雑感 (~20111231)

三崎港                                20111230

 

 今日、父の入院先に向かう車でラジオを聴いていたら、三浦半島の三崎港の近くで、「まぐろ祭り」のための渋滞がある・・・というニュースがあった。

 

 何度か出かけた三崎の風景が思い出される一方で、町田の風景は少し違っていて郷愁のようなものを感じた。

 

 其処に居る自分と此処に居る自分は、同じようで同じではないのだろう。

ブッシュ元大統領                         20111228

 

 高校時代の友人Ok-mの帰国を祝う、小さな集まりに出かけた。(新宿住友ビル)

 彼は読売新聞に勤めていて本来は中東が専門だったけれど、この3年半はアメリカ総支局長としてワシントンに赴任していた。

 

 ブッシュ元大統領をギャグで笑わせた話もあったので、今度大勢で帰国の記念会を開かねば、と思った。

大掃除の季節                                                     20111226

 

 車だからと現場にコート無しで出かけたら、凍えてしまった。久し振りに本格的な風邪になる可能性を感じて、正月に寝込むのは断じて避けたかったから、家族が年末の片付けをしているあいだ、傍らでサボっていた。

 置いてあるものを右左して掃除している様子を見ている内、並べて写真を撮りたくなった。

 

 旅行で買ってきたものに交ざって子供達が学校で作ったものがある。

 今だったら作った意図を考えながらじっくり鑑賞するところだけれど、その頃は頭の大半を仕事が占めていたのか、あるいはそうしたものを持ち帰ることが珍しくなかったからか、「よくできたね、頑張ったね」という時間をもっと長く持たなかったのが勿体ないと思う。

 

 ケーキを買いに出かけたら幼児が喜びそうなものがあって、いつか孫が生まれたら楽しいだろうと思った。

 幸せな時間だと後から気付くのは、僕たちだけではないだろう。

収束宣言                                                           20111222

 

 藤原新也氏が紹介していた原発事故に関するデータを集めたサイトの紹介。(6月頃)

 

http://ishtarist.blogspot.com/2011/06/20113203.html

 

 専門的なのできちんと理解するのは難しいけれど、信憑性を感じる。

 ここで暴露されているのは、東電と政府が少しでも隠せるものは隠し通したいと願っている様子だ。

 

 藤原新也氏は同じ書き込みで、第一原発の4号機にある使用済み核燃料の状態を誰も把握していないことを危惧していたし、週刊誌も福島第2原発での放射線物質の漏洩に関する説明を東電と政府が拒否していることを報じている。

 大きな余震があれば、すぐにもまた多くの人が避難しなければならない状況なのかも知れない。(あるいは今留まっていることが後世から不思議がられるのかも知れない)

 

 もちろん避難や移住が困難なことは理解できるから、そうしたことを言いたいのではないけれど、こんな状態での収束宣言にどのような意味を野田総理が見いだしているのか想像もつかなくて、自覚のない嘘つきだとしたらとても迷惑だなと思う。

 

 もし、取りあえずの社会的混乱の収拾が目的なら、今回の事故から何一つ学んでいない証左だ。

イリュージョンから                                               20111219

 

 複葉機で旅するリチャードは、上空から刈り取られた玉蜀黍畑に停まっている複葉機を見つけ、着陸する。「イリュージョン」 バック著 村上龍訳 集英社文庫

 

・・・・・僕は自然に手を上げてしまった。なぜだかわからない。十ヤード離れたまま声をかけた。

「やあ、君がなぜか寂しそうに見えたんだよ」

すると、彼は柔らかい声で答えた。

「君だってそう言えばそう見えるぜ」

「じゃまかな? じゃまなら消えるけど」

彼は、少し笑って言った。

「いや、待ってたのさ、君をね」

それを聞いて僕も微笑みを返した。

「そうかい、遅くなってごめんよ」

そう言ってから、彼に近付いた。・・・・・

 

 リチャードはジプシー飛行士で、10分3ドルで客を空に連れ出しながら旅をしている。出会ったドナルド・シモダは不思議な力を持つ飛行機乗りだ。

 このシーンは村上龍も解説で触れているのだけれど、どこにも引っかかりのない自由人らしくてとても魅力的だと思う。

タグボート                             20111216

 

 浚渫した泥砂の運搬船を曳くタグボート。水上バスと同じくらいの頻度で往来する。

 両方の立場を経験した船長さんがもしいたら、話を聞いてみたい。風景はどのように違うのだろうか、あるいは意外と変哲無いものなのだろうか。

 

頁を繰る                                                            20111215

 

 「歩幅を広く、上半身を起こして足早に歩くと、体幹の筋肉が鍛えられる」 と、本に書いてあったと妻が言うので、散歩をするときに実行している。

 時速6㎞くらいにスピードを上げて歩こうとする場合、体重移動に頼ると前傾姿勢になってしまうので、体を起こすためには足指を広げて地面を掴んで引き寄せるような動きが必要になる。

 そうしていると、なんだか頁を繰っているようだなと思う。

 

