雑感

設計とは別に思ったこと

今この瞬間             20180419

 

 先週誕生日を迎えた日、家族から祝いのラインなどもらいながら東中野に居たので、「そうだ、誕生日だから紀伊国屋で本でも買ってみよう」と思い立った。カレー屋ガンジーにも行きたかったし。

 建築関連書籍のコーナーで見つけたのが右の2冊。

 海辺のリッチな住宅と山奥のセルフビルドの小屋特集。

 

「自分の時間を生きる人の、鼓動や息遣いが聞こえるようだなあ」というのが選んだ理由。

 

 小さくてよいから、静かな小屋を建てたいとしばらく前から夢想している。現在の住まいの廻りだって家族に任せて僕は手を入れていないのだから、自分ですらその実現性には大きな疑問があるけれど、でも欲しいなあと思う。

 

 若いとき、子育てのときは社会とどのようにかみ合っていくか、が常に課題だった。59歳になって、社会人になった子供たちを安心して、なかば羨ましく眺められるようになると、社会と自分の距離がいくぶん冷静に見られるようになる。すると、やや社会を遠ざけて自分の時間を作りたいと思うようになるのだ。

 孫のKは何も経験が無いから、これから長い義務教育や受験、就職、残業や失敗を受け止めていくだろう。でも59歳の僕はもう一度繰り返せと言われたら、知っているだけに立ち尽くすしかない。そして逃げ出す。

 

 どんどん緻密、複雑になっていく情報化社会にずっと懐疑的だったけれど、その発達が田舎やへき地へ向かうことを可能にし始めている。だから小屋づくりは隠遁ではなくて展開なのだ。

 Kに、「昨日の反省でもなく、明日への研鑽でもない、今この瞬間がある世界」を開いて見せたい。それが僕にできるかも知れないこと、だと思う。

コンビーフ焼飯          20180416

 

 今日は午前中に銀行に行ったほか、家で仕事していた。

 妻は某筆記具メーカーの生徒さんの添削を担っていて、朝からこもって仕事している。

 一件の図面をPDFで送って少し休憩したとき、玉ねぎを刻んでみたくなった。いただき物の美味しいコンビーフがあると聞いたし。

 

 コンビーフの塩加減がよくわからないので、塩胡椒は控えめに。

 食卓で一口食べると塩分量下限値前後だったので少しだけ加勢。

 

 そうするとすこぶる美味しいと思えた。 なぜか、その理由にはコンビーフが美味しいから以外に見つからない。

 少し前に出かけて食した鹿児島の黒豚を思い出した。

 

 美味しい黒豚やコンビーフを作る人の苦労を想像しようとしても、それには無理がある。

 わずかな違いではなくて、突き抜けないと(特に僕のような一般人に関しては)遡及しないとリアルな実感と反省をした。

 

前にも記したかな。

 

能登半島の、のどぐろ

城崎(境港)の松葉蟹

鹿児島の黒豚

宇和島の鯛めし

信州の野沢菜お焼き

 

少ないけれど、食べたときにクリーニングされた記憶。

伊予上灘             20180409

 

 先週、松山の現場に出かけた。

 いろいろ動き回った後、ひとり宿に着いてから前回教わっていた近くの銭湯に出かけてみることにする。

 ホテルは松山の駅がすぐそこの市電通りにあって、そこから通りに直角に、繁華街から遠ざかる方向に10分ほど歩くとこの銭湯がある。

 

 繁華街はスナックの多い雑居ビルが過半なので、住居の多い静かな通りに心休まる。僕は腹蔵なく商業地域が苦手なのだ。

 観察するでもなく入口付近に佇んでいると、来店するのはほとんどがサンダルっぽい近隣住民のようだった。

 気持ちの良い湯に浸かっての帰り際、番台のおばあちゃんに「大谷のホームランすごかったね」と問いかけると、「おおたに??」という返事だった。

 翌日は予備日だった。(日帰りはとてもリスキーなのだ)

 ひととおりの連絡を済ませると、10時から17時までがぽっかり空いた。レンタカーのままと、JRでの移動に心が揺れる。が、前々回は車でしまなみ海道を楽しんだから、今回は単線JRにする。

 最短区間の乗車券を買って改札に向かい、いくつかの質問を試みるも、意図が伝わらず女性駅員さんは迷惑顔になる。「ええい、これだ」と乗車した1両編成はやがて動き出した。その後北上する積りが南下していることに気付き、海に出られるだろうかと心配したけれど、小一時間ほどで出た。

 

 駅名は「いよかみなだ」。この駅付近は道の駅もあるスポットで、何も無い無人駅に惹かれながらも、それは相当に不自由だとも思われたので単線特有のすれ違い待ち時間(7分)にゆったりと決断して下車する。

 暇を持て余すか(午後の上りは2時間に1本)と心配した時間は、さらさらと落ちていく砂のように消えていった。今度孫を連れて来たいと思う。 

ELV増築             20180330

 

 今回の雑感は、ひとつの増築計画の進捗状況の記録で、今日、少しだけ目途が立ったので残そうと思ったもの。ひょっとすると長くなるかも知れないし、仕事の細部に入り込むから途中離脱願います。笑

 

 昨年のある時期、旧知の監督さんから電話があった。

 神奈川県Y市のあるところで、既存の共同住宅にエレベーターを増築する計画があって、手伝ってくれないかという問い合わせだった。

 その前年、季節のイベント会場の設計を依頼されて着手したのだけれど、利権などの複雑要素が絡み合って頓挫したことがあったので、それを埋め合わせようという善意が滲んでいた。その気持ちが嬉しいし、役に立つならと思って快諾した。

 現地で待ち合わせて概要を聞くと、傾斜地にある3階建ての集合住宅にエレベーターを増築したいとのこと。直感的に難しいと思った。

 それでも、その建物のオーナーが中に住まわれていて、1階にはオーナーが創業された当時の事務所が残されているとのこと。今は新Y駅前に本社を持たれているのでこの最初の建物は記念碑であって、だからこそ大事にしたいというお話。近年膝に故障も見つかった高齢のオーナーは、階段が厳しくなったのでエレベーターを・・・ということだった。

 

「ここにエレベーターを設置したい」というお話を伺って、それは不可能ですとお答えする。そんなやりとりをしている内に、僕の前に2つの設計事務所に相談して立ち消えになった、という話が出てきた。

 まあそうだろうな、という感想。(善意もあるけど窮余の策か!ともちょっと思う)

 

 しかしながら、ここだったらエレベーター設置の可能性があるかも・・・ということに気付く。まあそれでも難しいだろうと思うし、なにしろ2者が撤退しているので引き受けるという切迫感のないまま調査することにした。オーナーが良い人なのだ。

 

 最初に相談に向かった確認検査機関はけんもほろろだった。

「昔ならいざ知らず、今の厳しい時代にこのような増築計画にどれだけのハードルがあるか、しかも最も厳しいY市じゃないですか」

と指摘されて正直ホッとした。

 

 このとき、「事前調査したけれど困難です」と報告すればよかったのだ。

 なのに、僕はちょっとムカついていた。

 法令を遵守してきた建物で、老朽化もさして見当たらないし何より大事にしてきたオーナーが自身のささやかな利便性向上を願って何が悪い・・・姉歯事件があろうとなかろうと建築行政も少しは胸に手を当てろと・・・

 

 少し小さいけれど話を聞いてくれそうな検査機関も知っています。

 と報告して再チャレンジとなった。

 今思い出すと、僕の不運はこの検査機関に変な義侠心があったことだ。笑

 スタートした。

 

 調べ進めると、法令をないがしろにしていなくても30年余りの時間では建物にいろいろな手が加えられている。そのひとつひとつをほどいて、現行基準法との整合性の説明にどれだけの時間を費やしたか。始まりのとき、出来そうだ、という報告にエキスキューズを挟み忘れたために負ってしまったプレッシャーを後悔することしきり。

 

 知らぬ間に・・・とは言わないけれど小さい工事なりに多くの人が動き出して後戻りの難しい状況に僕ひとり。ただ、確認申請の難しさを知ってか知らずか、ただの一度も、誰からも「どうなっているんだ」という責めがなかったのは感謝するばかり。(多くの場合、情報不足のまま感情に頼って大きな声を上げるひとがいるものだけれど)

 

 ここまで来た。笑 やりとげよう。微笑

タンデム             20180328

 

 昨日今日と、以前にも読んだ「目の見えないひとは世界をどう見ているのか」(光文社刊:伊藤亜紗著)を読み返していた。

 この本はとても優れていて、しかし自分の読解力を棚に上げれば後半は冗長で退屈ということも言いたくなるところがある。

 

 そうした意味で、解説したいのではなくて、今日記憶に残った部分の記録。

 

 目の見えない人も多くスポーツに親しんでいるわけで、そのひとつに自転車スピードレースがあるらしい。

 目の見えるひとが二人乗りの前に陣取り、目の見えない人は後ろに位置してひたすらペダルを漕ぐ。

 それは、動力としても大いに力を発揮しなければならないのだけれど、肝要なのは二人乗った自転車という推進体をどのようにマネージするかということらしい。

 つまり、スピードの上げ下げ、カーブへの入り方体重移動など、

この間の冬オリンピックで女子パシュートに教えられたような技術こそが勝敗を分けるらしい。

 

 その競技者へのインタビューの一片。「ほんの少しでも前のライダーがペダルの力を抜くとすぐさま分かる」ということ。

 それは目が見えるかどうかと関係なく、タンデムという競技の特性に違いないけれど、目の見えない人に助力する・・・というモチベーションでは勤まらないことがよくわかった。

 

 この本は後半が冗長だけれど、大変貴重な視点を授けてくれるとあらためて思った。

関ケ原の戦い           20180322

 

 井沢元彦さんの「逆説の日本史」シリーズは多少読んでいたけれど、まあなにしろ関ケ原の戦いで片方が徳川家康はよいとして、相手が誰だったか・・・という自分なので日本史も世界史も本来触れてはならないような気がする。

 それでも、そういう人間もいるのだからちょっと触れよう。

 先に記したように知らない事ばかりなのでいちいち感心して読み進む。

 なるほど関白とはそういうものか。征夷大将軍とか幕府ってそうだったのか。中学の教科書の風景と(高校は全く記憶がない)大河ドラマのいくつかのシーンを思い出す。

 

いいくにつくろう鎌倉幕府

いよくにもえるコロンブス

間違えて覚えた

なくよカラスが平安京

 

 こんなことで還暦を迎えてはならない。

 

 何か学習意欲のようなものが芽生えたのか、天気予報図を見ていて偏西風が気になりだした。それがコリオリの力の復習に結びつく。

やっぱりこっちの方が好きだ。

クラムボン            20180320

 

