雑感
設計とは別に思ったこと
新宿 20230801(次回から新頁です)
昨日は熊谷のカフェの役所検査で、朝6時前の電車で出かけた。
猛暑を覚悟していたけれど、9時からの検査ではまだ気温上昇中だから、汗をかいてもつらいほどではなかった。
カフェは建物自体が完成した状況で、これから内装や各種備品の設えなどが始まる。建て主が照明器具選びから全部を考えているので、僕はここでフェードアウトだけれど楽しみにしたい。
熊谷は湘南新宿ラインでおよそ70分だから、昼過ぎに新宿まで帰ってきた。
いつもだと紀伊国屋書店そばのカレー店「ガンジー」に廻るところだけれど、しばらく前に歌舞伎町タワーをテレビで見ていたのでビールも飲みたいし足を延ばすことにした。
途中、コマ劇場あとの超高層も見た。
どちらも大規模開発なのはその通りだとして、それぞれの間は、・・まあアパホテルがいつの間にかできていても・・、昔とそんなに変わらない町並みだ。だから渋谷や横浜の劇的な変化を多少見ていると、おとなしくも見える。
歌舞伎町タワー2階の昭和風?の店舗群は好みはそれぞれとして廉価だった。オリオンビール690円・ラフテー690円・・・。お通し代別。
帰りに駅に向かうとき、学生時代たびたび出かけて、場所は移ったけれどその後もたまに行っていたジャズ喫茶の「DUG」はあるかな、と前まで行くと変わっていなかった。
夕食 20230726
ここのところ、ポツポツと夕食を作っていたけれど写真としては代わり映えしないので放っておいた。
でも、記録しないのも惜しいので並べてしまおう。
新たに気づいたのではないけれど、風景として貧弱だなと思う。丸い少し大きめの皿と、少し小さめの皿の構成がパターンなのだ。
でも、丸くない皿ってどこかにあるかと考えると、意外に少ないのではとも思う。
日本は食器が多すぎるに違いない。うん。
四角い皿など和食そのものだから、それは妻に任せよう。喫茶店・定食屋さんのメニューもそれはそれで大事なのだ。
町田市 20230725
塩釜市のラジオ放送局にコンテナ社長室を建てたとき。当地の建設会社担当者が、僕の渡した名刺を眺めて「町田市が神奈川県に編入される日程は決まりましたか?」と訊いてきた。
僕は「そうなんですか、何も知りません」と律儀に返した。
上の写真は、通っていた中学校よりは家に近い菅原神社と市民球場、それに道中の風景。わざわざ田舎っぽいところを選んだわけではないけれど、こんな景色もある。3番目の写真は自宅から丹沢を眺める時の反対のもので、樹の間に家が写っている。
「多摩川を超える」というなにか都落ちのようなニュアンスの言葉が以前あった。多摩川を超えるもなにも、町田市はそこから先に小田急線で20分あるのだから本当は超えたことすら忘れてしまう位置だ。
首都高のそばなど、どうしてこんな環境に住むのだろう、と不思議だったりするけれど、考えてみれば大阪に配属されたと仮定したとき、和歌山県(すぐ近くだ)に家を探さないだろうから、ある意味自然な選択なのだろう。
町田市民は、住所を書くとき東京都町田市と何度も繰り返したので帰属は東京なのだけれど、気持ちは神奈川県だ。町田を走っているバスはほぼ100パーセント神奈中(神奈川中央交通)で、他の色のバスを見るとちょっと落ち着かない。神奈川県民からすれば、すり寄るなあっち行け、なのだろうけれど。
コンテナ建築は地域を選ばない傾向があるし、長男が九州を勤務先に志望したから何度も訪れて、「このおいしさは何だ!」と
衝撃を受けた。
日本は老いたようで些細な長所を探すのに夢中だ、という指摘もあるようだけれど、備わっていることはキチンと評価した方がいいに決まっている。でないともったいない。
あしあと 20230724
小学校何年生だったかな。
水が怖くて顔をつけるのも嫌だったのに、「こどもの国」の水泳教室に行ったからかプールが好きになった。
今日は天気がいいし水温もあるだろうから、と勇んで着替えをすませて乗り込んでみると、男子だったか女子だったか先を越されてシャワー後のあしあとがくっきり残っていた。
「あれ」と思って自分のあしあとを振り返る。先のあしあとが「くの字」のようなのに対して、自分のあしあとはべったり。
強烈に羨ましいと思った。「鹿のようだ」
長男が就学したころ、ふたりで伊豆の田舎の温泉につかって、無数と言いたいほどの長男のあしあとを確認して安堵した。その前に、イチロー選手が偏平足だという不確かな記事を読んでいたけれど。
オール5 20230720
今日、妻と話しているときに「孫の通信簿の日だ」と言うと、「最近は3学期制なのかどうだろう」との返事。ああ、そうなのか。
そもそもは孫たちの通信簿に興味がある訳ではなくて、学期の終業式で夏休みの始まりだね、ということで自分たちの終業式に思いが及んだのだ。
僕の幼い頃の記憶では7月20日はいつも快晴で、道路の補修部分からアスファルトが溶け出した匂いが混ざってきていた。
「君はこれから40日間・・・・夏休みだ」・・・・!!!
それは、かみさまの啓示のよう。
ここしばらく前から、高校同級生の小さな集まりが不定期にあって、今回も開かれた。
例えば昨年は、例年より誘う範囲を広げようという流れがあって、都心で行われた。
今年は、明るい時間から海を見ながらにしようということになって、それは僕の主張だったりするけれど、天気を見ながら臨機にね、ということで発足の4名だった。
写真は、まだドライアイが残る・・・というかせっかく処方していただいた目薬に効果があったのに、勝手に安心してサボったために再発して・・・江ノ島の待ち合わせ場所に早めに着いて目薬をさそうとしたら、太陽があった。なんちゃって。
約束の時間にはそろって、江の島の太平洋側(大げさ)の店で乾杯をして、その後東浜の海の家と藤沢の居酒屋チェーンなどに少しずつ立ち寄る。
そんな中で、僕はさりげなく、しかしあからさまに僕の長女長男の成績を思い出すように自慢すると、みな「成績も素晴らしいし姉弟そろってなんてめったにない」と、褒めてくれた。
気分がよくなって内申点って微妙だよねなどと振ってみたら、結果的に3人ともオール5が判明。おお、おお。
僕は二回りほどの周回遅れで、「よく(志望する)勇気があったね、そこが荒美らしいよ。」と感心された。喜んでいいのか。
その後いろいろなところに話が飛んだから総括できないなか、オール5+1ということにまとめさせてもらった。
いや、この友人に限らず同級生がみなオール5だったらどうなのか。動揺するけれどまあ幸運とも言えるのかと気持ち新たに。笑
須賀敦子氏 20230714
昨日記した個人的構想や、それも含めて昔からの仲間に電話などしていたものだから、学生時代の建築誌を数冊手元にもってきた。
現代と比較してなにか考えを言うには勉強が不足しているから、それは避けるとして、ちょっと発見があった。
1980年のものだから、骨とう品か。でも、検索すると写真にあるように表紙をパソコンで見つけた。
この今日の雑感を書き始めた動機は、その冒頭記事の翻訳に須賀敦子氏の名前を発見したことだ。
最初、同姓同名かなとも思って氏のプロフィールなど検索したけれど確証は得られない。しかしながら、1980年ころにイタリア語やその文化に深い造詣があって翻訳などされていた方がもう一人いるとは思えない。
ただ確証がないなどと大げさに記すのは、その文章に賞賛が集まっている日本語のきれいな須賀氏なのに、この翻訳は大変に難解なためだ。
思い出した。買ったときも投げ出したのだった。
もとの執筆をした人が、サービス精神がない昔の権威っぽいタイプだったのか。
この船に浮かぶ建物は劇場で、ベネチアビエンナーレに合せて建造されたようだ。僕は内容なんかそっちのけで写真に見入っていたことを覚えている、
同時に思い出すのは、トレーシングペーパーと鉛筆を削った芯の匂い。
須賀氏は霧やにおいの描写がすごいと思うし、文庫版の全集などにも油絵具が匂い立つような静物画を選ばれている。
ノマド 20230713
建築家伊藤豊雄さんが若い時、「東京ノマド」という自転車を改造したような極小建築案を示したことがあった。
ノマドとは遊牧民を指すようで、その自転車のような住まい(っぽい)に僕は魅力を感じた。
今、コンテナを使った小さな箱を住まいにするという着想で、言葉だけでは人に伝わらないから3Gを学習しているところだ。ノッキングの毎日だけど。笑
みなさん目にされるように、コンテナは物流に革命を起こした箱である。一度中に物を収めてしまえば、船でも電車でも道路でも好きに動かせる。
建物とする場合は、基礎などもちゃんと作らなければならないので、キャンピングカーのような自在性は持ちえないけど。
でも、再利用の可能性が高いし、箱として提供できれば住まい手の自由にできるわけで、昨今の環境問題にも多少沿っているのではないかと。
しばらく先になるけれど、お目にかけるのでこれを開いてくださった方は期待してください。!(^^)!
