雑感~20120531

勝鬨橋                                20120531

 勝どき橋のそばで打合せがあり、その帰りに写真を撮った。

 確かこの橋が完成したころ、妻の母はお弁当を持って橋の跳ねる様子を見に来たのだと言っていた。

 

 一日に5回、上げ下げしていたというから優雅なものだと思う。

ウィキペディアによれば、日本の力を誇示すべく外国人技師に頼ることはしなかったらしい。

 

曾祖父の時代。

知らないところに                          20120527

 昨日は栃木県喜連川に、別荘計画の申請で出かけた。午前中に手続きを終え、現場でしばらく再確認などをして車に戻った時、レンタカーを返すにはまだ多少の時間の余裕があると思った。

 パンフレットを開いてみて、隣接の那珂川市に訊ねてみたい美術館があることを思い出した。別荘の建設を担う工務店さんが造ったものなのだ。

 

 写真はその入場チケットの半券で、出てきてから草の上で写真に撮ろうとしたら、虫がよじ登ってきた。

 

 いわむらかずおさんという、僕は知らなかったけれど世界的に活躍している絵本作家の作品を見た。

 とてもクリアで、(清潔で明瞭、饒舌なのに無駄が無い・・・)驚いた。

 建築設計も野沢正光さんという素晴らしい建築家で、町ぐるみで建設にあたり、活動を支援していることを知ってもっと驚いた。日本は逞しいと思う。

うってかわって                           20120523

 一昨日の金環日食や、スカイツリー営業開始日の強風など、天候が注目されたけれど、今朝は気持ちよく晴れた。

 那須に行って水戸に立ち寄る日程が、微調整によって電車での水戸訪問になる。

 早朝、絵画のような雲が浮かんでいた梅雨前の五月。

 

 小田急線・ 山手線・常磐線と、それぞれに混雑や一斉下車があって、地域に詳しいひとしかわからない事情があるのが面白かった。

 

 水戸では、地域の繋がりの強固さを感じることになって、それはとても良いなあと思う。

金環日食

銀環日食                               20120521

 昨晩、天気予報を見て金環日食を見るのは難しいかな?と思って寝た。

 目を覚まして窓の外を見ると、厚い雲でどんよりしていて、最近天気予報が良く当たることを恨めしく思った。

 

 しばらくして、ベッドにうっすらと自分の影があることに気付いて、ダメもとで屋上に出てみる。東の空はところどころ雲に孔が開いていて、その近辺なら見られるのになあ、と眺めるうち、その一つがとても明るくなってきた。急いでカメラを取りに戻って何枚か撮る。雲によるハレーションなのか、環が厚くて銀環日食だな、と思った。

 

 太陽は月に比べて 「400倍大きいけれど、400倍遠い」 と聞くと、その絶妙さに感心するばかりだ。

縁(ふち)・黒                            20120519

 

 ある版画家の個展を観に行った。

 目白駅のそばで、一階に入り口があって内部で二階に通じる、清潔感のある画廊だった。

 少し前に、同じ作家の銀座での個展を訪れたことがあったので、不要な緊張を憶えることもなくじっくり楽しむことができた。

 スタッフも楽しげで、その一人の方は声をかけてくださって話を聞くことができた。きっと創作をされているのだろう、視線も言葉もストレートで飾りが無いのが心地良い。

 

 一般的には、一年間で描けるのが多くて10作くらいでしょうか、と聞いた。

 

 望む黒を出すために、いろいろな苦労や技・手間があることも。

 

 縁、が全体を支配しているように感じたけれど、それは、単なる直観かも知れない。でも、例えば花器の盆の作品を見た時、こちらの縁とあちらの縁の間に感じたものは何だったのだろう。

 そこに横たわるものが、空間なのか時間なのか、あるいはほかのものなのか・・・。

 そして黒は空気そのものだ。どこまでも先があって行き止まることがない。 

 

 版画は、魅力のある版画は、いつも音をともなっているなあ、と思った。 

ペルー弁当                             20120516

 先日、恒例の昼散歩で一回りした終盤、コンビニエンスストアーで昼食を買った後にこの看板を見つけた。

 ペルー弁当という名前が気になったので、その翌日同じコースを辿り、立ち寄って買ってみた。名前の由来はペルー人シェフが作っているからだそうだ。

 路地の小さな店なのに経営家族は一杯いて、奥の方で少し気恥ずかしそうに調理しているのが・・娘婿なのか・・ペルー人らしい。大切にされている雰囲気だった。

 

 隅田川テラスのベンチで食べてみると、香辛料が異国を感じさせて美味しかった。おそらく日本人向けにソフィスティケートされているのだろう、主張の強く無い味付けが自然かつ家庭的で、店の中でのペルー人の佇まいを思い出させた。

 

 ずっとうまく行くといいな・・・と、通りすがりの僕が思う雰囲気だった。

20300回                              20120514

 昨晩の帰宅途中、家のそばで 「こういう照明だったかな?」 と思いながらシャッターを押した。街灯のあまり届かないところに、強めの光があるのが印象的だったのだけれど、コントラストが強すぎてうまく撮れなかった。

 でも、あとから見て坂が急だなあと感心した。影の関係で勾配が少し強められて見えるけれど、急なことに変わりはない。

 

 そして、この坂を何度上り下りしたのだろうと考えた。

 4才までと、別のとろこに住んでいた3年を除き、小中学校は通学路が別だったので年に200回程度、他は通学通勤ともに朝晩通ったから年に500回・・・すると20300回と出た。ああびっくり。

 

 僕の影は染みついているだろうか?

OPPA-LA                                                          20120510

 少し前にも立ち寄った片瀬の店は、たしか OPPA-LA という名前だ。建物の案内板には 「POP喫茶」 と表示されている。

 最初に入ったのは10年くらい前、隣駅の鵠沼海岸で7棟の分譲住宅を作っているときだった。その当時と店は大筋違っていないけれど、連続的な変化は少なくない。粗大ゴミのようなソファは相変わらずでも、その隣にあった自動採点のダーツはなくなっている。

 

 写真は海を望む席の窓枠に置かれた観葉植物で、ココナッツミルクの缶に入っている。

 

 多分、ふらりと入る女性はないだろうし、きっと僕も店側からすると異質な客だろう。ビル自体が昭和の匂いを隠しもせず、言いようによっては荒れ果てている。でもこの店に限れば、観察するとこの観葉植物のように手入れが行き届いていて、そのギャップが面白い。テーブルもベンチも、触ると丁寧に掃除されていることがわかるのだ。

 

 入り口周りの壁や天井はポスターやチラシで埋められていて、年中オーバーナイトのライブなどが催されていることがわかる。

 そしてそのチラシは、過激なようでいて繊細なものが多い。 タッチが見える。

 