 最近のワイドショーなどは森友問題と貴乃花親方関連で埋め尽くされている。

 家を事務所として仕事をするようになる前は、ワイドショーを見る機会が無かったから気に留めることがなかったけれど、そのあまりの偏執狂的なありように度々驚かされる。

 

 森友学園問題であれば、与党の弁明も野党の追及も少しも自分のあるいは世の中の利益に繋がらないと思われるし、貴乃花親方や相撲協会の言動は放っておいて良いような内容だと思われる。

 

 おそらく、そのどちらも、そして情報や報道ということのほとんどが、世の中のためというよりは、それに携わっている人々の食い扶持だということがにじみ出ているようで貧しい気分にならざるを得ない。

 

 そんなとき、Eテレに切り替えてみたら、金田一秀穂さんが滝沢カレンさんに国語の授業を行っている番組に出くわした。

 

 宮沢賢治の「やまなし」というらしい小説の一部を引いて、小説の着眼点の紹介があった。

「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」

という蟹の子供の会話が繰り返し登場する小説の部分に僕は感動した。

 

 中学生のころ、絵本作家になれないかとほんの短い時期夢想した。

 そこには画家になれる自信が無いことと、さらに小説家という世界が想像しにくかったという状況があった訳だけれど、考えてみると甚だ甘い認識であったことは間違いない。

 そんな風に児童小説的な世界に親近感を持っていても、宮沢賢治は少しも好きにならなかった。その世界観に何かを発見することよりは、予定調和的な気配に生理的な拒否感があったためだ。

 

 青く冷たいはがねのような清流の天井を見上げて、蟹の子供が

「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」と会話する世界。

 

 きっと、宮沢賢治の世界に没頭する能力を僕は持っていない。

けれど、日常生活のある場所にそれが挿入されるとき、その浄化作用というひとつの特徴がこんなにも自分にとって有難いものだと発見して感謝の気持ちでいっぱいになる。

ここに居る             20180304

 

 深夜に目覚めて寒いのに汗をかく時間を秋からずっと、あるいはその前からあったようだけれどそれは無理にも呑み込んで、かつやり過ごして来た。それが少し和らぐと、景色が見えてきた。

 金曜日の晩は、孫Kと長女が寄って泊って行った。今日は、家族3人で立ち寄って、Kは大勢に囲まれてご機嫌。

 

 僕はカレーを作った。(Kはその前に帰っているけれど)

 前回がいつだったか思い出せない。やっとカレーを作る気になった、あるいはそんな時間が出来たなどと感慨ひとしお。

 

 長男は大分の新しい現場に適応する真っ最中。長女夫婦は先の通りKと仕事と次のこと準備に真剣そのもの。

 義母は風邪をもらったけれど、快復中。

 母は、大叔母のお見舞いだとかで、最寄り駅まで車で送った。

 

 僕はカレーを作った。ああ久しぶり。

 カレーを作る自分のいる場所の空は高いと思った。笑

ペンキ塗り             20180227

 

 先週からの土日月と、松山で検査に向けた最終調整をした。

 海外でも受賞多数のフォトグラファーの建物で、建築確認申請の段階からさまざまな解釈が加えられた梯子部分を、その場で完成させなければならなかった。

 当地の生真面目な大工さんはやっぱり生真面目なので、横浜在住の付き合いもそれなりに長くなった一緒に考えてくれる職人さんに同行を願った。

 東京神奈川方面の監督さんを含めて、おっさん3名の珍道中。

 職人さんはやることが多いので、僕はペンキ塗りを担当した。

 上の写真左が塗った梯子で、写真右の右下にちょっと斜めになって見えるところがこれ。1階床から5mの高さから6.2mのところに上がる梯子なのでそれなりに怖い。これは普段使うものではなくて、最上部にあるガラス窓を年に一度くらい掃除するための梯子。

 

 作業は楽しかったし、検査も無事通過してお墨付きを得たので良い気分になった。

鹿児島               20180222

 

 先月だから少し前だけれど、鹿児島に出かけてみた。

 妻が予約日程を聞いてきたので、まあ安全かなあという1月末を予定した。少々仕事が入り組んでもこの小旅行を優先する積りではあったけれど、実際支障なく時間を使えたのは良い気分。

 妻は、北九州で建築現場管理に勤しんでいる長男の合流を期待していて、結果的に現場の引渡し検査を終えたところだったのでその通りになった。

 薩摩の黒豚を中心に、屋台村も含めて美味しいものをたくさん食しながら、レンタカーでのんびりと桜島を一周した。

 長男が福岡支店に配属されたとき、僕は羨ましかった。

 実際、先輩や仕事関連の方々から手ほどきを得たのか、いつの間にか美味しいものへの興味が増大して、僕から見るとやっぱり羨ましことになっている。

 

 東京中心部の現場と、地方都市の現場を行き来していると、豊かさという点では圧倒的に地方が勝っていることに疑義は生じ得ない。余計なお世話かも知れないけれど、このことは「なんとなく東京人」が銘記すべきことかなあ・・・などと。

 

 桜島は圧倒的な存在感で、ここに生まれたなら忘れることなどあり得ないだろうと思った。ああ、田舎のあるひとが羨ましい。

温もり               20180211

 

 以前、「困るよ、じいさん」という雑感を書いた。

 

 千葉での古い住宅のリフォームなのだけれど、その後まとまってきて天井や壁を撤去した。

 現れたのは写真の梁。

 

 偶然、この雑感の直近2回は「人の営み」と、かんぱーいというタイトルの「梁を高く掲げよ」だった。

 自宅に竜骨のような梁をかけたじいさんの体温に少し触れた。

かんぱーい             20180201

 

 サリンジャーという作家が好きかどうかは置いておいて、僕はそのひとつの小説の扉にあった言葉が心に貼り付いている。

「序章 シーモア、梁を高く掲げよ」だっただろうか。

 

 僕がこの一文を好んで反芻するのは、これを思い出すと少し胸を反らして視線を上げる感じが好きだからだ。

 何かを反省しながら足元を見るとき・・・、冷静に遠くをみるとき・・・、それぞれ大事な瞬間だと思うけれど、ふと、視線を上にあげるときの胸に空気がいっぱい入る感じはとても良い。

 

 しばらく前になるけれど、孫のKが遊びに来たときのこと。

 長女の実家、つまり僕たちの家はKにとって少しも珍しい場所ではないけれど、それでも気分転換になるだろうし、ちやほやする祖父母(!!)もいるのでご機嫌になることも多い。

 

 その日は、思い立って久しくなかったカレーを妻に頼んでいた。急きょ立ち寄ることになった長女は一緒に食べることになり、たまたまか「アンパンマンカレー」があったらしく、Kもカレーになった。

 全員にカレーが配膳されたとき、Kは

 

「かんぱーい」と言ってアンパンマンカレーのお皿を前方に掲げた。それは、「楽しい」を絵に描いたような満ち足りた表情だった。

 

 思わず、長女と妻と僕は、かんぱーいと復唱しながらそれぞれカレーのお皿を掲げた。

 

 ささやかながら、僕にも訪れる幸福の瞬間。

人の営み              20180121

 

 先日、偶然BS放送でカリブ海のクルーズに関する番組を見た。

 友人が仕事としてクルージングについて情報発信をしているので、親近感からなんとなく見ていたのだけれど、次第に惹きつけられていった。

 

 乗船している人々が3000人だったか6000人だったか、結構大切な部分なのに記憶があいまいだ。でも、どちらでも良い気もする。

 番組前半は利用者目線でどれだけ楽しみつくすかに焦点が当てられている。どんな施設があって、どんなアトラクションがあって、どんな食事がサービスされているかなど。

 そこにもてなす側のスタッフの努力は感じられるけれど、圧巻は船底にカメラを向かわせる後半。

 

 豪華客船は閉じられた空間だ。

 そこで、一日3回、乗船客に飽きられない食事を提供する厨房。

 膨大なリネンの洗濯・アイロン・セッティング。

 ゴミの管理と汚水の管理。

 

 思わず、自分が一日にどのくらいの物を消費・廃棄するか考えることになった。そして、僕の通った中学校の全校生徒が1500人だったことを思い出して、グラウンドに全員整列した様子に思いを馳せる。

 

 小学生のころ、蚕を飼った。最初はいくらか可愛らしく思えたものの、夜を通して桑の葉を食み、絶えず音を出し続けることに辟易とした。桑の葉はまさに蚕食され、ころころとした糞が積もっていくのだ。

 人も蚕に似ている・・・と初めて思った。

白鳥の湖              20180108

 

 新年おめでとうございます。ことしもよろしくお願いいたします。

 4日から図面を描き始めて、正月気分も少し残しながら今日を迎えた。本日早朝から現場に張り付いた仲間もあり、のんきな話題は振りまきたくないこと前提に、思ったことを。

 

 昨年代々木上原に、地下総堀りでスタジオ2室を備えた音楽家のための住宅を設計する機会を得た。

 完了結果にご不満の無かったことが奏功したのか、オーナーに手配をいただいて、今日、妻と母と一緒に観劇した。「白鳥の湖」サンクトペテルブルク・アカデミーバレエ。

 

 僕はそんなに乗り気ではなかったけれど、妻は大変よろこんだので出かけることにした。

 本当は長女こそ行きたかったはずだけれど子育て真っ最中なので。実際に触れてみると、人間とは思えないその軽やかさに驚き、その時間は僕自身も重力の縛りが薄らいだ思いをした。

 

 公園最終日だったらしく、繰り返されるカーテンコールに手が腫れるのではないかと思った。

ゆったり               20171226

 

 先週土曜日の早朝、葉山の先の秋谷で古い建物の2階から海を見た。

 友人のご夫婦が、この建物を所有するご親戚から改修と有効活用の許可を得られたとのことで視察に赴いたのだ。

 

 いろいろな活用方法があるに違い無いけれど、きっと鎌倉湘南エリアで圧倒的に不足している宿泊関係の施設になるだろう。

(まだ着想の段階でこれから次第だけれど)

 

 ご夫婦は、オンシーズンは落ち着いた年齢層のかたに寛いでいただいて、オフシーズンは海外を転々としたい・・・などと宣う。

 秋谷は西側傾斜、西側海なので朝早い時間は写真のように2階から陽が当たり始める。

 

 写真にある静かに見える裏庭は、夏の日中は陽に焼かれ、夕方には建物自身の陰になってしっとりするだろう。(水を打ちたい)

 134号線と海に面した前庭は、バーベキューやほろ酔いにぴったり。人と巡り会って笑い、美味しいものをゆっくり食べて、本を読む。

 そんな生活を望む気配をご夫婦に感じたので、大切に寄り添っていきたい。

聖夜明けて              20171225

 