真冬の汗 20230712
メールで「暑いですね」などと話していたら、真冬のある光景を思い出した。
それはフットサルコートの小さな小屋の前で、仲間が一斉にユニフォームを脱いだ時だった。僕はなぜか少し遅れたようで離れたところから見ていて、全員の裸から一斉に湯気が立ち上って光の乱反射もあって白いかたまりになったようす。
当人たちは着替えの最中だから気付かなかったようだけれど、感動的だった。
アスリートでもない、いやだからこそそこまで汗をかいて体温が上がっていることが驚きだったのか。
月日は覚えていないけれど寒い夜で、仕事を終えてのフットサルだったから9時を大きく過ぎていたはずだ。
仕事で交流のあったある電気メーカーの若い社員と雑談しているとき、サッカーの話になってとんとんと進んでなぜかフットサルの試合をすることになった。その流れからできたフットサルチームは活動こそ短期だったけれど、一瞬熱が入ったのだった。
普段行動を共にしていないメンバーだったので、変に律儀に走り回ったのだろうか。
街灯もろくに見当たらない、多摩川そばのフットサルコート。
クラスで1番 20230709
今朝、中学生のころの成績をためらいもなく自慢した。
多くの人が気付いているように、そんな順位はすぐに入れ替わるかもしれないし、そもそもクラスなどの小さなグループで一番とか鼻を高くしてもさして意味はないだろう。
まあそれでも、自慢させてほしいけれど。
振り返ってみれば、何番というものに価値があるとは思えなくて、その記憶が平凡な人間には悪作用があるのかなと思う。
僕は、自分の値段を知るための数年間を過ごそうと思う。他に物差しがあるかな。 (^.^)
49年前の自慢 20230709
何日か前に、同居する母が「片付けをしていたらこんなものが見つかった」と僕の試験制成績通知を持ってきた。
補足するならば、これは地域中学校全員が受けたテストで、僕の友達に多かったまったく学業成績に無頓着だった者も受けたものだから、学習塾などの昨今のものとは異質だと思う。でもね(≧∇≦)
1億6千万年 20230706
恐竜は、隕石の衝突からの気候変動によって絶滅する前、1億6千万年地球を跋扈していたと聞く。
1億6千万年とうい時間を考えようとしても、それは宇宙に果てはあるのか、という問いと同じようで考えている振りはできてもピンとこない。
ホモサピエンスが登場してから何万年からしいけれど、僕たちの社会が形成されてからはきっと数千年なのだろう。
1億6千万年。・・・ ・・・。
地球外生物という話があって、僕も広い宇宙に生命体が存在するという説には「きっとそうだね」と思う。
そうは思っても、1億6千万年という恐竜の時間と、2023年という現在地を見る限り、138億年の時間を持つ宇宙の中で接近遭遇する機会はあるのか、とも思う。
1億6千万年。
それは、時間なのかすら疑わしくさせる。止まっていたのではないか。と。
そんなことを考える内、ふと「シーラカンス」が心に浮かんでウィキペディアで検索すると、恐竜のジュラ紀以前の古生代に出現したという記述があった。
時間は止まっているのか。居合わせているね。笑
2023梅雨 20230705
6月の下旬、近場だけれどそれなりに移動していた。
先の2つは横浜桜木町。
テレビで桜木町に隣接する野毛界隈が紹介されていて、以前から「野毛の飲み屋街はすごい」とも聞いていたから市役所帰りに足を伸ばしてみた。
先行イメージが強すぎたのか、新宿や中野と比べ印象に残るものではなかった。(昼間に散歩しただけだけれど)
後ろ2つは千駄ヶ谷の写真。打ち合わせ先を訪ねた後、以前の仲間事務所に寄って元気な顔を見た。少し歩きたかったので千駄ヶ谷駅を目指して国立競技場を眺めることにした。
怖いもの見たさという点で「ザハ ハディド案」も見たかったけれど、東京という街の成り立ちに思いを馳せれば「隈 案」は大正解だと思う。
この競技場付近も、小さなオフィスが並ぶ千駄ヶ谷の一画も、自由な空気があって心地良い。
これは東京都が管理する「小山田緑地」。家から車で20分足らずのところで森林浴ができるのは、通勤・通学に時間を要する見返りのよう・・・笑。
長く使っていたプラスチック製の椅子テーブルが痛んだので廃棄して、カインズで新しいものを買ってきた。
右端の写真では広い河や湾をはさんで向こう岸が見えるようだけれど、実際は手すり壁が写っているもので水面などあるはずもない。でも、座った時に「見たいものだけを見る」という意図は達成されたはずだ。
たまたま目に留まったので、ソーラー式の小さな照明器具も購入した。日が暮れて暗闇になるかどうかでは大違いだ。
カモ 20230628
「カモがネギ背負ってきた」という言葉は耳にあった。ある時、イラストだったと思うけれど、期待に目を輝かせたカモが背中にネギをおんぶひもで背負わされて、よたよたと歩いてくるさまを見て鮮烈になった。まず可愛さが際立って、そこに淡い悲しみがあったりして。
恩田川の僕の散歩コースにはカモが十数羽程度居て、それなりにスイスイと移動しているか、お尻とかかとを水面に出しながら川底の苔を食べたりしている。
先日の早朝、普段はあまり下りない川縁を行くと、カモが座っていた。そばを通り過ぎても一向に気にしないので、すこし近づいて写真を撮った。
上から見下ろしている時と違って量感があって、鴨南蛮が好きな僕でもうかつに手を出せないと思わされる。
人もそうだよなあ、とちょっと飛躍だけれど思う。距離を置いてみていたひとが、何かの拍子に接近して体温や重力を感じさせられることがある。僕もそうなのだろうから、なるべく軽やかでありたいと思った。それが望ましいことかどうか別としても。
所定のコースで対岸を戻って来てみると、立ち上がっていつものカモが居た。
フォッサマグナ 20230626
数年前、石垣島に仕事仲間と出張した夜、その仲間が時々顔を出すらしい店でお酒を飲みながらとりとめのない話をしていた。
誰かがハワイの話をして、それに続いて「ハワイは少しづつ日本に近づいているんでしょ」という一言をきっかけに、アンデスやロッキー山脈の成り立ち、ヒマラヤを経て丹沢山地までがぞろぞろと出てきた。
その仕事仲間(自動車レースにも出場する)の知らなかった一面(地球の話が大好き)が面白くて続けていたらやや挑戦的に「あらみさん、フォッサマグナって知ってますか」と聞いてきた。
「本州を横断する大地溝帯だと思うけど」とうろ覚えで答えると、「さすが」と言ってくれて、さてこの先どうしようかと思っているとまた別の話題に移っていったので馬脚は隠れたままだった。
その後調べる自分ではないからそのままにしていたら、先日TV番組で地殻変動と日本列島の成立に関する解説があった。確か日本にも恐竜が居た・・・という流れの中で。
それによると、パンゲア(南北アメリカ大陸やアフリカ大陸などで構成されていた巨大大陸)後の分裂のように日本もユーラシア大陸から引きちぎられたのだけれど・・・そこまでは知っていた・・・当初は西半分で、東北側東半分は遅れて分裂隆起したから始まりでは手品の胴体切り離しのようだったらしい。その後フィリピン海プレートが向きを変えたから小笠原諸島が出現して、プレートの沈み込みによって北上して二つの島の隙間を埋めたらしい。それが現在の日本の形。(地学の先生教えてくれた?!寝てたか)
つまりフォッサマグナはその海峡の名残で、ここでハワイ接近説と繋がった。笑
ほんとうは恐竜の1億6千万年という時間についての感想を記したかったのだけれど、長くなったので次回にしよう。
1億6千万年・・・。
一汁一菜 20230619
土井善晴氏の「一汁一菜でよいと至るまで」という本を読んだ。書店にいる時に目に入ってきたので。
テレビでよく見かけて、穏やかな語り口に好感を持っていた。
一方で、父親の土井勝氏が大きな存在であることから、どこか親の功績に便乗しているのだろうという意地悪な印象も持っていた。
この本では、持論を展開するという肩肘を張ったところを見せなくて、氏が当たり前と思うことを至極平易な言葉で綴っているのでさらりと読み通してしまう。しかし、ふと見せる氏の横顔は頑固一徹で求道者のような仕事ぶりも見えてくる。
そして、自分が間違えた経験を少しのためらいもなく披露するから、その考え直した道筋が明瞭で共感を呼ぶのだろうと思う。
僕は、この本は料理の指南書ではなくて、例えば「禅」を日常で紹介しようとするものではないかと感じた。
話は変わってコロナ関連。
一昨年コロナが脅威となったとき、横浜市磯子区の医師会が発熱外来の臨時(仮設)診療所の開設を決めて、コンテナに依頼があった。もちろん横浜市も歓迎で、何度か打ち合わせに行って仮設許可を得ることができた。
それから3年、ここに来てまた再流行の兆しも見えるようだけれど、5類への引き下げは実行されていて、だから仮設診療所も閉鎖になった。
上の写真左側が一昨年設置した時のもので、右側が先週末に解体して運び出したようす。災害にともなう仮設建築物と認められたから、基礎の代わりに鉄板を敷き詰めて本体を溶接することで設置できた。
だから、撤収は簡単で敷地はすぐにもと通りになる。
これは仮設の中でも特殊なケースで、本来であればコンテナ建築も駅前商業ビルと同じ基準法が適用されるのでさまざまなチェックが必要なのだけれど。
右の写真は昨晩のアボカドクリームスパゲッティ。超簡単で、サラダも含めてパスタ茹で時間の倍くらいでできた。
一汁一菜とは異なるようでいて、考え方はそんなに逸れていないと思う。一汁一菜でよいという教えが内容ではなくて佇まいだとすれば。
各地料理 20230616
コロナで外で誰かとお酒を飲む機会は激減したけれど、僕はお酒が好きなので家でよく飲む。ひとりでも美味しいのだ。
それでも、たまにだけれど控える時間を持つ。
飲んでいるときは気付かないけれど、お酒というのはやはり熱量が高いようで、控えてみると手元が所在ないこともあってチョコレートなどに手が伸びるようになる。自分でないみたい。笑
もともと甘いものはそれなりに好きなのに、お酒を飲むから遠ざけていた意識が決壊するようなのだ。
そこで体も動かさなければと散歩を増やすと、またお腹が減って・・・軽くすませていた昼食がだんだん充実してくる。
せめて夕食は野菜を中心にしようとして、中華料理が増えていることに気付いた。
中華料理は油を多用すると思っているけれど、それを控えれば実は野菜中心主義なのだ。