 青山や六本木的なものに日本中がなびく中、きれいかどうか別として、人の営みを感じさせる空気が満ちているのが好きだ。ピアスだらけの店員さんは礼儀正しいし。

スーパームーン                          20120506

 昨日の晩、スーパームーンという言葉が聞かれて、見上げてみると確かにとても明るくて大きく見える満月だった。

 普段は使わない方の、標準に近いレンズ設定のカメラで撮って、少し絞ってみたのが上の写真。 (まるでカメラに詳しそうな表現)

 

 スーパーとは言っても、やっぱりいつもの月の顔をしていた。

 

 今日は散歩の途中で雷が鳴り始め、いきなりスコールになった。白く太い筋に見える雨。四半世紀前の映画、「台風クラブ」を思い出した。

 畑に面した民家の庇を借りて、雨宿りおよそ30分。さすがに竜巻を起こした天気だけあって、雲の流れはとても早い。再び顔をみせた太陽と、照り映える道を帰宅した。

乙女になった巨匠                        20120505

 写真は昨日、真鶴の中川一政美術館で買ってきた小皿だ。

 昨年初夏、友人OKの古本市で小川国夫の「アポロンの島」と一緒に、中川一政の「モンマルトルの空の月」を購入した。

 

 一昨日、次の日は天気が回復しそうだからどこへ行こうかと考えて、沼津のイカが美味しかったことを思い出して真鶴を候補にした。

 インターネットで検索すると、中川一政美術館が出てきた。観光地の美術館は苦手だけれど、美術館自体が建築「吉田五十八賞」を受賞していることがわかったので行ってみることにする。

 

 展示室の手前にビデオコーナーがあって、緒方拳が聞き手役の中川一政特集番組(20年前のものか)が放映されていた。90才を超えた巨匠の清潔感に惹かれ、いつの間にか最後まで観たのだけれど、それはその後作品を観るのにとても参考になった。展示構成はこの番組とシンクロしていて、中川一政の美術にすんなり近づける気がするのだ。

 

 中川一政は56才で真鶴にアトリエを構えて、以降20年間、真鶴岬西岸の福浦港でその眺めを描き続けたらしい。その長い間、氏は自らの内部をきれいな水で満たすため、「井戸の掻い掘り」を孤独の内に続けていた。

 展示室のハイライト部分に、ライティングも補強された73才時の福浦港がある。

 「ここで水が出たんだ」・・・と思った。弾けている。

 

 それ以降の作品は、薔薇を描いても風景や魚でも、限りなく澄み渡っていてまるで日向の少女のようだ。・・・僕は大きな洗濯機に自分が投げ込まれた気がして、涙が出た。

原発ゼロ                              20120503

 藤原新也の会員サイトで、電気自動車の有効性と節電の方法についての話題があったので、僕も考えを投稿した。その文章です。

 電力ピークとエコについての、SHさんとATさんのご意見を読ませていただきました。

 どちらの方も正しいと思い、食い違いは深夜電力の供給過剰の認識によるのかと思いました。

 私も設計者として夜間電力利用設備を採用してきたものですから、深夜電力は余っていると当然視していました。が、これは東電・政府のリードに乗ってしまっているとあらためて気付きます。

 

 火力や水力発電も、スイッチのように簡単にオンオフはできないでしょうから、深夜に余る傾向はあると思います。しかしながら、その程度を明らかにしなければ何も見えてきません。

 事実上原子力発電がゼロになるので、深夜の節電が原発稼働時より意味を持つことは考えられますが、昼間の節電努力と同じエネルギーを傾けるべきものでもないでしょう。

必要なのは試算だと思います。

 

 私はトイレの無いマンションに住みたくないので、断固原発反対派ですが、反対派はピークカットの具体的方法と、蓄電池としての電気自動車の将来展開の有効性を示して、説得に乗り出すことをしなければならないと思います。

 

 そして、「外部エネルギー(情報)に頼るな。自らの命(思考)を燃焼せよ。」という藤原さんのメッセージに大賛成です。

法要                                 20120501

 

 昨日は父の49日で近所のお寺さんに法要をしていただいた。

 両親は山口県の出身で、僕は東京に移ってから生まれたから、田舎のお寺さんを取り巻く環境を知らない。

 

 祖父の法事に連れて行かれたとき退屈さに耐えかねて、近所の悪戯ざかりの少年達と芝スキーをして泥だらけになって叱られた記憶がある。

 でも、その時の少し浮き立つような気配もよく憶えている。

 

 和尚さんの読経を聴いていて、これはコンサートだったのだと気付いた。

 木魚はドラムそのものだし、お経も転調やテンポの変化などエンターテインメントに忠実で、何より声がよかった。

 

 非日常は日常だったのだと思う。悲しみや楽しみ、いろいろな顔が集まっていたのだろう。それをみんな繰り返してきたのだ。

雨の海岸                              20120427

 今日は鵠沼海岸で、以前のお客様のメンテナンスがあって立会いをした。その後のたまプラーザでの打合せに時間の余裕があったから、片瀬江ノ島にある好きなカレーバーに寄った。

 広い店なのだけれど、1時間の滞在中他に客はなかった。

 結果的には 「僕のために」 店員さんがかけてくれたのは、「Gabby&Lopez」 という日本人二人のギターユニット最新作で、4小節のリフレインが雨の海岸に繰り返す波とシンクロしていてとてもリラックスした。 (リンクはその前半の曲ですけど)

 「今日の海はなんでこんなにきれいなんだろう」 と見ていると、雨で静かなことと、砂がしっとりと黒いことに気付く。でもそれだけではないなあ・・・と思う内、海岸清掃車が引いたストライプが輪郭を強調しているのだとわかった。

子供と家族                             20120424

 

 高校からの友人のブログを読んで、本当に久し振りにほんのりと、でも同時にガハハと笑った。

 

 少年の時の思い出話だ。

 ご両親がお肉屋さんを営まれていて、手伝いとして大きな豚を散歩しているとき、なぜか怒らせて追いかけられたらしいのだ。怖かったらしい。(そりゃそうだ、250㎏)

 

 なぜ親分格の種豚が怒ったのか、想像するときりがない。

 

 サラリーマンは仕事と家庭が離れてしまっている。そのことの良い点や弊害はたくさん指摘されているのだけれど、こんなエピソードを不用意に読まされると(読ませていただくと)ぎっくりする。この体温は何にも替えがたい気がするのだ。

 

 彼が近いうちに僕の雑感を読んでくれて、了解が得られたらURLをご紹介します。

 (しばらく経ったら催促しますけど・・・笑)

漂流                                 20120422

 

 今日読んだ新聞記事に、東北大震災で流されたサッカーボールがアラスカで拾われた、というものがあった。

 ボールにはいくつかの名前と学校名が寄せ書きのように書かれていて、持ち主が見つかって返されることになったらしい。拾った人は持ち主が元気であったことを喜んでいた。

 

 一年、海に漂い、400の夜と朝と昼と夕方を迎え、陽射しと雨と風を受けてゆっくり移動したボールを考えてみる。自分を置き換えてみて。

 