 今朝の夢。12月25日。

 大学研究室の仲間(のような気配の人々)が集まっている。なにやらイベントの直前の気配がある。多少の不安を抱えて辺りを見回す僕に、指揮を取っているらしい責任者の声がかかる。

 「荒美さんのパートは問題ないですか?」

 「僕のパート?」

 

 僕の体のどこかで小さくしかし止まらずに振動していた不安が明らかになる。僕は自分の役割を忘れていたのだ。

 言い逃れをしたいけれど、何も思いつかない僕は押し黙るしかない。

 責任者と思しき人物は鷹揚かつ辛辣で、準備を怠った僕を責めることはせずに、しかしこう言った。「持ち寄らない人は来なくていい。」明らかにこの夢は、最近の仕事のひとつの問題点に起因している。それにしても、自分を叱る夢を聖夜に見るなんて。

息遣い               20171215

 

 車がヘッドライトを付けたままの時間帯に駅に急ぐ、通勤通学者の静かで素早い足取り。

 プラットフォームで小さく聞こえる息遣い。

 湯気の向こうに時ならず快活に振る舞う立ち食いそばのおばさん。並ぶ客。

 階段や改札で擦れ合う衣服と鞄の音。舌打ちかため息。

 自動改札をなぜるひとたたくひと。

 

 乗ったタクシーは寡黙な高齢女性ドライバー。降りると広大な現場敷地に両腕をズボンのポケットに突っ込んだ男性数人。ひとかけらのあいさつ。用件のみで離れる。

 

 恵比寿で。妙に快活な消防士ふたり。言葉が止まらない。かたわらで職人さん5人ほどが遠慮がちに行き来。オーナー会社の仲間かお洒落なひとも散見。その後消防士の訓示!を驚きながらも拝聴。

 次に現れた保健所の方はマスクをしたままの持論展開なので勉強にならなかた。

 

 また辻堂に戻って監督さんと打合せするも、日が暮れて表情が読めなくなった。

 

 辻堂駅への20分の帰路を急ぐと、とっぷりと日の暮れた中、自転車の音と部活から帰る学生の大きな会話、子供への叱責や子供の反逆。

太ったね               20171203

 

 昨日は流山市でリフォームのお客様と打ち合わせをして、昼過ぎに恵比寿の現場に向かった。こちらも建て主の会社社長との打合せ。途中、松山の現場で意思の疎通を欠いていることが判明したので、東京側監督さんと恵比寿駅隣接ビルのカフェで相談をした。

 

 それから、高校の友人たちとの忘年会を目指して日比谷線に乗る。目的地は蔵前だから、「今日はなんだかジグザグに動いているなあ」と思う。

 

 そんな風にしてやっとたどり着いたのに、友人の口が開くと「太ったね」の繰り返し。春に会っていた加藤くんまで「お前太ったなあ」相当に深刻らしい。まあ僕もエレベーターの鏡面扉などで驚くのだから仕方ないか。(そう言えば、一年前の大学関連の集まりで「防弾チョッキ脱いでいいよ」と言われたのだった。)

 

 原因は明らかで、自宅(兼事務所)から一歩も出ない日がそれなりにあるし、2年前から一緒に行動することの多い仲間がトンカツ定食ご飯大盛りが当たり前の人たちなので、大食に引きずり込まれたのだ。

 最初どうなることかと思ったけれど、すぐさま太った後はどれだけ食べてもその上にはいかないので高止まり位置を発見した。

 

 でも、皆にそう言われたことを妻に話すと「よくぞ言ってくれた」ということだったので、生活を改めることにしよう。

 こんな風に記すとバスケットボールのような僕を想像されてしまうかも知れないので、先月の恵比寿現場での動画を紹介しよう。

終わりころ、ヘルメットを被っていないのが僕。暗くて体形が見えないけれど。これはとても気に入っているのだ。

 

「恵比寿コンテナ」

この2週間              20171122

 

 11月上旬から今日まで、けっこう移動して忙しかった。その記録。

 8日は、恵比寿駅近くの西恵比寿五叉路に面した現場での建て方。道路占用許可が必須のため、道路交通が寝静まるであろう、23時集合・24時作業スタート。

 26時くらいに終わるかとかすかな期待があったけれど、慎重に進めた結果28時半終了。

 駒沢通りのパーキングメーター深夜解放だったので駐車料金ゼロが慰め。帰路は早めの渋滞に触れた。

 14日は早朝から愛媛松山で建て方なので、前日入り。

 レンタカーで到着すると関係者が全員集合でピリピリ。

 

 8個の20feetコンテナが次々に運ばれてきて、落ち着いた郊外住宅地の景色に小さな異変。しかしながら、ご近所の方々は好意的なまなざしで一安心。

 20日から3日間は上海での工場製品検査。

 行きの飛行機で、うつらうつらしながらも、山梨っぽい景色にはっとして眼下を見やると丁度富士山の上だった。

 大きいなあと思う。

 

 上海到着後、ホテルまでタクシーと思ったら信じられないほどの行列で別の国を感じる。空港にタクシー乗り場たくさんあるものの、ラッシュアワーは1時間待ちが常態らしい。

 検査のための出張だから、ホテルに期待はしていなかったけれど、部屋に入ってみるとゆったりしていてホッとする。後から聞いたところによれば、中国の多くの都市では快適なホテルがかなりコストパフォーマンスを発揮しているとのこと。感激!

 工場では品質管理に関する相互理解の隔たりもいくつかあって、結構な距離を歩き回ることになる。

 建て主が同行されているのでそれは当然のこととはいえ、寒さが身に染みてくる。

 

 商社現地スタッフがリードしてくれるものの、常に翻訳状態なのも疲労感を増す。

 世界のコンテナの9割超を生産する中国にあって、その圧倒的1位に存在する工場の自尊心に触れるも、日本の工場の管理の品質高さを想像せざるを得ない・・・というのも真実。

 

 上海のホテルと工場は新幹線で1時間余りにあって、4回新幹線に乗車する機会を得たけれど、中国新幹線も歴史を刻んでいるためか、日本の新幹線の清潔感や緊張感のある気配に思いを新たにする。

 移動と待機に余裕を持たせ過ぎたのか、睡眠時間が相当に削られた。そのぶん、移動中にうたたねばかりしたようだけれど、それなりに疲労は積み重なった。

 連絡を滞らせた3日だったから、帰ってからが大変と覚悟していたものの、羽田空港に着いてメールを確認すると、監督さんから恵比寿現場での打ち合わせが予定されていた。振り出しに戻った。

満月1105              20171111

 

 一週間ほど前だけれど、深夜にそろそろ休もうかと部屋の灯りを消したとき、外が異様に明るいことに気付いた。

 火事とは思わないとしても、不穏な気配を感じて屋上に出てみると、少し暴力的な、あるいは威嚇的な満月が西の空にあった。

 何に怒っているのか。何に猛っているのか。月は優しいばかりではないのだと思った。

ロシア                 20171104

 

 高校の同級生で最近複数の集まりでよく話をするようになった外科医、香取さんはサッカー日本代表のチームドクターだ。外科医よりもサッカー代表になりたかった彼は、ロシア大会への出場を熱望していた。それが叶った時、僕も見に行ってみたいと思った。

 

 昨晩、何とはなしにテレビで始まった「地球TAXI」という番組はサンクトペテルブルクが取材地だった。たったそれだけでの印象を言ってよければ、サンクトペテルブルクあるいはロシアの都会は夕景が魅力的なのだろうと思った。

 

 出てくるタクシードライバーはみな一様に小さな哀しみを湛えている。それを見て、それだからこそ、ロシアにさらに行ってみたくなった。無数の黒い点が彩度を増すとソニーが主張するなら、彼らの悲しみはその黒い点であって、人生を豊かに浮かび上がらせていると思ったのだ。

 

 僕が好きな小説「人間の大地」でも、初めから終わりまで哀しみの底にいながら時折降りくる幸せの瞬間に心躍らせ、また悲しみに戻っていく。

 

 番組の中、ひとりのタクシードライバーが近々結婚する女性の歌声をスマートフォンで聴かせるところがあった。それをもう一度聞くことは難しいと思いながら、ロシア民謡で検索したものが次。

 資本主義社会やグローバリズムという掛け声ばかりがかまびすしい現代、ちょっと立ち止まらされて、少しだけ人生というものに思いを馳せた今日だった。

心を亡くす               20171031

 

 「忙しいとは、心を亡くすことです」と、何度聞かされたことだろう。学校の先生は、生徒たちの人生経験が多くないことを前提に話をされることがあって、そのことに批判は無いけれど、成人するまでに度々聞かされると誰しも「またか」と思う。

 

 今日の僕のテーマは「忙しくても心を亡くしてはならない」だ。だから、ちょっと皮肉っぽく書き始めたけれど、本当はその通りだ・・・という話。

 

 いろいろ思うようにいかなくて、パソコンの前で一息つこうと思った時に頼るのは「チューブラーベルズ」のYOU TUBE。(映画、エクソシストのテーマ)

 これは一見単純なものに見えて、何か音楽の一分野の扉のように僕には思えるものだ。

 

 今晩も同じようにしてみると、途中でいくつもメールのやり取りをしたせいか、突然ENYAに飛んだ。

 大海原。

 

 物理的な世界は間違いなく客観的に存在していると思うけれど、人が生きていく上での世界はその人の網膜と脳にしか存在しない、というのがいくつかの本から学んだこと。

 最近、ストレスの隙間が少し見えるようになった気がして、その先に大海原は見えないけれど、予感はないでもない。年齢を重ねることは良いことも多い。

https://www.youtube.com/watch?v=rZjm-lHqXQk

愛だろ、愛っ              20171013

 

 いつのころだったかそんなに前でもなかったと思うCMで、「愛だろ、愛っ」というセリフがあった。正確ではないようだけれどおおよそそんな感じ。

 

 忙しくなってどうにもならなくなったとき、このフレーズが頻繁に頭に浮かぶのはどうしてだろうと思う。

 自分でもよくわからないけれど、何か安全弁のようなものなのか。でも、ひっ迫していないときにも思い浮かぶから、僕は愛が好きなのかも知れない。

 

 だがしかし、「愛」という単語にはなじみが無いし、好きな単語なら他を選びたいのでやはり説明にならない。

 

 さて、こんな風にやや捨て鉢な気分を記しているときに「愛だろ、愛っ」が多く浮上するから不思議だ。ああ忙しい。

モノクローム               20170928

 

 昨日の写真を見るにつけ、モノクローム写真が気になりだして以前も触れたSADEの映像に戻った。

(下の画像は出典を明らかにしたかったためリンクを貼ったら、クリックと同時に再映されるようなのでご注意を)               

 最近、たまたまブックオフで手に入れた曽野綾子さんのエッセイを読んでいて、そのあまりに硬派な意見に辟易する部分もあるけれど、NHKも含めたテレビ番組の劣化ぶりのすさまじさに氏の10年前の懸念に同感せざるを得ない。