左から、麻婆茄子、青椒肉絲、酢豚。うーん、ちょっと見飽きたか。
そこで、鶏肉や豆料理を混ぜることにした。
クミンやカルダモンを多めに、あるいは豆を使うと南米風になる気がする。以前、墨田川テラスを歩いていたとき、途中にペルー人の婿殿がいる弁当屋があって、そこのペルー弁当がとても好きだった。それに、KALDIにあるタイのパクチーラーメンも大好きだから、日中欧米から離れて世界を眺めるのも良いかも。
トルコから東欧にかけてのヨーグルト料理にも興味があるけれど、近所のスーパーマーケットで入手できる乳製品は限られているし高価なのが残念。
こんど、とうもろこしの粉を買ってこようか。
刺激と連想 20230611
朝目が覚めてベッドでぼんやりしている時、「空間の任意の3点はひとつの球体を決定する」ということが頭に浮かんで、そうだよなと思った。(少し自信がないけれどきっと間違っていない。間違っていることに気づいたら訂正しよう)
普段と違うことに注目しているのは、きっと多和田葉子さんの短編集を読んでいることに加えて、最近製図を2Dから3Dに移行しようとしているからだ。(今頃?とは言われたくない 笑)
多和田さんの3つの長編小説からなるらしいひとつを読んで、勢い込んで短編集を買ってきたけれど、妻に感想を聞かれて「なんじゃこりゃっていう感じ」と答えた。
もちろん、評価などという恐れ多いものではなくて、ただ自分の頭脳が空振りしていることを実感したばかりなのだけれど。
本を閉じてしまうこともあり得たのに、なぜか少しづつ読み進めている。それは、未知の世界への興味と微かながら手触りのようなものを感じたからだ。描かれている世界は必ずしも日常生活では健康的と思えないけれど、現れる単語も文章もさらりと乾いているし。
僕は、一定年齢以上の人間が帯びる社会性のようなものを鬱陶しいと感じる性癖があって、だから事件が起こるような小説はほとんど手にしない。ヘミングウェイの小説には殺人があるけれど、これは単なる暴力で社会性とは無関係だ。
多和田さんの小説に僕が感じるのは、人間同士のつながりに重大な関心を寄せていても、それが言わば常識と呼ばれるくたばりきった社会性を突き抜けて新しい世界を見せてくれることだ。
数多の賞を受けているということばかりではなく、広く世界から共感を勝ち取っている空間を学ばないのはいかにももったいない。
最初の球体の説明(余計かな)
紙に二つの点を描いて、その2点を通る円を想像すると無数にあることがわかる。しかし、もう1点を指定するとひとつの円に限定される。
空間の3点と言っても、実は3点が構成するのは平面で、平面の円を直径とする球を考えれば最初の話が成り立つのだ。
・・・とここまで考えて、さっそく間違いに気づいた。
平面上の円の中心に平面に垂直な軸を考えて、この軸上の1点を球の中心と考えれば球は無数に存在する。
ああ、3次元が奥深いのか僕の頭が平らなのか。笑
四季柑 20230609
沖縄バヤリースの「四季柑」のおすすめ。
左の写真に写っているペットボトルはシークワーサーが入っている柑橘の濃縮ジュース。
たまに設けるお酒を控える日に、お茶ではなんとなく寂しいときにこれを炭酸水で薄めて飲むと食事が楽しくなる。
何倍に希釈するのがよいか知らないけれど、僕は5倍から10倍のあいだ。
ノンアルコール飲料よりはずっと豊かな感じで満足する。
(オーケーストア町田森野店以外ではあまり目にしない)
奥の皿は、僕が気に入っているメンチカツ専門店で買ってきたもの。家で多量の油を使うのは妻も最近敬遠しているので(以前記したメキシカンビーフカツはシュニッツェル風にする。)、カツはごくたまに買ってくる。
3個で500円だから、精肉店より安いくらいか。
手前はミニトマト入りゴーヤ豚汁。
所員時代、所長が珍しく小料理屋に誘ってくれた。教育的指導などされたのかも知れないけれど、それは覚えていなくてトマトがまるごとひとつ入った味噌汁がおいしかったことばかり。
所長のことを「むがちゃん」(俳優の竹脇無我に似ていた)と呼ぶ、ひとりで切り盛りするおかみさんが帰り際に、「珍しいかも知れないけど」と言って出してくれたもので、大変おいしかったのだ。
その所長は還暦を過ぎたころ、屋久島がすっかり気に入って拠点も作ってたびたび出かけられていたと聞く。
昨年暮れに先輩が訃報を知らせてくれて、今夏お別れの会を行う予定とのことだった。
その時また振り返りたいけれど、所員時代、緊張の毎日だったために記憶が鮮やかなので触れてしまった。
ありがとうございました。安らかにお休みください。
粒 20230606
多和田葉子さんの「地球にちりばめられて」を読んで楽しい時間を過ごした。
それで、手に取ったけれど購入していなかったもう一冊を買おうと玉川学園購買部に出かけた。(写真)
このあいだとは打って変わって平積みの本が高くなって活気を呈していた。
その中に短編集「穴あきエフの初恋祭り」を見つけたので、それを先にした。散歩のときは財布を持たないのでコインがポケットにあるばかりなのだ。
「地球にちりばめられて」を読んで3つの映像が頭に浮かんだ。
分子構造モデル
音符(楽譜)
漫画「ワンピース」のポスターか何か
ワンピースは読んだことがないのである意味でたらめな話だけれど、連想した手がかりは
同じ船に乗り合わせる
構成員が独特の個性を持っている
ということなのかと思う。(きっと 笑)
物語は7人の登場人物がそれぞれの視点から語ることで構成されているのだけれど、その7つの粒はそれぞれ独立していて、引かれたり反発したり、ひとかたまりになったり分散したりを繰り返して、転がりながら航海をするのだ。
それは、原子が集まって分子となったり、音符が集まって和音や不協和音を作ることを想像させる。
肝心なのはそれぞれの粒が距離を変えながらも、別の粒を飲み込もうとせずに涼しげに独立していることだ。さわやか。
主人公の祖国が失われていても、だからこそ物語が始まっているのかも知れないけれど、ひとり立っている。
読み終わって解説も見てみようかとページをめくると池澤夏樹さんの名前があった。
僕の知る範囲ではもっとも解説者にふさわしい作家だと思えるし、その解説も本作と同じような風が吹いていてさわやかだった。さあ次は短編集だ。
小さな世界 20230604
昨日は昼まで雨だったので、ここのところ珍しく続いている散歩が夜にずれこんだ。
台風一過ならぬ豪雨の後は、素知らぬふりの満月だった。
(右端の写真は小田急線通過)
「集中」という言葉は少年サッカーのコーチや父兄にあふれているばかりか、何か成功や成就へのカギのように扱われている。
その妥当性はわからないけれど、集中しろと言われたって雑念が湧き起こってくるのでそうはいかない・・・というのが正直なところ。(球技の場合は集中できない奴が信じられないけれど)
それが、夜更けの散歩は入ってくる情報が少ないので、考えは内側に向くようになりがちで、自ずと集中度合いが増すようだ。
作家の執筆活動などでホテルや出版社にかんづめにされる、というのを聞いたときそんなことで捗るのかなあと疑問だったけれど、何もない部屋でまして深夜になれば神経は一定方向に向かうかもしれない。
昔の作家が何か月も投宿した宿、などと紹介されるけれどそれは羨ましいことか辛いことか。考えるまでもなく後者なのだろう。
設計関連では聞かない。でもひょっとすると偉大で寡作という稀な建築家には自主的にこもった人もあったかもしれない。
凡人としては、「深夜に書いた手紙は出すな」と言うから、ここは気を付けなければいけない。笑 と言うことは、夜更けは集中というより小さな世界に入り込むことなのか。
昨日はキッコーマンのレシピを参考に和風酢豚を作ってみた。
材料の種類と分量を増やして、調味料もそれなりに増したはずなのに、少し寝惚けていた。酢を多めに加えると引き締まった。
これはこれでおいしかったけれど、今度黒酢のこってりした酢豚に挑戦したい。
ありあまる富 20230603
偶然、椎名林檎さんの歌に触れて、テロップに流れる歌詞をみて「いいなあ」と思った。
若者への激励なのだろうか。
いや、いいなあと思ったのは賛歌に聞こえたからだろう。
マスコミでは「格差拡大の時代」という言葉が繰り返されていて、それを浴びれば自覚の成長過程にある若者は、自分の境遇が幸運だとか不運だとか思うかも知れない。
しかし、そんなことでせっかく手に入れた、授かった命を貶めたり棄損してはあまりにももったいない、という意見に共感する。
以下「ありあまる富:椎名林檎」の一節
・・・・・
もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返してもらうまでもない筈
何故なら価値は生命に従って付いている
ほらね君には富が溢れている
話は変わって、昨日から今朝にかけてまあよく雨が降った。
昨日の夕方車ででかけたとき、丁度天気予報の雨雲情報の赤色の真下にいたらしくて、白い景色になってしまってゆっくり走っているのに高速ワイパーが必要だった。
町田は線状降水帯と宣言されてはいないけれど、東西に黄色と赤がのびる豪雨帯の通り道になっていて、ちょっと記憶にない降雨量だ。四国から静岡にかけての被災者の気持ちが想像しやすくなった。
今朝は、よく振っているけれど豪雨は去ったようすで、風がおさまってきたから一安心。
一昨日の晩は、NHKの「今日の料理」を見ていたから真似してみた。
まねしたのは奥の野菜煮込み「ラタトゥイユ」で、「うま味噌酢」といういわばドレッシングのバリエーション。
手前は少し前にホットモットで買ってきた、豚肉塩だれレモンがおいしかったのでそれを思い出しながら。
ちょっと料理っぽくなってきたぞ。
5月31日 20230531
週末には東京も梅雨入りしそうだという水曜日。
気温はさして上がらずに薄曇りだった。
真夏の日射しも良いけれど、散歩にはこれくらいが向いている。
川沿いのコースは中学校の前を通っていて、ちょうど運動会のリハーサルらしきものが行われていた。生徒たちの元気のよい声が気持ちいい。
立ち止まって眺めるのははばかられるので、スピードは緩めずにもっぱら音で見学させてもらった。
草花がもっとも勢いを増すのはいつごろなのだろう。ところどころ設けられている花壇では鮮やかな色が咲き乱れていたけれど、意外と、勝手に(と言ってもいつか人の手が入った名残だとは思う)咲いている小さな花が目に優しいと思う。