 幼稚園に通う頃、デパートの屋上にコインを入れて盤上の車を運転するゲームがあった。ハンドルで操作する車は左右に動くだけで、S字を描く道路がベルトコンベヤーのようにスルスルと回ってくる仕掛けだ。それに似ている。

 僕が中心で玉乗りのように地球を回しているのだ。

 天動説を信じていた時代の人もそんな印象を持ったことがあっただろうか?と、ふと思う。

 

 リチャードバックの 「イリュージョン」 は、主観と世界、経験とその共有など、とても面白いテーマを飛行機乗りらしい軽やかさで描き出している。

 「全ての出来事は本人が引き寄せ、または作り出している。」 というのがそのひとつ。

 

・・・それとは関係ないけれど、昨晩の双子座流星群はしばらく見上げていたのに成果4つだった。少し残念・・・

皆既月食                                                           20111212

 

 駅に向かうとき、家を出て初めの十字路を曲がると、6軒ほどの距離の坂を登ることになる。尾根道に突き当たるところはT字路で、見上げた正面は住宅の庭に設けられた屋根付き駐車スペースだ。

 

 先週土曜日の夕方、打合せに向かおうと家を出て坂を見上げた時、その駐車スペースの屋根の下に満月があった。月のあまりの大きさに思わず声が出る。

 地平線に近いところにある月が大きく見えるのは何度も見てきたけれど、これほど驚いたのは初めてだ。

 尾根道に辿り着くと、月は空に浮かんで普通の大きさに戻っていた。

 

 帰宅した後、長女に促されて皆既月食を見る。月に正対して真後ろに太陽があることを想像する。影になったところが思う以上に明るいことに気付き、本当に薄く地球に貼り付いた大気の、しかし確かな存在を思う。

 

 オリオン座の中に星が7つ見えて、皆既月食観察には最高の空気の澄み方だと思った。

リチャード バック                         20111208

 

 先週かもう少し前、カモメのジョナサン作者の、リチャードバックが書いた「イリュージョン」を読んだ。確かブックオフで買ったもので、1981年が初刊だから30年も前だ。

 

 うまく言えないけれど、30年経ってから読んだのがラッキーだったなーと思う。

 

 福岡伸一さんの「動的平衡」と、茂木健一郎さんの「たった1リットルの脳」という話が、たまたま僕の中で合流したのがここ数年の話で、それをリチャード氏は30年前に表現していたからだ。

 きっと30年前に読んでいたら、勝手な解釈をしていただろうと思う。今だってその危険性は残されているけれど、でもその頃よりは見聞も広がった。

 

 一度読んだのに時間をおかずにまた読み始めたのは自慢にはならないだろうな、きっと。でももう一回読んでからこの雑感に記したい。

 

 先行してメモするのは主人公の一言。

 

 「完全は常に変化している」

 

 理解しているかわからないけれど、うんうんと思う。

痛いほどの夕陽                                                  20111205

 

 日曜日の夕方、車で買い物に出て夕陽のすさまじさに驚いた。

 200~300メートルの直線道路が丁度夕陽の方を向いていて、まぶしいというより痛いくらいで前がよく見えない。生まれて初めてサングラスが欲しいと思った。

 

 日除けを下ろして座席を高く上げて、ようやく目が開けられるのだけれど、前の車の屋根部分の反射がまだきつい。

 みんなよく事故も起こさずに運転しているなとバックミラーを見ると、そこに映った人は何も措置をしていなくて僕の車に乗っているかのように近くに見えた。

 

 陽射しに対して強い弱いがあるなんて知らなかった。

冷え込む                              20111201

 今日は急に冷え込んできた。天気予報で聞いていたのに、それでもびっくりするほどに。

 

 秋から、隅田川テラスという川沿いの遊歩道・公園を歩く昼の散歩を復活させた。3~6㎞くらいだから休憩時間全部を使うのだけれど、これは癖になるところがあって、一旦復活させるとオフィスに座っていることができない。

 

 昨日までお弁当を持って出てきていた人が、今日はほとんど見られなかった。寒さに体を丸めて食べている人は、何か事情があるのかと少し心配してしまう。

 

 総武線をくぐる直前に電車が通過して、車内が暖かそうに見えた。川は風の通り道でもあるのだ。

二拍子                               20111129

 

 チクタクが気になって、いくつかインターネットで検索してみると、ヴォイストレーニングに関する硬派な解説があって面白かった。

 それによると、秒針の正確な刻み音、チク・チク・チク・チク・・・は単なるピッチであってメトロノームの60しか意味しないらしい。

 ところが、人間の耳は意味を求めてまとまりで聴こうとするから、それが最小限の2つとしてチクタク・チクタク・・・と認識されがちとのこと。

 

 そして、それがリズムの発生なのだ。・・と書いてあった。

 

 心臓の音をそのように聞いたか、あるいは歩行のリズムに影響されたか、いずれにしても単なるピッチが二拍子になることによって前進というイメージを付加されたらしい。

 マーチの始まりだ。

 