 昨晩、見るとはなしに見ていた番組では、皇帝ペンギンの一年が紹介されていた。氷の大地と空と海だけの景色で、仲間と肩を寄せ合いながら、自分の姿を見ることは恐らくない一生。

 

 ふと、砂漠のサソリを連想する。過酷に違いないけれど、一分の隙もなく充実しているのだろうと思い、情報に量を求めることは満たされることに繋がっているのか不安になる。

清水靖晃・バッハ                         20120419

 

 今日は、ある計画案で煮詰まったりしていたのだけれど、清水靖晃さんのバッハを聴いて帰ろうと思ったら良い気分になった。

 氏の演奏には好き嫌いがあって、その理由が自分でもよくわからない。

 でもこれはとても好きで、気付いてくれる人があったらお勧めしたい。

 

http://www.youtube.com/watch?v=VzXSvrwo77k

 

 

 

あのおばさん                             20120418

 電車に乗っている時、初めて降りた駅前の商店街を歩いている時、ふと気持ちが周囲に向かう瞬間がある。

 そんなとき思うのは、僕があのおばさんだったら・・・ということだったりする。

 

 男性を見て、僕があの人物だったら、と想像するのは飛躍がなくて妙にリアルなところがあるから、対象はおばさんやおばあさんがいい。

 

 写真は門前仲町の小さな通りで、ほんの一画と思える飲み屋街だ。箱崎の事務所から木場にある会社に打ち合わせに行く時、横目に入って面白い風景だなあと思っていた。その会社へは、地下鉄を乗り継いでも歩いても30分弱だからいつも歩くのだ。

 

 夕方の開店準備の時間帯で、人の気配はあるものの、通りに客はまだなかった。

 

 ここに店を出す人、ここで育つ人、ここに通う人。

 多摩の郊外の暮らしとはずいぶん違うように思えるけれど、どんなだろう。そのひと達の感覚でものを見てみたいと、ちょっと思った。

恩師のアトリエにて                         20120515

 大学で卒業設計・卒業論文の指導をいただいた先生が近々喜寿を迎えられ、そのお祝いの準備の会合があった。僕はOB会の出席率が高くないけれど、前回一番に到着したこともあって連絡係りになった。

 会合場所は、先生の設計でご自身が所有されるアトリエで、そこを訪れたのは僕自身の仲人のお願いに上がって以来だ。そのお願いは日程的に奥様のリサイタルにぶつかってしまって(ピアニスト)残念な思いをしたのだけれど、それはついこの間のようで、当時の記憶と建物の魅力がおおいかぶさってくる。

 集まっている幹事はみな先生のフリークだ。

 散会後、先生とそのまた恩師の図面が別の部屋でテーブルに開かれて、1枚1枚、丁寧にめくられて暗い夜の時間が過ぎて行った。

 手すりの原寸図などが目の前に現れて、一様に聞かれた感想は、「設計もそうだけれど、今誰がこれを造れるだろうか」ということだった。技術ではなくて気持ちとして。

クリスタルガイザー                         20120413

 

 始めてクリスタルガイザーのペットボトルを開けたとき、2回ほどの回転でキャップが外れたのに驚いた。そのまま鞄に入れても水がこぼれないかと少し心配だった。

 

 この間買った国産の水は、キャップがボトルに着いたままになることを「売り」にしていた。片手が空くから便利だと・・・。ニュースか何かでその開発過程を見ていたので、ああこれなのか、と思う。

 でも、キャップが外れないと邪魔になって飲みにくい。キャップを持たない便利さなどよりよほど・・・という気分だった。

 

 家でその話をすると、長男が「開けるときに両手を既に使っているからね」と言う。その通りだ。歩きながら飲むにしたって、キャップを持ったまま鞄を持つくらい造作ない。

 

 日本の物作りなどと言うと大袈裟だけれど、よってたかって付加価値を生み出そうとしたり、必要以上に安全にするのはいくらかゲンナリしてきた。(何度も回す)

 

 クリスタルガイザーのシンプルさは慣れるにしたがって好もしくなる。

5000kcal                             20120410

春がすみの空
春がすみの空

 女子トライアスロンの中継を見ると、いつもUEDAという選手が日本人上位で活躍していて、そのうちに名前を憶えた。

 その選手は欧米人選手と比較するまでもなく、日本人としても小柄で可愛らしい感じを見せながら、粘り強そうな気配も持っていた。有名選手らしくて、実況中に名前が出ることも多かった。

 

 最初に見たのはずいぶん前だから、もうベテランなのだろうと思っていたら、情熱大陸という番組で若いことを知った。

 番組では、オリンピックのメダリスト候補として上田藍選手を特集していて、古田敦也さんがインタビューする中で出たのが、5000キロカロリーという数字だ。

 「栄養のバランスを考えながら、一日5000キロカロリー程度を摂っています」と言ったのだ。

 

 昨日、桜を見ようと歩いた。計ってはいないけれど、距離は多分20㎞余りだろう。インターネットで消費カロリーを調べてみると、900キロカロリーくらいと出る。

 とすると、たった一日でも5000キロカロリーを消費することが僕には無理だとわかる。

 

 それでも、たくさん食べてたくさん動くことは美しいに違いなく、密かに憧れる。別種なのだろうか。

シッダールタ                            20120408

 シッダールタは釈迦のことで、その一生を創作したのがヘッセのこの本だ。若い主人公が享楽に身を浸しながらも満足はできず、放浪の終わりに川渡しに出会う物語だったと思う。

 渡し守は哲学者のように描写されていて、謎めかして扱われているのが高校生の僕には胡散臭くも憧れでもあった。

 川の流れはひとつにして、しかしどの一瞬も同じ川であったことはない・・・という表現は何か演歌の歌詞みたいだけれど、確かにそうだとも思う。

 

 波打ち際で時間を忘れて魅入ってしまうのも同じ心持ちなのだろう。炎もそうだ。

 

 福岡伸一ハカセの「動的平衡」という言葉が、とても魅力的だと思う。自分では直感的なイメージが好きだと感じていたけれど、ヘッセの言おうとした(と僕が思った)ことがこの言葉でとても補強された。

(アミノ酸の追跡実験で、タンパク質が常に新しいものに置換えられて原初はどこにも無いことが確認された:いつも生まれ変わっている)

 それは哲学や生命の神秘ではなくて、現実だ。

ゲルトルート                            20120404

 昨日は多くの会社が早期帰宅を促す暴風雨となった。僕はもともと自宅で模型を作る予定だったので、風にも雨にもあたっていないけれど、その激しさはわかった。

 

 昼ころに風雨が激しくなると、普段雨のかからないガラス戸がバケツの水を浴びせられたように「バシャッ」と鳴り、ブンッという風切り音とも思えない音があちこちに飛び交う。

 正面から風を受けていたのか少しも勢力は衰えないまま、夜になっても網戸が右に左に流されて音を立てていた。

 