 好まれるものを探すという行為に不満はないとして、誰が好むかという視点の単一化には寒々しいものも感じる。そこには、「一人静かに考える時間の排除」、「背負いきれない情報過多からの逃避」があるのではと推察する。

 

 色という情報を減らして、モノクロームに戻してみたとき、発見があるのかと思った。

 因みに、SADEさんはアメリカの美空ひばりさんかと認識しているけれど、この件について誰とも意見交換した記憶はないので定かではない。

 曲は「cherish the day」というタイトルで、愛しい日々というところか。SADEさんには感情バランスの不安定が透けるところがあって、ちょっと安らかに聴けない傾向もあるけれど、安らかであることを希求して何になる・・・という思いも無くはない。

スチール                 20170927

 

 ある自動車会社のイベントの一端に参画したとき、鉄骨に詳しい設計者の助力が必要で友人に助けを求めた。

 紹介されたのは、構造設計者として、また鉄の設計者として大変に有名な方で臆するところもあったけれど、躊躇する時間も無かったし、なにより大先生が鷹揚だったので甘えることができた。

 

 その後もコンテナには距離を置かず、昨日は僕の知るコンテナ建築開発者から中国工場での検査写真が送られてきた。

 瀬戸内海に面するプロフォトグラファーのスタジオ。

 

 写真はたくさんあって、コンテナ全貌を伝えるものも多かったけれど、ここに紹介するのは僕が腐心した階段が収められたもの。

写真:K.OOYA
写真:K.OOYA

 この写真に対しての感想はきっとさまざまで、どちらかの方向に差し向けようなどとは少しも思わない。

 僕が思うのは、単一素材の美しさと鉄の美しさ。

 まだまだ理解が甘いかも知れないけれど、鉄は柔らかくて滑らか、そして暖かい。

 

 残念ながらと言うべきか、当たり前なのか、この建物は中国から海送されて次は日本の仲間たちの手が加えられて、ほどよく日本の日常にあてはまる風情を見せることだろう。

 

 しかしながら、僕がここに記したかったのは、何かを始めた人の原初の魂の震えが、この写真から伝わってこないかということだ。

 

 鉄は熱いうちに打て・・・という。僕が昨晩この写真を見せてもらって気付いたのは、鉄はいつでも熱すれば熱くなるということだった。

おや、朝だ。              20170915

 

 気になりながらも前回の記録から2週間が経ってしまった。

 それなりに忙しく、出かけた先も華やかだったのでちょっと自慢げに記しておこう。

 

9月8日新宿NSビル

 南房総市のグランピング計画のご提案にうかがう。

 初回打ち合わせでいただいた情報が希薄だったので、唸りながらも妄想たくましく図面化して持参する。すると、意外にも某国内最大手広告会社さんと打合せを同時進行されているとのことで、(早く言って欲しい)「※※さんの提案と大変よく似ている」と指摘があった。

 正直なところ一瞬嬉しさがあったけれど、「それでいいのか」という疑問が頭をもたげる。僕たちに求められているのは、流行に敏感なことではないだろうから。

 

9月10日恵比寿現場予定地

 確認申請の準備をしていて、隣地情報が気になりだしたので夜メジャーを持って現地へ。与えられていた情報には誤りがあったけれど、回避できる範囲で胸をなでおろす。

 

9月11日横浜馬車道

 恵比寿計画のコンテナについて、製作に入る会社と電話相談をするも、責任者が中国の方で日本語が僕の英語みたいだから直接会って話すことにした。熱心な方でことなきを得る。

 

同日恵比寿

 某独国自動車メーカーの、日本国内キャンペーンに関する企画コンペ作戦会議に出席。でもこれは僕は参加者ではないので(指名コンペ)コンテ製作側のオブザーバーとしての参加。

 若い熱気あふれる提案者たちに感心。(おっさんか)

 

9月12日恵比寿

 前日と同じ会社に今度は進行中現場の会議参加。

 前日工場側と会えたし、その前に現場再確認を済ませていて余裕があるから、決定した外装色サンプルに「なるほどこれですか」などと写真を撮ったり。

 この会社はインテリアにとてもエネルギーを使われていて、スタッフも大変お洒落なので居心地が良い。(僕は大丈夫か)

 

9月15日渋谷東

 8月初旬にお邪魔した、九十九里でのバイカーズ拠点プロジェクトのご提案。

 僕は門外漢だけれど、コンテナ開発責任者が元日産プロドライバーだったのでこうした世界にチャンネルがある。

 もともと8月末のプレゼン予定をこちらの都合で延期してもらっていたから、内容が濃くなければ・・・・というプレッシャーのもと眠れぬ夜を過ごしていたけれど、実際1.2m四方もある模型が大変で、またしても眠れぬ夜になって「おや、朝だ。」

 某自動車メーカーの最先端CFも製作している会社なので、カッコのつけようもなくて着想オンリー会議。

 幸い、少しも求められていなかった「40mRの1/4壁」と、これといった目的のない「塔」がお客様たちの何かに触れたようだ。

次回は10月中旬プレゼン。

 

 砂浜に隣接していて、敷地が約3800㎡と開放感バッチリなので、ぜひ関わりたいと思う。

澄んだ日                20170902

 

 半月ほど前、何年かぶりに一風堂のラーメンを食べて感激した。町田のざわついた商店街の一角だったけれど、なんだか格調高い気分にさえなった。自分としては大げさでなく、「作品」という感じを受けて、思わず姿勢がよくなった、はずだ。もちろん、ラーメンでこんな気分になるのは初めてのことだった。

 

 今日は揚州商人に行こうかということになって、(ラーメンはそんなに度々食べないけれど)、少し迷ったあと「酸辣湯麺」を頼んだ。待っているあいだに町田街道側の窓を見ると、夏を通り越したような乾いた空気感とまだ夏を留めている元気な日差しがあった。

 それを見ているうちに、「寺家ふるさと村」の景色が頭に浮かんで帰りにまわってみることにした。

 それは家から車で10分余りの距離にある、蛍の観察できる田圃エリアで、いつ訪ねても気分がよくなる有難い場所だ。

 

 景色や気温、湿度に見合った具合に数種の蝉が鳴いて、コオロギなのか虫の音がたくさん重なって、風に葉の擦れ合う音が混ざっていた。

 

 にぎやかだけど静かで、皮膚と空気が親和的で夾雑物を感じない時間は、瞬間のようだけれど味わえば長持ちするかも知れないとも思った。

代表取締役               20170826

 

 今年の初め、ある監督さんから電話があって、少々厄介な案件に付き合ってくれないか?と聞かれた。

 それは築40年余りの共同住宅兼事務所にエレベーターを増築するというもの。

 

 まずは現場を見ようと出かけてみると、いろいろな難しい点が明らかだったので、その旨話した。すると、以前に依頼した設計事務所は撤退してしまったとのこと。

 僕だって同じ気持ちだと言うと、70歳になられるオーナーが一代で会社を築いた出発点、思い入れの深い建物で、愛着があるから何とかしてあげたい・・・などと言う。

 

 最初に持ち込んだ確認検査機関は、これでもかというほど難しい点を列挙した。つまり断られたも同然。

 ならばと、かつて親身に相談に乗ってくれた機関に出かけてみた。案の定、難色が見られたものの、食い下がるうちに社長に相談してくれた。

 その後経緯があって、その機関が現場を調査してくれることになった。

 

 それが昨日で、現れたのは社長、というより代表取締役。(僕の中では微妙にニュアンスが違う 笑)

 写真はその調査の様子。35°の気温。薄暗く湿度が高く、風など望むべくもない環境。蜘蛛の巣だらけで蚊の襲来を受けながら小一時間。感動した。

ミニカー                20170824

 

 車やバイク、ジェットスキーなどに関連した商業施設の提案をすることになって、模型を作り始めた。

 

紙やスチレンで作る車は多くの場合興ざめなので、ミニカーを先に決めてそれを模型に配置することにした。

 

 子供時代、プラモデルでもっぱら戦闘機を作ったけれど、それは作ることが好きだったためで、完成品であるミニカーに魅力を感じたことは無かったように思う。

 Kが、以前我が家で購入した車の景品のようなミニカーで遊ぶのを見ていたから、買ってもそんなに無駄にならないような気もしたのだ。

 

 ネットで検索すると、予期されたこととはいえ、スケールが半端なのでどうしようか迷った。でも考えてみると、1/50とか1/100というきりの良い数字で作ろうとするのは建築の癖もあるのだから、ミニカーに合わせて1/64で模型を作ることにした。

 

 画材店で買ってきたマホガニーの材料は3㎜角なのに大変に硬くて、200のパーツを切るのに腱鞘炎になるかと思った。

 そうしているうちにミニカーが3台届いて開封してみたら、なんだか幸せな気分になった。超遅い目覚めなのか。

夏休み                 20170815

 

 特に夏休みの日程を決めていなかったけれど、昨日の晩から今日一日を全休にすることにした。(そのくらい普段から当たり前のように休んでいても、“夏休み”と命名すると気分が違う)

 北九州に赴任している長男は日曜日の晩に帰省して、さっきの夕方戻っていった。今張り付いている建物は以前に比べると穏やかに進んでいるようで、送る背中に悲壮感が見られないのが安心材料だ。

 昨日の晩から休みにしたのは、Kくんを夜連れ出したくない長女が断念する中、妻と3人で乾杯に出かけたからだ。

 ビールを多種集めている店で、なんとか青鬼というカレーにぴったりと思えるビールに初めて出会った。

 今朝は寝坊して、遅めの朝食のあと芥川龍之介の文庫本を読み始めた。

 ベッドに横になっていたからウトウトし始めて、ふと我に帰ったとき片手で中空に持っていた本に柔らかな陽があたっていて、文庫本ってきれいだなと思った。それが左の写真。(手の届くところにスマートフォンがあるので)

 開いていたのは解説文のところで、芥川龍之介は実母の精神的病いから養育が困難になり、実母の実家に預けられたことなどが紹介されている。

 面白いのは実父の職業で、東京の芝や新宿で生業を立てていたというのは良いとして、それが酪農だというから驚く。風景を思い浮かべようとして混乱する。

 

「蜘蛛の糸 杜子春」という文庫に収められた作品は「猿蟹合戦」を例外としてみんな好きだけれど、なかでも「蜜柑」は横須賀から汽車に乗る話で、多少の親近感もあって大好きだ。語り手である主人公と乗り合わせた少女だけが登場人物だけれど、読み返すたびにこちらの視点もいくらか移動するから、引っかかる場面も違ってきたりして、それがまた面白い。

 

 まだまだ休みを作るつもりだけれど、今回は家族のタイミングもうまく合ったから満ちた時間になった。明日からまた頑張ろう。

困るよ、じいさん             20170810

 

 若い仲間(立派な社長ですが)に誘われて、千葉の遠くにリフォームの下見に出かけた。朝早くに出る時、忘れかけた折りたたみ傘を取りに戻った天候だったのに、着いてみたら典型的猛暑だった。

 ご挨拶もそこそこに和室ダイニングでお話しをうかがおうとすると、小さなワンちゃんが正座の膝に乗った。邪見にもできずに何となくそのままにしていたら、足がしびれて立てなくなった。僕は犬の扱いを知らないのだ。

 

 築40年の店舗併用木造住宅(駅徒歩10秒)と聞いていて、図面が残されていないのが難点とのこと。でもまあ、見させてもらえればおおよそは判断が着くと出かけたのだった。

 

 1時間かけて、外に出たり階段を昇り降りしたり、また外から窓の位置を測ったりしながら大汗をかいて、普段一緒の監督さんといくら相談しても全体像がつかめない。その時判明したのが、そもそもそのお宅のご主人のお父様が大工さんで、ご自宅として少しづつ建て増したとのこと。おお・・・、お客様のお父様だけれど思った。「何てことしてくれる、困るよじいさん!!」

 時間とお金をかけられるのなら相当に楽しい案件だけれど、お客様はそこまでの気持ちではない様子。

 耐震をどこまで求められるのかがこの日の面談目的だったのに、空中分解。前回の雑感でラビリンスなどと批判したことが跳ね返ってきたとしか思えなかった。笑(接合金物なんぞ知ったことか!)