 チクタクとは関係なく、別のところで触れられていたのは、欧米の歌手が呼吸音でリズムを刻むのに対して、日本の伝統的な歌唱法は母音の長音に重きを置くということで、大変興味深い。

 僕の好きなボビーマクファーレンやアルジャロウなど、言われてみると息継ぎがパーカッションだし、それが見事に裏を取っている。

 

 音楽は知識が乏しいけれど、ひょんなことで面白いPDFに出会うことができた。

チクタク                               20111128

 

 高齢の父が体調をくずして入院しているのだけれど、見舞いに行った時病室で静かにしていると、時計の音がだんだん大きくなる。

 前回の入院時に妻が買いに出て調達した時計は、規則正しい音を刻む。

 

 それが二拍子のように○、×、○、×、と聞こえるのが不思議で、そう言えば自分の靴音も同じように左右が違って聞こえることを思い出した。

 これまでにもそのように感じたことは何度もあったけれど、同じ音に聞こえるように矯正しようとしたのは初めてだった。

 

 不思議に思って話すと、妻が童謡を引きだしてチクタクと説明した。なるほどみんなそのように聴いてきたのだと想像する。

 時計にわざわざ二種類の音は用意されていないだろうから、どうしてチクチクと聞こえないのが不思議だ。

 

 人間という感覚器官が、とても情緒的だとあらためて思った。

二銭銅貨                              20111125

 確かOk-kが勧めてくれたのだった、「渦巻ける烏の群:黒島伝治作」という本を読んでいる。第三編とあり、短編が4つの薄い文庫本だ。

 まだ解説など読んでいないのだけれど、カバーには貧しい農民の作家だとあった。

 

 この最初の小説が「二銭銅貨」で、母親がたった二銭を倹約したことが事故に結びついて子供を失うという話だ。

 ひたすら悲しい。

 

 旧ソ連の作家、ショーロホフの「人間の運命」という小説が好きで、それは非常に確かな手触りのある「悲しみ」が、直裁に描かれているからだ。戦場に赴く夫が、出立の駅で悲しみから顔を上げられない妻をつい突き飛ばしてしまう。

 戦争から帰った夫が、それが最後の別れだったことを知り、後悔の沼に沈み込むのだ。

 

 二銭銅貨を比較するつもりはないけれど、舞台が日本で、時代が違うとはいえ日常であることが悲しみを固まりのように感じさせるのだろうか、重くて持ちきれないという思いがする。

 血の温もりはひょっとすると悲しみそのものなのかも知れない。

馬群                                 20111124

 先日、NHKのBS放送特集番組で、スペインのアンダルシアに憧れの馬を訪ねる宇津井健さんを見た。

 

 80歳という年齢が信じがたく、とても若々しいことに驚いた。それは馬を自在に乗りこなす体力ばかりではなくて、好きなもの(馬)を何より大切に思う気持ちの若々しさだろうと思う。

 奥様を亡くしているのに、ダンディーであることにいささかの曇りもなく、老いて清潔かつ余裕に満ちた姿は多くの人を勇気づけたのではないか。

 

 テレビで美しいアンダルシア馬をたくさん見たせいか、僕の今朝の夢に馬が出てきた。ほんとうは馬でなくてユニコーンのはずなのだけれど。

 

 どこの国だかわからないところで、「ユニコーンの形をした島があるから見に行こう」と誘われる。山の頂上に登ってみると、瀬戸内海のような海があり、数十の大きさが不揃いな島が馬の形になっていた。(胸、お腹までで脚はない)

 よく見ると、目や口は岩を掘って作られていて、「こんなにたくさんの島に絵を描いてよいのか」と少し疑問だったけれど、揃って左を向いた姿勢は馬群のようで大変美しかった。

寒気                                                                 20111122

 

 日曜日の夕方、お客様を訪ねて打合せをした後、表に出ると大きな固まりの雲があった。超高層のマンションが建ち並ぶ一角で、ひとつのマンションの右側が夕焼けなのに、左側は重たい雲で不思議な光景だった。

 

 家に着く頃には空気が澄み渡って星が盛んにまたたいていた。あまりに澄んでいるからか、星が青く見える。

 帰宅すると、ニュースの天気予報で北から寒気が潜り込んで来ていると言っていた。見たのは、それに押し上げられた暖気で作られた雲なのだろう。

 

 翌日の月曜日にも固まりの雲ができていて、とてもダイナミックな夕方を作っていた。秋、あるいは初冬の空はにぎやかだ。

雨                                   20111119

 

 すごいな、今、雨がザンザンと降っている。

 もう、季節的には台風とは呼ばないのだろう。でも、気配は台風。

 

 降り続けると、誰かを慰めるのかと思うけれど、どうだろう。雨に閉じ込められるのも、意外と悪くないかもしれない。

11月16日に東京電力の吉田所長に関する一文を記しましたが、私的な雑感とはいえ開かれたホームページで、伝聞をもとに個人に触れるのはよくないと考え直し、削除しました。