 テレビか誰かが「春の嵐」と言うのを聞いて、ヘルマン・ヘッセを思い出した。

 原題「ゲルトルート」

 

 ヘッセの本を手に取ったのは高校に入ってしばらくした時期、そのころ大学の数学科に通っていた姉から『世界は数学と音楽でできている』というヘッセの言葉を聞いたからだ。

 興味を惹かれて姉の本棚から抜き出したのは「デミアン」だった。

 一遍で魅せられながらも、難解さと孤独の重みに圧迫を感じる中、何冊目かに読んだのが春の嵐で、タイトルとは反対に爽やかな空気に驚いて一気に読み終えた。

 

 ゲルトルート・・・いかにもドイツの名前で、しかもその中でも骨格がしっかりしていると思うけれど、それがためにか、女性らしい弱さが美しく際立つ名前だと思った。

子供                                 20120402

 

 「ワタノハスマイル」 という、子供達の作製したオブジェ展があると聞いた。その展覧会は好評と支援の波に乗せられて、日本各地を周った後今はイタリアで開催されているらしい。

 

 流木などを使うアーティスト、犬飼もとさんが震災ボランティアで石巻市を訪れたとき、がれきの凄さに圧倒されて動けなくなってしまう。

 ところが、仮設住宅の子供達はがれきの中から物を取り出して、それを道具に楽しく遊んでいた。それを見て、犬飼さんはがれきに分け入ってオブジェを作ってみせる。

 寄ってきた子供達も真似を始めて、ついには展覧会にまで発展したらしい。

 

 「子供は強い」と言う感想があちこちで聞かれたけれど、写真を見ているとまた違った感想を抱く。

 体が成長過程にあって、まだ見ぬ世界の予感が漲っている子供達は、きっと内側から燃焼しているのだ。意味を見つけられなくても燃焼は衰えずに、自らの燃焼に満足して意味を見出すのではないか。それはまるで動物か高僧のようだと思う。羨望とともに。

 

ワタノハスマイル https://readyfor.jp/projects/watanohaSmile

黒い津波                              20120329

 

 那須塩原市に工務店の社長さんを訪ねた。

 栃木県は東北大震災の被災地だというイメージが薄いけれど、震度は6強だったそうだ。道路が波打っているようだったと聞いた。

 

 藤原新也は、ヒマラヤの聖なる山に初めて人とテレビカメラが入った番組を見ていて、無垢であるはずの雪の断面に、微細だけれど真っ黒な層があることに気付いた。それを、人間が空中に撒いた汚染物質ではないかと考え、津波が禍々しいまでに黒かったことに言及していた。

 津波を浴びた瓦礫は未知の異臭を放ち、自衛隊員は吐きながら捜索をしていたらしい。

 

 黒い海水は重油が混ざったためか、と思って僕は見ていたけれど、言われてみると確かにそんな量ではなかった。

 先の社長さんに津波の色の原因を尋ねると、間髪入れず「海底の汚泥でしょう」と答えた。

 

 映像を思い出すと、いつも散歩している隅田川の堆積物の深さがどれだけだろうかと、少し落ち込む。高度成長期よりはずいぶんきれいになったらしいから、いつか美しい東京湾になるだろうか。

月                                  20120326

 昨日から月と金星と別の星の位置関係が話題になっているらしい。妻は÷になっていたと話し、僕が撮った写真に下の星が明瞭でないことを嘆いて、撮っておけばよかったと言う。

 この写真には、拡大すると赤い小さな星が÷の位置にあるけれど、小さすぎてわからない。

 見ているうちに、写真の下の方に写った廊下の灯りが気になってきた。その灯りの元に居てはきっと月は見えないだろうけれど、月はゆったりと見下ろしているようにも見える。若者であれ、老人であれ。 僕がいたとしても。

かわせみ                             20120325

 土日に打ち合わせがなくて進行中の計画案を検討している時、少しは身体を動かそうと散歩に出てみると絶好の日和だった。

 

 恩田川という小さな川の遊歩道を歩く。 

 サッカーをする青年たちや、野球をする少年達を眺めながら帰ってくると、家が近づいたあたりにちょっとした緊迫感があった。60センチくらいある望遠レンズや、テレビカメラと集音マイクなどを持った人たちが川の小さな橋で息を詰めているのだ。

 

 静かに集団に加わってカメラの先を見るのだけれど、目的物がわからない。それでも訊ねる雰囲気ではなくてじっと待っていた。すると、青い小さな鳥が直線的に川下のほうに飛んだ。

 誰もシャッターを押すことはできなかったようで、どやどやと鳥を追って移動を始める。最後に残ったマイクの人に「何という鳥ですか?」と訊ねると、かわせみだと教えてくれた。

 

 きれいな色だったけれど、どうしてかわせみの居る場所をみんなが知っているのかとても不思議だった。

不可知、祈り                           20120322

 友人達の間で・・・きっとそれ以外でも・・・浸透してきたインディーズ文芸誌、「Witchenkare」Vol3 に収録された、小田島久恵さんの「スピリチュアル元年」を読んだ。

 占い師でもある氏は、占いを含めた精神世界に対する世間の関心が、今までの冷淡なものから好意的なものに反転するのが2012年だと言う。ただ残念なことに、最近、占い師を自称する人が「洗脳」という言葉と共に世間を賑わしたから、氏の期待通りには行かないかもしれない。

 

 でも、そんなことを無視して読んでみると、感じるところが多かった。

 原宿や澁谷など、男性が駆逐されかけている場所に軒を連ねるのが占い館で、雑誌などでも占いコーナーは大抵ピンクの誌面のような気がするから、多くの男性は占いから距離があるだろう。

 何より、女性達が真剣に答えを求める姿をそんな男性に見せる理由も機会もないのだから、僕もその切実さを知らなかった。

 

 合理 という言葉が原発事故で照射されている。

 氏も触れているけれど、「サイエンスは世界を読む言葉でしかない」、ということを常に意識しないと、再出発が不可能となる脱線をしかねない。

 

 少女が占い師を媒介として、自分の知見の外に答えを求めるその姿勢は、サイエンスを振り回して不可知の存在という不安を消し去った男性達が失ってしまったものだ。

 手段であるはずの文字を目的にして、不可知の存在を否定してしまったら、きっと本を読むことなどできない。

父が他界した日                          20120317

 月曜日の深夜、火曜日になったころ、家のそばでシャッターを押した。空気がとても澄んでいて、久しぶりに月の写真を撮ってみたくなったから。

 直後に家族からの連絡で携帯電話が鳴り、父が長く入院している病院に向かった。

 

 言葉を交わすことはできなかったけれど、息を引き取る時、肩を触っていることができたのはせめてもだと思う。

 

 日付では翌日、一旦家に戻った父を葬儀会場に搬送してもらった。車が、父の勤務していた中学校(僕と妻の母校でもある)のそばを通ったとき、「一中だよ」と声をかけてみる。