このあいだ、テレビの「蝶」を主題にした番組の一部で森英恵さんが紹介されていた。
それによると、若い時にニューヨークでオペラ「蝶々夫人」を観たときに、日本女性の表現があまりに見当違いだったので本当の姿を発信しようと奮起したらしい。
他に、日本の古典絵画に大変多くの蝶が描かれていることが指摘されていた。
昼過ぎの恩田川で。
昨日、一昨日と、望遠レンズ爺さんの先にカワセミを見たけれど、葉がおいしげると一部の青を除くと同系色だから歩きながらではみつけにくい。
今日はこの写真を撮ったりしたので、早い時50分が1時間を超えた。
どこかに 20230525
その青年は、ほぼ僕と同い年だからひょっとしたら今なら孫がいるのかも知れない。相当前に少しだけ記したことがあったと思うけれど、その人は突然電話をよこして僕の勤めている事務所を訪ねてきたらしい。
僕は会っていないので、いや逆に会っていないからこそ印象深いところがあるかもしれない。どこの国籍の人だったかは忘れてしまった。
日本の建築設計の「今」を覗いてみようと来日したらしくて、所長が日本での旅程を尋ねると、「日本はパン屋さんが耳をくれるのが素晴らしい」と。牛乳と卵を買って、攪拌してパンの耳をひたせば立派な食事になる。
そうしてひたすら歩いて日本を観察しているのだ、ということらしい。
僕も歩くことが好きなので、いいなあと思う。どこかで元気かな。
先輩の武勇伝4 20230524
アトリエ事務所をやめて、稲葉さんから聞き出したディベロッパーに勤めることになった初日、自社分譲マンションの1室を使う設計部に行くと、家族のような温かい雰囲気があって稲葉さんに心で
感謝した。
「Kです」と名刺を渡してくれて、「読めるかな?」と聞かれたのは「石水」という名前。
「いわみさんですか?」と言うと「誰か教えたなー」「いえ、教わっていないです、来たばかりだし」「そんなはずないよ、すぐに読めた人いないんだから」「いえ本当です」「まあまあ」
きっと今でもKさんは言い張るだろう。(忘れているに決まっているけれど)
社会科が苦手な僕でも「石見銀山」は知っていたし、高校のクラスメートに「一水:ひとみ」というひとがいたから、自然と読めたのだ。
Kさんは英虞湾をのぞむ港町の出身で、お父さんは真珠卸業の社長さんだ。本人が楽しそうに説明してくれるところによると、かなり辺鄙なところで、最寄り駅までバスで相当な時間がかかるらしい。だから県立高校に通うのが難しくて下宿したそうだ。「僕は高校まで1時間半くらいかかりましたよ」と言うと、「東京の人は頑張るね」・・・。
Kさんは事務所開設の少し前に結婚したのだけれど、郷里のお母さんに婚約者をサプライズ紹介しようとしたらしい。(不動産鑑定士の才女)二人でバス停に降り立ってまっすぐに家を目指す。鍵のかかっていない玄関戸を開けると、お母さんが座っていて「遅かったわね」
「あらみくん、田舎のネットワークは怖いぞ」
Kさんは早大建築学科を卒業して業界最大手の店舗・イベント設計の会社に就職した。もう少し建築っぽいほうが楽しいかな、と代々木上原にあるディベロッパーに転職したらしい。
世界の隅々まで訪ねてみたいと思っていた彼は、後になるほど遠くには行きづらいだろうからと、退職を機にブラジルを目指す。
いくつも旅の思い出を聞かせてもらったけれど、特に印象深いのはふたつ。
アマゾン河を何日もかけてハンモックで旅した様子。目的地はマナウスだったか。
バスで近づいて行った谷にきらめく街。Kさんはその話のとき、いまでも感激した顔をする。
予定のない長旅の最中、長距離バスが小さな小屋の前で停まった。みなぞろぞろと降りて行って小屋の前に列をつくる。なんだろうと思うKさんは、同乗者の若者に促されて列に加わる。
小屋に入ると、何の説明もないままいきなり予防接種を受けた。
ブラジルには風土病などもあるので珍しいことではないらしい。
そして、風土病とは違うものに感染する。
療養に半年を超える時間を費やして、「いろいろかんがえたよ」と。
Kさんはまったく懲りずに、「このあいだカッパドキアに行ってきたよ。すごかった、おすすめだよ」
先輩の武勇伝3 20230523
設計部長から「外壁の石のサンプルを会議室に持ってきて」という内線電話があって、いくつかを選んで抱えていくと社長と設計部長、それに服部さんがいた。(名前は名刺をもらってから知るけれど)
これが服部さんと会った最初で、僕が六本木ビルを担当することになる瞬間だった。土地代200億円超、建設予定費55億円。今だったら大きなプロジェクトだけれど、僕が抜擢されたというより、設計部員それぞれが似たような規模を抱えていたのだからタイミングのようなもの。まさにバブル。
服部さんは社長が大きな信頼を寄せる設計者で、この計画の監修というスタンスだと理解した。社長自身がもともと設計屋なので、
営業の人たちよりもずっと話が弾むのだろう。
本当に死んじゃうかも、という1年を過ごして着工にこぎつけたころ、「土曜日に少し時間作れないかな」という服部さんの電話を受けた。指定された場所に行ってみると、服部さんが濃紺のプジョー505で現れた。
僕は後にも先にも本当に格好良いと思った車はこの505ばかりで、だから有頂天になった。
服部さんの話は、退社して設計事務所を開設するから所員にならないか、社長にはきちんと説明するから・・・というもので、僕も仲間と事務所を持とうかと話していたところだったのでそのまま伝えると、それなら何か方法がありそうだ、ということになった。
やがて車が着いたのは外苑東通りのペンシルビルで、6階に上がっていった。そこはインテリアデザイナーの事務所で、「いずれ協同しようかと話している」というTさんを紹介された。白いシャツの襟にのりが効いている、若い時の倍賞千恵子のような美人だ。「実はもう7階を借りていて、いつでも業務開始できるんだよ」
ときどき顔を出すとすれば青山一丁目は便利だし、なにより華やいだ気配に高揚感を覚える。僕と一緒に事務所を開設しようとしていた河邑さんは、お互いの家から車で通いやすい新横浜の物件を見に行っていたから、新しい刺激になった。
後日河邑さんと一緒に6階を訪ねて世間話をしているとき、設計事務所の名称は決まっていますかと尋ねると、「アトリエ テンにしようかと思う」・・・・河邑さんと顔を見合わせて絶句した。僕たちの事務所をアトリエ テンに決めていたからだ。
そのことを服部さんに告げると、まったく取り合ってくれなかった。そりゃそうだ、そんな偶然があるはずもない。でも誓って言うけれど、本当に偶然の一致だ。
河邑さんはB型のせいか、事務所名などに頓着するひとではないので、「いくつか候補を出してくれたら好きなのを選ぶよ」と言っていた。僕は、軽やかな響きがいいと思ったので「スタジオ」か「アトリエ」にしたいと考えていた。そのころ、「テン」という映画が小さく流行していて、僕は観に行っていないけれど好印象があった。
河邑さんに「アトリエ テンはどう?」と聞くと「そうしよう」ということで決まり。
服部さんのアトリエテンは、「21世紀へのカウントダウンなんだ」と。うーん、着想は違うけれど同じ山に登ったのか?
繰り返しになるけれど、これ 本当のはなし。
しばらくして、服部さんから電話がきた。
「あらみくん、独立を見送ることにした」「あ、そうなんですか。でもなぜですか?」「取締役に内定したんだよ」「それはそれは、おめでとうございます」「ありがとう」
「あの7階を解約するつもりなんだけど一応知らせようかと」
僕は、こういうのも一つ縁かと河邑さんに相談して入居することにした。
家賃は間違いなく高いけれど、何かきっかけがなければ青山で開業するなんて思ってもいなかったから。
こうした一連の流れの前に、僕は服部さんにお礼がしたくてご自宅を訪ねたことがあった。そばにいることを伏せたまま家の位置を細かく質問すると、「どこかに出向いても良いけれど、いまちょっと動けないんだよね」と。
辿り着いてみると、ガレージで奥さんに髪を切ってもらっている服部さんがいた。仕事で見せる張り詰めた空気と違ってゆったりとした時間があるようで、こういう訪問も発見があるな、と思った。
接点があったのかただすれ違っただけなのか、僕は濃紺のプジョー505を思い出してにんまりする。
先輩の武勇伝2 20230522
卒業設計を進めている西原さんのアパートに通ったのは2年のとき。この雑感に記した「宿」を持ち込んでくれた石橋亮さんの誘いだった。
「卒業設計の手伝いをしてみない」という問いかけに、どんな人?と尋ねると、どうやらサッカー関連の先輩らしい。僕は体育会系ならおおよそ適応できるので、行くよ、と答えた。
アパートの部屋の様子はよく覚えているのに、何線の何駅だったかまるで記憶にない。ただ、鉄筋コンクリートのしっかりした部屋で、お父さんがお金持ちなのかなあと漠然と思ったけれど、もちろん聞いたことはない。
弟さんは慶応大学の文系で学年はひとつ下。ときに慶応風を吹かすこともあったけれど、いかにも女子に人気がありそうで友だちも多いと想像できる男子だった。
卒業設計の手伝いは、昼頃アパートに到着して徹夜、翌る日の夜になって着替えや風呂のために町田の自宅に帰る、というような日々だった。
だから西原さんのアパートで朝を迎えることも多くて、そんなとき、西原さんの彼女が駆けつけてくれて、朝ご飯を出してくれることがあった。炊きあがった炊飯器を彼女が放置して、「空気入れなきゃだめだろ、そんなことも知らないのか」と西原さんが言い、「そんなこと知らないわよ」と彼女が返したようすがなぜか忘れられない。
数か月の時間が過ぎて、西原さんは無事に卒業設計の審査を経て、大手ゼネコンに就職が決まった。
あれはどんないきさつだっただろうか。西原さんから「サッカーやるのに人数が足りないから来てくれ」という連絡がはいった。ビールでもごちそうしてくれる気配だったので、東京湾に面したひっそりとしたサッカー場に出かけた。湾岸の開発よりずいぶん前のこと。
存分にフルコートがとれるスペースかつ芝で管理されていて、向こうのゴールが小さく見えるくらい。双方チームとも人数が足りなくて(Jリーフ開幕以前のサッカーはマイナーだった)、瀧君(後日紹介)などはサッカーを知らないものだからボールを追いかけて青色吐息だ。笑 亮は知っているので涼しいかお。
さて、武勇伝が何かといえば。(武勇伝と言えるかな?)