高所嫌い                                                             20111113

 

 ある人から、雨漏りの原因調査と補修方法を一緒に考えてくれと依頼があった。断る訳にいかず、2階の屋根に上る決心がつかないまま到着すると、それは屋上バルコニー廻りで心底ホッとした。

 

 僕が高所恐怖症に気付いた、若しくは発症したのは地上20mだった。

 若いとき電気メーカーの技術研究所建設で、先輩所員に付いて担当になって、明け方A1の青焼きを200枚焼くなど、土曜日の定例会議前は必ず徹夜になったのだけれど、設計から建設へと着々と進み、2年後には最上部のLED看板を残すのみになっていた。

 

 この看板は電気メーカー自慢のLEDを並べて9m幅にしたもので、ゼネコン工事終了後の取り付けだったから、建物の使用は始まっていた。

 

 取り付け状況確認の命を受けて研究所に行くと、看板のためだけに残された外部足場は幅4~5mほどで、ネットは外されていた。エレベーターと階段で屋上に出ることも考えたけれど、わざわざ足場が残されているのだから使うべきだと思って登り始めた。

 

 階段も踊り場も、手摺パイプ1本だけでよく揺れる。「ネットがないと怖いものだな」、と呑気に考えながら7階くらいまで上がったとき、危ないかも?と思った瞬間、階段に振り向くところで固まった。突然の恐怖感に、登れないし降りられないという気持ちになりかけたとき、大きな窓ガラス越しに女性社員と目が合った。とっさに動いたのは登る方だった。そうなるともうターンはできない。

 

 11階相当の高さで点検を終え、一縷の望みで5mの高さで50㎝幅しかないキャットウォーク(先輩の製図板の図面を見て、『それ、危なくないですか?』と訊いたことを思い出す)を渡り、塔屋の扉に手をかけてみたものの、当然とはいえ非情にも鍵がかかっていた。

 

 どうして降りてこられたのかわからない。というより、まったく憶えていない。天使の降臨か。

棟上げ式                              20111110

 地鎮祭を行うことは比較的多いものの、棟上げ式をされる方はとても少なくなってきた。

 お客様の出費を伴うものだから、尋ねられると「最近はなさらないお客様が増えました」と、客観的事実だけをお伝えしていた。

 

 しかし昨日は、建て主の奥様のお父様から職人さんをねぎらったら良いというアドバイスがあったとのことで、十数名の賑やかな式が執り行われた。

 

 棟梁が照れて少し上気しているのがとても微笑ましかった。

 家を建てるというとても人間的な営みにエネルギーを注ぎながら、お客様とゆったりした時間を過ごせないのが大工さんたちだ。だから、とても貴重で大切な機会なのだとわかる。

 考えてみると、こんなに幸せな日は人生の中でもそうたくさんは無いのかもしれない。出費とは違った場面でたくさんのことが還っていくように思えるので、今度からは積極的に勧めてみようと思う。

木と話したい                            20111107

 

 人は木と対話できるのだろうか?

 営林家や造園家は、きっと交感できるのだろうと思う。医者と患者、もしくは同志として。でも、ただ木と並び立つばかりで、すれ違い続けてきた普通のひとは木と対話できるのだろうか。

 

 木はひとところにじっとしているのだから、我慢強く、包容力があるに違いない。だから、僕たち普通の人間にも耳を傾けてくれるのではないか、と期待する。

 そんなことを想うのは、栃木のある場所に山桜と向かい合う、あるいは寄り添うことを考える機会に出会えたからだ。

 

 別荘、将来的には終の棲家となるであろう住宅の提案。

 広く取得された敷地に樹齢もわからない山桜が立つ。

 

 話しかけずとも、山桜はこちらに気付いて観察しているようにも思える。微笑んでいるのか警戒しているのか。

 

 いまできることは、耳を傾けることだけに思える。

トリエンナーレにて                          20111106

 

 しばらく前、「勝ち組」・「負け組」 という言葉が雑誌などのメディアを中心に頻繁に聞かれた時季があった。そのようなとらえ方を好む人が多いとは思えないし、じきに収まるだろうと僕は鬱陶しい思いで聞き流していた。

 

 昨日、横浜トリエンナーレ2011に出かけた。

 曇りがちなりに爽やかな空気の中、横浜美術館と第二会場と言うべき倉庫を歩きまわってみて、先の二項対立のような状況を実感した。

 若い人(特に単独行動の女性)に、スッときれいな印象の人をたくさん見かけて、繁華街や通勤・通学時間帯に目立つ若者とは大きく違うものがあって驚いたのだ。

 以前、ライター・作家・編集者のjeriと話している時、「情報格差が深刻だ」 という指摘があって今も耳に残っている。

 

 不況とか不平等とか政治不信など、被害者になれる要素は無尽蔵だから、不満気な人もそれなりの居場所がある。でも、スッとした人は自分の道を歩いているようで、この違いは恐ろしいほどだ。

 