 とても気さくなお客様で、「まあ、時間をかけてゆっくり考えましょうか」ということになったのもまた一興。

 

 電車に乗るのが憚られるくらい汗をかいて、次が有楽町での会社訪問だったので、つくばエキスプレス線で隣に座った女性の気配をうかがった。一度隣が空いた時、僕自身が遠ざかったのに二人連れに配慮してその女性はまた隣に来たからまあOKか。(年齢はわからなかったから、ただ寛容だったのかも知れないけれど)

 

 少しだけ安心して思う。

「じいさん、困るけどちょっと会いたかったなあ~」

試験嫌い                 20170804

 

 おそらく僕は、世間一般の人が試験と宿題を嫌うように、あるいはその度合いを大きく超えてそれらが嫌いだ。

 それが何故か設計事務所という仕事に身を置いたのだから結構しんどい。

 建て主と意見交換しながら建築物を構想するのはとても楽しいことで、この点は天職とまで言えるか別にしても大変満足している。

 ところが、建築には確認申請という言わば試験がついてまわるのが負担だ。

 

 法文というものがどのように出来ているのか知識が足りないので、建築基準法ばかりを批判するのが良いかどうかわからないけれど、みじかく言えば最低の文章だ。(狂っていると言いたい)

 

 ただでさえ、形態を文言で制約するという暴挙なのに、何十年も前に作った法文に屋上屋を重ねる、言わば増築を重ねすぎてラビリンスになった田舎旅館のようなものなのだ。但し書きや緩和を追うと、そもそも何の話だったかわからなくなる。(若い時でも)

 ところが世間は広いもので、その法文のマニアが決して少なくないのが驚きであり大迷惑だ。僕は彼らとどのようにおつきあいすれば良いのだろう。悲悲。

 

 ここ数日エネルギーを建築基準法に奪われた。落着点が見つかったのでこの雑感を記す余裕ができたのだけれど。

 

 思い返してみると、いや思い返さないまでも、僕の不安は常にこの確認申請とともにあった。バンバン動き始めた事業に急ブレーキをかける恐怖(確認申請その他)。完成したのに使い始められない恐怖(完了検査その他)。

 組織に居る時は事業規模の大きさから、小さなミスに気付いてそれが悪い方向に伝播した場合、数億円の実害と名誉の棄損になると体中の血が一斉に落ちていく思いを2回した。(タクシーに轢かれたかったころ)

 

 最近の確認申請は、建築主が法人であっても個人であっても、規模はずっと小さい。それでも、同じ種類の緊張から目が覚めるのは、気が小さいからかお客様本位だからか。僕は後者だと思っているけれど。

家内就業                 20170730

 

 自宅で仕事をすることを家内就業と呼ぶと思っていないけれど、どのように言うのかわからないので。

 何年か前に、長くお世話になった会社を離れて違う景色を見られるかと想像したまま実行した。その直後は多少の興奮もあって、自宅に仕事部屋を作ろうと汗をかいた。

 それは当時のこの雑感に記した記憶があるけれど、自分でもあいまいなので振り返れば、倉庫にしていた小さな地下部分を事務所に改装することだった。

 

 その詳細は良いとして、現在はその地下室も含めて、リビングと寝室とをパソコンのコードを抜き差ししながら渡り歩くのを楽しみにしている。家というのは時間や風向きによって居心地が絶え間なく変化するのだ。

 

 そうした状況に加えて、最近は新しい要因が現れてきた。

 僕たちの長女は1歳半になる第一子(僕たち夫婦には初孫)の子育て真っ最中で、この春の4月に保育園入園が叶ったものだから、職場のバックアップも得ながら仕事と両方をと奮闘している。

 それでも、保育園というところは世間の荒波もあるらしくて、孫Kくんは最近発熱することが何度かあった。そんな時、長女は妻を頼みにする。

 

 さて、母子で立ち寄るとき、僕が気付いていないとき、レバーハンドルを開けられるようになったKは、ふと思い立ったかのように僕のパソコン周辺に現れる。それは多くの場合、妻や長女に促されて別の場所にあった僕の所有物を返却するものなのだけれど、僕は喜んで感謝する。すると、Kは僕の様子をみて大きな満足を見せながら立ち去る。

 

 家内就業は極めて不安定だけれど、この瞬間があれば他に欲しいものが思い当たらない、というくらいだったりする。

 

 僕は孫の顔を見て仕事のペースを緩められる環境に居ないけれど、おこがましく言えば、世界の成り立ちを一瞬垣間見る気がして、日常生活に柔らかくて香しい刺激を得ているようだ、とも思う。それはかつての、子育ての最中の必死さを思い出す・・・からなのだろうか。

シアトル・・・              20170725

 

 しばらく前に、グーグルマップの写真でセーフコフィールドを上空から見て感激したことがあった。不確かだけれど、その時は天井が閉じていてそこに球場名が大書してあったような気がする。

 

 今日、もう少し高い所から見てみたら、シアトルが水が入り組んだ地形にあることに気付いた。「ブラタモリ」的視点に立つと、街は水のそばにあるなあ、と思ったりする。

 では、と見てみたのがニューヨークとマイアミ。

 セーフコフィールドとマーリンズスタジアムは、それぞれシアトルとマイアミの地名の直下にある感じ。

 

 これら球場に、近隣ファンが電車や車で集まってくる様子を想像して、イチロー選手の気持ちを推し量ろうとして無駄だと気付く。

 でも、水と町、人の暮らしは少しイメージできた。

 

 少しも関係ないけれど、僕は、朝5時まで提案図に没頭して、昼前に起きた。少しでも運動しなければと思って、懸案を振り払ってジーンズを買いに出かけて、リーバイスの1万円クールストレッチが、セールと二点買いで計1.1万円に。ユニクロで3点1500円のシャツお買い上げ。笑

 

 それはそれで満足。

夜更け本                 20170722

 

 漫画の話。

 お酒を飲んでご機嫌なまま寝入ってしまう夜と、なんとか資料を作り上げて寝床に辿り着いたケースを除くと、睡眠前に何かしら出版物を手にしてきた。

 その自分史的ラインアップは次の通り。

 「紅い花」と「ねじ式」は、どちらも漫画家つげ義春氏の代表作で、僕は創刊間もないころの雑誌宝島で書評を読んで購入した。

 文庫本サイズで楽だったため、長いこと手元に置いたけれど、それが長すぎるようにも思えてしばらく前に処分した。

 今日こうして検索してみると、その収蔵作品ひとつひとつに懐かしい印象があってちょっと思い出し感激がある。

 

 水木しげる氏の「敗走記」は、何気なくブックオフなどで手に取ってその後定着した。同氏の戦記漫画には有名な「総員玉砕せよ」もあるけれど、こちらはかなり重たい。

 

 「アーノルド」は、友人が出店する古書市に出かけたとき、たまたま覗いた近隣の箱に発見して購入した。へんてこりんな漫画で、学生時代の長男が「お父さんは変なものが好きだね」と言ったけれど、彼も楽しんでいるようだった逸品。

 

 今日は仕事の流れ方がゆったりで、久しぶりにこんなことに思いを馳せる時間が持てたのだけれど、少しも似通っていないこれらがなぜ有難かったのかを考えて気付いた。

 

 どれも、作者が何かを訴えるのではなくて、描かずにいられなかったのだろうと思わせるところが共通点。そうした意味で、舞台は日常と大きく隔てられているけれど、読者への肉薄感が薄くて優しい空気が支配している。きっと睡眠前には、主張よりも静かな他者の存在がこちらの心拍数を落ち着かせるのだろう。

 そっとあるものが僕の味方なのかも知れない。気付かねば。

風の通る夜                20170719

 

 風が家を吹き抜けてくれると気分がいい。

 今日はそんな南風で、北側に風が抜けていく道を作ると気温に関係なく一日を楽しめる。風の通らない日は、空調に頼っていくら湿度を低く保っても、なんとなくじっとりなのだけれど。

 

 そんなことを思いながら、最近の自分の仕事を振り返ると、北側の空気の抜け道が不完全だったように思われた。「吸い込まねば」と頑張って南側を最大限開いても、その奥が詰まっている感じ。

 

 自らを買いかぶって言えば、どの仕事も完成度を高めたいという動機がある訳だけれど、多くの場合それはひとりよがりのようだ。

 相手の期待値を素直に訊いて、風通しを良くできたらなあ・・・と思う初夏の深夜。遠くに車の音、時折救急車のサイレンが聞こえる25時。

名古屋大須                 20170714

 

 今日は名古屋に新幹線で出かけた。訪ねるお客様のことは、事業計画の概要は復習しても、どのような会社なのかまでは思いが及んでいない。

 名古屋駅は僕の知っている風景からガラリと変わっていて、駅周辺にいくつかの超高層ビルが誕生していた。

 

 その中で、駅直近の最先端オフィスビル22階が訪ね先だと判明。振り返るまでもなく、我々一行の3名は、スニーカー、ジーンズ、Tシャツなので、少なからずその場所に対して齟齬があった。それでも、自分たちは「夏はこれが当たり前」と思っていて、先方も特に表情を変えないのがありがたい。

 