サッカー後にシャワーを浴びて、ビールの宴席についたのは西原チームだけだった。
早々に立ち去った相手チームといえば、サッカーを始める前に、遠くの駐車場に車を停めた人たちだ。
サッカー小僧にしては妙に洗練されていて、きっと西原さんの友達とその仲間なのだろうと推察した。印象深いのは、みな女性同伴でその服装を見ても気合が入りまくっていたことだ。
車は、全部欧州車で、なおかつメルセデスがないことが何かの主張に結びついているようだった。
僕は、社会人の一年目か二年なのにそんな風に振る舞えることに驚いて、きっとそれは給料に関係ないことだろうと思い至った。
僕の進もうとしている道と違う世界があるのだと見せられたようで、淡いあこがれを抱きつつも早くその気配を感得したことを幸運に思った。
先輩の武勇伝1 20230520
先輩から聞かせてもらった武勇伝を、聞いただけの僕が自慢げに披露するのはどうか、という思いもありながら、でも本人が話すことは限られているだろうから、記してしまおう。
最初は事務所所員時代の先輩前田さん。
僕は学生時代に半分恋するようにあこがれた事務所があって、なんとかアルバイトに行かれないだろうか、と願っていた。
少し前にも記した稲葉さんの友人に西村さんがいて、すでにその事務所でのアルバイトを経験していた。西村さんに「どうしたらアルバイトに採用されるだろうか」と尋ねると、「前田さんという人がいるから連絡しておくよ」と。
どきどきしながら公衆電話ボックスからかけてみると前田さんに代わってくれて「ああ、聞いているよ。いつ来られる?」
そこからスタート。その時の声を忘れることはない。
・・・後から聞いてみると、アルバイト志願者はそれなりの頻度でアプローチしてくるわけで、僕がすんなり入れたのは西村さんの評価が著しく高かったためらしい・・・
通い始めて、アルバイト時代だったか所員になってからだったか、前田さんに立面図のタイルの割り付けを命じられた。
初めてのことだから、想定されるタイルのカタログを熱心に読んで「タイル実寸高64㎜・目地(すき間)幅6㎜」と理解した。
ということは、70㎜間隔で貼っていけばよいのだ。
上から70㎜間隔で線を引いて前田さんに見せた。
「何これ」「調べたらこの割り付けだったので」「もういい」 「間違っていますか」「半端があるじゃない」「そうなりました」 「だからもういい」
これは、その後もいくつかハッとさせられた場面のひとつで、思い返してみると恥ずかしいばかりだ。(目地をほんの少し調整すれば・・・というか現場では目地幅は副産物なのだ)
僕にとってはこの顛末が重いけれど、前田さんの記憶にはないだろう。じきに、ふと気を緩める日など自由が丘の店に飲みに誘ってくれるようになった。事務所が東横線祐天寺駅そばなので。
そんななかで教えてもらったエピソード。
前田さんは、当時国交のなかったソ連にナホトカ港経由で旅したらしい。そのしばらく前に、小田実という作家がそのルートでシベリア鉄道を使ってモスクワに入って有名になっていたけれど、まさか、実践したひとが身近に居るとは。
「旅費はどうしたんですか」「いくらかかるか見当もつかないからさ」「それで」「だから行った先でなんとか」「アルバイトですか」「そう」
前田さんは身の回りのものと、トランペットを携えていったらしい。
「プロじゃないけどね、当時ソ連で日本人トランぺッターと言えば多少の集客はできたんだよ」「ほおー、見込みはあったんですか」「何も情報はないから偶然のようなものかな」「ほお」
そうした想定外の幸運も、モスクワに近づくにつれて薄まったらしい。情報がそれなりに行き通っているのだから。
なんとかなると思っていた前田さんも、手持ちの現金が底をついて焦り始める。
ありふれた話のように、レストランで皿洗いの小銭稼ぎに着手するも、その日暮らしを超える収入にはなりえない。そして、レストランの裏方にはアジア人に限らず、ただその日をやり過ごしながら何年も留まっている若者が多数存在することに気づいた。
「やばい」という単語、言葉が頭をかすめたかどうか。
単なる密航者のような前田さんは、誰にも顧みられることがないことを恐怖とともに身に染みて思い知る。「とにかく帰路の飛行機代を」「脱出を」
前例を目の当たりにしている前田さんは、彼らとは違ったことをしなければと、針金を仕入れてアクセサリーに加工したらしい。
極寒のモスクワの歩道でにわかの店を開くと、思いのほか売れたそうでその結果、僕の先輩としての当時があったのだ。
後日談
「このあいだロサンゼルスに行ってきてさ」「え」「ロサンゼルスだよ」「はあ、どうやって旅費を?」「かみさんの出張飛行機代をビジネスからエコノミーに代えたらお釣りがきた」
前田さんの奥さんは、当時まだ多くなかったアメリカ企業日本法人の秘書だ。
「うらやましいです」と言うと、自慢にはならないから内緒でねと。
日の出散歩 20230517
今朝、久しぶりに日の出時間の恩田川散歩に出てみた。
なぜか4時半くらいに目が覚めて、外はかなり明るくなっていることに気づいた。毎朝の習慣になっている体重計測をしてみると、昨日よりかなり増加しているので、理由を考えて一歩も外に出ていないことに思い当った。そこで5㎞散歩を決行することにしたのだ。
3枚の写真はそのときのものだけれど、左は川向こうの木立の隙間から射す朝日。他はこちら側で光を受ける木立ち。
5時はバスも運行を開始していないし、一般車もほとんど見かけない。自分の行動を思い返しても、仕事が遅くなっても暗いうちに帰りたいと思っていたものだ。
太陽が見える前の、紫を混ぜた不思議な青い空をなんとかと呼ぶらしいけれど、僕は「気違いの青」と呼んでいた。この色を見るときれいだけれどどっと徹夜の疲れが増すのだ。(気違いという言葉はNGらしくて変換できないことに気づく)
そんなだから、鳥の鳴き声以外はあまり耳にとどかなくて気持ちのよい朝だった。
有吉佐和子氏の「女二人のニューギニア」で、僕は新しい小説よりも昭和のころの方が楽しめると気付いたので、ブックオフで曽野綾子氏の左の短編集と新田次郎氏の短編集を買った。
新田氏は僕が好きなタイプではなかったけれど、左の「2月30日」はとても興味深く読んだ。
2000年初期のもので、氏が60台後半から70前半にかけて連載した短編13話をまとめたものだ。
曽野綾子氏はクリスチャンでそのこともあってアフリカの極貧の地域の修道院を訪ねたりしながら、生きていることの苦しさや不条理、しかしその先に逞しく存在している人々を精緻に描かれていると思った。
曽野綾子氏は三浦朱門と結婚した作家で、三浦朱門は都立高校で大先輩にあたるから、当時も本屋さんで手に取ったことはあったけれど、高校生の、片岡義男が大好きな僕には入っていくところが見つからなかった。まあ、というよりすぐに閉じてしまったのだけれど。
年齢というものはやはり面白いもので、そんな僕が微熱さえ感じながら読んだのが新鮮な体験だった。
昨日の夕食は、買い物をせず、あるものだけで作ったけれど、思いのほかおいしかった。
茄子とピーマン、人参に水菜を炒め切って、豚肉を加えてねじれたマカロニ、最後にレトルトのソース。
ソースは4人分の材料に対して2人前用のみにする。
くたくたに炒めた野菜が味を出したのか、少しもレトルトの気配がしなくなって大成功だった。(僕としては)
レトルトはメーカーがしのぎを削っているわけでよくできていると思うけれど、プラスチック的な味で「ゆらぎ」が無いのが寂しいと感じたりする。そんな時、こうした使い方は(目新しくもないだろうけれど)なかなか有効だ。
カレーを作るときは、ホールスパイスから始めて玉ねぎを一所懸命ペースト状まで炒めで頑張るのだけれど、なかなか思うようにいかない。この時も、ジャワカレーの固形をほんのひとかけら投入するとレベルアップする。超初心者へのアドバイスでした。笑
2023GW 20230505
コロナ明けの今年のゴールデンウィークは、みんな待ちかねていたのか大変な人出らしくてニュースを見ているとちょっとした興奮状態だ。中国はもっとすごいらしくて、川下りゴムボートの映像では、ボートに水面が埋め尽くされて静止しているのがおかしかった。
好きな時に仕事をして好きな時に遊びにでかけられるようになった僕たちは、おとなしくしているのが自分のためだし社会のためでもあろうと思っていたけれど、天気がよいので近くの公園に出かけた。子供連れ家族が大勢集まっていて楽しそう。
この季節の草木はみずみずしくて眺めていて飽きない。
写真を撮ったら自分としては気に入ったので、このホームページの自己紹介ページのものを入れ替えた。
もう6~7年前の写真を放置していたからそろそろだなあ、と思っていたのだ。ひと安心。笑
南紀ツアー 20230426
読売旅行の南紀ツアーに行ってきた。
旅程が組まれている旅行は3回目だ。最初は八重山諸島を巡るもので、レンタカーでは海を渡るのにかなりの綿密な計画を要したから合理的だと思った。
2回目は北海道襟裳岬で、これもひたすら単調な長距離運転を避けるものだった。その間もいくつかの旅行はレンタカーだったし、出張の場合は100%レンタカーだから、基本的には時間を指定される旅行は好きな方ではない。
それでも今回ツアーを選んだのは、やっぱり楽チンだし廉価だから。しかも、最近のツアーは移動はバスで時間厳守を求められるものの、旗の後ろをついて歩くかは自由になっていて、好きなようにできる。今回の南紀は伊勢神宮・那智滝・高野山を廻るものだから紀伊半島をぐるっとするのだ。
平日だと参加者は高年齢が集中するけれど、自分が高年齢だから若い時のような違和感はあるはずもない。笑
伊勢神宮内宮で、おかげ横丁では松坂牛のメンチカツやステーキ串を買って、五十鈴川のほとりに腰を下ろして日本酒で乾杯した。これもツアーならではか。(紀伊半島はどこも水がきれい)
何年か前に霧降高原で1400段の階段を特に何も感じずに上がったから、今回の440段も警戒しなかったけれど、その前に200段くらいがあったことと、霧降高原とは違って一段いちだんが高さも傾きも不揃いだったから結構こたえた。
杖を手放さないだいぶ先輩の女性が、息を切らしながらも完登しているようすを見て、「意思」ってすごいなと思った。
こんなことが 20230418
あってもおかしくないけれど、滅多におこらないことに遭遇した。
ふと立ち寄った書店で、高校のクラスメート二人の本が間2冊をはさんで並んでいるのを発見した。
写真の前列、左から2番目と右から2番目。考えてみれば人気作家なわけだから起こり得るのかもしれない。
それでも僕は、とても不思議な時空にいるような気がしたのだ。
今日、最寄り駅の床屋に出かけると、月火休業とガラスに書かれていた。
仕方ないから遠回りの散歩をしようと思って歩き出した。玉川大学(玉川学園)の購買部のような、蜂蜜も売られている書店に久しぶりに入って文庫棚を物色した。
正面に多和田葉子さんの「献灯使」を発見して、手に取ってからいったん戻す。目を平置きに落とすと、そこにも多和田さん。そして同時に「ホシノカケラ」というタイトルが目に入った。