 

 二つほど交差点を進んだ道で、(ひとの死は)「花のようだ」、と思った。

 無理に美しく考えようとしたのではないと思う。放心して、陽射しの暖かい車内で、ふとそう思った。きれいだ、と思ったのだ。

 

 闘病で苦しい日々が続き、その苦しみを理解できない僕に不信の目を向けることもあった父だから、全体がきれいだったはずもない。でも、その思いが自分本位ではないかと反省する前の瞬間、きれいだと思った。

 

駒沢敏器さん                           20120311

 

 作家・編集者の駒沢敏器さんが亡くなった。

 昨日の時点で死因に母親が関与しているという報道があったけれど、詳しいことはわからない。

 これを知ったのは、友人がフェイスブックにコメントを書いていたからだ。

 

 数年前、インターネット上のリレーコラムというものを見つけて読んでみたとき、有名人の中に駒沢さんがいて、数回でファンになった。とても近しい感じがした。

 

 沖縄の基地問題、アメリカと日本の交わりや、音楽の瑞々しさなどを読み、時に我々現代社会人について触れた時は、厳しくも同世代としての思いやりも感じられる文章で、懸命に生きている息づかいが感じられた。

 

 検索してブログを発見 (まるで隠しているようなのだ) してからは、更新を楽しみにしていた。月に1.2回程度だった。

 

 プロフィールがわからない人だったけれど、ブログを遡って同じ中学の2年後輩だと気付き、訃報を知らせてくれた同窓の友人に伝えると、作家編集仲間で交流が盛んだったことを知った。

 

 近しく感じていただけに、ほぼ同じ歳なだけに、最後に何を思ったか考えてしまうのは誰しも同じだろう。無念だっただろう。

ノイズ                                 20120307

 

 昨晩、帰り道で月を見上げたら満月の少し手前だった。

 ここ何日か、雨が降って気温の緩む日があっても、また寒波による揺り戻しがあるだろうと気象予報士が言い、実際そうなっている。

 

 撮ってみた写真は平坦で、春の気配はそこにはまだなかった。

 

 なぜかのんびり歩いていて、とても静かで平穏な気配に満ちていることに気付く。どうやら、気温が優しくてこちらにプレッシャーを与えていないことがのんびりの理由らしい。

 

 気温が辛いくらい低いことはまさに自然現象だけれど、それが無ければ平穏さが増すのだ。その一点では、暑い・寒い・・・は一種のノイズだと思った。ノイズがあることの良し悪しは全然別の場面で考えるとして。

普遍的物語                             20120302

 パウロ コエーリョの「第五の山」を読んでいると、電車を降り忘れるくらい引き込まれたりする。

 

 少し前に、「アルケミスト」や「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」、を読んだ時もあったけれど、それは主人公が少年や若い女性だから親しみもあって目が離せなくなるのだと思っていた。

 でも、今回の第五の山は予言者の話だ。

 

 イスラエルの地に生まれ、子供の頃から守護天使の声を聞いていた男が、主の啓示を受けて予言者として放浪を始める。(紀元前870年)

 

 僕は、西欧宗教はもとより宗教全般について知識が乏しいし、読んでみて特に知りたいと思うようになった訳でもない。宇宙が生まれて成長し、やがて老いていくという意味で人間の存在を超越したものがあるだろうとは思うけれど、それが神として現れると考えたことは無かったし、多分これからも無い。

 ではなぜ。

 

 登場する人物は困難に直面して迷い、絶望の淵に立たされた時、最後は選択し決断することで次の時間を迎え、あるいは死んでいる。

 現代では壮大過ぎてかえって地味に見えるテーマが、本当は日常を支配していることに気付かされて、読む人が心を揺さぶられるのかも知れない。

 宗教に関係なく自分を充たすためのことが、とても平明な文章(訳)で書かれているのだ。

 

 何千万人という人が読んだ、と解説されていたことを思い出した。

千利休                                20120229

 塩野七生さんの「男の肖像」を読んでいる。

 いつものようにペリクレス、ユリウスカエサル、アレクサンダー大王と続くのだけれど、その後北条時宗、織田信長、千利休・・・と日本人が入ってくる。

 

 「いい男が好きだ」と、塩野さんほどくり返し言う人も珍しいけれど、彼女はこれらの偉人が隣に座っているように感じられるまで資料を調べるらしい。あるいは、隣に座りたいと直観的に思った人物を調べるのだろうか。

 

 千利休は信長に冷遇されながら、しかし主人としての魅力に圧倒されてマゾヒスティックに受け入れたのに対して、次の主人秀吉は自分を最高に取り立ててくれたにもかかわらず、魅力を見出せなかったから泥沼の駆け引きに入り込んで行った。と書いている。

 

 建築関係の世界では、茶室の精神性は疑いようのない世界とされているけれど、塩野七生はにじり口と言い中の狭さといい、秀吉へのあてつけもあったのでは、と書く。

 

 千利休の振る舞いを観察して、芸術家の魂のありようを頼りに人間模様を描き出すのは、まさしく目の前に繰り広げられるドラマだ。こんな風に歴史を教えてもらう機会が早くにあったら、僕の人生は少しくらい違っていたのではないか、と思う。

まるで旧友                             20120226

 昨晩は逗子で設計させていただいたお客様と、その時の監督さん(二人とも今では飲み仲間だ)との遅い新年会だった。

 

 午後、予定をひとつ終えて、新年会まではずいぶん時間があったので目的もなく国道134号を歩いていた。すると、御用邸の少し東で以前テレビでみたことのある燻製屋さんの看板を見つけた。

 坂を登って行くと住宅街の一角に新たな看板があって、矢印の通りに細い階段を上ると写真を撮った芝生の庭に出た。

 いつの間にかアルミサッシを開けながら「こんにちはー」と言っている自分に驚く。

 

 靴を脱いで上がり込み、天気の話などしていると店主が何やら並べ始めた。10種類くらいの真空パックされた燻製だった。あじ(ソフトタイプとハードタイプ)、さば、さばの生、タコ、はんぺん、イカ・・・。

 最後に試食用の細切れが入ったタッパーを開けてくれて、色々食べ比べして、最終的にソフトあじとさば非生を購入する。(計1300円)

 

 その間燻製の話や店主の暮らしぶりを聞き、僕の現場の写真を見せてお世辞を言ってもらってカメラの話題で盛り上がった後、「じゃ、また」と言って店を出た。

 

 まるで、自分が自分ではないような気がしながら、これも自分なんだと発見した。恐るべし、頑固一徹 but 柔和な葉山燻製香房主人。

西伊豆 戸田                            20120225

 西伊豆の戸田はとても好きな漁港だ。天の橋立の縮小版のような、それでいて普通の漁港であるところが親しみを感じる。

 一方で、西伊豆は国定公園が多くて開発が難しいらしくて、商業施設はかなり限られているから厄介なところもある。今まで何度食事をする店を探して途方に暮れただろう。

 