 彼女達が立派だと思いながら、僕の若い時のような、自覚の薄い人にももう少し機会があって欲しいと思う。情報取得の平等化が情報格差を加速させているのが実感できて、それは金銭的な勝ち負けなどよりずっと深刻のように思えた。

今日われ生きてあり                        20111104

 

 Ok-kが手渡してくれた本、「今日われ生きてあり」 を読んだ。特攻隊で出撃した青年たちとその廻りの人たちのことを集めた本だ。

 読み始めたとき、最近感じたバイアスという存在も気になって、いろいろ批評的に思っていた。でもそれはすぐに消え去って、今はただ読んだだけだ。

 

 アマゾンでは「ひたすら泣ける本」という評価も高いらしく、それはそうだなと思う。

 僕は、通勤電車で読んだ。なぜか、日常の、瑣末なできごとの中で読むべきだと思ったからだ。

 

 涙腺の優しいひとならいくらでも泣くのだろうと思う。そして、青年兵のエピソードに涙するのと同時に、心で泣かなければならないのは次の一文かと思った。抜粋

 

 『戦後、日本人は変貌する。すべての責任を戦いに斃れた人たちにかぶせはじめたのである。特攻の若者や少年たちの“恂国”に世間が報いたものは罵倒であった。』

 

 

 今は違うかもしれない。でも、少しも回復できていないのも確かな気がする。崇めるのではなく、まして罵倒は論外として、自分のこととしてとらえたいと思う。

光と存在                                                           20111102

 

 リトルターンの中に 「光の当たらない蝶」 というフレーズが出てきて、読んだ時に谷崎潤一郎の 「陰影礼賛」 とアンリ・ルソーの 「蛇使いの女」を思い出した。

 その後、中東の月光浴の写真も思い出した。

 

 陰影礼賛では、金箔を施された屏風や蒔絵が、暗い部屋で静かな存在感を放つ様子が語られ、日本人独特の金への想い(ひいては闇への想い)が解説されている。

 その中にある、そうした作品は博物館のような明るいところで鑑賞するものではないという指摘が興味深い。わずかな光を集めてうっすらと光るところに価値があるというのだ。

 

 ルソーの絵と月光浴は、闇ではないけれど暗いところにいる人々を見るうち、視覚以外の感覚器官も思わず総動員してしまうような、濃密な気配が印象的だ。

 闇夜の蝶は見えない。だから存在するかどうか確認のしようがないのだけれど、それでも蝋燭を吹き消す前にいたのなら、きっと存在するだろう。

 

 生物の死も、似ているところがあるのではないか、とふと思った。死とは光を失って見えなくなることであって、存在自体を否定するものではないのではないか。

 もちろん、肉体は失われるけれど、その生物の生きたということがらは、記憶とか歴史という過去データではなくて、生命力を持って存在しているのかも知れない、と思うのだ。

秋                                                                     20111101

 

 今朝電車に乗り込むと、たまたま一人分の座席が空いたままになっていたので、こんなことは記憶に無いなと思いながら座った。

 電車が動き出して目を瞑ると、背後からの朝日が車内に反射して瞼に明滅が起こる。それがパラパラマンガの、走る女子高校生のようだったので不思議に思った。

 

 次の駅に着いて目を開けると、目の前に女子高校生3人が立っていた。頭では別のことを考えていたけれど、目は女子高校生を認識していたのだろう。腑に落ちた。

 

 ここのところ、例年より高い気温が続いているとニュースで聞く。でも、湿度が低いのでとても爽やかだ。

僕は猫だ                                                           20111028

 

 一般論として人生の価値とは何か?という問いを、普段よりずっと気にかけていた時、気まぐれに人間から目を転じてみた。何かを発明することなく、都市を作ったり議論を闘わせたりすることもない、動物一般の個の価値とは何だろうと・・・。

頭脳の発達によって価値は変わるのだろうか、でも、そうは思えなかった。

 ある日、朝の通勤電車で新百合ヶ丘駅にさしかかったとき、ゆっくり大股で歩く黒猫が脳裏を横切って 「僕は猫と同じだ」 と直感した。

 

 その直感で僕の世界はいきなり広くなり、いっときの幸福感を得たのだけれど、残念ながらそのイメージは段々薄れて、最後には 「僕は猫だ」 と直感したことがあるという記憶だけが残った。

 

 デジタルカメラで夜の空を撮ってみるようになってから、真昼の空の向こうに星があることを意識するようになった。同じことを先日、リトルターンで読んで驚いた。もちろん、少しも新しい発見ではないけれど。

 

 見えるものを見える姿から判断することは至極まっとうだけれど、その奥にすこし思いが行くようになった。

 そして、人間の文脈で見る方法から少しだけ離れてみると (成長至上主義の休止)、やはり僕は人間の文脈に支配されがちだけれど、根は猫なのだ (カラスでも良い)、と再認識できた。今度は忘れそうもない。

 

 もちろん、このようなことを考えるきっかけを、IT革命がもたらしてくれたことは感謝してもしきれないけれど。

闇夜の蝶                              20111027

 