ホシノカケラの著者稲葉さんは、B'z 稲葉さんの従兄で、日本建築学会文化賞を受賞した作家・カメラマンだ。
多和田さんがノーベル文学賞候補者であることを知る人も多いだろう。そしてふたりとも都立立川高校2年B組で僕のクラスメートなのだ。おお。
「それであなたは」というどこかにあるかも知れない声を封印して、自慢話を兼ねた思い出を記そう。長くなります。笑
多和田さんは、僕の記憶では廊下側の前から3番目くらいに座っていて、活発でおとなしいという不思議な人だった。まわるい愛くるしい(文豪に失礼か)目をしているのに、とても強い目力があったという印象がある。
ブラスバンド部でクラリネットを吹いていて、その他にも文芸部で同人誌を出すなどしていたように思う。僕も半年余りブラスバンド部に所属したけれど、当時すでにあまりにも賢そうだったので気軽に声をかけたことはなかった。挨拶は気持ちよく交わしてくれたけれど。芥川賞のお祝いにクラスメートが集まったときは、すでにオーラが半端ではなくて眩しかった。移り住んだドイツで、独語以外に母国語を持つ作家の最高作品賞を受けたのはそのすぐ後だったか。
稲葉さんは、ある時は僕の真後ろに席があって、また別の時は左二つ前に座っていた。それを憶えているのは、僕の買った全6巻の「紫電改のタカ ちばてつや著」をみなが回し読みしていて、稲葉さんが授業中に振り向いて僕に返し、「最終場面に感動した」と感想を述べていたからだ。
軽音楽部でギターを弾いていて、確か柔道部にも籍を置いていた。柔道の実力はまったく知らないけれど、ギターは超絶テクニックで、ジミーペイジを完全コピーしていた人は決して多くないだろう。感心すると、「仲間の天才が全部譜面に落としてくれるんだ」と答えて、二重に驚いた。
青山の喫茶店で「深夜特急 沢木耕太郎著」を薦めてくれたのも彼だし、僕がアトリエ事務所からディベロッパーに転職するときも彼の知見を頼りにした。まあ、頼りに、というより、彼も同じころアトリエ事務所から同じような転職を試みていて、相当数の会社を調べたうえで残した2社を聞き出して、間違いはないだろうとその内のひとつに僕は決めたのだった。
稲葉さんはその会社の内定を取りながら、一年間アメリカを放浪したので戻ってくると取り消されていた。そこに僕が潜り込んだのだ。笑 そうそう、アメリカ放浪の一時は、僕の中学時代の友人(以前にも記した作家・編集者の多田さん)がブルックリンに借りていたアパートに居候したから、紹介した僕は感謝されたのだった。もともと二人は知り合いだったけれど。
こんな風に思い出を記すと、なんだか余裕のある生活だったように見えるとしても、みな時給はマクドナルドと変わらないレベルで(僕は要領がよくなかったから下回っていた)、それでも何とかして海外の文化に触れたいという時代だったのだ。
稲葉さんはその後活躍の場を広げて、超豪華クルーズ船の操舵室でキャプテンと談笑できるカメラマンとなり、日本建築の巨匠の足跡を関係者証言でつづった書籍 他一連で文化賞を得たのだった。葉加瀬太郎さんのラジオ番組や、マツコの知らない世界などにも出演しているから見た人も多いだろう。
さて、話を戻す。
玉川学園購買部書店は平屋でとても明るく清潔だ。店員さんも親切で静か。そんな中で出会った書棚。その瞬間にフラッシュバックが起こりはしなかったけれど、短くない年月が一枚に折りたたまれたように、何かアニメを見ているような風景だった。
老齢年金 20230413
今日は僕の誕生日なので、妻が予約した普段よりは少し贅沢な天ぷら屋さんに行ってきた。
以前、仕事仲間に誘われて下田のそばあたりのエビフライで有名らしい店に出かけた。森を分け入っていくと木造の大きな建物があって、エビフライはすりこぎくらいのものが2本乗っていた。
なんとか食べきったけれど、はす向かいにいらしたおばあさんふたりが話し続けながら、何事もなかったようにあっさり完食したことに驚愕したのだった。
今日の店は不案内な僕には小ぶりにも見えたけれど、小食の僕たちにはちょうどいい。繊細でとてもおいしかった。
おわりごろご飯を出してくれるというので、妻に訊きながら「少な目に」と頼んだのに、僕の方はしっかりの量があった。まあ当たり前か。ベルトがきつい。
夕方には、年金の請求に当たる書類を郵送した。65歳から受けられるらしくて、64歳時にもいくらかもらえる、というやつ。
僕は、企業にお世話になった(厚生年金)時間が半分くらいあっても、好きなように職場を変えてきたから年金額は圧縮されるだろう。定年制度というものが逃げ水のように先送りされることに不満がなくはないけれど、子や孫の健全生活のほうが何倍も需要だ。
だから、隠居などという贅沢はひとごとにしか聞こえないまま、将来に対する漠然とした不安がある。
でも、63歳までにできなかったことがこれから可能になるとも思えないので、自分を甘やかしながら仕事も頑張ろうと思う。
それには、好きなことを優先するのが良いらしい。
無趣味であることが多少残念だけれど、食事の支度は楽しい。これは結構なアドバンテージではないか。笑
今回の自慢は、新玉ねぎトロトロシチューと、やはりとろとろな大根。 (^. ^) それなりに手間がかかった。
孫たちと恐竜展 20230408
4日前に、近くに住む長女と孫男子二人、妻と僕とで上野の恐竜展に出かけた。
8時半頃のバスで待ち合わせ、10時過ぎに博物館に着く。簡易な予約制で、長女が手配をしていたから並ぶことなく入館できた。
展示は、期待したよりは簡素だったけれど、考えてみればこの規模でも大変な準備が必要だろうから、文句を言うつもりはない。
もう少し歩けそうだったから、常設展の動物のはく製や昆虫標本なども見て回った。
帰る前にエネルギーを得ようと、ソフトクリームを食べることにした。待ち時間があったので少しそばを歩いてみようかと孫を誘うとついてきた。
「落ち込んでいるおじさんがいる」と長男Kが言うのでその方を見ると、そこにはロダンの「考える人」があった。次男Rは、彫刻の背後にまわって「おしりー!」と楽しそう。
4枚目の写真は蛇足だけれど二日後の夕食、山芋と卵がおいしかったので記録。
日本のバター 20230406
海外の料理を紹介するテレビ番組を見ていると、バターの使い方が僕の常識外だと思うことがある。
それは、日本に通説としてあるバターの過剰摂取が健康によくないということと、単純に高価だという認識からだ。
でも、必ずしも豊かなあるいは酪農国だからと言えない国でも同じ状況なはずで、なんとなく理解できずに悶々としていた。
最近、生乳を廃棄するという報道に乗っかって、搾乳する母牛を屠殺しなければならない、と酪農家が訴える報道を繰り返し見た。
生乳を捨てたり母牛を屠る前にできることはないのか・・・と思っていたら、ある記事に触れて氷解した。
「価格調整」「補助金」・・・。
この記事は偏向しているかも知れないので敢えて引用しないけれど、どこか腑に落ちるところがある。
ずいぶん前に、北海道士幌町のJAを訪ねたことがあった。わさび栽培で驚異的な成功を収めた農協で、その背景に何があるか知りたいという話が出て、賛同したのだ。
行ってみて聞こえてきたのは職員の自慢話で、「うちの組合員の平均貯蓄は6000万円ですから。それでも資産管理は我々の業務範囲なので、この間も300万円降ろそうという家があったので問いただしたら、長男がクラウンを買うためというから叱ってやりました。ははは」と、のたまわっていた。
今日のJAの窮状はあらためて言うまでもない。「人の役に立て!!」「かすめ取るな」、jA職員ではない、政治家もとい政治屋へ言いたい。ちょっと過激かと思いつつ。
2年ほど前、千葉で自動車修理業を営む会社の相談に乗ったことがあった。茨城の海外沿いに簡易宿泊施設をコンテナで作りたいという話で、補助金6000万円はほぼ固い、ということだった。結果的に、天秤にかけられていたらしくて受注できなかったけれど。
その腹いせではなく、あの補助金は誰が動かしていたのだろうと思う。
設計仲間にその話をすると、「恩恵にあずかろうした人が言うべきか」という辛辣な意見もあったけれど。
日本は20世紀の終わりごろ豊かさを誇った。それはよいとして、次世代・次々世代の幸福にについて何も語れない、語らないリーダーはJAのようにフェードアウトするのだろう。してほしい。さようなら。
紙遊び 20230401
昨日は熊谷に建設中のカフェの、配筋検査という基礎工事とコンテナ建築の合体を左右するものの検査に出かけた。
建設会社のみなさんがとても好意的で、駅と現場を車で送迎してくれたり、その道中で設計担当の年齢的先輩から「ロンドン勤務の2年間があって、大英博物館の徒歩圏だったから堪能した」などと楽しい話も聞くことができた。
それはよいとして基礎とアンカーボルトは、中国から船でやってくるコンテナにはすでに連結の孔が開いているから、6メートルの距離で許容誤差が2㎜と、厳しいものがある。
通常の鉄骨建築なら、基本的に後から微調整する猶予があるのだけれど(超高層などは別)、コンテナは箱が固まっているのでそうはいかない。なにより大きな建物とでは人員と費用に比較不能な差がある環境下で達成しなければならないのだ。
そのアンカーボルト位置を管理している監督さんは、190㎝を超えてかつ大谷選手よりはるかに体重もありそうだから、頼もしいと同時に隣に立たれると空を見上げるように話さなければならなかった。
それでもその体格からは想像できない繊細さがあって(見た感じは海賊だけれど)楽しい時間だった。見事に出来上がっていたし。
家に早めに帰ると、じきに孫が遊びに来た。
長女も手を焼く孫との時間は体力を奪われるので、陰ながら、妻以外に注意を惹きつけようと紙切り遊びを提案した。材料にはことかかないので。それでも結局は絵本を読んでやったりして頑張っていた。
孫の帰宅後、インスタントな上海焼きそばを作ったのだけれど、大好きなうずら卵がないのでゆで卵で代用したら全然期待した効果がなかった。笑
写真は、孫(4才10か月)に作って見せた細工。孫は「これは簡単だよ」と豪語した。あと数年すれば簡単だろうけれど。
なにしろ孫(次男)は、この雑感の2回前に載せた建築模型を見て、ほんの少しだけれど挑戦的な目つきで「これ何年生のときに作ったの」と聞いてきたのだから。
神童であって欲しいと幼子の近親者は期待するかも知れない。僕は、神童かどうかは置いておいて、楽しむ気持ちとリスペクトのある競争心(大谷選手の影響か 笑)を大いに期待している。
散歩道で 20230329
この写真は僕の散歩道の風景で、ただし、見ようによっては立派な住宅街のように思うひとがあるかもしれない。別にあえて訂正することもないけれど、それはたまたまのことで、望ましい誤解をされたいという希望があったりして。
ただ、誇らしく思っているのは「坂のまち」というところで、もちろん不便なのは認めるけれど、景色には歩こうと思わせる気配があるのも確かなのだ。
大学の卒業設計では、地元玉川学園の谷を横断する二つのダムのような建物を構想した。夜中に線路の幅を友人に補助をお願いして測ったりして。
ああそういえば、その友人の友達や僕の高校時代の友人、その後の妻も手伝ってくれてさながら合宿所のようだった。ありがとう。笑