 打合せはとても楽しく予想外のこともあらわれて、次回の深耕を約束する。そんな中で、事業計画地域の特性を教えてもらった中に、コスプレやオーディオ専門店などの集積もあるらしいので午後はその視察に充てることにした。

 僕たちには知識がなかったので、その繁華街は大きくても小学校の校庭くらいだと勝手に想像していた。

 ところが、大須天満宮に着いたころはまさに長閑な風景が、少しだけ踏み込んでみるとまったく違っていたことに気づかされる。

 

 どうやら、これら商店街は11の街路から構成されていて、その場所ごとに少しづつ性格は与えられているものの、全体としてはとんでもない面積に広がっているらしい。

 

 そして興味深いのは、写真の一部に写っているように、老若男女が偏りなく見受けられたことだった。人の多い「筋」もあるし、少ない「筋」もあるけれど、僕には全体が「活き活き」という言葉に直結しているように思えた。

 

 名古屋、好きになりました。

ハイビスカス                20170712

 何年か前に石垣島を観光したとき、ハイビスカスが好きになった。特に、集落の外れ、人通りの少ないところの生垣で見るのが良い感じ。

 とても派手な形と色彩だから、派手な場所で見るより静かなところで見た方が鮮やかさが際立つのかも知れない。

 

 上の写真を撮ったのは、その石垣島ではなくて、もちろんハワイでもなくて、久里浜のカインズホームだ。

 なぜ、久里浜のホームセンターに居たかというと。

 

 この雑感でもたびたび触れた房総の週末住宅には、幅1.8m、長さ9m、深さ1mのプールを設計させてもらった。それは、もちろん人も入るけれど、もっぱら愛犬のためのプールだ。

 もっと小ぶりなものを希望された打合せの中で、建物全体とのバランスを考えるとこのくらいの方が映えると申し上げた。

 採用されたのは嬉しかったけれど、工事費も当然大きく膨らんだので何としても満足していただかなければならない。

 

 問題はワンちゃんの出入りだ。人間なら水さえ入っていれば容易にできてもワンちゃんには階段が必要だ。

 僕は水に沈むイぺという南洋硬質材で作ってもらおうと考えていた。それは良いとして、監督さんが組み立てる前にあく抜きをしなければという。

 そのために本物のプールを使う訳にはいかないから、プールの中にビニールプールを置いて行うことになった。・・・そんな仕事をプロの大工さんに依頼するのも申し訳ないし、どんどん施工費が上がるので僕の出番になった。(僕は安いのか 笑)

 上の写真は購入したビニールプールをフェリー待合室で撮ったものと、現地に据えて水を入れているところ。

 狙って行ったカインズホームはフェリー港の隣にあって便利だけれど、到着が早すぎて開店を待った。それは駐車場と建物の間、園芸コーナーの横で、ふと見るとハイビスカスがこちらに微笑んでいた。

 

 コンテナハウスに参加して、既に塩釜・潮来・富津・大阪南港・六本木が竣工して、現在は松山が始まり、河津を準備し、鹿島と鹿児島をプレゼンして近々名古屋に出向く。

 

 移動は大変だけれど、その途中、どこかしらにハイビスカスに当るものを探してみようと思った。

すーっと                  20170625

 

 今朝、散歩に出ようとして(実はこの散歩の最中にお客様ご訪問の約束を思い出してパニックになるのだけれど、それは大謝りしたので解決済み・・・と思いたい)、玄関扉脇の小窓に蜂を見た。

 記憶をたどると早くて昨日、おそらくもっと前にそこに居た気がする。

 蜂がどのくらいの絶食・絶水を耐えられるのか知らないけれど、まずいんじゃないかとは思う。(虫にとってガラスは期待だけさせるバリアそのもの)

 そばに見つけた日傘で移動させようと試みると、動きが弱弱しくてひっくり返ったりするので少し苦闘したけれど、やがて日傘にしがみついた蜂は無事脱出に成功する。

 本当はすぐ目の前のプランターの花に誘導したかったけれど、蜂は何かに力を得たのか遠くに飛んで行った。それでも、羽音は期待したぶーんではなくて、すーっとという感じだった。

 

 芥川龍之介の蜘蛛の糸、手塚治虫の火の鳥、小さな生命との一瞬の交錯は誰しもの子供心に宿り、なぜか逃れられない拘束力を持つ。

 そうは言っても、蟻の行列を完膚なきまでに踏みつぶしたのは見知らぬ公園の園児だったか僕の足だったか・・定かでない。ただ、少なくとも一瞬の爽快感があったことは、その後の後悔も含めて記憶されている。

 

 最近、日本固有種の水生生物などが外来種によって絶滅に瀕しているというニュースが複数あって、日本産を応援したいという単純な動機はあっても、まあその外来種たちに国境が無いことも自明だ。

 

 芥川龍之介と手塚治虫があらわした、その一瞬の気配と世界観を僕は愛する。

 でもその先は、・・・これからの背負いきれない課題なのかなあ。

 IS戦士が、自爆ベルトを身に着けて仮眠をとるという報道に触れた今日思うこと。

波をちゃぷ・・               20170621

 

 僕の子供時代、若い人はおそらく知らないNHKの大ヒット人形劇番組があって、それは「ひょっこりひょうたん島」というタイトルだった。

 前方後円墳の前方を円に変えた、あるいはピーナッツを半分水に浮かばせたような島があって、数十人の島民とともに海を移動しながらいろいろな出来事に遭遇するという物語だ。

(幼心にサンデー先生は可愛いかも・・・と、ダンディーさんはカッコ良いかも・・・と感じていた。村長のドンガバチョは今も敬愛している)

 それでも可愛気のない子供だった僕は、「島は浮かばないなあ」などと批判的に見ていたけれど、今になって、瀬戸内海を飛行機から何度も眺める機会を持って、素晴らしい着想だと思ったりする。

 

 瀬戸内海とひょっこりひょうたん島は違和感がない。

 

 先日機内から見た津和地島と怒和島をウィキペディアで見てみると、それぞれ人口が400人程度で、世帯数が200程度だった。

 参勤交代の中継地などで活気を呈するも、瀬戸内海の少雨の影響で飲料水に苦労が多かったと読んだ。

 世帯構成人数平均がどちらも2人。

 

 人間は巨大な文化を誇りながら、生物であることから逃れられないなあと思う。二つの島のおばあちゃん(おじいちゃんも)は坂の先に海と何を見ているだろうか、と想像して、でも瀬戸内海に息することの幸せにも嫉妬する。

松山空港へ                 20170620

 

 昨日今日と、松山市のカメラマン住宅の打ち合わせに行ってきた。松山行はこれが3度目で、毎回メンバーは同じでコンテナの元受となる会社代表・長年のつきあいの監督さん・そして僕。

 二人はほぼいつもI-PADを起動していて、飛行機の中でも難しい顔をしていたりするけれど、僕は持っていないので窓側の席を譲ってもらえる。

 昨日の往路は梅雨のわりに晴れ間があって、富士山や中部国際空港もよく見えた。

 

 松山空港への進入路に入ったころ撮った写真が次のもので、帰宅してからグーグルマップで探してみると、写っていたのは津和地島と怒和島という小さな島と判明した。

 

 このどちらかの島に生まれていたら、58歳の僕はどんな人間だったろうかと考えると楽しい。それにしても島の名前が興味深い。検索してみたいけれど、3日間の合計睡眠時間が10時間に満たないので次回へ。

 

 カメラマン住宅は構造設計も佳境にあってとても楽しみだ。

 飛行機のルートというのは僕の想像を簡単に超えるものであって、例えば瀬戸内海は四国寄りでなくて真ん中を飛ぶし、帰路は高知上空を当たり前のように飛んだりする。どういう回転半径なのだか。

 津和地島漁港が僕の写真で堤防の見えるところで、右端のグーグルマップでは左上の湾内だ。そしてそのマップ写真の右下、東南方向が松山空港滑走路の進入角度。

好きこそ                  20170616

 

 先日の昼どき、新宿近辺で何か食べようと思って「ガンジー」のカレーに決めた。僕は時々ここのカレーが無性に食べたくなるのだけれど、食べログではあまり評価を得ていないようなので人に薦めてはいない。

 デリーには繰り返し行きすぎたので、最近だったら外苑西通りのヘンドリクスかガンジーで悩み、そこに浅草の夢屋と国分寺のほんやら洞が顔を出す感じ。(あと御茶ノ水のエチオピアと原宿のみのりんご。それに忘れてはいけない祐天寺のカーナピーナ:笑)

 ガンジーは、新宿駅から紀伊国屋書店に向かって歩いて、通り過ぎた最初の路地を左折するとすぐに見つかる。(薦めてはいない)

 超狭い階段を上がった2階の店内の感じや、しょっちゅう変わる店員さんの風貌、BGMにしては音量の大きな20世紀音楽も好きな理由だ。

 すっかり満足して豊かな気分になり、なんだか順番が逆だと思いながら紀伊国屋に寄ることにした。

 普段あまり行かない7階で眺め歩いていたら、ジオラマ製作の本を見つけた。

 右の写真はその作品のひとつ。(風景写真ではありません、ジオラマ写真です)

 

 結構前のTVチャンピオンという番組で見たことを思い出しながら、その技術の凄さに驚いて購入した。

 作者は「情景師アラーキー」と名乗る荒木さんで、本の1頁々々に驚かされる。そして、その驚きは視覚的なものから情報収集の力に移行する。

 

 荒木師は、自宅近所の砂利拾いからアスファルトのシミの観察、グーグル画像の膨大な検索や、文具店、ホームセンター、手芸店、模型店、アンティークショップ、そして書店図書館を駆け回るらしい。そして「世間は知らないことばかりだ」とつぶやく。

 荒木師の説明を読んでいると、努力の気配がまったくなくて、ただただ「好きだ」というエネルギーが伝わってくる。

 

 テトラポッドを作りたくなって検索したら、幸運なことにテトラポッドの無料型紙に行き当たったとも書いてあった。

 

 僕も試してみると、その情報に行き当たる前に上の写真が現れて、未知の世界の扉を開いてもらったと思いながら、世間は知らないことばかり・・・をも実感した。

通天閣                   20170608

 

 先々週、大阪の小さなコンテナ建築の完了検査を申し込んだ。

 検査日の希望は出せても時間は選べないシステムで、数日後の決定通知は午前9時だった。

 新大阪から小一時間かかる港湾の現場なので、どのように検索しても町田からでは間に合わないから、前泊することにした。

 

 一昨日の午前、検査は1時間弱で終了し、現場の責任者と多少の打合せをしても現場を離れるとき昼にはまだ間があった。そのまま新幹線に乗り込むことも考えたけれど、ぽっかり空いた午後の時間を何かに使わなければ、という気持ちも起こった。