 沼津側からアプローチすると、戸田の前には海から山へ向かわせられる小さな難所がある。その一地域に、戸田を見下ろすビューポイントがあって、僕たちは車を停めておりてみた。

 

 晴れていたのだけれど、湿度が高かったのか海と空の境界がまざりあっていて、とてもきれいだった。

静けさ                                20120222

 沼津と戸田、それに箱根と御殿場を廻るドライブに出かけた。

 

 箱根スカイラインの頂上付近を走っている時、自衛隊のヘリコプターが斜め前方を横切っていった。それは裾野町の上空なのか広い谷間に見える辺りで、僕たちの車より低い高さを飛んでいたから、背景には富士山と町があって不思議な光景だった。

 何度も箱根に来ているのに初めて見る景色なのは、僕が助手席にいるからだ。長男が運転免許を取って、慣れるためにまとめて長い距離を走ろうとやってきたのだ。

 長女の時は南房総に皆で行かれたけれど、今回は長女に仕事があったから3人になってしまった。

 

 芦ノ湖に下りてきて箱根プリンスの庭に出てみると、平日の昼過ぎだからか全く人気がなかった。無音の音がするくらい静かで、ときおり自衛隊の砲撃訓練の音か『どーん』と這ってくるのが余計に静かさを強調している。

 なぜかひそひそ声で話している長男と妻を後ろに感じながら、ゆっくり話す子供達(成人したけれど)でよかったと思った。

海の色                                20120220

 ふだんは海を見られるとしても現場の打ち合わせを終えてからだったのだけれど、昨日は午前中の開始時間よりずいぶん早く着いたので、バス停から反対側に渡って海に下りてみた。三浦半島西岸だから早い時間だとほぼ順光で、手前から水平線まで豊かな青のグラデーションが観察できる。

 

 もうすぐこの現場が完了してしまうのがほんとうに残念だ。

 これまで、逗子の現場・横須賀インターそばの森の中・七里ガ浜・葉山町役場のそば、と少しの間をおいて海を見ながら通うことができたのを有難く思う。

 

 今回の秋谷の現場は、きっと住宅関連雑誌に興味を持ってもらう要素があるので、次の海辺の住宅設計の機会に繋がってほしい、と大いに期待する。

 

 それにしても、最終チェックに余念がないとはいえ、思わず笑みがこぼれる幸せな人のそばで仕事ができるのはとても有難いことだとあらためて思った。

日比谷                               20120217

 

 先日白鳥を見たお堀で、今日も白鳥を待ってみようとした。でも、みぞれのような天候で、近くにも遠くにも姿がなさそうなのであきらめた。

 こういう天気のとき、白鳥は帰る場所があるのだろうか?

無人島                                 20120214

 きっと誰でも年齢と共に変化を感じているのだろうけれど、このあいだ思ったのはじっとしている時間が長くなったということだった。

 もう少し自慢気に言い換えれば、ゆっくり物を見ることができるようになった気がする。(若い時はなぜあんなに次を追いかけていたのだろう。)

 その時他には・・・と考えて思いついたのは、飛び降りた時の衝撃が強くなったことで、きっと体が固くなったのだろう。普段飛び降りたりしないのだから仕方無いと思うものの、こちらはやや残念な方の変化だ。(でも、歩く距離やスピードは増しているから、総合的には良しとする。)

 

 勤務先の業態の変化で、一人で行動することが格段に増えた。以前は一人で食事をするのがイヤでなんとか避けようとしていたのに、それが今は家族と友人を除けばひとりが当たり前になってむしろその方が心地良くもある。

 

 一人で居るということは、寂しいと同時に邪魔をされないことでもあって、だからじっとしている。

 現場帰りに、見知った海岸まで足を延ばして石を見た時、無人島のようだと思った。思ったことがあちこちに反射してまた別のことを思う。(これは、刺激を自ら生み出しているということだろう。)

 

 一人でいることに慣れると、年齢を重ねることが少しも心配ではなくなるようだ。(それに、家族と友人の大切さがグッと増した。)

港湾と運河                              20120210

 学生の頃、ふと港湾で働いたらどんなだろうと思った。なぜそう思ったのか忘れてしまったけれど、あらゆるスケールが大きいことが男っぽく思えたのかもしれない。

 あるいは、それまでまったくそんなことを考えたことがなかったから、思いつきに驚いて印象が強かったのだろうか。

 

 小学校低学年のとき、ピアノを習っていた。普段は友達の家で二番目に教えてもらうのだけれど、発表会が近付くとスケジュールが混んで、先生は動きにくくなるので僕たち生徒が横浜の先生の家に出かけた。(先生は若い中国籍の女性で、結婚して渡米したから僕はピアノから解放された。)

 横浜にはその頃、まだ船上生活者がたくさんいた。

 順番を待つ暇に飽かせて5階くらいの部屋から川を眺めていると、舟の上で煮炊きをする母親や、その廻りで遊んでいる子供達が見えた。それはとてもエキゾチックな風景だった。

 

 中央区の箱崎は、歩いていると度々不思議な光景に出会う。写真は湊橋という小さな橋から撮ったもので、ビルの日陰に沈みかけた町で、空中を大きくカーブする首都高速道路に夕陽があたっていた。手前のパイプは水関係だろう。

 

 これらに運河が共通していることに気付いて、人工物と自然物のせめぎ合いに惹かれているのかな、と思う。大きくて、静かで、寂し気だ。

雲月夜                               20120208

 

 強烈な寒波が襲来していたけれど、昨日7日は寒冷前線が一時後退して、そこに南側の空気が入り込んで激しい雨になった。気温も4月並みということで、少し不穏な気配さえあるように思う。

 帰り道に夜空を見上げると、全天を覆う雲を透かして月が自己主張していた。澄んだ夜空の月ももちろんきれいだけれど、輪郭のあいまいな月もとても月らしいと思う。

 

 家のそばの路上に石ではない黒い固まりがあって、カエルが大変に苦手な僕は近付くのは厭だけれど、翌朝車に轢かれたところも見たくないのでどうしたものかと躊躇した。

 最終的にカエルではないだろうということにして家族にその話をすると、それは大雨に流されてきた植木のビニールポットではないかと言う。「そんなに気の早いカエルはいない」と言われて、冬眠を忘れる程度に動揺していたのだと気付いた。両肘を張って伏せている姿にそっくりだったのだ。

白鳥・東京                                20120205

 八重洲ブックセンターに本を探しに行った。目的の本が見つかり、他にも楽しそうなものが見つかったので、良い気分で二重橋前駅まで歩くことにした。

 

 東京駅から皇居に続く区画は、大企業の願望が渦巻く人間的スケールを超えた街並みだ。それを好むかどうかはそのひと次第として、大変な数の街路樹がクリスマスのように電飾されていることには違和感を覚えた。