恩師は、お願いした結婚式のスピーチで僕の妻が中学のクラスメートであることに触れて、「荒美君が地元にこだわった理由がわかった」と話してくださった。恩師はコルビュジエの孫弟子として有名だけれど、確かピアニストの奥様は恩師と同郷ではなかったかと思う。とてもフフレンドリーな方で、何度もハグした。仲人のお願いに上がった時、ベルリンかどこかの長期公演で断念したのだった。
春が来る。
孫たちは昨日八景島に出かけて楽しんだらしく、表情に充実感があふれていた。それを感じて、いい空気を吸った今日。
スーパーマーケット 20230328
スーパーマーケットに出かけることが好きになった。特段表明するようなことではないけれど、以前は興味がなかったのだから大きな変化だ。
ただ、だいぶ慣れたとはいえ、単調なBGMの繰り返しには工夫が欲しい。(病院の待合室に流れている電子音的な鉄琴も苦手だ。笑 若い時住んでいた町には古民家風の床屋があって、とても気に入った。そんな医院があったら喜んで通うのだけれど。)
なぜスーパーマーケットが好きになったかと言えば、妻の感想もあって、それが巨大な自分の冷蔵庫だと思うようになったから。
僕は農業人になれない。彼らの勤勉さのかけらも持ち合わせていないので。
それでも、物を作ることには熱中できる。
スーパーマーケット、あるいは買い物が好きになったのは「世界堂」のような材料店と同じに見えるようになったからかも知れない。組み合わせと段取り、おお、設計に似ている。
写真は海老と帆立のリゾット、オムライス、パスタ。(オムライスは卵をバカっと割るべきだったけれど、ちょっと自信がなかった 笑)それと、横須賀秋谷の住宅模型と恵比寿のカフェ。カフェは原型は僕が考えているけれど、店舗のデザイナーによっても手が加えられている。期間限定プロジェクト(4年かな)だったので、あと半年余りで撤収するのが残念。きっと大きいビルが建つのだろう。
健康診断 20230325
ごく一部の人を除いて、健康診断は楽しいものではないだろう。僕は苦手な方に極端に振れていて、だから最後の受診がいつだったか思い出せない。
勤めていたときには義務だったこともあって定期的に受けたけれど、何かの機会に自己責任+報告という制度に変わったことを幸いに、サボっていた。その後自営にしたので、催促もなくなって市役所からの通知も勝手に辞退していた。
ずいぶん前に痛風を発症して(現在は投薬のおかげで正常値に回復しているけれど2か月に一度通院している)、血液検査を受けるようになったから、それで事足りると判断していた。
通院する病院の先生はほぼ同い年の学生時代アメフト選手だった人で、かつ酒好きだから変に話が合うのがどうなのか。笑
昨年暮れ、妻が「子孫に迷惑をかけたくないから健康診断を受ける」と言い出して、僕は多少うろたえた。そんな理由だと回避する言い訳が見つからないから。
それで、来月の誕生日に送られてくる行政補助のある健康診断を受けることにした。まだ通知はないけれど。
そんな話をしているなかで、妻の知人が眼科での手術を受けたことを知った。少し動揺する。なぜなら、血液検査と眼科はあまり関連性があると思えないから。しかも、何年ぶりかに会った人がスリムになっていたので羨ましいと話したとき、「糖尿病で節制せざるを得ないんです」という返答があって、身近では3人目の会話だなあと思ったことがフラッシュバックしたし。
それで不安になって、市役所通知を待たずに眼科検査を受けることにした。どきどき。
結果としては、加齢による飛蚊症の兆候とドライアイで済んだようでホットした。手術のベッドに横たわることまで想像して、何日で退院できるのだろう・・・という妄想まで突き進んでいたから。
町田に眼科受診に来られる方があると思わないけれど、親子らしい3人か4人の先生が診てくださる「保坂眼科医院」は、清潔丁寧で朗らか、超お勧めだ。笑
ついでに最近の夕食遊びを記録しよう。シチューと、鶏胸肉きゅうり梅干し和え、ストロガノフで、悪くない。と本人。
栗山監督 20230325
栗山監督の人柄について、かつて身近で聞こえてきたものがあった。
大学時代の友人AIRは、リクルートコスモスを経て経営と再開発などのコンサルタントとして独立した。
活動は多岐にわたって、その中で子供の体験イベントなどにも挑戦したと聞いた。
スタッフを構成して、主に小学校高学年の子供たちを夏休みの高原などで自由に走りまわらせるようなものだった、と聞いた記憶がある。
AIRは、この雑感の「宿」と標題にした旅館の設計を持ち込んでくれたその人で、2年濃密な時間を共有したから、その前後の活動を聞く機会を得たのだった。(もう30年近く前:昨日のようなのに 笑)
その、AIRが企画した(先に記した)夏休み合宿に、いきさつは忘れてしまったけれど栗山氏がオブザーバー参加したらしい。
僕が聞いて覚えているのは、「栗山氏はプロ野球で活躍したのに、おごることなく謙虚で真摯(貪欲)だった」というAIRの感想だ。「来年も参加させてほしい」という言葉もあったらしい。
その話を聞いた時、栗山氏の容姿は知っていたから、AIRの褒めたたえる言葉は記憶に残った。大谷選手との関係や今回のWBCでの大成功など夢にも思わずに。
今回の偉業について、「優勝監督なのにとても謙虚だ」という報道の流れに反論するつもりはないし、栗山氏をそばで見た経験も無いのだから、想像と妄想の産物かも知れないけれど、栗山監督の見ている風景というものがあるのかと感じた。
それは、これまた極端だけれど、「基本的人権」を考えさせるものではないか・・・などと。
「権威」というものも大事だと理解できるけれど、権威の価値すら知らない「虎の威を借る狐」、(狐に失礼 笑)、を少年野球でも会社でも、駆逐することが未来を開くのではないかと感じた。
(板前として一人前になるのに5年かかる人もいるだろう。しかし、3か月で習得できる人もいる。それを5年かかる人が封じ込めるなんて・・・悲)
孫たちの世界に「伸びやかに、自由に」と願う祖父母は多いだろう。それを栗山監督は示したのだと思った。ひたすら感謝!
WBC日本優勝 20230322
今日、ワールドベースボールクラシックで、見事日本チームが優勝した。とても嬉しく、選手のみなさんおめでとうございます。
品の無い視点であることは自覚しているけれど、この大会で本人の実力を示せるかどうかで一生が(主に稼ぎとして)大きく変わることが素人目にも予測できるので、自分の楽しみに加えて応援していた。
栗山監督の采配について妻と話しているとき、「栗山監督は野球という競技をエンターテインメントとしてとらえているように見える。」という妻の意見に同意した。
ネットやニュースによれば、ダルビッシュ投手が「戦争じゃないのだから楽しんで自分の力を存分に発揮しよう」と若手に繰り返し話していたらしい。
国を賭けた「絶対負けられぬ戦い」などと一部のマスコミがあおっても、僕自身は、野球やサッカー代表は国の威信などかけているとは思えない。非常な期待を背負っているのは間違いないけれど。
大切なのは楽しみつくすことで、唯一無二の時間を共有することだ。その点で、準決勝に敗れたメキシコ監督が、「試合には敗れたけれど、野球という競技が世界に勝利を宣言した」と語った(らしい)ことに激しく共感する。それくらい心躍る試合だった。
そしてまた、今日のアメリカとの決勝戦でも日本の若手が躍動した。その上に、栗山監督のサービス精神も垣間見られるようだったけれど、それは、チームに貢献した選手に報いたり、不振であっても将来への手がかりをつかませることが、選手本人ばかりか次期日本チームの財産になるという考えの上にあったと素人なりに想像する。
その意味で、メキシコ監督が言ったように栗山采配はワールドベースボールクラシックを超えて勝利を上げたのだろう。
勝つとはどういうことなのか、どのように勝つことが幸せなのか、なんだか最良の意味でのエンターテインメントを見せてもらった気がする。興奮のままに。笑
椿園 20230318
15日に確定申告が提出出来て、ホッとした16日に妻と長女(子供二人を小学校と幼稚園に送り出した後)とで地元の薬師池公園に出かけた。
少し離れた西隣に比較的最近できた「西園」は、レストランも小ぎれいに出来ていて食事に来る人も多いようだけれど、薬師池公園は台風で飛ばされそうな売店に、うどん・そば・ラーメン・田楽・餅などの品書きが無造作に貼られているばかりだ。
僕は小学校2~3年のころ薬師池の方に友だちがいて、学校から戻ると玄関にランドセルを放り出してよく遊びに行っていた。勝手に鯉を釣ったり池の先の雑木林を走り回ったりして、日が陰ると帰路についた。
片道4㎞らしいから、一日10㎞を大きく超えて走り回っていたことになる。親に行き先も告げず、車が少なくて不審者などという言葉も見聞きしなかった時代。(というか町田)
その頃と池の形はあまり変わらないけれど、公園は少しづつ拡張されているようで、牡丹園や蓮田、他もいろいろあって、その中に椿園がある。
小さな一山を充てていて、椿の種類の多さにとても驚いた。
さっきネットで検索してみると、椿は日本から世界に広まったものらしい。
種類は日本国内に2200種、海外を含めると6000種があるということで、歩いているだけで数十種類を見たような気がした。
上り下りして満足したあと、さきほどの売店では歴史がありすぎるので、軽食を買って西園の丘のてっぺんの芝生で食べた。
半袖で歩く人もいるくらいで、気持ちの良い春の日だった。
ジャングル生活 20230308
有吉佐和子氏の「女二人のニューギニア」という滞在記というか冒険譚か、という文庫を読んだ。
1968年に刊行されていて、最近再文庫化されたもので、書店で目立つように置かれていたので購入したのだった。
友人の文化人類学者畑中幸子氏に誘われて出向いた旅で、子供のころ父親の仕事でインドネシアで育ったために訪問しようとしていたところで行き先を変えたらしい。
お茶にでも誘うように「ニューギニアは良いところよ、来てみたら」と言われて二つ返事で約束する。
飛行機を乗り継いで、最後にセスナでジャングルの一画に到着してからは3日の徒歩工程だったらしい。
過酷なジャングルでの日々に恐れおののき嘆き節も聞こえてくるものの、信じがたいタフネスであっけらかんと過ごしてしまうところに驚かされる。
(三日間のジャングル行で爪を剥がしてしまい、1週間の予定が一か月になってしまう。その間、衣服を持たない現地の人々に11枚のパンツを縫ってやるのだ)
53歳で早逝(1984年)されたから、再文庫化と言っても新たに手を加えたりはしていないはずなのに、文章やテンポがまさに現代との違いを見せていないことはほとんど謎レベルでとても楽しい。
学者の畑中氏とふたり、「生きているんだなあ!」というのが率直な感想だ。
畑中氏の「ニューギニアでは人間が機械などに隷属することなく、人間らしく生きている」という指摘は、それがどのようなことなのか実感は持ちにくいけれど、何よりこの二人が大変に人間らしいというか、人間は潜在的にたくましいのか、という希望につながった。