 五木寛之が翻訳しているからと、「リトルターン」という寓話の、絵本のような文庫版を買ってみた。

 それが理由だから矛盾するけれど、この本の翻訳に五木寛之はタイプ的に合わなかったと僕は感じるところがある。

 図らずも巻末の文章で、五木寛之は原文がとても乾いた文章だと言っていて、僕は氏の文章が湿度過多だと思うからだ。

 

 まあ、そんな感想は置いておくとして、この本には興味深いセンテンスがたくさんちりばめられているので、特に気になった二つを抜き書してみる。  

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「・・・。きっと君は自分が知っていることに慣れすぎているんだよ。きみはこれから、自分が知らないことを知る必要がある。それだけのことさ」

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 蝶を見まもりながらぼくは考えた。この蝶は夜には昼間の星のようなものかもしれない。そこにあっても見えない存在なのだ、と。

 ぼくは黙ったまま、光のあたらない美しさとは何だろうという思いにふけった。光がなくても、それでも蝶は美しいのだろうか?

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 僕は読みながら、心のなかで「YES」と答える。

 こんなに明瞭な意識ではなかったけれど、闇夜の蝶を愛おしく思い、その美しさを見つける目を持ちたいという思いが強くなっているのだ。

 

 物語は、理由なく飛べなくなったリトルターン(小さなアジサシ)が、浜で考え、触れ合い、空に戻っていくというストーリー。

91才の美人                            20111024

 

 昨晩、テレビを見ながら「おおっ」と声を上げてしまい、家族も「ええっ」と声を漏らし、長女が少しして「目標ができた!」と叫んだ。

 

 日曜日は大抵、テレビ東京の「もやもやさまぁず」という番組を見ることになっていて、昨晩は食事が遅めだったため次の番組にずれ込んだ。それは路地裏の名店を発掘する番組で、たくさん紹介された中の一店の、ラーメン屋さんのカウンターにその女性が座っていたのだ。出演(?)は数秒の91才の美人が。

 

 美容(?)という点でも驚かされたのだけれど、細かい観察をする時間はなかった。だから、家族が一斉に声を発したのはその人の漂わせる気配の爽やかさ、美しさだったと思う。(若いのではなくて美しい)

 

 長女は23才なので、そのひとに近づこうと思えば68年間の鍛錬がいる。・・・

 僕までが勇気付けられたのは、すごいことではないかと今でも驚きが残っている。

石原慎太郎                                                       20111021

 

 石原慎太郎とも目が合ったことがある。

 

 数年前、岡本太郎の大きな壁画がメキシコで見つかって、修復ののち東京都現代美術館で公開された。(壁画は現在、澁谷駅の、井の頭線に向かうコンコースに在る)それを見に行った時、後から石原都知事が到着した。

 見ていると、警護の人と、都庁・美術館の人達だろうか、20人くらいが大股で歩き回る知事を必死に追っていた。

 

 他の作品を見てホールに降りると、壁画だけを見てきた知事が帰るところだった。道を譲って知事が通り過ぎるのを待っていると、気付かないうちに、廻りにいた一般客は後ずさりをしていたらしい。僕は広いホールで、ポツンと一人だけになっていた。

 歩いてきた知事が僕の前で足を止める。きっと一人くらいとは言葉を交わした方が良いと思ったのだろう。

 

 すると、僕の顔を見て目の奥に小さな変化が生まれた(ような気がする)。うっすらと微笑みが浮かんで、何か言葉を探している様子のまま10秒以上が経った。

 あまりに長く見つめ合うようなことになったので、石原慎太郎の小説のファンであることを告げようかと思ったとき、警護の人に促されて出口に向かった。

 

 僕は石原裕次郎に似ていると何度か言われたことがある。(石原裕次郎のいいところとは別の着眼点らしいけれど)ひょっとすると知事もそう思ったのかも知れない。かなりの確率で僕の独り合点だとは思うけれど、少なくとも咎める目ではなく、とても柔らかかった印象がある。

椎名誠                               20111020

 

 何年か前、確か新宿の外れの方で何人かの友達に会った時、隣のテーブルに椎名誠が3人連れで現れた。

 その店を選んだ友人が、「ほんとに来るんだ」 と呟いたので訳を訊くと、前回その店を案内してくれた人が椎名誠を何度か見かけたと話していたらしい。

 

 観察することは控えようと思いながら、しかし一度は見てみたくて顔を向けると、目が合った。テレビや写真などの印象からするとずっと小柄で、とてもよく陽に焼けていた。漁師なみに。

 椎名誠と思って僕が目を向けたことはわかったはずなのに、少しも迷惑そうな顔をせず、むしろ「おう、気付いたか」 という楽しげな気配で思わず会釈してしまう。

 一緒にいる人達は、椎名さんとは違って温和しそうに見えたけれど、椎名さんは大きな声で快活にしゃべっていた。

 