 LEDが省エネだとは言っても、電力需給や将来展望を気にかけるなら、ただ虚しい感じがする。(そもそも人がほんの少ししかいないのだから)

 

 お堀の際まで来ると、右手の闇と左手の電飾の中間点に立つことになる。静かな水面を眺めていたら、すーっと移動するものが目に入って、それは白鳥だった。

 彼女は(オスとは思えない)近づいて手前の灌木の陰に入った後、どこかに離れて行くように見えたけれど、その先に目を凝らしても再び視界に現れることはなく、少しがっかりした。

 地下鉄への階段を降りようとしたとき、再びそっと近づいてくる彼女を見た。

 

 静かな水面に照り返す街の灯り、一方の漆黒の間で、音も無く移動する白鳥は何を見ているのだろうと思う。

冬の快晴弁当                            20120203

 昨日、2日の夜の気温は何度だったのだろう。最寄り駅から自宅まで十数分の距離で、手が凍るかと思う寒さだった。

 空を見上げると天頂に半月より少し膨らんだ月があり、その廻りに最近見たことがなかった数の星が瞬いていた。天頂に目立つのは、やはり町が相当に明るいからだろう。カメラを取りだそうとして、オフィスに忘れてきたことを思い出した。

 

 今朝のテレビでは、通勤時間の渋谷でも氷点下1.6度だと報じていた。

 昼休みに散歩に出てみると、空気は冷たくても風が無くて爽やかだったので、何度か買ったことのある遠くの弁当屋に出かけることにした。複数のおばあちゃんが経営する、小さな窓ひとつの店だ。

 

 八宝菜や竜田揚げなどが美味しかった記憶を裏切らず、今日の回鍋肉風もとても美味しい。

 平凡なプラスチック容器に特徴無く詰められているので、唯一梅干しの色の渋さが家庭的な気配を感じさせるのだけれど、食べてみると本当に素直で心のこもった味付けだ。

 まだ12時半なのに数点しか残っていないので、「売れ行きがいいですね」と話しかけると、「いい日悪い日、一日置きなのよー」と元気な声が返ってきた。隅田川テラスで食べたとても良い昼休み。

海からの贈物                            20120201

 リンドバーグ夫人のアン モロウ リンドバーグが、島に二週間滞在して書いた本を読んだ。「海からの贈物 GIFT from the SEA 」吉田健一訳 新潮文庫

 

 カバー裏面に『現代女性必読の書』と書いてあって、確かに、「私達現代アメリカの既婚女性は・・・」という言葉は目立つようだ。でも、内容は男女・既婚・未婚を問わない普遍的なものだと思う。

 

 島滞在中にたくさん集めた貝殻を、家に持ち帰るためにアン モロウは選び直す。そして、その一部を章のタイトルにした。

 ホラ貝、つめた貝、日の出貝、牡蠣、たこぶね・・・そのひとつひとつがアン モロウのある時代を象徴する貝で、変遷を視覚化したのはとても読者の理解に役立つし、楽しくもある。

 

 現代女性と言っても出版が1967年(日本語訳)でずい分前だけれど、僕には時代の差が感じられなかった。

 それどころかとても大きな共感があったので、書いたのは50歳前後の頃だろうと思いながらインターネットで調べると、49歳とあった。21世紀50歳男性にも必読の書だと思う。

 

(訳に時代が感じられてしまうのが少し残念で、新しい訳が出ないだろうか・・とは思った。)

近景、遠景                              20120129

 最近読んだ本に共通していたと思うのは、近くを見る目と遠くを見る目を同時に持ちなさい、あるいは持ったらいいよ、ということだった。

 概念ではわかるけれど実際の手触り感は薄かったのが、偶然撮った写真で何となく腑に落ちた。

 

 凪いで静かな海面。重い雲が光を遮ってますます静かにしている。

 手前の樹の葉は少し特徴的で、視線を誘う。悪戯っぽく。

 

 一緒に見ると、気持ちのパースペクティブも強化されるような気がして、遠くに出かけてみたいと思う。

 

 「アルケミスト」を書いたパウロ コエーリョは、「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」という小説で、近景と遠景を描き出していると思った。

 訳者のあとがきに、 2000年4月町田市成瀬台にて とあったのも親近感を増したけれど。

寒波                                 20120126

 

 北風と太陽という、確かイソップの、上着を脱がせるための競い合いの童話があった。

 

 今日は、散歩の後友人に教えられたところによると、この冬一番の寒波の到来だったらしい。知らずに出たので、強烈に冷たい北風に驚いた。

 暖かい太陽と冷たい北風が同時に来ると、どうしたものか思案にくれる。弁当を買って芭蕉の銅像のそばで食べるはずが、カレー南蛮そばに変わったのは意識しなかったけれど寒波のせいだ。

 

 写真に撮った隅田川テラスに面した建物は、実質本位で飾り気の全く無いところがすがすがしい。高い位置の外部階段が怖そうだと思って立ち止まり、その後ろの圧倒的な青空が目に刺さった。

大手町駅                              20120123

 

 大手町駅は普段の乗り換え駅だけれど、降りることは少ない。今晩は別の路線から帰ってきて、千代田線に乗り換える時始めての通路を歩いた。丸ノ内線や銀座線にも見られる昔ながらの景色だけれど、もう少し新しく見える天井だ。人も多くなかったので写真を撮ってみたら、少し東京っぽい気がした。 こんなことを思うのは、ALWAYSの影響か。

跳ねるキリン                            20120123

 

 たまたまテレビの画面でアフリカの草原を走るキリンを見た。そうしたら、20年くらい前の多摩動物園の光景を思い出した。

 

 幼稚園児の長女と、ベビーカーに乗る長男に動物を見せてやろうと出かけたのだけれど、檻にいる動物はあまり元気がなくて、そこそこに楽しいという時間を過ごしていた。

 キリンのいる、小学校の校庭のような広さのグラウンドに行くころには陽が傾き始めていた。餌をやる係員がいて、首を伸ばしてくるキリンの口や舌は当然だけれど動物そのもので、きっと子供達はいくらかおびえていただろう。

 

 ある時、一頭のキリンが緩やかに駆け出すと次第に他のキリンも同調し出して、やがて校庭をランニングする運動部のチームのようになっていった。

 キリンのストライドはとても長くて、それは走るというよりダンスのように見えて、ひづめの音も優雅だ。

 

 遠い祖国の草原とは違っていただろうけれど、夕陽を浴び、風を切るキリンたちは故郷の匂いを嗅いでいるのかも知れないと思いつくと、うっとりしているようにも見えるのだった。

澄ます(生きる)                           20120120

 一緒にいるのにどうも一緒にいる感じがしない、という人がいて、多分それは僕に好感を持っていないからだろうと思っていた。それは見当違いではないけれど、一緒に居るということが実は簡単ではないと聞かされると、ああ自分も同じことをしていたのだ、と反省することになる。