最近の自作食 20230307
前にも記したとおり、自慢できるようなものではないけれど、せっかく作ったので記録しておきたい。笑
パスタはごく短時間で作れるようになった。当たり前か。
僕のカレー好き=クローブ好きだ。香りづけができたら取り出す。
三種肉巻き。レタス+チーズ、山芋、りんご。
長崎ちゃんぽんは見た目よりずっとおいしかった。
5138歩 20230302
直近の半年の、一日平均歩数が5138だった。
家(仕事場兼用)から一歩も出ない日というのはかなり少ないけれど、それでも無いわけではなくて、家の中はスマートフォンを置きっぱなしも多いから、歩いた日で見れば多少は平均を押し下げているだろう。
通勤をしている頃は観察していなかったけれど、家~職場の往復だけを考えても5000歩はあっただろうから、不十分なことがわかる。(墨田川テラスを昼に歩いていたころは、毎日1万歩を大きく超えていたはずで、その後体重が増えたのは必然か)
しばらく前に読んだ記事では、統計で歩数と健康状態の相関を見たとき、5000歩/1日が屈折点だとあった。
それを下回ると運動不足で、それを上回っても健康増進効果は比例関係が見られないらしい。その記事を信じればとりあえず合格。
ときどき続けて歩くことのある散歩は、7000歩あまりなので有効だけれど、1時間かかってしまうのが負担だ。きっと小まめに動くことが大切なのだろう。置物になってしまう僕にとっては。
寄りかからずに 20230222
前回記したソフトクラッシュの影響で、月曜日夜はほぼ徹夜になった。
そのため、昨日今日はその後の連絡を待つことを自分に言い訳してぼんやり過ごしている。テレビを見ながら。笑
興味深い番組がふたつあったのでその感想。
ふたつとも、何かの価値判断をなるべく誰にも寄りかからずに自分でくだしたい。という内容だったと思う。
ひとつ目は、アーティスト森村泰昌さんが、ロシアのウクライナ侵攻について考えを述べたもの。
ロシアを糾弾し、ウクライナの支援を正義とするのは難しくないけれど、誰かが作ったかもしれない構図にからめとられたくない・・・と言っていた。
もうひとつが、「いい移住」という番組で紹介されたもので、琵琶湖ほとりに移住して、移住者としての困難を共有した女性たちが、その体験を踏まえて出版した雑誌の話。
第2号は、「嫁」がテーマで、それは嫁こそが昔ながらの移住者であることを発見し、しきたりの強制と自我の発露のあいだに良い環境を想像できないか、と考えたというもの。
どちらも興味深かったし、自分に足りないものを指摘された気がした。
その流れの中で。
僕は「陰謀論」とか「背後のあやつり集団」といった話に与したくないので気を付けたいところだけれど、ネット記事に次の指摘を見つけた。
・大気汚染防止法第27条第1項 この法律の規定は、放射性物質による大気汚染及びその防止については、適用しない。
・土壌汚染対策法第2条第1項 この法律において「特定有害物質」とは、鉛、砒素、トリリクロロチレンその他の物質(放射性物質を除く) 後略
・水質汚濁防止法第23条第1項 この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁及びその防止については、適用しない
この法令を定めた経緯には何か理由があるはずだけれど、それを多くの人が共有しているとは思えない。少しずつでも関心を持ち続けたいと思った。
ソフトクラッシュ 20230218
昨日、午前4時ころ、製図ソフトに異変が起こって、熊谷での内容がクラッシュした。
普通にパニックになって、回復を試みたけれど最終的に保存できたのは一週間前の情報で、この間の更新は3日分だったから実害はその程度ではあるものの、あらためて作り直すのは結構しんどい。
理由はわからなくて、わかればそんなミスを避けるのだけれど、今日の気分としては数日分で助かったという感じ。 かな。
そもそも、その修正は工務店さんの勘違いから発生していることもあって、僕は迷惑をかけているのは認めるけれど、ただ疲労感が募る。
そんなこともありますよね。原因がわかるようだったら避けられたはずで、「電子」というのかどうなのか、遠慮も忖度もないやつらが嫌い。笑
ドリトル先生航海記 20230210
最近、スマートフォンで記事を見ることが激減した。内容に関して文句を言いたいことに加えて、画面が投げやりだし、広告に至っては・・・とは誰しも感じていることだろう。不満を言いながら開くのはおかしいことにやっと気付いた。
写真は、今日、熊谷に打ち合わせに出かけた車中からのもの。
天気予報で北関東は豪雪などと報じられていたけれど、しばらく前からの予定だったし、必要にも迫られていたのでそのまま出かけた。
特に困ることもなかったのでそのことはよいとして、写真にしたのはちょうど今「ドリトル先生航海記」を楽しく読んでいることを記録したかったからだ。
行きは文庫本を読み、帰りはサンドイッチを食べてからまた読んだ。
なぜ今さらドリトル先生なのか・・・という経緯。
僕はコアなファンではないけれど、椎名誠さんをときどき読む。今回の「すばらしい暗闇世界」は、期待通りか期待以上に不気味な生命体の観察があって、睡眠導入本としては疑問点がつくけれど、それは個人的なこととして、椎名さんの行動力にひたすら敬服する。
そんな感想の中で、椎名さんが「十五少年漂流記」に大きな影響を受けたという記述があって、そうだな、読んでみようと思った。そのことと同時に、本の最後の既刊宣伝で、「ドリトル先生航海記」が、福岡伸一さんの新訳であることを知った。
だからその2冊と、椎名さんの十五少年漂流記に関する文庫本を買った。(町田駅前の久美堂にはすべてが並んでいた・・感)
少年少女文学というものがあるとして、それはなんだろうか、と思う。少なくとも僕にとって、それは懐かしみや慰めではなくて活力源になると実感を持った。
高校時代からの友人だから、客観的な評価などしようがないけれど、加えて、少年少女文学だと言ったらクレームがあるかも知れないけれど、おすすめ。
ぜひ読んでください。
泣いちゃうかも。(^.^)
森本米穀店 20230203
先日、栗城さんのことを記したとき、ページの項目容量を超えるので新しいページを、というメッセージがあらわれた。
ひとつの文章と、区切り線、写真などのアイテムが200個を限度としているようなのだ。
直前の雑感を、階層を一つ下げて新たなページを始めるという難しくない作業なのだけれど、初めて1年か2年のときあらぬところを触ったらしくて、それまで記したものが破棄されたことがあった。
少し動揺してサイト管理会社に電話相談したのだけれど、破棄したものは戻せないという至極単純まっとうな指摘で、涙をのんだ。
だから、1年以内にそうした更新をする必要が生じたとき、毎回ちょっと緊張している。
その、破棄してしまった後、しばらく日付を入れなかったので不明なものの、最初は2010年7月28日とあった。だから、少なくとも12年と6か月が経過している。
栗城さんを紹介した河野さんのあとがきに、ブログを書いているけれど主に近親者に向けたものだから、開いてくれる人は顔を思い出せる範囲だっただろう、という記述があった。(それは栗城さんのことを発信した後に数万まで跳ね上がったともあった。)
僕も、跳ね上がった経験を別にすれば同じ状況で、義母が去ったここ数年では妻と長女の他には数人の友人の顔が浮かぶという状況だ。
たまにではあっても開いてくださった方には感謝ばかりなのだけれど、多くの人に露出したいかといえば、そうではない。
記すようになって数年後、同窓会でホームページを持っている10人くらいを紹介してもらったことがあって、その次の同窓会で「見ることがあるよ」と言ってもらったときはとても嬉しかった記憶があるけれど。
最近、僕でも役に立てる建物建設予定者があるはずだ、無いわけがない・・・と思うようになって、もう少し見てもらえるような努力をすべきだと考え始めた。ゆっくりだけど。
長くの友人に親から米穀店を継いだやつがいて、僕が独立したときにお店と住居の建て替えの相談を受けた。設計費用を圧縮して、それを恩着せがましく言っていたから、彼は正月に他では食べたことがないくらいおいしい餅を送ってくれるようになった。事務所の共同設立者も同時に。
それが30年を超えている。おお。
途中で何度も「もうほんとにありがとう、充分をとっくに超えているから申し訳ない」と伝えると、「生きている証明だから」との返答。だから今は「子も孫も美味しいから楽しみにしている、よろしく」と年賀状に添えることにした。
このエピソードを加えたのは、この雑感を続けていることが自分が生きていることと似ている、と言いたかったからだけれど、ちょっと重みが違い過ぎるか。泣
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、彼は店舗を経営しているのだから、名前くらい明らかにしてもよいだろう。
「八王子市犬目町 森本米穀店」ほんっとにおいしいお餅。!!
価格は知らない。泣
森本君はハンドボール部で活躍していたけれど、結構シャイな人物で、僕も彼の5分の1くらいはシャイなので二人でつるんだことはない。それでも面白い事件屋なので、書き始めたら制御がきかなくなる恐れがある。だから自重しよう。誰も見ていないとしても自重は美徳だ。
若いころ、森本米穀店(ご両親の代)の近くに焙煎機から何から整えたコーヒー専門店「モロ」が開かれた。僕も何度も飲ませてもらったけれど、店主は気難しいところがあって、若者に2杯は出さないという戒律のようなものがあった。一度などはその日の午前に確かに飲んだその午後に、2回目のオーダーをしたらマスターが拒否したことがあったけれど、森本君が「遠い町田からわざわざ飲みに来たんだからどうにかして」と交渉してくれて無事おさまったのだった。
このマスターはコーヒー命、が前提として、この店の開業資金を鉄塔建設の飯場で得たという筋金の入っちゃった人物だった。
(鉄塔建設というのは、ほとんどの場合道などないから一か月とか山中に隔離される過酷な、しかも身分証明があいまいな、相当にやばい飯場だ)
まあ、だからこそ森本君を我が子のようにそばに置いたのだろう。
(そういえば、森本君も信州の身分証明が求められないレタス農家、というか組織に入って結構危険な場面に遭遇したらしいし)
コーヒー店の方は、グーグルマップで休業日だったのか人気がないのが少しだけ心配。
10年余り前、八王子の建設環境を知りたいとおもって森本君を訪ねた。突然だし勝手だったけれど、車で数時間かけて周辺を回ってくれて、建設事情などを説明してくれた。
なかなか、クラス会に顔を見せないのはどうしても土日に仕事が集中するからだと聞いた。加えて、今は離れているだろうけれど、PTA会長や地域の野球少年の指導者など、僕にはちょっと想像できないくらい多くて濃密な活動があるらしかった。
ああそうだ、おっさん野球に飛び入りさせてもらってその晩の打ち上げにも出たい、と頼んで了解を得たのに不義理をしている。
八王子市犬目町 コーヒー専門店「モロ」・営業日など未確認