 京都、と思いながら、せっかく大阪に居るのにとも思う。アベノハルカスや他の新しい高層建築が頭に浮かんで、でもそれは次の機会に送っても良い気がする。USJや水族館に行く気分ではなかったので、やや消去法的に通天閣が浮上した。

 今日以外に通天閣に出かける可能性はほとんと無い気もしてきたし。

 

 小雨の降り止まない水曜日の昼前、おそらく通天閣の最寄り駅の新今宮駅からは、自転車に乗るおっさんと所在無げな少ない人数の観光客を目にしたくらい。

 まずは串カツ屋さんを決めて広い店内でたった一人味わった後、のんびりした気分で通天閣の高みに登った。ビリケンさんと思しきキャラクターが氾濫している中、開業当時をしのばせるジオラマと絵が僕の心にも郷愁を誘ってくれた。

 

 街の装置がそこに寝起きする人々の意識に上った時代。

 経験の無い時代にすり寄ることはしたくないと思いながら、何日か前の新丸ビルにあるカフェでの打ち合わせを思い出して、比較しないわけにもいかないなあ、と思った。

 手触りとは、物の特質か触るひとの感性か。どうなのだろう。

東京                    20170601

 

 最近、「日本に行きたい人応援団」といった感じのタイトルのテレビ番組で、浮世絵を愛してやまないフランス人男性を招待して、2週間にわたって取材していた。

 その人の目を通していろいろな驚きや初めて知ることがあったけれど、印象的だったのが次の2点。 

 

 浮世絵は250年前の世界で、おそらく唯一の大衆向け総天然色印刷物だったと推定され、しかもその値段が蕎麦一杯程度だったこと。

 バレンの中身を見たこと。(プロ仕様高級品は10万円だけれど、製造工程と刷り上がりを見れば当然と思える)

 

 本当に蕎麦一杯分程度だったかと多少の疑念があって、ウィキペディアを久しぶりに開いたらその通りのことが記されていた。

 

 そば一杯程度のものをアートまで高めた「絵師、彫師、摺師」が居たという風にも考えられるけれど、そこまでの完成度を要求した庶民が居たとも考えられる。

 浅田次郎によれば、江戸は参勤交代のせいで人口の半分が出世と身だしなみにしか興味の無い武家で構成されたのだから、お洒落が極められて当然ということにもなるようだ。

 加えて江戸の庶民は突拍子の無い者、傾いた(歌舞いた)ことが大好きだったのだから行くところまで行ったのだろう。

 

 

 話は少し変わって、先日、パナソニック汐留ショールームで開催されている建築展に行ってきた。

「日本、家の列島」というタイトルで、日本で設計活動をしているフランス人を中心に4人の仏人チームが企画したものだ。この度ヨーロッパ巡回を終えて帰国展になったらしい。

 

「昨日の家」(前川国男や丹下健三他)、「東京の家」(現代の前衛的な住宅スナップ写真)、「今の家」(2000年以降に建てられた住宅からピックアップされたものの詳細で、住む人のインタビューもある)、の3部構成となっている。

 いろいろな住宅があるけれど、その風変り、時によって異様な風貌は、建築に興味が無ければ不思議がったり呆れたりするであろうものが少なくない。僕は雑誌などで見かけたものが少なくなかったけれど、やはり面白いので「東京の家」写真集を3780円と安くないのに購入した。

 家で眺めながら、「現代東京にも一定の割合で傾き者が居るのだなあ」と思った。この人たちが東京をどこかに少しずつ動かしているような気がした。

みば                    20170528

 

 1959年のむかし、僕が生まれたのは両親が西荻窪に住んでいたときなので、一応東京生まれだ。でも、両親は山口県の徳山市(現周南市)出身なので、自分が東京あるいは関東の人間だとは思っていない。ならばどこか、と聞かれると困る程度に。

 

 妻は父方が富山の出身で母方は日本橋兜町の出身だ。だから、妻は半分が生粋の江戸っ子と言える。(半分認定があるかどうか別として)

 

 だいぶ前になるけれど、「みば」がよくない・・・という妻の言葉がわからなくて、それは「見栄え」のことなのか?という質問をしたことがあった。なんとなくあいまいなまま過ごしてきたけれど、浅田次郎さんのエッセイで氷解した。

 氏の祖父母は服装に人生を掛けるくらいの情熱を持っていて、若き日の浅田次郎さんの外出着をチェックしながら「みばが良くない」と、ダメ出しを繰り返したそうなのだ。

 それは「見端」と書くらしい。

 

 妻は中学校のクラスメートなので、背景はほぼ似通っていると考えがちだったけれど、興味深い差異を発見した気持ち。

ネクタイ                  20170526

 

 今日は上野の確認検査機関に、それなりに深刻な相談に出かけたのだけれど、着ているものは大柄なチェックの薄手シャツにジーンズ、靴はコンバースの濃紺スニーカーだった。

 58歳になった今、思い返してみると35年あまりの社会人生活で、スーツ(背広と言いかける 笑)を着たのは10年ほどの気がする。それも、積極的関心がなかったからお洒落とはほど遠かった。

 という訳で、ネクタイをたくさんは所有していない。

 もちろん、少ない中でも買うときは結構真剣だったけれど。

 

 先日松山に出かけた飛行機で、機内誌の浅田次郎さんのエッセイを読んだ。先月も感心したことを思い出し、「月島慕情」を何度も読み返したことも思い出して、「ま、いっか」という文庫エッセイを買い求めた。

 若いころ、浅田次郎はギャンブル作家だと思っていたし、その後もあまりに人情を前面に出すので、その脅威的うまさと裏腹のあざとさ・・のようなものに引っかかっていた。

(これは文庫エッセイ集でも、自分は読者におもねるし、悪く言えばウケ狙いとも言える、と自ら肯定している)

 

 機内誌のおかげで素直な気持ちで読み始めると、「いい人だなあ」と思ったりする。その好奇心の旺盛さには舌を巻く以外ないこと先刻承知ではあったけれど、新しく衝撃を受けた一文。

 「かなわんなあ」

 それは、若い時よりお洒落に心血を注ぎ、アパレルにも長年従事した浅田次郎が、50歳を超えて祖父と母から受け継いだネクタイを締めて鏡に立った時に漏れた言葉らしい。

 祖父も誰も、一度たりとも「勉強しなさい」というような言葉がなかったのにネクタイ選びで人生を教えたということか。

 

 悔しいけれど、僕がまったく知らなかった世界。

息を飲むのが                 20170514

 

 妻の仕事の関係で東京ドームの「日本ハムVSロッテ」のチケットが回ってきたので出かけてみた。

 久しぶりの東京ドームにこんなに広かったかと驚きながら、観客も多かったから楽しもうとした。しかし、残念ながら、普段触れていないから文句を言うのは筋違いかもしれないけれど、観客がとてつもなくうるさくて嫌になった。のべつ幕なしに大声なのだから。少なくとも太鼓とラッパは禁止するべきではないか・・・笑

 断定はできないけれど、誰かリーダーの指図で声を張り上げ続けている人は、どう見ても野球の機微に関心が無さそうだと思う。

 

 まあそれは個人の好み、スタイルで良いのだけれど、僕が勝手に想像したのは選手がハッピーではないだろうということだった。

 これも門外漢の想像にすぎないけれど、おそらく選手は「応援がうるさくて邪魔だ」とは言えないだろうから、代弁の気分。

 

 例えばテニス、ゴルフ、カーリング、バドミントン、いや他のどんなスポーツでも良い。選手の一挙手一投足に引き込まれてこその観戦じゃないのかなあ。ああ、でもそうだ、サッカーとバレーボールも観客が主人公気取りだと思い出した。そんなことを統率している人の真剣そうな表情を想像してまたげんなり。

 

 そんな訳なので早々に退散して、飯田橋で下車して神楽坂を散策した。たまたま入った「CHICHUKAI  UOMARU」というお店が安くて美味しくて幸せになった。牡蛎と雲丹がグッド。帳尻はプラスの一日。

初サイン                 20170510

 

 連休の最終日にまた近所を散歩した。

 家を出て、普段の散歩では坂を下ることが多いけれど、この時は玉川学園の駅に向かって坂を上った。途中で喉が渇いたらと小銭箱からつまんだコインが705円。500円硬貨が混ざっていたのでリッチな気分。

 予定していなかったけれど、705円なら文庫が買えるだろうと駅に併設された書店に立ち寄ると、意外と文庫本は高くてあまり自由に選べない。

 寝る前にのんびり頁を繰るために選んだ本は、探偵小説のふりをした超難解な現代アメリカ文学で、それでも前半は平易で興味が惹かれるものだから、結局終わりが気になって午前3時まで拘束されてしまった。「ガラスの街 ポールオーサー著」

 

 この散歩で途中から目標にしたのが、「のらくろ」の作者として有名な田川水泡さんの家。谷にある玉川学園の駅から建物10階分くらい上がった尾根道にある。

 僕にとっては通勤や買い物と縁の無い尾根道なので、何年かに一度しか近寄らないのだけれど、最初が小学校3年か4年の時だったことは鮮明な記憶だ。

 そのころ「のらくろ」の復刻版が出されて、にわかに注目されていた。僕はすっかり好きになって、作者が家のそばに暮らしていると聞いたらじっとしていられずに、ノートにサインをもらおうと考えた。初めは何も考えず、それでも決行日は大変な緊張を肩に辿り着いたはずなのだけれど、躊躇う余裕も無いまま気付いたらチャイムを押していた。

 玄関に現れた老婦人は小さな来訪者に驚き、サインの無心にさらに驚いた。

「先生は忙しくされているので、日をあらためてまた来なさい」と言いながらノートは受け取ってくれた。

 

 数日後にまた訪ねてみると、同じ老婦人が今度はとても優しい表情で現れて、立派な色紙に黒々と描かれた、まさに本物ののらくろの絵を渡してくれた。僕は嬉しくて興奮した。田川水泡さんの姿を見たいという未練が無くはなかったけれど、僕だけののらくろはそれを大きく上回っていた。

 

 50年近く経過したけれど、ほとんど何も変わっていない。家の前のアスファルト舗装が整備されたくらいではないか。身長100㎝ほどの僕は見えないけれど、その時の世界観が少し匂いのように蘇る。

護憲                   20170503

 何となく、散歩しようと町田市民球場に向かった途中で撮ったのが上の写真。やや風があったものの、優しい日だった。

 市営球場では「町田市中学校春期野球大会決勝戦」が繰り広げられていて、僕の母校である町田一中と少年野球時代に出かけることの多かった桜美林中学が熱戦を展開していた。途中で立ち去るのも難しく、7回裏さよならヒットまでを見ることになった。(桜美林の5-4勝ち)

 