 20年前、小説風に書かれたエッセイ 「さよなら、海の女たち」 を読んでいる。

 海に関係した女性が10編で描かれていて、そのひとりひとりが目の前にいるかのように感じられるのが凄いと思う。

 どの女性も取材をしたのではなくて、椎名さんの日常や旅先で通り過ぎていった人々だから、その観察力と表現力にはびっくりしてしまう。

 

 「ガハハ」 という印象の強いものを読むことが多いけれど、極めて繊細なのだ。自立していて快活で繊細、きっと女性に大変もてるだろうと思った。

ブライアン イーノ                         20111017

 

 ユーチューブに、ブライアン イーノの作品があって、何度となく繰り返し見ている。

 

 フェイスブックの(仮想)友人、堤さんがサイトをアップしていて知った。  

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=ljYAeawEJiU 

 

 こちらの身体的な何かが同調する不思議な作品だ。

 

 見ていると、科学が定点観測であることにあらためて気付かされる。

 しかしながら、人間を含めた動物・生物は、定点に留まることができない。科学を学ぶのと同時に、自分の視点が常に揺れていることもちゃんと知らなければ、と思う。・・・それが音楽なのか。

 

 

 ユーチューブにある次の作品を見てみると、湖面を写したものでそれも魅力的だ。

 

 地球上の全ての海水が蒸発→雨→河川→海というサイクルを一巡するのに約4万年かかるという。その途中、ほんの少しの水が動物の体を通り抜けるのだろう。

 

 人間は脳の1%くらいしか使っていないと聞かされてきた。

 2%を使って、今とは違った世界を見たいと思う。



とんび                                20111016

 

 今日は江ノ島に出かけた。天気予報では午後の雨を心配したものの、最後まで崩れることはなかった。

 夜明け前の激しい雨のせいか、江ノ島の海は濁っていたけれど、それでも空はあくまでも青く、陽射しは強烈なエネルギーをもって届いていた。

 

 波がくり返し岩を叩いて、遠くの小さな漁船はブランコのように揺れている。

 

 とんびは、相変わらず誰かの食物に気をとられ続けているようだ。

 

 そんななか、イベントがいくつか展開されていて、途中で見たフラダンスがとても柔らかくて、親密な空気が楽しかった。

作家と家族                                                         20111013

 

 三週間ほど前に古本市でOk-kがプレゼントしてくれた本、「想い出の作家たち」(文芸春秋編)を読んだ。

 明治・大正生まれの作家たちは、ある意味想像通り、しかしやはりびっくりするような暮らしをしていたらしい。

 

 若い時に収入がなく、海の家に住んでその格安の家賃すら払えずに夜逃げしたり、質屋通いをしたりお汁こ屋を出したりと、昨日も明日も無いような暮らしぶりなのに、それでいて売れ出すと銀座で豪遊をして印税を使い切ってしまうような、およそ現代一般男性が持っている責任感とは無縁な作家たち。

 現代では作家だってこうはできないのではないか。立原正秋のように、外に出ずに家族を支配し続けたひともいるようだけれど。

 本は、奥さんや子供たちからの聞き書きのスタイルを取っていて、あとがきで編集者が言っているように、作家の作品に迫ろうというより家族の言葉、思いの端々に作家を浮かび上がらせようとするもので、それは大変な成功を収めていると思う。

 

 そうした本の狙いとはすこしずれてしまうけれど、僕が一番印象に残ったのは五味康祐が芥川賞受賞後に出した感想記だ。

 内容はぜひどこかで手にとってみられることをお勧めしたいけれど、ざっとしたところでは次のようなことだ。340頁

 

 純文学や詩に固執していた若き作家五味氏は、作品を出版社に持ち込んでも活字になることはなく、しかしそれに特に苦痛を感じてはいなかった。

 そんなとき、奥さん以外で彼に寄り添ったのは野良犬だけだった。そしてある日、作家を見つけた野良犬が一目散に駆け出して道路を横切るとき、車に撥ねられて死んでしまう。何もしてやれなかった自分の貧乏を彼は泣くのだ。

 そして感想記で、「あの時僕は少し変わったかも知れない」と書いている。

作る=暮らす                            20110110

 

 小金井市の小金井公園の中にある、江戸東京建物園に行ってみた。

 長男が車の免許を取ったばかりで、運転の慣らしをしてみようかとなったからだ。

 建物園は何度か訪ねていて、特に目新しいものがあるのでもないけれど、それでも行くたびに発見がある。

 

 今回は移築された銭湯に感激したのだけれど、それは次の機会に触れるとしてその前に見た住宅の感想。

 

 ひとの手で作ったものは優しいなあと思う。優しいという言葉が不正確だとすれば、充実していると言ったらよいか。

 人が生まれて没するまでの時間は長いのか短いのか。それは全然わからないけれど、同じことの繰り返しはそんなに多くない。

 日常の中では感じないとしても、通勤路でなければ同じ道を歩ける回数は限られていると言った方が正しい。

 

 

 和室に座る。窓があり、光が入り、風が感じられ、色を思う。畳の匂いと、肌触り。家族の気配と庭の空気。  一期一会ではないか、と思う。

 