 

 ハウツーと呼ばれる本や、まして自己啓発の匂いのする本を手に取ることはないのだけれど、ブックオフで表紙の写真に惹かれて買ってみたらとても面白い本だった。

 

「考えない練習」 小池龍之介 小学館

 

 人間は五感から入ってきた情報を類型化して反射することが得意で、例えば何かを見たつもりになっても既知の何かに結びつけてわかった気になっているだけ、ということが多いらしい。著者は僧侶で、仏道では感覚を澄ませて見ることに集中するというような稽古をするそうだ。

 一緒にいる人の顔を見ているようで、多くの時間は心に浮かぶ「その他のこと」に気持ちを取られているなら、やはりそれは一緒にいるとは言えないのかも知れない。

 

 相手の表情の微細な変化から気持ちの状態を推し量る。目をつぶって舌にのせた食品の味わいを確かめる。・・・へたをすると、50歳で5年しか生きていなかったかも知れないと言われると、辛いと同時に教えてくれてありがとうと思う。

アルケミスト                            20120117

 以前読んだ時は途中で止めてしまったような記憶があるけれど、今回はとても楽しんだ「アルケミスト」・・・ブラジル人作家の小説で世界中で大ヒットしたらしい。うまくは紹介できないので、冒頭を少し引用。

 

 少年の名はサンチャゴといった。少年が羊の群れを連れて見捨てられた教会に着いたのは、あたりがもう薄暗くなり始める頃だった。教会の屋根はずっと昔に朽ち果て、かつて祭壇だった場所には、一本の大きないちじくの木が生えていた。・・・

 

 

海の光と音                             20120114

 

 最近、 「リトル ターン」 「イリュージョン」 「アルケミスト」 と、寓話的な本を続けて読んだ。それらは、宗教的な背景を持つかどうかにかかわらず、霊的な体験をごく普通に語るという共通点を持っていた。

 

 今日、三浦半島で打ち合わせをした後、バスを待たずに海岸沿いを歩くことにした。途中で休憩したとき、冬のせいか近くに人の気配はなくて、だから海の音が心地よかった。

 

 本に影響を受けただけだったとしても、そしてそれがとても単純な反応だったとしても、良い時間だった。

本日の浮遊                             20120111

 

 インターネットサイトにとても面白い女性カメラマンのものがあった。

 継続は力なり、というのは本当だと思うけれど、だからと言って簡単にできないから格言のように言い伝えられるのだろう。

 

 この女性カメラマンは毎日浮遊にチャレンジしていて、空中姿勢に神経が集中するあまり生傷が絶えないらしい。

 全世界的に注目されて、あちらこちらで浮遊する人間が出現するのもわかるくらい面白い。

林ナツミさん 「よわよわカメラウーマン日記」 (下の写真でリンクしています)

冬の小さな花                            20120109

 

 冬というのは花が少ないのかと思ったら、小さな花はたくさんあった。万両の実と千両の実がわからなかったので検索すると、葉の上に実を付けるのが千両で、下が万両だと書いてあった。よく似ているけれど、真反対だ。 (万両の実は7番目の写真です:なんだかこのページに似合わずカラフルになりました・・)

透徹と横溢                             20120106

 

 正月に、「earth walker」、「宇宙の渚」というふたつの番組を偶然続けて見た。

 

 後に見た「宇宙の渚」では、地球で一日に生まれる流れ星が約2兆個だと紹介されて驚く。

 もちろん、それは僕たちが見ている流れ星だけではなくて、野球場ほどの広さに張り巡らせたアンテナで1㎎という超微小な流れ星をも観測した結果らしい。

 データをCG化した映像では、無数の光点がランダムな方向に飛び交っていて、前日に見たある映像を思い出させた。

 

 その「earth walker」 の映像は、夜の海で無数のプランクトンが泳ぎ回るものだ。

 オーストラリアのグレートバリアリーフは、南極からもたらされる養分によって育まれた大量のプランクトンが、海中生物の多様性と量を支えている。

 夜の海に潜って光を当てることでプランクトンは浮かび上がり、そのランダムに動く様子が流れ星に似ていたのだ。

 

 何百光年という距離の星を見通せる夜空も、世界中のダイバーを引きつけて止まないグレートバリアリーフも、どこまでも透き通っている。

 しかし、透徹していながらそれは無ではなくて、横溢してもいるのだ。普段、人の目はそれを見ることができないけれど。

大小の再構成                            20120104

 

 年末のある番組で、日本の新素材繊維が、米軍の最新鋭戦闘機の機体に使われていると聞いた。

 別の番組では、宇宙エレベーターに炭素繊維が使われる可能性についてコメントがあった。

 

 宇宙エレベーターとは、地球と宇宙をケーブルで繋いでエレベーターのように箱を行き来させれば、低コストで事故率も低く宇宙開発や宇宙資源の獲得に結び付くだろうと発想されたものだ。

 現在の鋼では、強度を持たせようとしてもあまりの長さに自重で切れてしまうらしい。ところが、炭素繊維の重さと強度なら、どのくらい先かは別として可能性が見えるらしいのだ。

 

 ずいぶん前に楽しんだ 「チョンクオ風雲録」 という未来小説では、何百階もの建築物が出てきて、それは床がガラスのように薄い構造体だから、という設定だった。

 小説は面白くてもそんな建築物は・・・と思っていたけれど、ひょっとすると技術革新とはそういうことなのかなあ、とも思い始めた。

 

 エレベーターで宇宙に行き、地上ではひとりひとりが自分の食べる作物を栽培する世の中を想像した。それは、鉄が動かず、エネルギーの移動しない社会のような気がした。(写真はPIPEROIDという何かの作品で、家族が購入して組み立てたもの)

新年の夕焼け                            20120103

 

 子供の頃手に取った、子供向けの文学全集などの表紙や扉には、風景画が配されていることが多かった。

 日本の風景とは違った畑や海、森、それに幌馬車や上着を着た農夫などに、憧れをもって見入った。

 

 多くの絵には大きく空が描かれていて、特に注意を払うことはなかったけれど、今思い出そうとすると真っ先に空が浮かんでくる。

 

 今日の夕方、西の空を見ると曇りながらも赤く染まっていた。ズームで撮ってトリミングしたら絵のような空になった。

新年おめでとうございます                   210120101

 

 夕方見えていた白い半月は、夜になると少し赤みを帯びた夜の半月になっていました。

 月の運行と、新年の巡り合わせがどのような周期になっているのか。

 

 この、ブログとも言えないページを開いてくださったことに感謝します。僕は、しばらくこの方法で続けます。

 興味を持っていただけたなら、思い出した時開いてみてください。そして、おかしなことがあったり、あるいはなんとなく気が向いた時、連絡いただけると幸いです。

 

 今年もよろしくお願いいたします。

 

 荒美信一郎 arami.shinichiro@mx.bels.co.jp

 

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