 憲法に関する記念日に、畑の草花とボールに集中する球児を眺めながら、最近の騒がしい情勢のことも少し考えようとする。

 北朝鮮という現実にどのように対処すべきか、それは開陳するだけの見識が無いけれど、ひとつ気になって仕方のないことがある。

 

 「護憲」という言葉。おそらくほとんどのメディアが何の注釈も無しに使うけれど、これは憲法の使用者である主権国民を憲法の下に置いた倒錯した言葉にしか思えない。メンテナンスのないルールブックは宗教以外に存続しなくて良いと僕などは思うのだけれど。

 

 最近、あちらこちらで「レッテル貼り」という言葉が聞こえてきてなんだか居心地が悪い。そんなことを持ち出したくないけれど、護憲という言葉はその色彩を帯びていると思えて仕方がない。

ムササビ飛行               20170502

 

 夢で空を飛んだ記憶がなくて、そのような夢を語る人を半ば羨ましく、半ば疑いの気持ちで聞いていた。

 

 話が逸れるけれど、たいていのゴールデンウィークは普段より仕事に追われることが多かった。それは休みの前に「ゴールデンウィークの間に処理しておけば良いのだ。」と妙な計算をするからで、自ら負荷をかけまくっていたとも言える。

 先月29日は例年と違って、前日までに懸案が片付いていたから僕の前には明るい連休が開けているように思った。そうしたら飛べた。

 

 眼下にあるのは塩湖のように真っ白な土地で、陸地と水面が半々。海?は浅くて硫黄のような淡い緑色から藍色までグラデーションになったりまだらになったりしていて大変に美しい。陸地は丘や台地を構成していてそこには人の姿がある。人は立ったり絨毯に座ったりと点在しているのだけれど、みなドバイの王族のように頭のてっぺんから真っ白な衣装をまとっている。駱駝がいても馴染むであろう風景。

 

 僕はその上空をムササビのように手足を広げて滑空している。高度が下がると、顎を引いて胸を張れば揚力が得られる。地面・海面すれすれに降りてきたリまた高い空に戻ったり。それはトンビの様子に似ていたかも知れない。

 さて、なんでそんなことをしているかなのだけれど、大変なミッションを帯びていたはずなのにきれいに忘れてしまった。とても残念だ。ただ、その壮大さはとてつもないもので、スペインの南端からドイツの北端にかかるくらいのエリアを意識していた。

 

 どうして飛べるのだろうと考えたところで場面が一転。

 僕は深い森で廃れた小屋を見つける。その外壁に仕様書のような内容の看板があって、何も理解できないのだけれど、最後に

「三菱ひ」 と記してあった。「なるほど、三菱関係の工場が作った飛行体なのだな。」と得心した。

(どうでも良いことに、お時間とらせて大変失礼いたしました。こんなに気持ちの良い夢はまず無いので言いたかったのです。)

ワープ                  20170501

 

 子供のころ、家の近所に宅地開発から取り残された場所がそこここにあった。

 そうした所の一つ、やや勾配のきつい傾斜地のふもとに現在の僕と仲間が居て、その丘の上の方では何か開発が進められているようだった。

 その丘を越えて移動したかったのだけれど、登って行くとやたらに体格が良くて危険な気配の男が5~6人、まるで用心棒であるかのように僕らを威嚇する。

 距離があったから切迫感は希薄で、僕はそれなりに悪態をつき返して迂回することにした。

 う回路には街灯が無くて、日が陰ってきたから少し不穏な気配。すると、後方から童謡を崩したような奇妙な歌声が聞こえてきた。まずいな、と思ったときにはもう、さきほどの男たちに取り囲まれる。

 最初に声をかけてきたのはその中でも威圧感の無い青年。ただ、

「すみません、今日は人の殴り方をキチンと習得しろと先輩に言われたのでそうさせてください」などと言う。

 その青年が僕の仲間と向き合ったと思ったとき、僕の目の前には一番屈強そうな男が立ちはだかっていた。そのあまりの迫力に戦意はおろか逃げる方法にも思いが及ばない。

 蛇の前のカエル状態の僕はその時。

 

 恐怖から逃れたい一心か、ほとんど無意識に小さなガッツポーズで拳を握りしめた。「ウェイッ!!!」・・・その瞬間、目の前が真っ白に。

 

 どこかを漂う感覚のなか、「逃げることができた」と「夢から覚めた」、を、本当に同時に思った。これが、結構得した感のある目覚めだった、初ワープ成功の一週間前の朝。

 完了検査の補正や確認申請の最終協議、お客様への引き渡しなどが集まった日々だったので大いに慰めになった。「本当に困ったら逃走もあるかも・・・」レベルだけれど。

(次回は無事くぐり抜けた後の夢。ビューティフル!。)

弓ヶ浜                  20170429

 

 伊東の先の、河津の今井浜に打ち合わせに出かけて、夕方まだ時間があったから、仲間が下田の先のサーフィンのポイントを教えてくれると言った。大変きれいな海で、波打ち際に近いところまで来るサーフィンは、高い波でなくても迫力があって楽しそうだった。

 もう少し脚を延ばしてみようと更に南下したのが弓ヶ浜というところ。

 ここは大変穏やかでシーカヤック向きとか。

 西伊豆もとても好きだけれど、夕日がやや目に痛く、風景に多少の寂寥感がある。それに対して弓ヶ浜での夕方は順光だから、空気の奥行き感があって静かな気持ちになる。

 この浜が有名かどうかわからないけれど、下田方面に行くときは立ち寄りをお勧めしたい。

 シーズンピークには混雑が予想されるとしても、普段なら駐車場もゆったりしているしここ以外にも楽しそうな海が隣接しているようだ。

 帰路三島ICに出ようとすると、街灯のあるはずも無い山道を

30㎞走ることになるから、一人の移動は少し不安かもしれない。 

  

 アップダウンしながら時折山向こうに覗く二日月は、弓ヶ浜の砂浜と似通っていて浜から遠ざかっている気がしなかった。

夢想                   20170421

 

 愛媛県松山市の仕事で、今月初めに市役所に事前相談に行ったのだけれど、今朝、次に進められる嬉しい回答を得た。

 それでなのかポジティブ気分で今聞いているのはYOU TUBEでの「Trombone Shorty」

https://www.youtube.com/watch?v=1yRhacGLGEs

 

 この人に辿り着いたのは、「What a Wonderful World」を検索したときに、トロンボーニストに行き当たって、その関連にあったからだ。

 

 最近、車などで聞く場合でもバンド系の曲はEW&FやWeather Peport に先祖帰りしている状況で、「Bromberg」以来の馴染み感がある。

https://www.youtube.com/watch?v=Px8Ly5_7Kdw

 

 ショーティに戻ってその映像を見ていると、強烈な躍動感に否も応もなく惹きつけられる。

 その曲をトロンボーンで吹いてみたいと思うのは、月に行くまでではなくても、100mを13秒で走ろうとするくらい非現実的だ。ただ、考えた。「テーマの部分だけなら吹けるようになるかも知れない。」そうであれば、100mを自分の力なりに全力で駆け抜けろ・・・ではないか。

 これだって、大食の仲間が増えた影響で以前の何倍も食べている僕には過酷だけれど。

 

 夢想に罪は無い。少しだけ道が開けたのは、鍛えるなどという考えはおこがましいけれど、体重くらい減らす努力せよ・・・という実感があったこと。これは夢想であって欲しくない。

 

 そんなことを記していたら、これが見えてきた。

https://www.youtube.com/watch?v=hwmRQ0PBtXU

 なつかしい。

家に居た                 20170413

 

 4月に入ってからも、富津、潮来、川崎、鎌倉、松山と、曜日の区別なく出かけていた。一昨日、潮来の検査がひと段落したので、昨日は久しぶりの休日にした。

 

 検査が指摘事項なく終了したのでホッとしたのか、珍しくも昨日はテレビをつけることなく、画集など開いてみたくなった。これは大変良い傾向だ。テレビを見ていると、気分転換というよりストレスになりがちだから。

 左のロートレックが掲載されている本は、20年近く前に町田市立国際版画間と富山県立近代美術館が編集・発行した「石版画の200年」というなかなか立派な画集。

 丁寧な解説が付されているので楽しい。

 「日本風の長椅子」というタイトルのこの版画はとても有名だしよく目に触れて、そのたびに「優雅だなあ」と思っていたけれど、じっくり見ていると結構攻撃的な作品だという気がしてくる。

 透視図的な配置を無視して、画面の黒をひたすらカッコよく配置することに専念しているのだろう。

 インテリアデザインに持ち込めないかと思ったりするものの、道筋が発見できたわけではない。

 

 家に居たら長女と孫が遊びに来た。

 4月から保育園に通う孫は、既に保育士さん方に有名になってしまったらしい。

 昨日の昼は、一人別室でマンツーマンの給食になり、パンはちぎらないと口に運ばず、おかずの順番は毎回指さして要求したそうな。

 

 まあしかし、「他の子はどうしておとなしく座って、出されるままに食べることができるのか?」と驚く母親や祖父母なので無理もないか。保育園の先生、世間知らずでご面倒おかけしますが、なにとぞよろしくお願いいたします。 

新年度スタート              20170402

 

 先月26日にこの雑感を記したとき、ページのアイテム数上限に達した。だからページを繰り上げたのだけれど、それは丁度新年度のスタートと一緒でちょっと良い気分。

 

 31日は町田の自宅を出ようとしたとき、意外に暖かい気がしてセーターをやめてハーフコートからデニムのジャケットに切り替えた。

 潮来のパスターミナル直前で雨が降り出し、いや正確には遠路はるばる、わざわざ、雨雲の下に突っ込んで、降りてみると冷たい風と雨に包まれた。

 件の食堂に辿り着いて、カツ丼はあまりにボリューム満点なのでご飯少なめのカツカレーにした。お土産は買い忘れたものの、店主は再訪を喜んでくれて、「あいやーほんとにまた来てくれたっぺか」「こんただお客さんは100人に4人くらいだっぺよ」と言った。監督さんもご飯少なめを頼んだけれど、おばあちゃんは聞き逃したらしくてまた食べきれなかった様子。

 

 完了検査前のチェックと外構サイン計画などの打ち合わせに3時間余り。凍えたので帰りのバスの混雑が少しも嫌でなかった。

 

 新年度の昨日は、長女が近所の桜並木に誘ってくれたけれど、孫の保育園入園を控えているから3人で過ごしたらと妻が返信。

 二人で出かけてみると低気温が続いたせいか、まだ色があまり見えなかった。

 今日になってみると、晴れとまでは言えないものの、気温も回復して柔らかい日差しが春めいてきた。

 

 妻は書の会合に出かけたので仕事を少ししながら、小屋の本など引き出してきて妄想をたくましくする。

 僕は、体力という面ではどのように推移するかわからないけれど、それ以外ではこのまま暮したい。老後はいらない。進化だ。