 それを思う家と、ただの背景だと思う家。職業柄公平に見ることはできないけれど、何という違いか と、思う。

リーデル オー                           20111009

 

 ワイン好きな友人Yk-hにグラスを教えてもらった。小さくて割れないコップが好きなので、ぜいたく品は自分には不向きと答えたら、しばらくして 「安いワインほど美味しくなる不思議なグラス」 と連絡がきて気持ちが動いた。

 RIEDEL と検索してみると、すごい数のグラスがリストアップされていて、8000円とか20000円とかなのですっかり傍観者になってしまった。

 そもそも、足の付いたグラスは毎日使うにはわずらわしさが先に立つし(僕の場合限定)、足を持って飲むことはないので僕には不要の長物なのだ。

 でも、形がとてもきれいなので順番に眺めていった。すると、オーというシリーズが足がなくて持ち運びに便利で、しかも極めてリーズナブルなことに気付いた。

 2脚で3000円。

 早速申し込むと今日届いた。6㎝×12㎝と確認していたけれど、開いてみると予想よりずっと大きい。でもガラスの薄さが華やかで嬉しい。実際美味しいのでびっくりしている。

波打ち際                              20111007

 

 現場から移動するとき、久しぶりに砂浜に降りてみた。前回そうしようと思った時は台風が接近する最中で、海岸際の駐車場がぜんぶ閉鎖されていたためあきらめていたのだ。

 今日はやや夏のパワーを残した秋晴れで、とても快適だった。

 3連休の前日の今日は、海岸は穏やかな気配に満たされていた。日曜画家の何人かと、ひたすら子供の写真を撮りまくっているお父さん、ジョギングするひと。

 そうした日常のリズムと同調するのか、あるいは独自のリズムを固守するのか、波はくり返しに見えて毎回違った規模と広がりを見せるのが不思議だ。

 海のない国、海をふだん見ることのできない人々は、海を見てどんなふうに感じるのだろうと想像しようとして、やはりわからないと思った。

バイアス                                                             20111004

 

 何日か前のテレビで、東北大震災に見舞われたときに人々はどのように行動したか?を検証した番組を見た。

 副題にもなって繰り返し使われたのが 「バイアス」 という言葉で、先入観や偏見と訳されがちだけれど、ここでは 「思い込み」 が適当かと思う。

 

 そのひとつ、「正常性バイアス」 とは、異常な出来事に遭遇したとき、パニックを起こさないために過度に自己抑制しようとする働きで、「きっとここには被害が及ばない」、「今既に起きたことが最悪でこれ以上悪いことは起こらない」 などと、人は現実逃避的に思い込む傾向がある。

 

 実際あれだけの揺れを体験しながら、防波堤や運河の効力を信じ込み、道に出て世間話をしている人がとても多かったという。そして、僕自身もそうするタイプだと思った。

 

 急いで高台に逃げることを呼びかけた男性も、初めは同じように振る舞っていて、ふと見た海の沖が異常に隆起していることに気付いて我に返ったのだと言う。

 

 

 僕はテレビを見ていて思った。離れた所の我々も、その後の長い時間の中に異常な隆起のような何かを見たのではなかったか。そして、その隆起の恐ろしいパワーはこれから到達するのではないか、と。

 

 正常性バイアスを解くべきは、現在の僕たち自身なのだ。

 

 世界の科学者は日本政府の行動に驚き目を剥いて、日本国民の過度な集団同調性バイアスに警鐘を鳴らしていると聞く。僕たちは海の向こうから 「目を覚ませ!」 と言われているのだ。

 

 自分達で次世代被害を少しでも小さくするには、繰り返し話題にすることで常に意識して声を発することが必要だと思う。小出助教の百分の一の忍耐でよいから。

飛んでみたい                            20111002

 

 大学で卒業設計と卒業論文を指導してくださった鈴木恂先生を囲む会が催された。定例会は理工学部の研究室だったり、そのそばの店舗だったりしていたのだけれど、来年が先生の喜寿ということもあって今回は本学の一画にある15階のレストランが会場になった。

 

 先生もピアニストの奥様も、年齢が遡上しているかのようにお元気なのがうれしい。OBの有志が、先生のアーカイブをウェブサイトで作り上げようとしているのも大変心強かった。

 

 僕達の在籍した理工学部は、新大久保工科大学と自分たちで呼んだように、早稲田にある本学とはほとんど関係が遮断されている。大隈講堂にも数回しか行ったことが無いし、実は早慶戦も見たことがない。

 そんな背景で本学を訪ねると、ただでさえおぼろげな方向感覚がまったく当てにならないくらい、再開発が進められていた。

 

 僕は昼過ぎの打ち合わせから会の開始までに時間があって、ずいぶん早く会場に着いた。

 

 一番乗りの後、窓際の席に座ってぼんやり外を眺めていると、だんだん黄昏れる新宿区に人の気配がほどよくあることに気付いて、滑空してひとびとの生活の一部分を眺めてみたい衝動に駆られた。