入ってくれば学生が少々やかましく喋っていてもさして気にならないだろう。

 

 家だってそうだ。省エネ性は大切だし花粉のことは気になるけれど、どんなにきれいに暮らしていても室内の空気より外気の方が断然きれいなことをみんな忘れている気がする。

動的平衡                                                            20110405

 

 福岡伸一さんの本に繰り返し出てくる、「動的平衡」という言葉というか概念がとても好きだ。

 

 ある科学者が、マウスにマーキングしたアミノ酸を与えてどのようにエネルギーとして利用されるか調べようとしたところ、アミノ酸はすぐに筋肉や内臓を形成するタンパク質の一部となって、そのかわりに古いアミノ酸は捨て去られていることがわかった。

 

 人の体も同じで、絶えず新しい分子や細胞が作り出され、古いものはひっきりなしに捨て去られているのだ。寝ているひとには何も変化が無いように見えるけれど、実際は一瞬前とは違って更新されている。川が常に新しい水で置換えられながらも同じ川としてあるように。

 

 たまたまそこに居合わせるということ。

 

 宇宙は膨張を続けているけれど、その総量が変化していないことが確認されている。とすれば、新しい銀河の誕生や超新星爆発も動的平衡状態の中にあり、流れ続け循環しているということだ。

 進化を願ってやまない人類だけれど、どこに向かって進んでいるのだろう。

 

 深化を忘れるなと原発事故が言っている気がする。地球は秒速30㎞で走っていて、スピードはそれで充分じゃないかと思う。じっと見つめる、ということをしたい。

トークライブ                             20110403

 

 一度中止された藤原新也のスライド&トークライブが土曜日に開かれ、西麻布のブックカフェに出かけた。50人くらいの参加者で当日キャンセルはなかったらしく、空席も中途退場者も無く充実していた。

 

 東銀座で行われた個展 「死ぬな生きろ」 に展示された88点の写真と書のセットが中心で、前後に大震災の話と氏が週刊プレイボーイで連載している「書行無常」の紹介があった。

 「書行無常」は世界に飛び出して即興的に大きな書を書き、風景に掲げて写真に収める活動だ。

 

 88点というのは、四国のお遍路さんの88か所巡りに対応していて、大震災とは関係のないごく普通の風景や事物を写真で切り取ったものに、歌のような言葉が変幻自在なスタイルの書で添えられている作品だ。

 大震災後は藤原さんの収益を募金に充てると宣言したこともあってか、18万9千円の全作品が完売され、それは画廊始まって以来であるばかりでなく、画廊主も聞いたことがない成果らしい。義援金は大きな額になるのだろう。

 

 公演終了後の質問で、やはり義援金を集めた参加者が届け方について助言を求めると、新潟の震災で役所に届けた百数十万円が行方不明になった苦い経験をひいて、「できるだけフェイストゥーフェイスに近づけるべきで、集めるより配る方が大仕事だと覚悟した方が良い」 とアドバイスしていた。

 

 西麻布に、カリブ海のコロンボというスパイス料理を出す店があると聞いていたので、散歩代わりに探してみると、とても小さいけれど何だか面白そうな気配だった。いつか営業時間に来てみようと思った。

町作り                                 20110402

 

 町田で暮らしていて、あるいは仕事などで町を訪ねて、町の魅力や欠点などを漠然と考えることがある。

 

 ヨーロッパの街並みに憧れていた時期も長かったけれど、今では身の周りの風景に対する愛着が大きい。その魅力は映画やアニメーションから教えられることも多くて、映画監督の目はやっぱり鋭いのだなと感心させられる。

 

 欠点の代表格は、そぞろ歩きがしにくいことと老人の居場所が少ないことだ。視覚障害者や車いす使用者、反応が遅くなった高齢者は町に出ることが困難だろう。

 

 経済原則一点張りが高密度なパワーと個性を生み出した側面を感じるけれど、やはりそれだけでは不十分だと思う。

 おじいちゃんおばあちゃんにはゲートボール場があるじゃないかと言ってしまったら、いずれ自分がそこに通わなくてはならなくなる。それは困るのだ。

 

 東北大震災の復興に関するニュースなどを見ていて、再興される町にはそうした視点からの検討が尽くされて欲しいと思う。そのためにどうやって声を届けるかを考えよう。

Witchenkare                          20110401

 

 多田洋一さんの責任編集・発行による 「Witchenkare(ウィッチンケア)」 が本日発売された。Vol 2 。

稲葉なおとさんの「ニューヨークの流れ星」という作品も掲載されている。

 インディーズ文芸創作誌だから全国の書店で手に入る訳ではないので、ホームページのリストかその下のネット購入先から入手されたし。

 昨日、日経ビジネスオンラインに「反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク」という読み応えのある記事を配信した武田徹さんなど、各方面で活躍している人が寄稿している。(自称無職の歌人も)

 

 実は数日前から店頭に出たので早速読んでみると、作家それぞれの体温が感じられ、手作り感があってとても楽しめた。

 ちなみに新宿ジュンク堂では、雑誌ではなくてカルチャーというコーナーに置いてある。(・・・ジュンク堂に買いに行く場合、正面道路反対側路地にある、ガンジーというカレー店はなかなか美味しい)

 

 僕は、多田洋一さん、稲葉なおとさん両名と自転車の二人乗りをしたことがある唯一の人間だ、きっと。